24:束縛の糸・4
その後、結局どんな夢だったのか洗いざらい話すことになり、シンとの事まで全部話してしまった。
全部聞き終えた稜也くんがにやりと笑ってわたしに言った。
「ねえ、俺とその男は決定的に違うところがあるって知ってる?」
「なあに?」
くくくっと笑って、稜也くんはわたしの唇にキスを落とした。
「俺はそいつよりもずっとずっと優実が好きってこと。優実を利用しようなんてこれっぽっちも思ってないってこと」
ぽっと朱に変わったわたしの頬を稜也くんが指先でなぞっていく。
「不安はさ、お互いあると思うんだ。だけれど口に出して形にしてしまえば案外怖くなかったりする。けど、一人で抱え込むとすごく大きなモンスターになるから、不安になったりしたら必ず言って。不満があっても言って。一つ一つお互いの手で解消していこう」
頬を撫でていた指が、重たいまぶたを突っついていく。
「一人で不安を抱えないで。確かに言いたくない事も沢山あるかもしれないけれど、俺に関する不安なら絶対に解消してみせるから」
「うん」
「だから一つだけ優実にお願いがあるんだ」
そう切り出した稜也くんの顔には先ほどまでの笑みは無く、どちらかというと険しい顔になっている。
その真剣ともいえる表情に、誠実に答えたいという意思を込めて頷き返す。
「俺だって不安なんだ。優実はそんな事無いって言うかもしれないけれど、俺は優実以上に魅力的な女性なんていないと思っている。だからいつ誰に横から攫われるかって気が気じゃないんだ。それに今日みたいにいきなり連絡が取れなくなったら心配だってする。何かあったんじゃないかって」
「……ごめんなさい」
「わかってくれたらいいよ。ただ覚えていておいてほしいだ。優実が不安になるのと同じくらいに俺だって不安になるって事」
「うん」
「ああ、でもお願いは別の事だよ。信頼して欲しい。俺のこと」
「信頼?」
「信じて欲しい。俺が優実の事を好きだって事。何かのきっかけで突然別れようなんて言い出す事が無いって事を。俺は絶対に優実を裏切らない」
きちんと話を聞いているという事を表す為に、ゆっくりと首を縦に振る。
絶対に裏切らないと言い切った稜也くんの言葉と気持ちが、水を吸うスポンジのように心に沁み込んでくる。
その言葉が真実だと信じられるほどに、明確できっぱりとした意思を言葉からだけじゃなく、ぶつかり合う瞳からも感じる。
「これは俺の考えなんだけれど、束縛したいっていうのはさ、相手が好きだからのように思えるけれど、本当は違うと思うんだ。ただ自分を満足させたいが為にする行動だと思うんだ」
「好きだからじゃないの?」
「優実の言うとおり、好きだから不安になる。その自分の不安を埋めるためだと思ったんだ、束縛したいっていう気持ちの元凶って。偉そうに言ってるけど、束縛しようとしてたからね、俺も」
自嘲する稜也くんの顔に手を伸ばした。
まっすぐに見つめ返してくれる瞳の優しさがわたしのことを拒絶していないことがわかり、そっと稜也くんの頬を撫でる。
いつもと変わらない視線。全然動じることなんて無くって、いつだってわたしばかり翻弄されているのに。
わたしの知らないところで上手く気持ちを隠していたのかな。
「不安にさせてた?」
顔の表情を笑みの形に変え、稜也くんがわたしを抱きしめた。
「勝手に不安になってただけだよ。優実が悪いわけじゃない。自分で自分の気持ちを持て余してるんだ。こんな風に誰かを好きになった事無かったから」
首もとに顔を埋めて喋るからくすぐったくなるけれど、そのまま動かずに稜也くんの背に手を回す。
「本当に?」
「本当に。だって本当はこの腕の中から外に出したくないくらい、独占欲強いし」
ふいに、昨日の野村さんの話を思い出した。
絶対に彼氏占欲強いですよって言われた。
それは見込み違いなんかじゃなかったのか。全然そんな風に感じていなかったのに。
でもわたしだって一緒だ。
本当は稜也くんが他の女の人と話していたりするのを見るのも嫌だし、隣に座っている内藤さんに嫉妬する。同期の荒木さんにだって、なんかモヤモヤした気持ちになっちゃうし。
それってどうしようもない事かもしれないけれど、そういう不安になっていた稜也くんの気持ちに全然気がつかなかったわたしは無神経だったのかもしれない。
それで自分は勝手に不安に苛まれて、泣いて部屋に閉じこもって。自分の気持ちにだけいっぱいいっぱいになって。
確かに稜也くんが言うように好きな気持ちが暴走して、不安だけが増大していておかしくなっていたのかも。
けど同時に思うことがある。
「独占して欲しい。他に誰も入れないくらい、束縛の糸でがんじがらめになってみたい。そう思うわたしはバカかなあ」
「バカな子ほど可愛いって言うけどね」
くすくすと稜也くんが笑みを漏らす。
「目に見えないものが信じられなくて形が欲しいなら、いくらでもあげられるよ。優実が望むなら、今すぐ婚姻届出してもいいよ」
「りょうやくんっ!?」
「でも婚姻届を出すのに戸籍謄本が必要だから、今すぐは無理かな。ああ、でも本籍地はこっちだから平日ならいつでも取りに行ける。そしたら婚姻届出しに行けるよ」
ぱくぱくと口を開閉する以外言葉が出ないほどびっくりしているのに、稜也くんは楽しそうに笑っている。
「それじゃ時間が掛かりすぎるって言うのなら、代わりに婚約指輪を買いに行くのは出来るよ。そういう目に見える形が欲しいならいくらでもあげるよ。ご両親に同意も貰っている事だし、一緒に暮らす新居を探しに行ってもいい。そうしたら優実は安心するの?」
優しい口調で、優しい瞳で、稜也くんが問いかけた。
そこまでしても、決してわたしの不安が消える事無いということを知り尽くしているかのような言い方で。
けれどそういう目に見える形が欲しいのも事実。
何か目に見えるものが欲しい。誰が見ても、稜也くんがわたしのもので、わたしが稜也くんのものだとわかるような。でもそんなものは無いのかもしれない。
仮に結婚したとしても、稜也くんのことを信じていない限り、この不安が消えることは無いんだろう。
「それでも」
「ん?」
「確かなものが欲しい。ずっと傍にいてくれるって確信できるものが欲しいの。だから……」
「だから?」
稜也くんの首に両腕を回して抱きついた。
逃げないように捕まえていたい。逃げないように捕まえていて欲しい。
「一緒に住んで欲しいの。ここでも稜也くんの家でもどっちでもいいから」
くすりと稜也くんが耳元で笑みを漏らした。
肌が粟立つ感覚に少し身を捩ったら、却って稜也くんの笑う声が大きくなった。
「新しい家はいらない?」
「待てないそれまで。今すぐがいい」
言った瞬間、稜也くんにぎゅーっと強く抱きしめられた。
背がしなるほどの力で抱きしめられて、息苦しささえ感じる。
けど、それさえも嬉しかった。
「優実」
少し擦れた稜也くんの声が耳を掠めていく。
「愛しているよ」
一度止まった涙は、再び溢れ出して稜也くんの肩を濡らしていく。
しゃくり声を上げるわたしの背を撫でる稜也くんの手は優しくて、シンとは違って欲しい言葉をくれて、シンのように束縛したりはしない。
けど、シンがくれなかった本当に欲しかったものを、稜也くんはくれるような気がする。
ううん。稜也くんが今わたしに与えてくれたのは、あの時のわたしが本当に欲しかったもの。
愛情。
「愛してる、稜也くん」
「うん」
わたしの首筋に顔を埋めたまま、上げようともしない。
ぎゅーっと抱きしめる腕だけで、十分に稜也くんの気持ちが伝わってくる。
溢れ出す涙のせいで少しおかしな声になってしまう。それでも伝えたい事があって、鼻をすすりながら話続ける。
「好き。世界で一番稜也くんが好き。だから結婚とかどうでもいいの」
「……どういうこと?」
ためらいがちに口を開いた稜也くんと視線が合う。
その稜也くんの視線は、どことなく不安げに揺れているように思える。
「一緒にいられたらそれでいいの。傍にいてくれたら」
「それじゃ俺が嫌なんだ。優実を俺のものにしたい。それを誰の目から見ても明らかな形にしたい」
言ってからくくっと稜也くんが笑い声をあげた。
「これじゃ俺のほうが形に拘ってるね。目に見えるものが欲しいのは俺のほうみたいだ」
くすくすっと笑ってから稜也くんはわたしを囲う腕の力を弱める。
そしてわたしの頬を流れる涙を唇で掬い取り、そのまま唇と唇を重ね合わせる。
軽く重ねるだけのものから、徐々に深くなり、開いた唇の合間から舌が差し入れられる。
息苦しさやこみ上げてくる切なさに吐息を漏らすと、ふっと稜也くんが口元を綻ばせる。
「優実の願いを叶えるって約束するから、優実も俺の願いを叶えてくれる?」
「うん」
「今日から一緒に住む事にしよう。色々手続きだとかもあるから今すぐどっちかの家を引き払うのは無理だけど。優実の願いはそれで叶うかな?」
今も半分以上一緒に暮らしているのと変わらないけど、もっと一緒にいられたらそのほうが嬉しい。
昨日も本当は稜也くんが帰っちゃうのが淋しかったし。
一緒にいたいっていう願いは、一緒に住む事である程度叶う。
一瞬心の中にシンとの思い出が過ぎったけれど、今までだって稜也くんはシンみたいに家事を全部わたしにやらせたりするわけじゃなかった。寧ろ出来ることは何でもしてくれる人だ。
だから利用しようとか、そういう風に考えての提案じゃない。
「叶うよ、そうしてくれたら嬉しい。けど今日今すぐじゃなくてもいいよ」
しばらく考えてそう答えたけれど、稜也くんがぽんっとわたしの頭を撫でた。
「でもそうしないと優実は不安になるでしょ? まずは俺を信用してもらいたいから、今日からにしよう」
「……どっちで?」
「それは後で話そう。優実、次は俺のお願い聞いてくれるかな」
「うん」
「焦らないつもりだけど、本気で結婚したいと思ってる。だから少しずつ目標を決めて進んでいくのはどうでしょう。結婚するとなったら色々決めないといけない事もあるし、お金を貯める必要があったりもする。そういうのを計画的に進めていくというのはどうかな?」
「まだ付き合って3ヶ月くらいしか経ってないのに、本当にわたしでいいの?」
真剣な瞳のまま、稜也くんが頷く。
「付き合ってからは確かにまだあまり時間が経ってない。でも付き合った期間の長さじゃなくて、気持ちが大事だと思うんだ。それにこれからどれだけ時間を掛けたとしても、俺の中で出る結論は変わりようが無い」
「……りょう、や、くん」
「結婚してください。優実を世界で一番大切にするし、世界で一番幸せにしてみせる。もう一人で不安になって泣かせるようなことはしない。だから優実、君を僕に下さい」
今日何度目かわからない涙が溢れ出し、稜也くんに抱きついた。
嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて。答えようにも声が言葉にならない。
溢れてくるのは涙と嗚咽だけ。
わたしは何て幸せなんだろう。
「りょー……」
それ以上言葉にならなくて涙声になってしまう。
そんなわたしの左手を持ち上げ、薬指に稜也くんがキスを落とす。
「愛しているよ。世界でただ一人だけ、優実だけを。結婚してくれる?」
至近距離で問いかける稜也くんに何度も縦に首を振るだけで精一杯で、それ以上に言葉なんて出てこなかった。
涙だけじゃなくて、稜也くんがまるで言葉を奪うかのように唇を重ね合わせたから。




