19:新たな日常・3
結局稜也くんとは一言もしゃべらないまま、というか移動以外では半径一メートル以内にも入らないまま一次会が終わる。
居酒屋の外に出ると、課長やお子さんが家で待つ沖さんなど、家路につく人がパラパラと抜けていく。
稜也くんは二次会にも行くのだろうか。昨日聞いておけば良かったかも。
「今野さんはー。二次会も行くんですかぁ?」
内藤さんの甘ったるい声に、ぴくりと耳が反応する。けれど出来る限り無表情を装って、稜也くんのほうを向かないように気をつける。
「加山さん、カラオケ行きます?」
野村さんに声を掛けられ、稜也くんに背を向けて野村さんの顔を見上げる。
「どっちでもいいんですけれど、どうしようかなと思いまして」
「カラオケ、歌うんですか?」
「行ってもあまり歌わないです。タンバリン担当です」
ぷぷぷっと野村さんが噴きだした。
「ほんっとーに、加山さんって面白いですよねっ」
はははははっとおなかを抱えて笑う野村さんの声が一際大きく夜の街に響き渡る。
笑い上戸だったのだろうか、野村さん。
けれど程よく皆さんお酒が入っているので、野村さんの奇行を誰も気にする素振りを見せない。
「ぜひぜひ、一緒にカラオケ行きましょうっ。加山さんのタンバリン裁き、ぜひ見せてください」
「ただ叩いているだけですが?」
「いいです。いいです。俺が見たいんで行きましょう」
そうやって言われてしまえば、断る事は難しい。
いつもは沙紀ちゃんや桐野さんがいたからカラオケも楽しかったんだけれど、二人が辞めてしまって、正直所在無い感じがする。
どう楽しんだらいいのかわからないというか……。
半年この職場で仕事をしていたけれど、結局仲が良いというか、普通に話せるのは沙紀ちゃんと桐野さんときうちゃんぐらいで。
きうちゃんは一次会で帰っちゃったし。
「でも……」
断る言葉を見つけられないでいると、背中から圧し掛かってくる人がいる。
香る匂いでその人が誰だかすぐにわかる。
「重いですよ。石川さん」
「お前今帰ろうとしてただろ。四担にきて、一次会で帰れると思ったら大間違いだからな」
「重いんで、ちょっとどいてください」
石川さんを背中から押しのけると、くすくすっと笑う田島さんと目が合う。
「行こうよ、加山さん。私ももうちょっと普段の加山さんと喋ってみたいから」
「俺もです。俺も。ぜひタンバリンを持って踊り狂う加山さんが見たいです」
「踊り狂ったりしません」
野村さんの言葉に訂正を入れると、田島さんが「あはは」と声を上げて笑う。
なんだかみんなお酒のせいもあって陽気すぎる。
「強制連行しろー!」
石川さんの号令のもと、何故か右を田島さん、左を野村さんにばっちりガードされてカラオケまで連れて行かれる。
「はい。いっち、にー。さーん、しっ」
田島さんまでそんな掛け声を口にしだして、もうどうにでもして下さい状態。
輪になって話している一担の人たちを横目に、カラオケに向かって歩き出す。
ちらっとこっちを見た稜也くんは、すぐに視線を一担のほうへと戻し、わたしのことなどまるで興味が無いみたいだった。
連れて行かれたカラオケで結局流行の歌を歌わされ、なんだかんだで夜が更けていく。
タバコ休憩をしようと席を外して部屋を出たところで、目の前から来た稜也くんと目が合う。
「あ」
「あ」
お互い同じタイミングで同じ言葉を口にして、ぷっと噴き出してしまう。
「タバコですか?」
「あ、はい」
答えると、来た道を戻るように稜也くんが並んで歩く。
「今日は何次会まで行く予定ですか? 加山さん」
稜也くんはいつもどおりの『今野さん』の口調で話しかけてくるけれど、指先がそっと私の髪を撫でていく。
いいのかな? そんなことしてと思って顔を上げると、すっと稜也くんの手が離れていく。
「髪の毛にゴミついてましたよ」
ゴミなんて持っていない指先に絶対嘘だろうなと思いつつも「ありがとうございます」と答える。
「あんまり遅くなると、飲みすぎて眠くなったりしません?」
「うーん。そうかもしれないですね。二次会終わったら帰ろうかなと思います」
「そうしたほうがいいと思いますよ」
にっこりと笑った稜也くんが少し屈んで、わたしの耳元で囁く。
「飲み過ぎないか心配だしね」
「今野さーんっ」
囁き声が耳に届いたのと同じタイミングで内藤さんの黄色い声が聞こえて来る。
二人で同時に振り返ると、ぶんぶん手を振りながら内藤さんがこっちにやってくる。
「あ。加山さん。お疲れさまですー。二次会来てたんですね」
挨拶もそこそこに内藤さんが稜也くんの腕を掴む。
「みんな今野さんが戻ってくるの待ってますよ。戻りましょう」
語尾にハートマークがついているのではないかというテンションに、思わず苦笑が漏れてしまう。
いけないいけない。平常運転を心がけなくては。
二人に一応軽く頭を下げて灰皿のあるお店の入口へと向かう。
うーん。なるべく感情を押し殺しているつもりなのに、イライラが湧き上がってくる。くそう。
どうやっても眉間の皺がうまく伸びない。
気にするな。気にするな。稜也くんがモテるのは今に始まったことじゃない。
お店の入口の窓に映る顔はすっごく不機嫌そうに見える。窓に映る自分を観察をしていると、後ろからポンっと背を叩かれる。
「かーやーまーさっん」
げっ。
にっこりと笑う荒木さんが背後に立っている。
めったに話しかけられることなんて無いのに何だろう。
思わず身構えてしまうと、クスクスっと上品な笑みが返ってくる。
もしかして酔っ払っているのだろうか。
「タバコ、私にも一本下さい」
「……吸うんですか?」
今まで一度もタバコ吸っている姿なんて見たことないのに。
「はい。吸いますよ。普段は猫被っているだけです」
思わず「はい?」と聞き返してしまうけれど、荒木さんは全く気にするそぶりを見せない。
「ちょっと腹立ってるんで、一本分けてください」
「はあ。いいですけれど」
何に腹が立っているというのだろう。
よくわからないけれど、タバコを一本差し出すと、慣れた感じで煙を燻らせる。
確かに全く吸わないというには無理がある慣れっぷりだ。
「加山さん。あれ、ほっといていいんですか?」
「あれ?」
「加山さんの替わりに入った小娘ですよ」
小娘?
げほっと煙でむせたわたしのことなど気にせず、荒木さんは内藤さんがいかにベタベタ稜也くんに付きまとっているのかを力説する。
そんな事わたしに言われても……。
稜也くんは稜也くんなりの考えがあってしていることだろうし。
変に波風立てるのもおかしいし。
そもそも会社では他人を貫いているのだから、あれこれ口出す事なんて出来ない。
「とりあえず、忠告はしましたからね。後はご自分で何とかして下さいね」
最後にタバコを一吹きし、唖然としているわたしの事などお構いもせず、荒木さんはそのまま元の部屋のほうへ歩いていってしまう。
一体何だったんだろうか。
なんとなく気が削がれたのもあり、呆然とその後姿を目で追う。
稜也くんの事を「つまらない人」と言った日もすぐに謝りに来たし、決して悪い人ではないのだろう。
ただ、どうも荒木さんの雰囲気には飲まれがちだ。
「三次会行くんですかぁ?」
鼻に掛かるような内藤さんの声は稜也くんに向けられたもの。
気にしていたらきりが無い。
ガードレールに寄りかかって「帰ります」というタイミングを見計らっていると、ポンっと信田さんに肩を叩かれる。
「飲ませすぎたみたいだね。帰ったほうが良さそうに見えるよ。気持ち悪くない?」
「……はい。大丈夫です。気持ち悪くはないんですけれど、ちょっと眠いです」
「ああ。そうだった。加山さんは飲みすぎると眠くなる人だったね」
くすりと笑った信田さんの後ろから野村さんが顔を出す。
「加山さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。ちょっと眠くなっちゃっただけなので」
「もしかして充電切れですか?」
一次会でのロボット話を引き摺っているかのような言い方に、くすっと笑みが零れる。
それをぎょっとしたような顔で野村さんが見た。
そんな目を見開かなくてもいいのに。
「はい。補助充電器持ってこなかったので、これ以上は動けません」
冗談を返すと、ははっと野村さんが笑い声を上げる。
「わかりました。酔っ払っているんですね、加山さん。俺、送っていきましょうか?」
「……いやー。それはどうだろう」
信田さんが曖昧に返事をし、ちらっと視線を三次会の話をしている輪の方へと向ける。
それをどう捉えたのか、「ああ」と野村さんが首を縦に振る。
「飲み会の時は下っ端が働けってよく石川さんに言われてるので、俺、責任持って加山さん送ってきますよ。そしたら皆さん次いけますよね?」
多分そういう問題じゃないと思う。信田さんが気にしてくれているのは。
だって信田さんの視線の先に稜也くんがいたもん。
「大丈夫です。隣の駅なので一人で帰れます」
野村さんの提案を当たり障りの無い言葉で断るけれど、野村さんは「いやいやいや」と引く様子は無い。
「無理ですよ。そんな言動怪しい状態で」
いかに一人で帰るのが難しいかを野村さんが力説しているのを聞いていると、視界の中に稜也くんの姿が入ってくる。
明らかに溜息を吐いた稜也くんの姿が徐々に近付いてくる。
「どうしたんですか?」
稜也くんの問いかけに信田さんは苦笑を返し、野村さんはわたしがいかに酔っ払っているのかを力説してくれる。
ごめん、あんまりそれ以上言わないで。
目の前にいるこの笑顔の人は、こう見えて怖いんです。
「また飲みすぎたんですね」
ちくりと言ったかと思うと、稜也くんがわたしの鞄に手を伸ばす。
「送りますよ、加山さん」
わたしの鞄を手に持った稜也くんに、野村さんが首を横に振る。
「俺が送ります。四担で飲ませちゃったんで俺たちの責任ですし、俺のが下っ端なんで」
「ああ、気にしなくていいよ。以前に加山さんが酔っ払った時も送っていったから家の場所知ってるし。帰りますよ、加山さん」
ガードレールに寄りかかるわたしの腕を掴み、稜也くんがにっこりと野村さんに笑みを向ける。
「野村。悪いんだけれど、三次会の幹事やってくれる? 荒木一人だと大変だから」
「え? ああ。はい。でも本当にいいんですか?」
「いいよ。先月まで同じ担当だったから、こういうの慣れてるから。ですよね、加山さん」
違います。飲みすぎたのは過去に一回だけですって訂正しようかと思ったけれど、稜也くんの目が笑顔なのに笑ってなかったから、黙って首をこくりと縦に振った。
「じゃあ今野、悪いけど頼むよ。野村、場所押さえる必要があるか、荒木さんに聞いてみて貰えるかな」
信田さんの後押しもあり、野村さんは「すみません」と言い残して三次会の打ち合わせをしている面々へと歩み寄る。
「あれー? 今野さん帰っちゃうんですか?」
入れ替わりに内藤さんがやってくる。
信田さんが苦笑したけれど、全く信田さんのこともわたしの事も彼女の視界には入っていないようだ。
「はい。加山さんが具合が悪そうなので送っていくので」
「えー。誰か加山さんと同じ担当の人にお願いしちゃえばいいのに。別に今野さんが送らないといけない理由は無いですよね」
わたしの腕を掴んでいる稜也くんの腕を内藤さんが掴む。まるで引き剥がそうとするかのように。
「そうですね。でももう僕が送るという事になったので」
「えーっ!」
有無を言わせない稜也くんは内藤さんにニッコリといつもどおりの笑みを向ける。
ぷーっと頬を膨らませた内藤さんの批判めいた目がわたしを突き刺す。
「今野さんいないとつまらないのにー」
それは稜也くんに向けられているようでもあり、わたしに向けられているようでもあり。
多分「一人で帰れますから」って言うべきなんだろうなって思う。そう言わせたいんだろうなとも思う。そう言って欲しいんだろうなと思う。
思うんだけれど、言いたくない。
「他の人とも仲良くなっておくと、これから仕事がやりやすくなりますよ。ではお先に失礼します」
さらっと流した稜也くんは、内藤さんの手を払いのけたりはしないけれど、わたしのバッグを持ち替えて腕に掛けるようにして、やんわりと内藤さんの手が外れるように仕向ける。
信田さんにも「お先に失礼します」と言って、わたしの腕を掴んだまま稜也くんが駅のほうへと歩き出す。
「……すみません。送っていただいて」
取り繕うように言うと、何故かブラックなほうの笑みで稜也くんが微笑む。
その笑みの意味を問うには、まだまだ背後の聞きなじんだ声が近すぎる。




