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Papagena  作者: 来生尚
本編
5/99

5:昼休み

 --今日電話当番?


 ポンっとパソコンのタスク上でメッセージ着信を知らせるアイコンが点滅したので、メッセンジャーを開く。

 短いメッセージに振り返りたい気持ちに背後の席に座る人を振り返りたくなったけれど、何食わぬ顔をしてキーボードを叩く。



 --電話当番です。お昼は13時からの予定です。



 短いメッセージに事実だけを返す。それだけなのに、胸がときめいた。

 この会社に派遣されてから3ヶ月が経ち、営業部営業課の中の大方の人とは会話を交わせる程度の関係になっている。

 敵意をみなぎらせている佐久間さんや営業課の課長といったお偉いさんは別として。

 3ヶ月もいると、お昼の孤独を味わう事なんて無くなっている。誰かしらが声を掛けてくれる。それは大体は同じ一担の社員さんだったりするんだけれど。

 生来の面倒くさがりと最近一人暮らしを始めたせいで、出来たらお昼くらいは外食したいと思っている。

 主婦の社員さんと愛妻弁当を持ってきている一部の社員さんを除き、社員さんたちも派遣さんたちも皆大概お昼は外食だったりするせいもある。

 くだらない、のちのち覚えていないような話だとしても、誰かと話をしながら取る食事は美味しい。

 だって朝と夜はテレビのキャスターの天気予報だとかニュースだとか聞きながら一人でわびしくご飯だもの。



 --メシ、行こう。



 意外なほど時間の掛かった返答に首を捻る。

 んーっと、この場合の対応として適切なのは何だろう。じらす? 喜ぶ? とぼける?

 とりあえずエクセルの関数を打っている途中だったので、関数を考えながら同時にお昼についても考える。

 これはお昼当番全員で食事に出ようと誘われているのか、それとも二人きり?

 二人きり? と考えたらドキンと胸が音を立てる。

 彼氏いない歴が大分長くなってきた昨今、ちょっとこういうシチュエーションにはやられるわ。シチュエーションだけで萌えてしまう。

 ダメよ。アホみたいにときめいたって相手はそういう気持ちなんてないんだから。

 自分をごまかしながら、関数の最後の括弧を打つ。

 よっし。決めた。



 --いいですよ。どこ行くんですか。



 自分ではあっさりと返したつもり。

 たまたま誘われたから食べにいくって程度。

 電話当番の時、他の担当の電話当番の人とお昼に出ることは珍しくない。

 こないだは五担の信田さんと二人で食事に行ったし。今日はたまたま石川さんなだけ。

 信田さんの時と同じなんだって。

 そうやって自分で自分を誤魔化した。そうでないと、ふふふと笑みが浮かんできて危険人物になりそうだったから。

 隣の席の今野さんが怪訝そうな顔をしている。

「どうしたんですか」

「やっと関数入れ終わったんです。で、動作確認したら問題なさそうだったのでつい喜んじゃいました」

 それもまた事実。

 ここ数日、売り上げを集計する為にエクセルと格闘し続けていた。

 それがお局佐久間の無茶振りだと知っている今野さんは、すげーと若者らしい声を上げる。

「早いっすね」

「どーだろう。理屈では出来ているけれど、後は数字入れて検証してみないとね」

「その関数、上手く出来てたら僕にもファイルコピーして下さい。どうにもこの社内ソフトの使い勝手が悪くてデータ抽出まではいいんですけれど、まとめ難いんですよ」

「そうなんですか。あー、csvで出てくるあれですね。確かにあれは使いにくいですね」

「そうなんですよ。報告書の期限が迫っているのに、全然上手くいかないんですよ」

 困り顔の今野さんを放っておけず、今野さんのパソコンを覗き込む。

 縦にも横にも項目の多すぎるデータファイル。

 これを元データにしてどうやって弄ろうかと考えるだけでもかなりの時間が掛かりそう。

 椅子を今野さんの机に寄せて、二人で座るには狭い机の前で体を寄せ合うようにしてパソコンを眺める。

 ふわっと今野さんからは某ブランドのメンズの香水の臭いがする。やわらかなシトラスの香り。今野さんらしい香りだ。

 そんなどうでもいいことに気が逸れそうになるが、今は仕事仕事。

「これって」

 顔を上げると超至近距離で今野さんがパソコンを睨みつけている。

 あまりの近さに、はっとしてお互いの視線がぶつかると、妙に気恥ずかしさが込み上げてくる。

 やばい。近すぎた。

 ついでにチラッと視界に映るお局佐久間の視線が絶対零度になっている。お局佐久間は今野さんを「りょーちゃん」と下の名前でしかも愛称で呼ぶというくらい今野さんをお気に入りなのだ。

 しまったと思ったけれど、まあ気にしない事にしておこう。

「かなり項目多くてすぐに対処出来ないので、もし良かったらお昼休みパソコン貸して貰ってもいいですか。少し弄ってみます。必要な項目だけピックアップしてメモ残しておいて貰ってもいいですか」

「あ。いいですよ。っていうか、いいんですか?」

 本来営業系の業務はもう一人の派遣さんである木内さんの仕事だ。だけれど木内さんはあまりエクセルが得意ではないと本人も言っている。私がやったほうがいいかなと思ったのだけれど、それは出すぎた行為かな。

「急ぎで完成版を出すというのは難しいですけれど、今必要な分だけ抽出するのは出来ますよ」

 いいか悪いかわからないけれど、あんまりにも今野さんが困っていそうだったので、そう提案する。

 にこっとお局佐久間曰く「可愛いりょーちゃんスマイル」が炸裂する。

 天真爛漫、無邪気。そんな言葉が良く似合う、おおよそ男らしさを感じない可愛らしい笑顔。

「助かります加山さん。ありがとうございますっ」

 嬉しそうな今野さんの笑顔に、私まで顔が緩んでしまう。

 この甘さは男でありながらずるいぞ、今野さん。


 自分の机に戻り、再び一度作ったエクセルを確認する。

 保存して、ついでにコピーを取っておく。そうしないと後で弄って壊した時に直しようがなくなる事があるからだ。どこを変えたか覚えておけばいいのだけれど、感覚で直しておかしくしてしまうことが過去に何度かあったし、元データがあれば汎用する事も可能になる。

 デスクトップのフォルダに一つ、サーバー上の自分のフォルダに一つ。

 顔を引き締めて作業をしていると、ふっとパソコン右下のタスクバーの点滅に気付く。それはメッセンジャーの着信を知らせるもの。



 --ゆうの好きなところでいい。



 思わぬメッセージに手許が止まる。

 この社内で私をそう呼ぶのは石川さん唯一人だ。

 偶然にも弟と同じ大学でサークルが同じだったということもあり、弟に聞いたらしく石川さんは家族が呼ぶように私のことをたまに「ゆう」と呼ぶ。

 ずるい。

 反射的にそう思う。

 そうやっていつもいつも、石川さんは私の心を掻きまわしていく。

 短いメッセージにぎゅっと胸が詰まって下唇をかんだ瞬間、またタスクバーでアイコンが点滅する。



 --データのお礼に今度奢りますね。お酒と食事、どっちがいいですか?



 ちらっと横を見ると、今野さんがにやっと笑う。いつもの可愛い笑顔じゃなくて、その笑顔は企んでますっていう感じの黒い笑顔に見える。

 一瞬視線があったものの、今野さんは何もなかったような顔をして眉間に皺を寄せてパソコンと向き合ってしまう。

 気のせいかな。黒い笑顔。

 でも今開封したメッセージは現実だ。



 --奢ってもらわなくても大丈夫ですよ。エクセル好きなんで気にしないで下さい。



 --俺が気にするんでダメです。残業禁の金曜日空けて置いてください。



 有無を言わさぬ今野さんのメッセージに苦笑する。

 まあいいか、たまには飲みにいくのも。どうせ帰って一人で手酌だし。一杯くらい奢ってもらっても罪にはなるまい。



 --わかりました。場所はお任せします。



 返したメッセージの返事は無かった。もう一人のメッセージには返事を返さないままにした。

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