挿話:今とモト(SIDE:B)
いつもの飲み会。
横には寺内くん。斜め前には今野くん。
同じ支社の営業課に配属されたわたしたちは、いつだってこうやって下座に陣取って先輩たちのお世話係だ。
ただ飲み会も中盤になってくると、飲むペースも落ちてきて、これといってやることも無くなる。
そうすると、同期同士で仕事の愚痴やらプライベートの話やらで盛り上がる事が多い。
「お前また別れたの?」
寺内くんは呆れたような顔をして、今野くんに問いかける。
「うん。僕といてもつまらないらしいよ」
「何だよ、それ」
「うーん。相手に合わせているつもりなんだけれどね、気に入らないらしいよ」
サワーを口に運びながら今野くんが言う。
つまらない? 今野くんといて?
全然そんな事ないのに、彼女、勿体無い。
確か、経理の派遣の女の子じゃなかったかな。彼女って。
寺内くんはずり落ちてきた眼鏡を押し上げる。
「お前ってどんな相手でも三ヶ月程度しかもたないよな」
「そうかもね」
「そうかもねって自分の事だろ。あっさりしてるのな」
寺内くんがおつまみに手を伸ばしながら言うと、お局にこよなく愛されている「可愛いりょーちゃんスマイル」を今野くんがする。
「そうかもね」
「……それを笑いながら言うのか」
はあっと溜息を吐き出した寺内くんに、相変わらず今野くんは笑い顔を浮かべたままだ。
「今野くんってさー。彼女のこと好きじゃなかったの?」
思わず口を挟むと、今野くんが可愛らしく首を傾げてわたしを見る。
「好き?」
「そう。好き」
しばし考えた後、今野くんが言った言葉はある意味衝撃的だった。
「別に。僕が好きじゃなくても相手が好きだから付き合うんでしょ。それに誰かをすごく好きになった事なんて無いような気がするな。初恋は幼稚園の先生らしいけどね」
「それはモテるから言える台詞だ。いいよな、お前はモテモテでさ」
「そうかな。別に僕としては彼女がいてもいなくてもどうでもいいんだけれどね」
うわー。嫌な奴と寺内くんが言った。
うん、わたしも同意見。
モテるのを鼻に掛けているわけじゃないけれど、なんか女の子が傍にいて当たり前みたいな態度が嫌な感じ。
「どーせお前の事だから、またすぐに誰かと付き合うんだろうよ。いっそ佐久間さんと付き合えよ」
「あはは。それはちょっと困るなあ。上司と付き合う趣味は無いから」
笑ってかわす今野くんの顔はいつもどおりの笑顔で、本当に困っているのかすら判断に困ってしまう。
飲み会が終わって、帰りの方面が一緒だから今野くんと一緒に帰る。
ほんの少し嬉しいのは内緒。
並んで椅子に座って、他愛もない話に興じているけれど、でも今このタイミングで言ってしまおうかという衝動が湧き上がってくる。
「今野くんさー」
「んー?」
「どうせ誰かとまた付き合うんでしょ」
くすりと笑みを洩らして、少し困ったような顔をする。
また煩い事言われるとか思われたかな。
「じゃあわたしと付き合ってみてよ」
「荒木と?」
「そう。少なくとも今までの彼女よりは、わたしのこと知ってるでしょ?」
「……うーん。まあそうだけど」
「お試しお試し。ね? いいでしょう」
今野くんは少しだけ眉を潜めて、そして溜息を吐いた。
やっぱり言うんじゃなかったかもという思いに駆られる。
一駅分無言のままで、その間ドキドキと胸が高鳴るのを押さえられない。
ダメならダメであっさり言われたほうがすっきりするんだけれど。
「付き合ってもいいよ」
「本当? 良かった」
ポンッと手を打ち鳴らしたわたしを、今野くんが笑ってみている。
今日からこの笑顔はわたしのものだ。
「ねえ、明日、暇?」
「明日? 明日は予定ある」
「あさっての日曜日は?」
「日曜日なら空いてるよ」
「じゃあ一緒にどこか出かけましょう」
「いいよ。荒木の行きたいところで。それじゃ」
丁度今野くんの最寄り駅に着いたようで、妙にあっさりとした感じで電車を降りていく。
いつもどおりと言えばいつもどおりなんだけれど、手ごたえがないというか、なんだろう。なんで今野くんはあんなにいつもどおりなんだろう。
抱きつけば、抱きしめ返してくれる。
強請ればキスだってしてくれるし、体を重ねた事だってある。
それなのに、いつまで経っても距離が縮まらない感じが拭えない。
出かけようと言えば、いいよと返ってくる。けれど、いつだって好きなところでいいよと返ってくるだけ。
一緒にどこか行きたいところを探そうと提案しても、どこだっていいよが答え。
最初は優しいのかなと思ったけれど、何をするにもそれだから、まるで独り相撲をしているような気分になってしまう。
そして我慢の限界は三ヶ月で訪れる。
「別れましょう」
「いいよ」
休日のカフェで切り出すと、あっさりと肯定の言葉が返ってくる。
いつもどおりの返事で、このカフェでいい? と聞いた時と全く同じトーンで返される。
そこまでわたしに興味が無かったのかと、悔しいくらいに思い知らされる。
「今野くんって」
「何?」
「わたしの事、好きじゃないの?」
持っていたカップをソーサーに置き、今野くんがわたしを見る。
じーっと見つめたかと思うと、ふいにすっと視線が逸らされる。
「好きじゃないは違う。嫌いじゃない」
「それは、わたしのことを好きになれないって事?」
「……どういう答を求めているか知らないけれど、僕があまり情熱的な人間ではないって知っていたと思うけど?」
「そうね」
悔しいけれどその通りだ。
今までの彼女たちに対しても、わたしに対しても、決して素っ気無いわけではないけれど強い愛情表現をする事なんてない。
好きだと言っても、笑みが返ってくるだけ。
決して朝まで一緒にいてくれることは無い。彼の家にすら呼んで貰えない。
自分でここまでという線を明確に持っていて、それ以上は決して踏み込ませようとはしない。
つまり、今野くんの世界には自分のエリアがあって、そこに入れるのは彼本人だけしかいない。
「荒木がどういう僕を期待していたのかわからないけれど、それで荒木が嫌ならば別れるしかないよね?」
「……そうね」
ぎゅっと下唇を噛み締める。
どうやっても届かない。踏み込ませてはくれない。
「どうしてみんな三ヶ月以内に別れるのか、その理由がよくわかったわ」
「そう」
悔し紛れに言った言葉にさえ、彼の心は動かない。
「明日からは普通に同期としてお付き合いさせて貰うわ。じゃあね」
「うん。また明日」
このまま今野くんといたら多分泣き喚いてしまう。
荷物を手に持って、お店の外へと向かう。
いつもデートの時は彼がお金を払ってくれる。別れたのに申し訳ないけれど、それに甘える事にした。
ここでお金の問答をする事さえ嫌だ。
もし必要なら明日会社で払えばいい。
今は彼と話したら、どんな言葉が飛び出してくるかわからない。
わたしなら、彼が好きになってくれると思っていたのに。
「加山さん。これなんですけれど、いいですか?」
背中合わせの席に座る今野くんは、今日も派遣の加山さんにパソコンを教わっている。
本当にパソコンに詳しいからだという事はわかっている。
けれどちくりと胸に痛みが刺す。
「加山さん」
何度そう呼ぶのだろう。
いつもよりも柔らかな声で呼ぶ名前。わたしに対するものよりもずっと柔らかくて優しい。
「ゆう」
石川さんが今野くんと一緒にパソコンで作業をしている加山さんを呼ぶ。
今野くんの表情が曇った。対する加山さんの表情は明るい。
「煙草いかね?」
「いいですよ。あの、今野さんは?」
「僕もご一緒してもいいですか?」
バチっと二人の男性の間で火花が散った。
ああ、そうか。今野くん、好きな人が出来たんだと、その瞬間悟ってしまった。
それから今野くんの様子を窺っていると、いつも加山さんを気にしているのがわかる。
時にはさりげなくボディタッチをしていたりもする。
加山さんの何が彼の心を捕らえたのだろう。
答えは永遠にわからない。