18:新たな日常・2
四月も二週間が過ぎてから、営業課の歓迎会は行われた。
お局が急遽総務に異動になる事が決まって、伊藤さんが主任から担当長に昇進して、代わりに主任になる人が今週頭に異動になってきたからだ。
沖さんという三十代の女性社員さんで、お子さんを保育園に預けて働いていて、本社から異動になった。
その沖さんが旦那さんにお子さんを見てもらうことが出来るのが金曜日だということで、今日営業課の歓迎会になった。
一担から異動になったわたしや、営企から異動で営業課にきた田島さん。それから一担に新しく派遣された内藤さん。他にも四月に異動で移ってきた人が何人かいて、今回は課長もしっかり参加している。
最初に簡単な挨拶を済ませて、歓迎会も中ほどになってくると、自然と人の輪は担当ごとに分かれていく。
一担は入り口傍に、四と五は一番奥に、間に二と三がという形になっている。
入り口に近いところに座っている稜也くんの隣には内藤さんが、反対の隣には二担の荒木さんが座っている。
内藤さんといえば、今日のお昼に派遣で食事に出た時に「今野さんって彼女いるんですかねー」とかしきりに聞いていたけれど、もしかしたら稜也くんの事好きなのかな。
カッコイイし、優しいし、気になりますよねーと言ってたけれど。
反対の隣に座る稜也くんの同期の荒木さんに関しては、まあ、うん……。
そんな様子が気になるものの、会社では赤の他人を貫き通しているので、稜也くんに話しかけることも、煙草に誘う事も出来ない。
最近気がついたらいつも信田さんと石川さんと行動している気がする。
今日もそうだ。
飲み会の合間に煙草を吸うとなると、必ず二人がセットで着いてくる。
そして今は両隣を二人に挟まれて、前に四担の田島さん。右斜め前に四担の野村さん。左斜め前には四担の担当長の村田さん。
「田島、ゆうは別に怖くはないぞ。ちょっと能面なだけで」
と石川さんのいつものからかい混じりのトークが始まる。
くすくすっと野村さんが笑い声をあげ、「すみません」とわたしに謝る。
「確かに仕事中はにこりともしないから怖そうに見えますよね」
野村さんは稜也くんの一期下で年下になるので、いつも少し腰が低い感じで話しかけてくる。
そんな野村さんに「でしょー」と田島さんが同意する。
「しかも鬼とか噂されてるし、加山さんって何者って思っちゃった。あ、今は怖くないからねっ。本当に」
慌てて付け加える田島さんに「いいえ。大丈夫です」と答えると、ポカっと石川さんに頭を叩かれる。
「そういう時は笑えっ。おっかねえんだよ、お前はっ。ロボットみたいで」
「言うに事欠いてロボットですか。一家に一台に引き続いてロボット繋がりなんですか? 別に青く塗られてませんよ?」
ぷぷぷっと信田さんが噴きだした。
つられて石川さんがあははっと笑い声をあげ、四担にその笑い声が広がっていく。笑っている中には田島さんも含まれている。
「なー。面白いだろ?」
笑っている田島さんに石川さんが同意を求めるので、わたしが「面白くありません」と答えると、何故か笑いがどっと大きくなる。
「言い方がロボット意識しすぎだろ」
くくくっと喉を鳴らして笑った石川さんが、ぽんぽんっとわたしの頭を撫でていく。
「ゆうはな、少し真面目すぎるだけなんだよ。あんまり怖がらないでやってな」
田島さんや野村さんに向けられた言葉には優しさが含まれていて、ただからかわれていただけじゃないのかと心が温かくなる。
「そうだ、石川さん。何で加山さんのことは名前で『ゆう』って呼ぶんですか? 付き合ってるのか聞いて来いって同期から言われてるんですよ」
「同期って?」
「営企とか資材とか」
田島さんの答えに「ふーん」と石川さんは気のない返事をする。
「こいつ、中学の後輩だから」
にやーっと田島さんが笑んだ。
「それだけですかぁ? 響さんの後釜が加山さん説も濃厚ですよ?」
「無い無い。それは否定しとけ。俺にも選ぶ権利があるってな」
「……こちらからお断りです、先輩」
白い目を石川さんに向けると、石川さんはにやりっと笑みを作る。人の悪そうな、何か企んでそうな。
「お前が断るなんざ、五百年早いっ」
「五百年も生きられませんから」
「いや、お前ロボットだし」
「バッテリーで動いてませんっ」
全くもって意味を成さない会話に、周囲も巻き込んで笑いの輪が広がっていく。
田島さんは何故か涙を流して笑い転げている。
そんなに面白いことを言ったつもりないのになあ。
「加山さん。もっと飲み会参加しようよ。そしたらこんなに加山さんに怯えて暮らさなかったのに」
「ああ、こいつの彼氏がうるせえの。目の届かないところで飲み会参加されんの嫌なんだってさ」
「おい」
一気にお酒も冷めるような事を石川さんが言い、信田さんが咎めるように口を挟む。
「彼氏? いるんですかっ?」
キラキラと輝く瞳で田島さんに言われてしまえば、否定する事なんて出来ない。
「……まあ、一応います」
「えーっ。どんな人なのー?」
なんて答えようかと信田さんを仰ぎ見ると、苦笑して首を横に振る。
多分稜也くんの事は答えてはいけないという事なのだろう。少しでも稜也くんの事を匂わせるような事も。
元々知っている一部の人以外には、お局もまだ社内に健在なのだし、稜也くんとのことは話さないほうがいいと信田さんに言われている。稜也くんとも内緒にしようと決めている。
田島さんには話してはダメだよと、信田さんは言外に伝えてきているのだろう。
「ロボットではないことは確かです」
はぐらかすように言うと、あははははっと田島さんは大きな笑い声を上げる。
野村さんも楽しそうに笑っている。
「おい野村。人事みたいな顔して笑ってっけどな、お前ももっと飲み会参加しろ。ったく」
げーっと声を上げて野村さんが嫌そうな顔をした。
そういえば送別会や歓迎会ぐらいしか野村さんって参加しないかも。
理由を聞いたら自宅が遠くて通勤に二時間掛かるから、あまり飲み会には参加したくないらしい。
なるほどと思って頷いたけれど、それさえもロボットっぽかったようで笑いのネタになってしまう。
お酒の力もあって、明日には覚えていないような他愛も無い話をしながら、どんどんお酒の量が増えていく。
あまり気にせず飲んでいたので、一次会が終わる頃には日頃の頭脳労働と残業の疲れも相まって眠気がやってくる。
ぼんやりと向けた視界の先に稜也くんが映る。
同じ部屋にいるのに遠いなあ。
ちょっと前までなら隣にいられたのに、今は担当が違うせいもあって難しい。
眠気でぼーっとしていた頭なのに、目に飛び込んできた景色によってあっという間にクリアになる。
ニコニコと笑っている稜也くんの腕をぎゅっと内藤さんが両手で掴む瞬間を見てしまった。
それを拒絶するでもなく、にこやかに受け止めているのを見て、胸がぎゅーっと苦しくなってくる。
「……ちょっと席外します」
煙草ケースとタオルを手に取り立ち上がると、信田さんが「大丈夫?」と聞いてくる。
「大丈夫です。電池充電してきます」
なんか冗談でも言っていないと、気が紛れないというかなんというか。
手の中にある煙草ケースを見せると、信田さんは納得したようで、また話の輪の中に顔を戻す。
四担と五担の輪から抜け、並んで座る人たちの後ろを通り抜けて座敷の外へと向かう。
途中稜也くんの後ろも通り過ぎたけれど、振り返る事さえなかった。
「もー。やだー。今野さんっておもしろーい」
黄色い声っていう表現がバッチリあう内藤さんの声を背中に聞きながら、居酒屋の外へと向かう。
外の灰皿のところには丁度良く誰もいなかった。
ふーっと溜息を吐き出して、煙草ケースから煙草を一本取り出す。
別に煙草が吸いたかったわけじゃないんだけれど、どうにもむしゃくしゃした気分が収まらない。
今更わかりきっていることだ。
稜也くんがモテることも、女の人をあしらうのが上手い事も、それから会社では素っ気無い事も。
全部わかっていることなのに、頭では理解しているのに、心が追いついていかない。
内藤さんが悪いわけじゃない。
なのに、どうしてそこに自分がいないんだろうとか、稜也くんに触らないでとか。本当に心の中が醜い気持ちでいっぱいになる。
こんな気持ちいらないのに。どうしてこんな気持ちばかりが湧き上がってくるんだろう。
「よお。ロボット」
にやりと笑う石川さんに声を掛けられ、手元から顔を上げる。
「どうした。飲みすぎたか?」
続けて言われた心配してくれる言葉に首を横に振る。
「飲みすぎというほど飲んでません」
「そうか? てっきりまた充電切れて寝るのかと思ったけど、違ったか」
「はい」
壁に寄りかかって煙草に火を灯す石川さんは、お酒の力もあってかとても上機嫌だ。
「楽しそうですね」
わたしの問いかけに、石川さんは片方の眉だけを器用に上げて驚いたような、なんとも表現しにくい顔を作る。
「お前は何でそんなに不機嫌そうな顔してんだ?」
「不機嫌そうですか? そんな事無いですよ」
即答したのにも関わらず、石川さんは溜息を吐き出した。
「沙紀ちゃんも桐野ちゃんもいなくなって、担当も替わって色々大変だろうけど、そう思い詰めんなよ」
「はい。ありがとうございます」
心配してくれて言ってくれている石川さんに感謝を述べると、ふっと鼻で笑われる。
「お前はどーしていつもそう能面なんだろうな。もっと笑えばとっつきやすいのに」
「生まれつきです」
「嘘付け」
ぽんっと石川さんがわたしの頭の上に手を置いた時に、入り口の扉のずっと向こうに稜也くんの姿が見えた。
こっちを見て、稜也くんが溜息を吐き出したのが遠目からもはっきりとわかった。




