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Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
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17:新たな日常・1

 沙紀ちゃんも桐野さんもいなくなった四月。

 わたしは予定通り四担所属になり、五担兼務になった。

 席は三月までは桐野さんが座っていた四担の一番端で、背中側には五担。

 以前は隣に座っていた稜也くんの背中が見える。

 わたしが座っていた場所には新しい派遣さんの内藤さんが座っている。

 内藤さんは大学を卒業したばかりの二十二歳。

 明るい声と笑顔が可愛らしい。

 わからない事があると、当然隣の席の稜也くんに聞くことになる。

 その二人を見ながら仕事をしていると、ちくんと胸が痛くなる。けれど、仕事なのだから気にしてもしようがない。

「加山さん」

「はい」

 信田さんの声に振り返る。

「悪いんだけれど、明後日までって言ってた資料、明日使いたいんだけれど大丈夫?」

 今作っているのは、四担の社員さんである野村さんに頼まれたもの。

 信田さんのは明後日までだと思ってたから、まだ手をつけていない。

「明日の朝ですか? 午後ですか?」

「朝なんだけれど、難しい?」

「……難しくはないんですけれど、少々残業しても大丈夫でしょうか」

「こっちが無理言ってるんだから、残業してもらって却って悪いくらいだよ。予定とか入ってない?」

 ちらっと信田さんが視線を稜也くんのほうに向ける。他の人にはわからない程度に。

 視線を向けられた稜也くんは、隣の席の内藤さんに何かを説明している最中だ。

 稜也くんに向けた視線を立っている信田さんに戻す。

「大丈夫ですよ。特に予定はありませんから」

 ほっとした顔で信田さんが微笑む。

「悪いね。じゃあ勤怠システムから残業申請出しておいて貰えるかな。理由はこっちで入れておくから」

「はい。よろしくお願いします」

「いやいや。こっちこそすまないね、急に」

「大丈夫です。途中でわからない事があったら聞いてもいいですか? 今日は信田さん外出されますか?」

「これから出る予定なんだ。五時には戻るから、それまでにわからないところが出たら、空白にして先に進めて貰えるかな」

「わかりました」

 それから叩き台になる資料に信田さんが色々書き加えたものを受け取って、資料作成用の書類のファイルに挟む。

 一番上に野村さんの資料を。その下に信田さん。さらにその後には村田さん。

 一人で八人の営業さんの資料を作るので、時期が重なるとそれなりの量になる。

 たまたま仕様の変更なんかがあって、それぞれ資料の手直しが必要になったり、先月の売り上げデータの集計なんかがあったりするから、担当が移ってからの毎日は資料作成に追われている。

 合間に内藤さんが一担の引継資料の質問にもくるので、頭の中がぐちゃぐちゃになりがちだ。

 一度頭を整理しなおしたほうがいいかも。

「ちょっと席外します」

 一番近くに座っている営業企画から異動になってきた田島さんに声を掛け、席を立ち上がる。

 田島さんは四担では唯一の女性社員。唯一と言っても、四人しかいないんだけれど。

 同性だし年も近いので声を掛けやすいし、何より気さくな人で、異動してから日が経っていないのに既に四担に馴染んでいる。

「はーい。何かあったら放送掛けますね」

「お願いします」

 パソコンにロックを掛けて、煙草を入れているポーチをジャケットのポケットに入れて部屋を出る。

 どうにも頭が回っていない感じがして、廊下で歩きながら左右に何回か頭を振ってみる。そんなことをしても頭が上手く回るわけではないけれど。

 今まであまり営業資料を作っていなかったので、作り慣れてしまえば何という事はないのだろうけれど、余計に時間が掛かってしまう。

 ただデータを解析するというのとは話が違い、効果的に見える方法だとかも考えなくてはいけない。

 本数が減っていた煙草だけれど、ここ二週間ほどでかなり本数が増えている。

 悩みの種のお局が総務に異動になっていなくなったけれど、今度は仕事で頭をかなり使っていて、ついつい一服して頭を休めたくなってしまう。

 誰もいない喫煙所で煙草に火をつけ、ぼーっと外を眺める。

 お局事件以来、稜也くんとは社内ではなるべく距離を置くように、話もしないようにしている。当然こういう場所で会うことも無い。

 それが淋しいと思うのは、大分疲れているのかなぁ。

 誰もいない喫煙所で外を眺めながら煙草を吸い、ぎゅっと煙草を灰皿に押し付けて野村さんから預かっている資料に目を通す。

 やることは別に大したことじゃない。きちんと頭を整理すれば出来るものだ。慌てて急いで片付けなきゃと思っているから、上手くいかないだけで。

 深呼吸をして資料を捲っていると、ぽんっと肩を叩かれる。

「お疲れ様です」

「信田さん。これから外出ですか?」

「うん。加山さん煮詰まってるのかな。ちょっと見せて」

 手元の資料を渡すと、信田さんが目を通していき、さらさらっと書き足していく。

「ここがさ……」

 信田さんの説明を聞くと、自分の思考がどこで迷宮入りしてしまったのかが明確になっていく。

 早い話が、商品の知識もシステムの知識も不足しているから、それを理解する事が出来なくなって思考停止に陥っていたみたい。

 信田さんの話は簡潔でわかりやすくて、ぐちゃぐちゃになっていた頭が解きほぐされていく。

「理解できた?」

「はい。ありがとうございます」

「いやいや。わからない事があったら俺でもいいし、誰でもいいから捕まえて説明させていいから。そのままコピーペーストだけだと出来ない部分もあるからね。でもこの辺りの部分は四担の連中に聞いてくれる?」

「はい。後で聞いてみます」

「丁度いい奴が来た。あいつに聞いて。俺は出かけてくるから」

 営業先から戻った石川さんが自席に戻る前に煙草吸いにやってきたのが扉の向こう側に見える。

 こっちを見て怪訝そうな顔をしている石川さんに対し、信田さんが軽く手を上げる。

 喫煙所に石川さんはいつもどおりの「おつかれ」という挨拶をして入ってくる。

「これ、加山さんにここから説明してあげて。その前までは説明しといたから。それじゃ」

 手短に説明すると、信田さんは足早に喫煙所を出て行く。

 もしかしてわたしに説明したから時間が無くなってしまったのだろうか。

 石川さんは屈みこみながらわたしの手元の資料を覗き込み、そしてわたしから資料を受け取る。

「ああ、これな。煙草吸ったら席で説明するから、先に煙草吸わせろ。ヤニ切れだ」

 その言い方がおかしくて自然と笑みが漏れると、石川さんがぽんっとわたしの頭を撫でる。

「お前いつもそうやってればいいのに。鬼だとか阿吽だとかって言われねえぞ」

「そうですか?」

「ああ。田島がめっちゃ怯えてたぞ。加山さんこわーいって」

 田島さんの声真似をするものだから、おかしくって笑い声が出てしまう。それを石川さんがにやっと笑いながら見ている。

「そうやって少しは肩の力抜いとけ。あんまりガチガチになると、出来るもんも出来なくなるからな」

「はい」

 石川さんが気を使って笑わせてくれたのだとわかり、嬉しくなった。

 担当替わってから仕事量が増えて、以前よりも無口になっているのは自分でもわかっていたから。

 石川さんと他愛もない話をしていると、稜也くんが喫煙所に姿を現す。

 にっこりと笑って稜也くんが「おつかれさまです」と決まり文句の挨拶を口にする。

「この資料のどこがわかんねえんだ?」

 稜也くんに「おつかれー」と返すと、石川さんがわたしの手元の資料を覗き込んでくる。

 あれ? さっき信田さんの話を聞いて納得していたみたいだったのに。

 煙草吸い終わってから説明するんじゃなかったのかな。気が変わったのかな、石川さんの事だから。

「あの、この辺りなんですけれど」

 更に顔を近付けて資料を見る石川さんの香水の香りが鼻をくすぐる。

 あの匂い、エゴイストって言うんだよー。そのまんまだよね。と言って笑っていた沙紀ちゃんのことをふいに思い出す。

「加山さん。さっき内藤さんが質問したいことがあると言ってたので、後で少しお時間いただけますか?」

 石川さんが何かを言おうと口を開く前に、稜也くんが『今野さん』として話しかけてくる。

 いつもの笑顔のままで言う稜也くんに「はい」と答えると、石川さんが資料から目を離して手にしていた煙草を灰皿に押し当てて消す。

「とりあえずこれ説明するから。野村の、明日までだろ? 補足資料渡すから、先に席戻ってろ」

 有無を言わさない人なので、それにも「はい」と答えて喫煙所を出る。

 喫煙所を出る時、石川さんがもう一本煙草に火を点けるのが見えた。稜也くんの姿は石川さんが壁になって見えなかった。

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