10:恋心の行方・1
3月下旬の週末、冬から春に衣替えをしたクローゼットの中身。
それに合わせてというわけではないけれど、リネン類なども模様替えしたい気分になった。
そんな話を稜也くんにしたら、買い物行く? と聞かれたので、二つ返事で北欧家具のお店に行く。
付き合い始めてから一月半くらいになるのだけれど、家の中のあちこちに稜也くんの物が置かれている。
多分一月の半分以上はうちにいるんじゃないのかな。
だからというのはおかしいけれど、一緒に生活するなら、お互い気に入ったものを選ぶ方がいいかなって思った。
それも稜也くんの受け売りなんだけれど。
一番楽しい時よねーというのは、沙紀ちゃんの弁。
確かにわたしは「新しい環境」を楽しんでいる。
本当は一緒に寝起きするのが恥ずかしくない訳じゃない。気恥ずかしい事だっていっぱいある。息苦しいなと思うことだってある。
それでも今は一緒にいたいって思うから、一緒にいる時間をより楽しめたらいいなと思う。
目的のお店(お店というよりも巨大な倉庫のような建物)に着き、まずはエスカレーターで二階に上がる。
ショールームと呼ばれる二階には、実際の部屋を模したインテリアが広がっている。
「すごーい」
初めて見た光景に思わず声を上げたわたしと手を繋いだままの稜也くんは「そうだね」と淡々と答える。
「ここ、来た事あるの?」
あっさりとした反応だったので問いかけると「あるよ」とさらっと答が返ってくる。
「うちにある食器とか、結構ここのものが多いよ」
「そうなんだ。全然気がつかなかった」
今度は稜也くんがははっと声を上げて笑う。
「後でこれもあれも見たことあるかもって思うかもね。一人暮らし始めた時に、面倒だからここで買い揃えたんだ」
「そっか」
誰と来たの? とは聞けなかった。
洋服や持ち物もお洒落だし、そういうのの一環でこういったところでインテリア用品も揃えたのかもしれない。
でも、何となくだけれど、一人では来ないだろうなって思う。
稜也くん、モテるし。
こっそり稜也くんの同期の寺内さんに聞いてみたら、彼女が途切れた事は無いらしいって言っていた。
確か就職したのと同時に一人暮らしを始めたって前に言っていたから、荒木さんとでは無いだろうけど。
ちらりと横顔を盗み見るけれど、いつもどおりの稜也くんで、その横顔から過去を覗き見ることは出来ない。
二階に上がってすぐ右手の、リビングを模した空間へと稜也くんが足を運ぶ。
「ソファ欲しいって言ってたけど、こういうの?」
実際の部屋がそこにあるので、イメージはしやすい。
こういう部屋に出来たらいいかもしれない。今の自分の部屋は限りなく物が少ない殺風景な部屋だから。
「うーん。でもこれ置いたら部屋狭くなりそう」
「確かにこれはちょっと大きいかもね。他も見てみる?」
「うん。あっ。ちょっと待って。このグラス可愛い」
ローテーブルの上に置かれたグラスを手に取って持ち上げる。
目の高さに持ち上げたそれを、稜也くんが顔を近付けて眺める。
「こういうデザイン好きだよね」
「そうかな?」
「そうだよ。前に欲しいって言ってたグラスもこんな感じだった」
前に雑貨屋さんで見つけたグラスのことを覚えてくれていたんだ。
そんな小さなことに心が躍る。
ほんとうに小さな些細なことも、覚えてくれているのが嬉しい。
「他にもきっと気に入ったのがあるよ。絶対優実こういうの好きだと思ったから、ここに来ようと思ったんだ」
「そうなんだ」
変にヤキモチ妬いて微妙な気分になっていたのに、稜也くんはちゃんとそんな事まで考えてくれていたんだ。
嬉しくなったけれど、気恥ずかしさもあり、誤魔化すようにダイニングテーブルに目を向ける。
「あっ。こういうのも好きかも。稜也くんはどう思う?」
グラスをローテーブルに置いて、今度はダイニングセットへと近付く。
省スペースを意識したようなものだけれど、いかにもダイニングテーブルですといった実家にあるようなものとは違って、丸みのあるデザインがすっごく可愛い感じがする。
「今の家には置けないんじゃない? さすがに。ソファ置いたら、それだけでもかなり部屋が狭くなるよ」
「そうだけど。可愛いから、いつか欲しいなと思ったの」
稜也くんのダメ出しに抗議すると、くすっと稜也くんが頬を緩めて笑う。
「いつかっていつ?」
「え?」
「どう思うって聞いてくれるって事は、それを買う時は俺も一緒に住まわせてくれるんだ? 優実さん」
そんなつもりがあって聞いたわけじゃなかったのに。
本当に単純にいいなって思って、稜也くんはどう思うかなって思ったから聞いたのに。
でも、でも。
付き合い始めてからまだ2ヶ月にもなっていないけれど、一緒にいるのが当たり前みたいになってきてて。
「えっと……」
頬が熱いまま稜也くんを見上げると、稜也くんがつんっと頬を指で弾く。
「真っ赤」
「もー。そういう事言わないでっ」
顔を逸らすけれど、稜也くんが肩を揺らして笑うのを堪えているのが視界に入る。
手を離してくれたらいいのに、決して繋いだ手を離してはくれない。緊張と恥ずかしさで手が汗ばんできているのに。
「はいはい。じゃあ次見に行こうね」
この状況でこれ以上何も言われなくって良かった。
まだお店に入ったばかりなのに、最初っからこれでは心臓が持ちそうに無い。
だけど、家具やインテリア用品を一緒に見るってことは、一緒にそれを使うのを前提とした会話になるから。
どうしてもそういう事を意識せざるを得なくなる。
まだお互いの事をよく知らない部分も多いのに、頭の中は妄想が広がっていく。
ソファを試す時も、本棚を見るときも、キッチン用品を見る時も。
かなりの時間をショールームで過ごし、一番最後の子ども用インテリアのコーナーを足早に通り過ぎると、目の前にはレストランが現れる。
時間はまだ少しお昼には早かったけれど、混む間に食事を済ませてしまおうということになって、レストランの中に入る。
ショールームに置かれていたのと同じようなテーブルやソファが置いてあり、食事はセルフサービススタイルとなっている。
稜也くんにあれこれ説明して貰いながら食事を選び、かなり広いレストランの中を、空いている席を探す。
出来たらソファがいいなーなんて思っていると、タイミング良く真っ赤なソファ席から食事を終えた人が立ち上がるところだった。
「ラッキーだったね」
そう言って向かい合ってソファに腰を据えると、目の前の稜也くんが「そうだね」と同意してくれる。
「飲み物取って来るよ。コーヒーでいい?」
「うん」
「ホット? アイス?」
歩き回ったせいか、喉の渇きをかなり感じるので、アイスコーヒーを頼む。
紙カップを二つ手にとって席を立った稜也くんの背を目で追い、その姿が見えなくなったので窓の外に目を向ける。
ぼーっと外を眺めていると、ぽんっと肩を叩かれる。
稜也くんが戻ってきたのかな? と思って顔を窓から店内に戻すと、にやーっと笑う石川さんと苦笑する信田さんが立っている。
「よお。彼氏は?」
「あ。飲み物取りに行ってくれてます」
くくっと喉を鳴らすようにして笑う石川さんが、二人がけのソファの肘掛のところに腰を落とす。信田さんはそんな石川さんの傍に立ったままでいる。
「沙紀ちゃんは一緒じゃないんですか?」
信田さんに問いかけると、信田さんが「ああ」と答える。
「沙紀は実家に用事があるから来てないよ」
会社では絶対に呼び捨てにしないのに、信田さんはさらっと沙紀ちゃんの名前を呼び捨てにする。
そういうところ切り替えが信田さんは上手だなって思う。
「そうなんですか。信田さんと石川さんの二人でお買い物に来られたんですか?」
「ああ。見たい家具があってね。石川は運搬手伝い要員」
ぽんっと信田さんが石川さんの肩を叩いたところで、稜也くんが戻ってくる。
「あれ? お疲れ様です」
コーヒーを手に持ったままの稜也くんが挨拶すると、石川さんと信田さんは「お疲れ」といつもどおりの挨拶を口にする。
別に会社じゃないのだけれど、どうしても会えば「お疲れ様です」が挨拶になってしまう。
「デート?」
にやにや笑いながら石川さんが聞くのを、稜也くんは「可愛いりょーちゃんスマイル」を浮かべて頷き返す。
「はい。優実がソファを欲しいって言うので」
さりげなく普段は人前では呼ばない名前で呼ばれて、ぽっと頬が熱を持つ。
「そうなんだ。邪魔して悪かったね。じゃあまた月曜に」
信田さんがひらひらっとわたしに向かって手を振るので、頭を下げて応える。
石川さんもソファの肘掛から立ち上がり「じゃあな」と言い残して信田さんと歩いていく。
「こんなに広いところでも会うもんなんだね」
稜也くんの持って来てくれたコーヒーを飲みながら言うと、稜也くんは「そうだね」と苦笑を浮かべる。
「他の人に会わなければいいけれど」
呟いた稜也くんのに言葉に同意し、このお店の看板メニューだというミートボールにフォークを刺した。