37:薬指の約束・2
煙草を吸い終わって座敷に戻ると、りょうはわたしを隣に座らせた。
みんなに囃し立てられて顔を赤くするのはわたしだけで、りょうはいつもどおりの笑顔を変えない。
「お前らさあ、そんなにベッタベタなのに離れて平気なわけ?」
さっき喫煙所で聞かれた内容を少し言い回しを変えて、再び石川さんに問われる。
咄嗟にりょうの顔を見つめるけれど、りょうはにっこりと石川さんに笑みを返す。
「例えばさ、ゆうに仕事辞めさせて一緒に連れてくとかしなくていいわけ? それか既成事実作っちゃうとかさ」
石川さんがまくし立てるように言った内容は、りょうの表情を変えるのに十分だった。
既成事実、というのがアルコールが回っているが故の下卑た笑いを誘ったからかもしれない。
どうしてもメンバーの大半が男性になるので、直接的にも間接的にも性的な話題が会話に出る事は多々ある。
普段はりょうだって話に乗っていたりするし、自分の事になると上手に受け流すけれど、今はちょっと違う。
眉を顰めて溜息を吐き出した。
石川さんが提案したそれは、りょうにとっては「本当の愛情じゃない」と切り捨てた案だからかもしれない。
「……石川。加山さんがいなくなると困るのは俺たちだと思うよ」
さりげなく信田さんが話題を変えてくれる。
それに野村さんが力強く「そうですよ!」と同意を示して空気を和ませる。
「加山さんいなくなったら俺、多分残業天国に突入する気がします。というか、四担五担ともに壊滅状態になりそうな気がします」
「いや。壊滅するのはお前だけだろ」
「えー。そんなことないっすよぉ。加山さんが素早く生データを加工してくれるから、営業資料もさくさくーっと作れるようになったのは、俺だけじゃないはずですっ」
穏やかな笑みを浮かべながら、信田さんが野村さんの言に同意する。
「そうだね。確かに以前より営業結果の分析とかの時間がかなり短くなっているからね」
「ですよねー! だから俺だけじゃなくて全員壊滅ですよ」
あははっという笑い声と共に、りょうの肩の力が抜ける。
「まあ、ゆうがいなくなったら困るのは確かだけどさ、こんなにべったりなのに妙に二人ともあっさりしてんのが腑に落ちなくねえ? それともあれか、離れても平気とか根拠の無い自信があったりするのか?」
未だ納得のいく答えを引き出せていないからか、石川さんが再び元の話題に話を戻す。それもあまり感じがいいとは言えない言い方で。
けれど、りょうは険しい顔をしていなかった。
その代わりに、いつもとは違う種類の、どちらかというとブラックなほうの笑みを浮かべる。
「僕が彼女を放置していくとでも? そんな事はありえないですよ」
ね? と小首を傾げられ、意味もわからないままに頷き返す。
それはなるべく早く帰って来ると約束してくれたことだろうか。それとも結納のことだろうか。
曖昧に頷いたわたしに「出していいよ」とりょうが囁く。
会社にいる時は面倒が起きるといけないから着けないでとりょうに言われ、家を出るときに銀の鎖に通して首に掛けている結納の証の指輪のことかな。
躊躇していると、りょうの指がわたしの首をなぞるようにしながら銀の鎖に触れ、隠していた指輪を表に出す。
「それは?」
田島さんに問われ、りょうの顔を見る。
「婚約指輪です。僕、どうしても彼女のウェディングドレス姿も見たいですし、着物も似合うので白無垢姿も見たいんですよ」
突然何を言い出したのだろう。
誰もが同じように思ったのだろう。虚を突かれたような表情を浮かべている。
わたしもそうだ。
一体どうしてそういう話題に?
「既成事実なんて作っちゃったら一生に一度の彼女のドレス姿が見られなくなっちゃいますし、無理やり仕事辞めさせて向こうに連れて行って挙式しても、彼女の友達や皆さんに祝福して貰うのも難しくなっちゃうじゃないですか。それじゃ彼女を幸せにしたい僕としては不服なんです」
「は?」
石川さんは呆れたような声を上げる。
信田さんは何故か肩を震わせて笑いを堪えているような顔をしている。
「彼女を本当に幸せにしたいと思ったから、目先の事はほんの少し堪えることにしたんです。離れていても共通の目標があれば、一緒に頑張れますしね」
「……今野さん、すげぇ」
野村さんが感嘆の声を上げる。
それに同意するかのような声が座敷の中に広がっていく。
わたし自身も初めて聞いた話に、そんな事まで考えてくれていたのかと胸がじーんと熱くなる。
「というわけで、あっさりはしてませんよ。寧ろ溺愛してますからご安心下さい」
「自分で言うなっ」
課長の少々イントネーションの違う突っ込みに、ついに信田さんの我慢も限度に達したようで笑い声が座敷に響く。
それに釣られるように、沢山の笑い声が座敷の中に広がっていく。
しばらくして笑いが途切れると、今度は下座のほうから荒木さんがりょうに声を掛ける。
「いよいよ今野くんも年貢の納め時って事ね。今野くんがいない間、ちゃんと私達が加山さんの周りの虫は払っておくわよ。代償は加山さんの知らない今野くんの過去をばらす事でいいかしら?」
笑いながら言った荒木さんに、りょうが目を細める。
「荒木」
「怒ったー。ぜーったい怒ると思ったあ。彼女にいい格好したいから、新入社員当時の失敗とかバラされたくないんでしょう。あはは」
指を指して笑う荒木さんの様子にりょうが肩を竦める。
いつにもまして陽気な荒木さんが、田島さんと何かを言い合って更に笑い声を上げる。
「さすが自分で溺愛と言い切る男っ。同期のよしみで約束は守るわよ。安心して出向してきてね」
ひらひらっと手を振って、荒木さんは営業企画に四月に移った寺内さんと何かを話し出す。
ふうっと息を吐いてから、りょうがわたしを見る。
「やっぱり白無垢かなあ。でもウェディングドレスも似合うと思うんだよね」
切り出したりょうに信田さんが「今野」と声を掛ける。
「溺愛っぷりはわかったから、その話題は帰って二人で家でしたほうがいいと思うよ」
「そうですね」
にっこりと笑ったりょうの笑みは、とても可愛いと形容されるものではなかった。けれどそれに対して信田さんもにっこりと笑みを返す。
「さっき吸ってきたばっかりだろうけれど、煙草でもどう? 加山さん、あっちで野村が何か聞きたそうにうずうずしているよ」
りょうを煙草に誘い、わたしにはこっちをちらちら横目で野村さんが見ている事を教えてくれ、信田さんが立ち上がる。
「いいですよ」
りょうが立ち上がったので、わたしも後に続くように立ち上がる。
すると田島さんが手招きして、元々わたしが座っていた場所をぽんぽんと叩くのでそこに移ることにする。
りょうと信田さんを見送り、田島さんと野村さんの間に腰を下ろす。
「もー。何で一言も言ってくれなかったの?」
座ったとたんに、田島さんに肘で突付かれる。
「えっと」
「結納の事よー。異動の話を聞いてもあっさりしているから加山さんがクールなのかと思っていたけれど、こんな裏があったのね」
「裏というか」
くすりと田島さんが笑った。
「良かったね、加山さん。異動で良かったなんておかしいかもしれないけれど、今野くんがちゃんと大切に想ってくれる人で良かったね」
「はい。ありがとうございます」
「本当ですよねー。てっきり片時も離れるのが嫌とかっていう雰囲気かと思ってたから、契約更新しないで今野さんが連れて行っちゃうのかと思っていましたよ」
野村さんの言った事を考えなかったわけじゃない。
ちょうど九月で契約切れるし、更新しないで関西に行っちゃおうかと思った事は一度や二度じゃない。
曖昧な笑みを浮かべたわたしに、荒木さんが微笑んだ。
「結婚式には呼んでくれるんでしょう?」
荒木さんに対して、りょうの元カノだからと過去に一方的に嫌な感情を抱いた事もあったけれど、今目の前で笑ってくれる荒木さんには全く敵意も悪意も感じない。
寧ろ、田島さんや出水さんと一緒にわたしを守ってくれようとしてくれている「大切な人」の一人だ。
「はい。ぜひ」
「あー。でもあの嫉妬深い今野くんが加山さんのドレス姿とか見せてくれるかしら? それだけが心配だわ」
心底心配だといわんばかりに溜息を吐き出すのを、うんうんと寺内さんが頷く。
「自分でも溺愛って言っているくらいだし、ドレス姿なんて他のヤツに見せる気ないかもな」
「いやいやいや。ここぞとばかりに見せびらかすと思いますよ。自分のものアピール出来る機会を今野さんが逃すとは思えませんっ」
野村さんが力強く寺内さんの言う事を否定する。
「だから結婚式から披露宴、更には二次会まで呼んでくれると思いますよ。絶対に。ウェディングドレスに白無垢、それからお色直しのドレスに二次会用のドレスまで、ぜーんぶ見せびらかしてくれると思いますっ」
「ありえそう」
同意した田島さんと荒木さんと寺内さんが笑い出し、その後もりょうの溺愛っぷりについての考察を野村さんが延々と聞かせてくれた。
溺愛、なのかな?
そんな風には思っていなかったんだけれど。人から見たらそんな風に見えるのかもしれない。けれど嫌だとは思わなかった。
周りから見ても『溺愛』しているように見えるくらい、りょうが惜しみなく愛情を注いでくれているということなのだから。
けれど野村さんの考察を聞いていると、自分のことなんだけれど気恥ずかしくって、顔の温度が上がりっぱなしになってしまった。




