15:馬鹿と過保護は紙一重・2(SIDE:B)
鳴り出したスマホを手に取り、珍しい相手からの着信に石川は首を捻った。
「今野?」
開口一番問いかけた石川に対し、今野は『今少しだけお時間大丈夫ですか』といつもどおりの口調で答える。
テーブルの上のタバコに手を伸ばして火をつける。
「別に平気だけど。どうした?」
先輩らしい返答を返し、頭の中で仕事のことを思い出す。何か今野に関わることで休みの日に急を要す様子ようなものがあったかどうかと。
『仕事のことではないのですが』
言い淀む今野に対し、石川は首を捻る。
ますますもって休みの日にまで電話を掛けてくる理由が思い当たらない。
『ヒロトさんに、一体どんな話をされたのですか』
にやりと石川が口元を笑みの形に変える。
ああ。ついにあのヒロトに行き着いたか……と。
「別に。ゆうが最近付き合いが悪いけど、仕事が忙しいのかと聞かれたから、そうでもないと答えておいたが」
トントンと灰皿に灰を落とし、姉とは対照的に社交的だが、どこか姉に似て融通が利かないところがある大学時代の後輩のことを思い出す。
つい先日、半ば泣きつくように電話してきたシスコンな後輩のことを。
『そうですか。わかりました。休みの日に失礼しました』
「おい。ちょっと待て」
そのまま電話を切ろうとした今野を呼び止める。
『何でしょうか』
「それを確認する為だけに電話してきたのか?」
石川の問いかけに、今野はすっぱりと『はい』と答える。
おかしいなと石川は首を捻った。さすがの今野も何か文句の一つでも言ってくるかと思っていたが。
『本当に石川さんとヒロトさんが繋がっているのか知りたかったんです。では失礼します』
あっさりと通話を切り、今野は宙を仰ぐ。
「俺が何を言うと思っていたんだろう。石川さん」
誰に言うでも無く呟いた言葉は、聞く相手を持たないまま消えていく。
今野よりも一層緊張した様子で、優実は実家のソファに座っている。
隣に座る今野は、いつもどおりの営業用の笑みを浮かべて、正面に座る優実の両親と対峙している。
彼らをここに呼びつけた優実の弟裕人は、まだ実家に来ていないという。
裕人も優実と時期を同じくして、一人暮らしを始めていた。
この家で唯一暮らす子供となった妹の美乃里は、キッチンで裕人に早く来るようにと電話をしている最中だ。
早朝電話してきたにも関わらず、結局指定してきた時間は夕方で、優実はたっぷりと胃が痛くなるような緊張した時間を味わった。
幾度と無く「ごめんね」を繰り返す彼女に対し、今野は「大丈夫。大丈夫」と笑って答え続けた。
彼の中にはとある腹積もりがあるのだが、果たしてそれを言う事は出来るのだろうか。
きっとうまい具合にヒロトが切り出してくれるだろうと、今野は踏んでいた。それは確信めいていた。
「すみません、呼び出した張本人が来ないなんて。今野さん、気にせずお茶飲んで下さいね」
三兄弟の母は、ぺこりと頭を下げると、キッチンにいる娘のもとへと歩いていく。
息子の到着時刻の確認の為だろう。
残された父は、人好きのする笑みを今野に向ける。
「今日はうちで食事していくといい。お酒は平気かい?」
「ええ。大丈夫です。ありがとうございます」
にっこりと営業で培われ、お局対応で磨かれた笑顔を彼女の父に向け、そのまま優実へと視線を移す。
「大丈夫?」
がちがちに緊張しているのが、見て取れた。
この場の誰よりも優実が緊張している。
普段なら彼女の緊張を解くことは容易いが、さすがに初対面の両親の前でベタベタするのもどうかと思うので、今野はそっと彼女の顔を覗き込むに留めた。
「……うん」
明らかに大丈夫そうではない優実の肩をポンポンっと軽く叩いて、対外用とは少し違った笑みを彼女へと向ける。
「大丈夫だよ。そんなに緊張しなくても」
「うん」
彼女の指が彼の指先に触れようとした時、妹の美乃利がからかうように囃し立てる。
「らっぶらぶー」
「もーっ。ミイっ」
からかう妹に対し優実が真っ赤な顔で抗議をするけれど、気にしているのは本人だけで、両親は至って落ち着いた様子で優実と今野のことを見つめている。
「本当に優実に彼が出来て良かったわ。これで少しはヒロが真人間になるんじゃないかしら。ねえ、お父さん」
「ああ。そうだな。あいつのせいで優実は一生結婚どころか彼氏すら作れないのではと心配していたけど、これで一安心だ」
あはははと笑いあう両親に対し、真っ赤な顔のまま優実が抗議する。
「今まで一人も彼氏がいなかったわけじゃないもんっ」
その抗議に、美乃利は「はー」っと溜息を吐き出す。
「その年で初めて付き合う相手ですって言われたら、逆に引くって」
冷静に美乃里言われてしまうと、ぐうの音も出ず黙るしかない優実はじとーっと妹を睨みつける。
「おねえ、ぶさいくだよ、その顔」
そして完膚なきままに叩きのめされ、悔しそうに口を尖らせる。
そんな姉妹のやり取りを、今野は楽しそうに見つめている。そしてそんな今野に対し、両親は好感を抱いていた。
優実は難しい娘である。
幼少の頃にいじめられた経験から、他人に対してはあまり心を開かない。自分の素を晒す事も無い。
言いたい事も言い淀み、感情にはフタをしてしまうところがある。
しかしそんな優実が「他人である」今野に対しては警戒心をあまり抱いていないように見える。
作られた「加山優実」ではなく、家の中で親兄弟に見せる自然な振る舞いを今野に対して晒す事に躊躇が無い。自分を作る事を考えてもいない。
今この場面で、普通ならクールという仮面を被って妹をあしらうはずなのに、普段の姉妹のやり取りと同じ姿を見せている。
それだけ優実にとって、今野は気を許している相手だという事だろう。
「今野くんはいつから優実と?」
父親の問いに、今野は優実を伺うように視線を優実へと向ける。
こくりと首を縦に振るのを確認してから、今野は穏やかな表情で口を開く。
「まだお付き合いしてからは二ヶ月くらいですね。彼女が九月に派遣されてから、同じ職場で同僚として働いています」
「そうですか。まだ付き合い始めたばかりなのに、このように家にまで来させてしまって申し訳ない。だが今野くんのような人が娘の付き合っている相手と知り、安心させて貰ったよ」
「ありがとうございます」
優実の父親に対し笑みを向け、ゆっくりと頭を下げる。
「本当にうちのバカ息子がごめんなさいね。お詫びに今日はいっぱい食べていっぱい飲んで帰ってね」
どちらかというと下の娘に雰囲気の似た母は、今野をもてなす事により、受け入れているのだという事を表明する。
「え。飲ませちゃうの?」
しかし妹が暗に抗議する。ちらっと姉のほうを一瞥してから。
「ええ」
「……多大な迷惑被るの、きっと今野さんだよ」
親子の謎の会話に今野は内心首を捻るが、問いかけても答えは返ってこないだろう事はわかっている。
機会があれば、優実にその言葉の意味を聞いてみようと思い、その場はにっこりと笑ったまま表情を崩さなかった。
謎めいた会話は終わり、夕食には少し早い時間だけれど、加山家の食卓に料理が並べられていく。
優実と美乃里が母の手伝いをし、今野は父と他愛も無い会話に興じている。
そんな平穏を崩すかのように、バタバタと大きな足音が響き、はーっと加山家全員の溜息が吐き出される。
真打登場とでもいった様子で、裕人が扉を思いっきり開く。
「待たせたなっ。徹底的に問い詰めてやる」
そんな裕人に美乃里が近付いていって、思いっきり頭をスリッパで叩く。
「まず最初はお待たせしましたでしょっ。どんだけ失礼なのよ、おにい!」
「うるさいっ。お前は黙ってろっ。ゆうに近付く悪い虫を追い払うのが俺の役目だっ」
両親は呆れ顔で長男である裕人を見つめる。
どこをどう育て間違ったのかと、両親は頭を抱えたい気分になった。
姉と妹が絡まなければ、非常識なところは見当たらないはずなのだが、絡んでしまうとどうにも手がつけられない。馬鹿過ぎて手に負えないとさえ思っている。
「今野くん。あれは気にしなくていいから」
父は頭を掻きながら今野に侘びを入れる。
そんな父の様子も、裕人は気に入らなかったようだ。
「そいつに頭を下げる必要などないっ。どういうつもりでゆうに近付いたか、ここではっきりさせてもらおう」
「……おにい、とりあえず食事しようよ。そういった込み入った話は後でいいから」
姉にも似た冷淡さで妹はシスコンの兄を諌めるが、全く裕人は聞く耳を持たない。
そんな兄弟の遣り取りを、顔には出さなかったものの、内心ほくそえんで今野は見ていた。
どうやら思う方向に話が転びそうだ、と。
「うるさいっ。中途半端な気持ちでゆうに付きまとう奴に食わせる飯などないっ」
にやり。
今野は少しだけ口元を上げた。
はらはらとした表情で見ている優実にちらりと視線を送り、にっこりと彼女に微笑む。
優実に言わせれば「黒いほうの笑み」で。
「中途半端な気持ちで付き合っているわけではありませんよ」
餌は撒いた。あとは餌に食いつくのを待つだけ。
優実は慌てた様子で今野の傍にやってくる。
その優実にニッコリと微笑みかけ、今野は仁王立ちしている裕人を見つめる。
「ほう。じゃあ優実と結婚するつもりだとでも言うのかよ」
掛かったな。
ふっと今野は鼻で裕人を笑い、すがるように腕を掴む優実を見つめる。
「結婚する?」
そう今野に問いかけられて、優実はかーっと一気に顔を朱色に染め、声も出せずにぱくぱくと口を開閉する。
優実の代わりに絶叫したのは、妹の美乃里だった。




