12:恋心の行方・3
信田さんに救護室の奥の小部屋で状況の説明を最初からして、本当に何故こういう事になったのかわからないと説明していると、カチャリと扉が開く。
四担長の村田さん、それから課長とお局。
五人で話すにはあまり広くない部屋の中、村田さんが口を開く。
「何があったのか、説明して貰いますよ」
お局はキっと私を睨んだ。
「この女が、私のりょーちゃんに色目を使ってたのよっ。それを注意して何が悪いのっ」
「……は?」
男性陣の呆れ声が部屋に響き渡る。
声だけダンディと呼ばれる課長の声は、いつもよりもずっと間抜けな声だった。
「佐久間ちゃーん。そんな理由?」
「そんなじゃありませんっ。とーっても大事な理由じゃないですかっ。この女がっ、私のりょーちゃんをっっ!」
激昂して課長を怒鳴り飛ばす佐久間さんを、信田さんは頭を抱えんばかりの、いや実際に片手で頭を抱えて眺めている。
村田さんは呆れ顔で、溜息を一つ吐き出す。
「信田。この件は社内コンプイライアンスに上申しろ」
「いいんですか?」
村田さんの提案に、信田さんが顔を険しくする。
課長とお局ははっとした顔で信田さんを食い入るように見つめる。
「今野に対する態度もパワハラではないかという意見も出ているし、構わん。いいですよね、課長」
「……あ、ああ」
村田さんの強い口調に押されるように課長が同意すると、佐久間さんはガっと机から立ち上がって室内の社員さんたちを睨みつける。
「そんな事、許されると思ってるの?」
「許されるに決まっているじゃないですか。何なら営業課の総括業務をしているのを悪用し、石川の異動を握りつぶしている件と合わせて報告してもいいんですよ?」
「あんた……」
永遠の二十五歳から地を這うような低い声が発せられる。
が、村田さんは静かな表情でお局を睨み返す。
「石川の件、今野の件。それから響を始めとする一担に在籍した女性社員の件。誰も内部告発していないと思っていましたか」
こんっと軽い音がテーブルに響く。
お局の指輪を嵌めている手がテーブルに力無く落ちたせいだ。
「だ、誰が」
「告発者を守る為、それを明かすことは出来ません。佐久間さん、あなたは少々やりすぎました。ここは企業であって、あなたのお城では無い」
村田さんが冷淡とも言えるような口調で答える。
「更に今回あなたは派遣さんに暴力をふるい怪我をさせた。これは傷害と取られても仕方の無い一方的な暴力です。言い逃れは不可能です」
ぎりぎりと歯軋りをしながらお局が私を睨みつける。
再び飛び掛ってくるのではと、心が震える。
「あんたがりょーちゃんに手を出さなければこんな事にっ」
唾を飛ばしながら罵るお局に対し、村田さんが溜息を吐き出す。
「いつどこで加山さんが今野に手を出したんです。根拠の無い言いがかりは余計に立場を悪くしますよ」
「昨日よっ。昨日、りょーちゃんと一緒にインテリアショップで買い物しているのを見たわっ」
ふいに信田さんと視線が合う。
「そうなのか?」
お局に向けるのよりもずっと柔らかい声で村田さんに問われるので、昨日家具屋さんに稜也くんと買い物に行った事を認める。
変に隠しても余計拗れるだろうと思って。
「あ。それ、俺の買い物の付き合いです」
信田さんがすっと片手を上げて、場に割って入る。
「はー!?」
お局の素っ頓狂な声を無視し、信田さんが淡々と続ける。
「昨日石川と今野と加山さんに付き合って貰って買い物行きましたよ。大物家具買いたかったので、手伝いを頼んだんです」
「わたしが見たときは、りょーちゃんとこの女が二人っきりで買い物してたわっ。嘘ついて誤魔化したってわかるのよっ」
「石川と俺と家具で車がいっぱいになりましたからね。俺と搬送要員の石川は車で帰ったけど、加山さんたちは電車で帰ったんですよ」
少々の嘘が混ざっているけれど、全くの嘘ではない。
「司きゅんとりょーちゃんはともかく、何でこの女が一緒だったのよっ。荷物運びの役にも立ちそうに無いじゃないっ」
「彼女、ソファが見たかったそうなんです。で、たまたま買い物に行くから一緒にどうかと誘ったんですよ。それが何か問題でも?」
見事にお局を黙らせた信田さんが、こほんと咳払いをする。
「悪かったね。俺が買い物に誘ったばっかりに、面倒な事に巻き込んで」
「……いえ」
それ以上何も言わなくていいよと言わんばかりに、信田さんは私にしか見えない位置で人差し指を立てて口をすぼめる。
リアクションだけで「しー」っと黙っているように伝えてくるので、こくりと頷いて返す。
「全くの誤解で八つ当たりか」
村田さんがそう結論を出しお局を黙らせ、課長に剣呑な視線を投げかける。
課長ははーっと大きく溜息を吐き出す。
「佐久間ちゃん、もうこれ以上は庇いきれないよ」
「課長っ」
悲鳴のようなお局の声に、課長は辟易とした顔を向ける。
「同期だから多少の事はと思っていたが、ここまで色々あると、ねえ」
ちらっと課長が信田さんに視線を向ける。
信田さんは労働組合の関係の仕事もしていて、コンプライアンス関係の部署にも顔が利く。
内部告発も、信田さんから村田さんに情報がもたらされたのかもしれない。そして同じものが課長にも。
日和見だとか長いものに巻かれるだとか面倒な事は下任せと、課長の仕事に対する評価はかなり厳しい。が、権力欲は強い人だと聞いている。
下手にお局を庇うと、自分の身も危うくなると判断したのだろう。
「……あんた……」
お局の憤りは私へと向けられる。
びくっと動いた私の肩に、宥めるように信田さんの手が載せられる。
「絶対にあんただけは許さないわ。絶対にりょーちゃんと引き離してやるっ」
ふうっと村田さんが呆れたように息を吐き出した。
「彼女にそんなことを言う前に、今野に文句を言ったらどうです。それに顔に怪我までさせたというのに、謝罪もなしですか」
ぷいっと横を向いてしまったお局は、絶対に謝罪などしないとその態度で表していた。
しばらく村田さんがお局を睨みつけていたが、お局はふくれっつらのままそっぽを向き続けている。
「信田。加山さんを連れて行け。加山さん、今日今野は?」
「営業先に直行の予定で、書類を届けたら出社の予定です」
どこまで内情を知っているのかわからない村田さんに、ホワイトボードの予定表に書かれていた稜也くんの予定を告げる。
「もし来てたら捕まえてきて」
村田さんのそれは信田さんに向けられていて、信田さんが「わかりました」とだけ告げて狭い室内を出て行く。
救護室の時計は、始業から一時間以上経った時間を指し示していた。
あっという間のように感じていたのに、思ったよりずっと長い時間が経っていた。
廊下に出て、信田さんに声を掛ける。
「ありがとうございました」
「何がでしょう」
「あの、庇ってくれて。昨日のこと」
「ああ」
信田さんが笑う。人を包み込むような優しい笑い方で、心がほっと和む。
「嘘はついてないよ。ちょっと話を繋げただけで」
いたずらを誤魔化すような茶目っ気たっぷりの言い方で、思わず頬が緩む。
けど、信田さんはそんな私を見て顔を曇らせる。
「すまないね。顔に傷を付けるようなことになってしまって」
「ああっ。これ、すぐ治りますよ。そんな酷い傷じゃないですもん」
本当に心底申し訳ないという感じで頭を下げようとする信田さんに、慌てて「大丈夫ですから」と付け加える。
「もっと早く佐久間さんの事対処しておけば良かった。先延ばしにしていたせいで、加山さんを傷つけたのは事実だから。すまなかった」
「そんな風に謝らないでください。私も迂闊だったんです。お局がいたのに気がついていたのに、そのまま買い物しちゃったから」
どっちが悪いと信田さんと応酬しながら営業課の階に戻り、部屋に戻る。
部屋に入った瞬間、稜也くんが席を立ち上がり駆け寄ってくる。
「加山さんっ。大丈夫ですかっ?」
目の前に立つ稜也くんの手が私の顔に触れようとして、触れずにそのままだらりと下がる。
「何があったか、本人から聞いて。十分後に戻ってこられるかな」
「……はい」
信田さんがポンっと稜也くんの肩を叩き、稜也くんが私の顔を見る。その目は苦々しいものを見つめるようで、眉間には深い皺が寄っている。
「加山さん、ちょっとだけお時間貰えますか」
「はい」
稜也くんと肩を並べて喫煙所まで歩いていき、恐らく気を利かせて誰もこないそこに着いてから、何があったかを伝える。
その間、稜也くんはぎゅっと拳を握り締めたまま話を聞いていた。
一通り話し終わると、稜也くんは深い溜息を吐き出す。
「ごめん」
冷え切った指先が頬を撫で、おでこへと移る。
そこにある小さな傷跡をなぞるように動き、指先が髪の毛を梳いていく。
「稜也くんは悪くないから」
「……ありがとう」
曇った表情のまま俯いてしまった稜也くんのスーツへと手を伸ばす。
ぎゅっと胸のあたりを掴むと、俯いていた稜也くんが顔を上げる。
その顔があんまりにも暗くて悲しそうだったから、思わず両手で稜也くんの頬を挟む。
「私は大丈夫だから。ね?」
くしゃっと泣き笑いみたいな顔をして、稜也くんが私の肩に頭を乗せる。
「優実」
「うん?」
「俺が優実を諦めたら、優実は辛い思いをしないで済む?」
思いもしなかった言葉にドキっと心臓が音を立て、涙がこみ上げてくる。
「どうしてそんな事言うの?」
稜也くんが顔をあげ、右手で私の頬を撫でる。
「だって……」
「ヤだ。絶対ヤだ。そんなの嫌だからね」
何かを言いかけた稜也くんの言葉を遮って拒絶する。
何でお局にちょこっと怪我させられたくらいでそんな話になるの?
「稜也くんがいなくなるほうが嫌だからね」
「俺だって嫌だよ」
頬を撫でていた手が肩にまわり、ぐいっと体を引き寄せられる。
「ただ、優実が俺のせいで傷つくのも嫌なんだ」
肩に回されたのとは反対の腕が腰に回される。
ぎゅっと一瞬抱きしめられたかと思うと、ぱっとその手を離して稜也くんが苦笑する。
「ここ、会社だったね。後で話そう」
くしゃっと髪を撫で、稜也くんが吹っ切れたかのような表情で告げる。
スーツの内ポケットから煙草を取り出し、カチカチっとライターで音を立てて火をつける。
多分、彼なりに落ち着こうとしているのだとその動作からわかる。
煙草は吸わず、ただ彼の横に並んで立って外を眺める。
「加山さん」
煙草を消し、稜也くんが『今野さん』の口調で話しかけてくる。
「もう、迷惑は掛けませんから」
その言い方がまるでお互いの間に線を引くかのように聞こえて、目を見開いてしまう。
「大丈夫ですよ」
にっこりとりょーちゃんスマイルを浮かべる稜也くんの本心が見えず、午前中ずっと無人の隣の席に落ち着かない気持ちを持て余し、仕事が手につかなかった。




