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Papagena  作者: 来生尚
本編
8/99

8:しるこ

 いつものように仕事をしていた午後、内線電話が掛かってくる。

「お疲れ様です。総務の木場です。発注していたコピー用紙が入ってきたので取りに来て貰えますか」

「わかりました。すぐに窺います」

 電話を置いて目の前の席の木内さんに声を掛け、コピーブースにある台車を取りに行く。

 一度に結構な量を頼むので、とても手で運んでこられる量ではないので、毎回台車を持参して取りに行く事になっている。

 コピーブースの端に置いてある台車をカラカラと押しながら、営業課の部屋を出て、エレベーターホールで上ボタンを押す。

 昼食から一時間くらい経ったので丁度眠気がこみ上げてきて、ふわーっと大あくびが込み上げてくる。

 欠伸と同時に出てきた涙をハンカチで押さえていると、ふいに「どうした?」という低い声が掛かる。

「あー。欠伸でちゃいました。眠くって」

 恥ずかしくて誤魔化すように言うと、声を掛けてきた石川さんがくすっと笑う。

「泣いてんのかと思って心配したじゃねーか。まあ、この時間眠いもんな。どこいくの?」

「総務です。コピー用紙を取りに」

「じゃあその前に一服付き合え」

 既に決定事項のようで、台車を奪い取られて喫煙所のほうへと向きを変えてしまう。

「煙草持ってません」

「銘柄同じだろ。一本やるよ」

 そう言われてしまえば断る余地は無い。石川さんと肩を並べて喫煙所まで歩いていく。

 喫煙所の入り口で台車を置き、喫煙所の中に入っていく。そこには誰もいなくて貸切だ。

 中にはいって手渡された煙草を口にすると、石川さんが「ほいっ」とライターでホストのように火を点けてくれる。その何気ない仕草にも乙女脳発動。

 危うく鼻から煙が出てしまいそう。

 辛うじて口から煙を吐き出すことに成功して言った「ありがとうございます」に「どーいたしまして」いつもと変わらない声。

「そーいえばさー」

 煙草が半分まで減った時、窓の外を眺めていた石川さんがおもむろに口を開く。

「お前こないだ今野と飲みに行ったの?」

 多分先々週の事を言っているのだろう。その次の週も今野さんと飲みに行ったのだけれど、バカ正直に答える必要は無いだろう。

 って、何で隠さなきゃって思うんだろう。別に隠さなくちゃいけないような事じゃないのに。

「行きましたよ。ダーツバーに行ってダーツ投げてきました」

 煙草をダーツに見立てて投げるフリをするのを、石川さんは片眉を引き上げて見ている。

「石川さんはダーツしないんですか? 今度一緒に行きましょうよ」

 言葉のあやというか、社交辞令というか、そんな感じで誘ったのに、石川さんはおもむろにスマートフォンに指を滑らせる。

 しゅっと横に引いて何度かクリックして、うーんと唸り声を石川さんが上げる。

「最短で来週だな。今週は同期と約束がある」

「あー。別にいつでもいいですよ。みんなで飲むときでも全然構わないですし」

「何で? 誘ってくれたんだからちゃんと時間空けるし」

 慌てる私の様子など意に介せず、石川さんは不思議そうな顔で私を見る。

 本気で一緒に飲みに行くんですか、石川さんっ。

「後は誰誘います?」

「別に、誰も誘わなくてもいいんじゃないですか」

 喫煙所のカウンターに寄りかかりながら答える石川さんの笑顔は破壊力満点だ。もしくは心臓破りだ。

 にっこりと笑われて、頭の中は一気に沸騰して、どこからかピーってやかんがお湯湧けた時のような音がする。

「な、な、なんで敬語なんですか。そこで」

 誤魔化すために慌てながら言うと、変に噛んじゃって余計可笑しなことになる。

 そんな私の様子を面白そうに煙草を咥えたまま石川さんが眺めている。

「別にー。意味なんてないけど。何で?」

 何でって聞かれても、それに答えるのは無理です。今、頭回ってませんから。っていうか何が何でなのかもわかりませんっ。

 泡を食っている私の様子を面白そうに眺めるの、やめてください。

 今、何か言われたら絶対変なこと言いそうな自信がある。でも何か言わなきゃ。

「だって石川さんのが年上で先輩なのになんで私に敬語なんですかって聞いたんですよ」

 おー。意外に回ってた。私の頭。ナイスっ。

「からかってるから」

「からかわないで下さいよー。もうっ」

「わかりやすいヤツだなぁ」

 クスクス笑う石川さんから目が離せないでいると、「あれー?」と聞いた事のない声が耳に飛び込んでくる。

 ビシっとスーツを着こんで高いヒールを履いた、いかにも「仕事できますっ」って風情の女性が喫煙所に現れ、一瞬にして場の空気が変わる。

 にこやかだった石川さんの表情が一瞬固まる瞬間を目にしてしまった。けど、それは本当に瞬きするほどの短い間で笑い顔に戻っている。

 笑っている。確かに笑っているのだけれど。

「よお。久しぶり。支社に何しにきたの」

「企画部と打ち合わせ。石川っちまだ一担にいるの?」

「いや、今は四担」

 何となく邪魔かなと思って、煙草を灰皿に押し付けて喫煙所から出るべく、お辞儀して二人の前を通り過ぎる。

 何か言われるかなと思ったけれど、石川さんの興味は今は私じゃない人に向けられているので、何も言われることも無い。

 それが寂しいとか思うの、なんか違うよね。


 総務に行って大量のコピー用紙の箱を積んで戻ると、先ほどの女性がお局佐久間と話しこんでいるのが見える。

 多分社員さんなんだろうなと思いつつ、別に私には関係ないしと結論付けてさっさとコピー用紙を片付ける。

 倉庫に全て下ろしてコピーブースに台車を置いて戻ってくると、先ほどの女性が私の席に腰を下ろして今野さんと何やら話している。

 今戻ったら邪魔かな。

 ああ、とりあえず手が汚れたからタオル持って手を洗いに行ってこよう。

 自分の机のところまで行くと、今野さんがあっというような顔をする。

「お疲れ様です。終わりました?」

「はい。さっきトナーも弄ったんで手が汚れたんで洗ってきますね。すみません、失礼します」

 使用済みトナーが置き去りにされていたので、箱にしまっていたら真っ黒に手が汚れてしまったのを今野さんに見せ、座っている女性の足元からカバンを取り出す。

「ああ、ごめんなさい。今どきますね」

「大丈夫です。こんな手では仕事にならないので洗ってきますから」

 多分これで嫌な思いをさせずに席を空けて貰えるだろうと思ってカバンを手に取って立ち上がると、今野さんがポンポンと胸ポケットの場所を叩く。

 喫煙所でって事ね。

 わかりましたっていう意味を篭めて頷くと、また今野さんは女性と話し出す。

 二人の事を視界に入れず、そのままトイレに行き、その足で喫煙所に向う。

 どうもこの職場に来てから煙草の本数が増えてしまった気がする。

 喫煙所コミュニケーションが盛んすぎるのがいけないのだろうか。でも誘われたら断るの申し訳ないし。

 そんなことを考えながら喫煙所に向かう。

 煙草を吸おうかと思ったけれど、さっき石川さんに一本貰ったばかりで、そんなに吸いたいわけじゃない。

 どうしようかなーと考えつつ、自販機に小銭を投入する。

 煙草を吸う代わりに何か飲もう。

 お金をいれたものの、量が多いと飲みきれないし、でも寒いから冷たいのより暖かいのがいいなあと何にしようか悩んでいると、すっと指が伸びてきてボタンを押される。

 ガコンと派手な音がして飲み物が落ち、それと同時に振り返ってボタンを押した主を見る。

「何押したんですか」

「見てみたら」

 くくっと笑いながら石川さんが言うので、絶対にろくなものを押していないと悟る。

「しるこ」

 小さな缶を拾い上げ呆然と見つめる私の姿が、どうやら石川さんのツボだったらしい。

 あははははと笑う石川さんは肩を震わせて笑っている。

「糖分糖分。午後の仕事の為に頭に糖分大事じゃね?」

「いりませんー。糖分過剰すぎますよ、コレ」

「あー。また石川っち嫌がらせして遊んでるんでしょ」

 文句を言う私を援護射撃するかのように喫煙所には先ほどの女性社員さん。その後ろには今野さんもいる。

「どうしたんですか」

「石川さんが何飲もうか悩んでいたら、しるこ押しました」

 好きじゃないのに、しるこドリンク。何で好きじゃないかといえば、小豆が全部飲み干せないのが悔しくて悔しくて間抜け顔になるから。

 最後の一粒まで飲みたいのに飲めないもどかしさ。

 同様にコーンスープも飲みにくい。どっちもスープカップとかで飲みたい。

「それはそれはご愁傷様です」

「……死んでません」

 神妙な顔で言う今野さんに抗議すると、何故か女性社員さんがあははっと笑い声を上げる。

「ノリのいい派遣さんだねー。一担の派遣さんなんだよね」

「あ、はい」

「そっかー。私前は一担だったんだ。今は本社企画部なんだけどね」

 ああ、だから企画と打ち合わせで来たってさっき。

 ばっちりメイクも完璧な女性社員さんは石川さんの腕を突っ突いている。

「ねえ、同期会焼き鳥にしない? こないだいいお店見つけたんだ、本社の傍なんだけれど」

「あー。いいんじゃね? それ田辺に言っといて。あいつ幹事だから」

「焼き鳥には日本酒よね」

「いや、焼酎だろ」

「そうかなー。日本酒で冷が美味しいと思うんだけれど。ああ、そこのつくねね、生卵が付いてきて、生卵をつけながら食べるんだ。美味しかったよ」

 ああ、同期なんだ。

 一担に以前いたってことは、同期で同じ担当で石川さんと働いていたってことだよね。

 だから今野さんとも親しいんだろう。お酒強そうだから、しょっちゅう担当で飲みに行ってたりしたのかな。

 ちくん、胸に何かが刺さる。

 どうしてそれが痛いのだと思うのかな。

 いつもと同じ低い声で笑う石川さんと同期の社員さんが、何か二人の世界って感じがするからかもしれない。

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