挿話:一番近くの傍観者・2
あ。指輪だ。
朝の四担のミーティングの時に気がついた。
能面で仕事に掛けては正確無比と呼ばれる「仕事の鬼」加山さん。
三月までいた四担の派遣だった桐野さんと五担の派遣だった鹿島さんに言わせると、日本人形みたいで可愛いということになるらしい。
が、俺に言わせればただ黒いストレートの髪を伸ばしているだけで、無表情具合は人形っぽいといえば人形っぽい。
あまり仕事中は感情の起伏の無い人で、どちらかというと取っ付き難い。
そんな加山さんの左の小指にハートの指輪。
これはもう、大事件と言っても過言ではない事件でしょ。
当然気がついたのは俺だけじゃない。
ミーティング用の円卓でふと顔を上げると、田島さんと目が合う。
田島さんの視線がすーっと加山さんに向けられたので、こくりと首を縦に振る。
--アレどうしたのか聞いた?
ミーティングが終わって席に着いた途端に田島さんからメッセンジャーが届く。
まあ想定の範囲内か。
--聞いてませんよ。ミーティングの時に気付きましたし、勤務中に聞いても絶対答えてくれないですよ。
--うーん。どうやって口を割らせようか。やっぱりランチの時かな。
--それが無難でしょうね。飲み会は多分断られるでしょうし。
--だよねー。じゃあお昼に加山さんに聞くという事で。
お互いの意思確認を田島さんと済ませ、仕事に意識を戻す。
どちらかというと連休ボケをゆっくりエンジンを掛けていく感じなので、集中して仕事をしなくてはならないようなものではない。
連休気分が抜け切らないと言われれば返す言葉もございませんって感じなんだけれど、書類作成も集中する事が出来ない。
課長宛に出す今月の営業計画書の作成なんだけど、これって形式上のものでしかなくて、時間掛かるわりに重要度低。
そんな感じで気もそぞろで仕事をしていて、ふとコピーブースに入っていく今野さんの姿が視界に入った。
よーし。ちょっかい出してみよう。
どうせそのうち今野さんも気がつくだろうし、どうせならその楽しすぎる瞬間を目の当たりにしたい。
「それどうしたんですか?」
パーテーションの向こう側の加山さんに声を掛けると、手元の書類から目を上げて俺を見る。
うーん。特別美人というわけではないし、当然可愛いというタイプでもないし、一体この「鬼」のどこに今野さんも石川さんも魅了されているんだろう。
今野さんはお局が加山さんを仕事中にぶん殴るという暴挙に出てからしばらくの間は加山さんへの接触を避けていたようだけれど、お局が総務に飛ばされてからは今までどおり普通に接している。
多分、普通にという表現は控えめすぎだろう。
飲み会では常に隣をキープしているし、煙草を吸いに行く時はいつも一緒。
まー、わかりやすい。
そりゃ「可愛いりょーちゃん」ラブだったお局からしたら、許しがたい行為だろう。
しかしこの加山さんのどこに、そこまでハマる要素があるんだか。
「それというのは?」
「指輪。ああ、薬指ではないんですね。こっちからは薬指に見えたので、びっくりしました。例の嫉妬深い彼氏から貰ったんですか?」
丁度聞いたタイミングで今野さんがコピーブースから出てきた。
平静を装っているけれど、一瞬視線が俺と加山さんに向けられる。
その今野さんの視線に気がついたけれど、気がつかないフリをして加山さんに追求する。
彼氏がいるということを強調して。
さー。どーでるかな。今野さん。
俺って悪趣味だなあと思わなくは無いけれど、加山さんの性格上、上手く今野さんのアプローチを交わすなんて事も出来ないだろうから、遠まわしに牽制の手伝いくらいしてもいいだろう。
--何仕事中に切り出してんのよっ
田島さんのメッセージに「なんとなくです」と返していると、加山さんが席を立つ。
もしやと思って今野さんの動向を窺っていると、今野さんも営業課の部屋を出て行ったようだ。
田島さんにアイコンタクトすると、田島さんが煙草を吸う石川さんを引き連れて営業課の部屋を出て行く。
俺と田島さん煙草吸わないから、あの部屋に俺たちだけで行くと違和感あるんだよな。
ナイスです、田島さん。
しばらくして田島さんが戻ってきて、メッセンジャーで状況説明してくれる。
やっぱり思ったとおり、加山さんと今野さんは喫煙所にいたようだ。
指輪の事を突っ込んでみたけれど、今野さんはこれといった変化は無かったらしい。
しかしあの指輪はどういう経緯で嫉妬深い彼氏に貰ったんだろう。
その辺りは突っ込んで聞いてみたい。
が、お昼は出水さんに加山さんを連れて行かれちゃったんで、本人に聞くことは出来なかった。
石川さんも営業に出てしまって、村田さんは担当長ミーティングがあるから、俺と田島さんの二人で昼飯。
「出水さん、加山さんに何の用だったんだろうね」
「さあ。俺にはあの二人が何を話すのか想像すら出来ません。黙って二人で立っているだけで、出てくるオーラが常人とは違いすぎて」
はははっと田島さんが笑みを零す。
「確かに、二人揃うとまさに『阿吽』だもんね」
お絞りで手を拭きながら、田島さんが笑いとばす。
四月から同じ担当になった先輩社員の田島さんは、よく笑い、よく食べ、何かと豪快な人だ。
結構お酒も強くて、男前なところもある先輩だ。女性的な肉感ボディとは裏腹に。
女性的魅力とさっぱりとした性格で、営業先の受けもいいらしい。
最近では村田さんや石川さんと一緒でなく、一人で営業に出ることも増えてきた。
そんな田島さんはスタイルのよさと、さばさばしていて下ネタも笑い飛ばす性格から、密かに狙っているやつもちらほらいるという。
実際田島さんが営業企画から四担に異動になったときに、うらやましがられたりもしたもんだ。
「ですねー。怖さハンパないっすよ」
田島さんの話に軽口を返すと、ははっとまた笑い声が返ってくる。
「だねー。でもその怖さも彼氏のことになると消滅するのがまた面白くない?」
「消滅してますかね。俺、そこまで豹変してるの見たことないんですよね」
恐らく名前は出さないけれど加山さんのことだろう。
出水さんに男の影なんて全く聞いたことが無い。
「さっき見ちゃった。もーその顔に今野くんは困惑してるし、石川さんは不機嫌になるし、なかなか楽しかったよ」
「楽しかったって言い切りますか」
「言い切るよー。まあでも悪趣味なのは百も承知。って最初に爆弾投げたの野村くんじゃない」
「ですかね?」
「だってわざとでしょ。今野くんに聞こえるように指輪の話して。で、案の定今野くんすぐに動いたし」
にやりと俺が笑ったのを、ほんの少しだけ田島さんが眉を寄せる。
「けど業務時間中は止めな。業務に関係の無いプライベートのことを勤務時間に切り出すのは良くない」
「はい」
「わかればよろしい」
先輩の指導に素直に返事を返したのが良かったようだ。
一瞬険しい顔になった田島さんの顔に笑みが戻る。
「けどさ、あの全世界の女は俺に振り向いて当たり前系のよりどりみどり石川さんと、常に違う女と付き合っていた女出入りの激しい今野くんに見向きもしないほどいい男なのかな。加山さんの彼氏」
石川さんにしても今野さんにしても酷い言われようだ。
確かにフェロモン垂れ流しであちこちで女食いまくっているといわれる石川さん。
三ヶ月破局男と裏で言われて、彼女をとっかえひっかえしていた今野さん。
そんな営業部二大イケメンに粉掛けられても全く歯牙にもかけないほどいい男って、どんなヤツなんだろう。
まあ人間見た目だけじゃないから、超絶性格いいのかもしれないし、もしかしたらこの二人を凌ぐようなイケメンなのかもしれない。
が、どちらにしても加山さんの彼氏……。想像が付かない。
そもそも、加山さんが二大イケメンに惚れられる要素が全くわからないし。
「んー。正直言うと、俺的には加山さんの魅力が良くわかんないので、彼氏なんて全然想像も付きません」
ははっと乾いた笑いを零し、田島さんはアイスティーを一口飲む。
「野村くんは嫉妬深い彼女で手一杯か」
「なんすかそれっ。俺の話はどーでもいいじゃないですか」
田島さんに食って掛かろうとしたところで、本日のランチメニューである炭火焼き鳥丼が目の前にやってくる。
寝坊して朝飯食いっぱぐれたから、ぐーと鳴る胃袋には勝てない。
まずは胃袋を満たそう。話はまた後ですればいい。
それに勤務時間後に加山さんを飲みに連れて行って、本人に彼氏のこと聞けばいい。
俺が彼女の尻に引かれているように思われていることを訂正するのも後でいい。
まず今俺が最もすべきことは、この焼き鳥丼を食べる事だ。
「いただきます」




