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Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
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28:変化の兆し・4

 契約社員になることを村田さんを通じて了承したものの、課長が6月1日付けで異動になり、その話はそれっきりになったようだ。

 新しい課長になって半月、どうなってますかなんてこちらから聞くような話でもないので気にせず仕事は続けている。

 営業課の新しい課長は本社営業部から来た課長で、営業成績が伸び悩んでいる支社の営業成績を伸ばす為に、かなり力を入れている。

 前の課長の時には形だけ出していたようなものだった営業日誌や週ごとに出す週報もしっかり目を通している。

 社員さんたちは皆、ぴりっとした空気の中で仕事をし、以前よりも営業課の雰囲気が引き締まったような気がする。

 まだ四十にはなっていないという課長は、業務中は一切無駄話もせず顔色一つ変えずに仕事をしているので、誰が付けた渾名なのか超合金と呼ばれている。

 わたしや出水さんの「阿吽」もひどいけれど、課長の「超合金」も酷いと思う。こういう渾名って誰がつけているんだろう。

「加山さん、ちょっと」

 書類の束を手に持った「超合金」課長に声を掛けられる。

 コンコンっと机を叩いて、視線だけで付いてくるようにと指示される。

 視線の先は営業課の会議室。

 何か書類に不備でもあったのだろうか。

 慌ててノートとボールペンを持って課長の後に着いていく。

 会議室に入ると、課長は会議室の一番奥の席に先に腰を下ろす。

 ぽんっと机の上に書類を投げ、それにはまるで興味は無いという感じでテーブルの上で両手を組み、じーっとわたしを見つめる。

「座って」

「はい」

 課長の斜め右前に座ると、課長はコンコンコンと机を指でリズミカルに叩き続ける。

 何の書類かわからないけれど、何かまずいミスをしたのだろうか。

 書類が裏になっているので、何の資料なのかもわからない。

 課長から直接資料作成を頼まれたことはないけれど、四担か五担の資料に致命的なミスをしてしまったのかもしれない。

 しばらくリズミカルに続く机を叩く音を聞き続け、顔を上げることも出来ずにいると、突然音が止まる。

 それと反比例するように心臓の音は大きくなっている。

 短かったような長かったような間の後、課長が眼鏡を掛け直す。

「加山さん」

「はい」

 緊張から喉がカラカラになっている。声が掠れなかったのは奇跡的としか言いようが無い。

「引継ぎ資料見ました。契約にという話が出ていたそうですね」

「はい」

「申し訳ないんですが」

 言いながら課長が裏返しになっている書類の束を表に返して、ぺらぺらっと書類を捲っていく。

 そして三分の二くらいのところで、指の動きを止める。

「勤務態度も前向きで良い。仕事量も豊富。パソコンの知識に明るく、向上心があり非常に真面目である。そのように書かれています」

「ありがとうございます」

「私が下した評価ではありません」

 切って捨てるかのように淡々と言い放つと、課長は再びずり落ちた眼鏡を直し、超合金の異名そのものの愛想の欠片もない顔でわたしを見る。

「加山さんがどのような人物で、私が契約社員に推す価値があるとわかるまで、この話は一端保留にさせて貰います」

「はい」

「こちらに来てから二週間ですが、加山さんの勤務態度には一定の評価をしています」

「ありがとうございます」

「ただ、派遣から契約になるということは、他の人よりも抜きん出ているべきであると思います。短期間ではなく、半年程度、あなたの仕事を見せて下さい。それから改めて考えましょう」

「わかりました」

 課長の言わんとすることは理解できる。

 寧ろ前の課長のように謝罪をしたいから契約にと言われるよりも、きちんと仕事の評価をしたいからと言われるほうがどこか納得出来る。

 すがすがしささえ感じるのは、本当はきっちり仕事で評価されたいと思っていたからなのかもしれない。同情心からではなく。

「ではこちらの書類の計算をしてグラフにしたのち、私にメールで送って下さい。話は以上です」

 束になっていた書類の下から数枚を手渡されて見てみると、それは一担から五担の営業成績などが各担当や個人ごとに羅列されている。

 これを分析に使いたいということだろうか。

「どのようなグラフにしましょう。棒グラフにしましょうか。円グラフにしましょうか。それと、各個人ごとと各担当ごとと別のシートに分けたほうがよろしいでしょうか。あと、この資料の元データはどのフォルダに入っているか教えて頂けますか」

 ノートを開きながら聞くと、初めて課長が表情を崩す。

 にやりという表現が合うような笑みを浮かべる。

「目標金額と達成金額が一目でわかるように。加山さんが一番見やすいと思う形にして下さい。ファイルは各担当長のフォルダに入っています」

「わかりました。資料はエクセルで出しますか。それともパワーポイントにしますか」

「加山さんはどちらのほうが見やすいと思いますか。それも考えて作ってください」

「わかりました」

 どうやら色々試されているようだと感じる。

 けれど嫌な感じはしない。

「期限はいつまでに」

「今週中でかまいません」

 今日は火曜日だからまだ日数はある。他の営業資料で立て込んでいるものや難しいものは無い。

「わかりました」

 ノートに金曜〆と書き込んで、課長から資料を受け取る。見直しても、そんなに難しいものではなさそうだ。

 いつも担当ごとに出す分析資料を作るのと、大差ないかもしれない。というか、このベースになっているのが月ごとの集計資料だろう。

 メモ帳がわりのノートにクリップを挟み、受け取った書類はクリアファイルに入れてノートに挟む。

「じゃあよろしく」

 それだけ言うと、課長はまたいつもどおりの表情で会議室を出て行く。

 資料を持って立ち上がってから、ふーっと溜息を吐き出す。

 あー、緊張した。


「課長っ。飲みましょう」

 無事に資料も提出したその週末、何故か信田さんがぐいぐい引っ張って課長を飲み会に連れてきた。

 この三週間「超合金」に怯え続けた営業さんたちは、微妙に顔が引きつっている。

 所謂「いつものメンバー」の飲みに、何故課長を連れてきたのだろう。

「しーのーだー。俺をお前の財布にすんな、ボケっ」

 いつもは自分のことを私という課長が俺なんて言うから、一同目をぱちくりさせる。

 それ以前に、関西弁? イントネーションが聞きなれたものと違う。どちらかというと、芸人さんのような喋り口調になっている。

 超合金っぷりが壊れている。というか、超合金はどこに?

「財布になってくださいなんて言ってませんよ。そろそろ下手な小芝居止めさせてあげようかなという後輩の親切心ですよ」

「いらんいらん。そんなんはいらんわっ。せーっかくおっかない課長でおるんじゃ。余計な気ぃ回すな」

 思わず隣に座るりょうの顔を見た。

 りょうも唖然とした表情でわたしと目を合わせる。

 だけれど驚いているのはわたしたちだけじゃなくて、座敷に座っている十人程度の営業課の人たちみんなぽかーんと口を開けている。

「残念ながら、もう化けの皮剥がれ落ちましたよ」

「何でじゃ」

「気がつかないのが不思議です」

 言いながら信田さんは靴を脱いで座敷にあがり、不満そうな課長もそれに続く。

 成り行きを見守っていた人たちの視線は、二人の動きとシンクロするように動いていく。

「というわけで、四十手前なのに愛妻がいらっしゃらず一人コンビニ飯を食らっている課長を仲間に入れてあげてやって」

 にっこりと笑った信田さんの頭をすごい勢いで課長が叩く。

「あほっ。余計な事言うな」

 完全にお笑いのツッコミだ。

 唖然某然としているわたしたちに気が付くと、課長は気まずそうに咳払いをする。

「あー。よろしく頼む」

「今更気取っても無駄ですよ。課長」

 にやにやっと笑った信田さんの頭がもう一回どつかれ(この場合、もう叩くというよりどつくが正しいと思う)課長がはーっと溜息を吐き出した。

「……よろしく」

 しぶしぶといった表情の課長をみんながいじらずに我慢できる時間は、五分ともたなかった。


「加山」

 煙草を吸いに立つと、後ろから課長に声を掛けられる。

 仕事中は「加山さん」なのに飲み会で関西弁(実際には関西弁ではないらしいけれど)になったら「加山」になったらしい。

「煙草か」

「はい。課長も吸われますか」

「ああ」

 曖昧に返事をした課長と共に居酒屋の外に出ると、課長は胸ポケットから煙草を取り出す。

「悪いな。契約にしてやれなくて」

 言いながら煙草に火を灯し、ふーっと白煙を吐き出す。

 まさか課長にそんな事を言われるとは思ってもみなかったのでびっくりした。

 それにどう切り替えたのか、いつもどおりの超合金喋りに戻っている。

「いいえ。でも課長がおっしゃられていたように、実際に仕事を見ていただいてからのほうが良いと思いましたので、全く気にしていないです」

 ふっと課長が鼻で笑う。

「それはそれでどうかと思うが。少しは気にしろ」

「はい。でもちゃんと仕事を認めていただいた結果としてお話を頂く方が嬉しいです。わたしまだここで働いて一年も経ってませんし」

「そうだったのか。もっと長いと思っていた。落ち着いて仕事しているし、無駄もないし、作ってもらった書類も及第点をやれる仕上がりだった」

「ありがとうございます」

 褒め言葉に嬉しくなる。

「お前も吸え」

「あ。はい」

 ついつい課長の前で煙草を吸うのはどうかなと躊躇って煙草をケースから出さずにいたんだけれど、あの信田さんの教育係だっただけあって、ものすごく目ざとい人のようだ。

 煙草に火を灯して煙を吐き出したタイミングで、課長が口を開く。

「評価をしていないわけではない。それだけはきちんと伝えるべきだと思った。めげずに今のまま頑張って欲しい」

「ありがとうございます」

「あほ」

 何があほ?

 よくわからない台詞を残し、課長はお店の中に戻っていった。

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