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Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
41/99

9:今とモト・3(SIDE:B)

「荒木」

 彼らしくもない低い声に、周囲の人間は驚きの表情を浮かべる。

 飲み会の席に相応しくない剣呑な雰囲気に、咄嗟に動いたのは呼ばれた荒木と声を掛けた今野の同期である寺内だった。

「ちょっと席外しますね」

 眼鏡の奥に柔和な笑みを浮かべて立ち上がると、寺内は二人の同期の肩を叩いて座敷を出るように促す。

 中の様子を不安そうに窺う今野の彼女である加山に「大丈夫ですよ」と声を掛け、寺内は座敷の扉を閉める。

 とりあえず飲み会の席からは遠ざかったほうが良さそうだ。

 咄嗟に店外にあるベンチを思い浮かべ、同期二人に「外出るぞ」とだけ声を掛けると、今野も荒木も同意して着いてくる。

 一体何があったんだかと寺内は頭の中で思い浮かべるが、お局に『可愛いりょーちゃん』と呼ばれ愛でられている今野があれほど不機嫌そうな表情を浮かべるような出来事が思いつかない。

 数十分前に彼女である加山を追いかけて買い物に出かけたが、そこで何かあったのだろうか。

 人当たりがよく、いつでもニコニコしている今野は、笑顔という仮面を外す事は無い。

 同期として付き合いも三年になるが、あのような顔を見たのは初めてだった。

 店外に出て、寺内と今野の二人は煙草に火をつける。

 そんな二人の様子を荒木はベンチで足を組んで見つめている。組んだ足の上に肘を乗せて、その胸元を強調させるかのようなポーズで。

 それが自分に向けられているというわけではないという事を良く知っている寺内は、荒木の胸元から目を逸らして今野を眺める。

 その横顔からは真意が読めない。

「何があったんだよ」

 結局ありきたりな問いかけを投げるしかないが、寺内は溜息交じりに今野に聞く。

 問われた今野は、じーっとベンチで微笑みを浮かべて座っている荒木にいつもどおりの『りょーちゃんスマイル』を向ける。が、目が笑ってはいない。声は依然として低く怒気を含んでいるようだ。

「余計な事言わないでくれる?」

「あーら。言われて困るようなことがあったのかしら?」

 二人の間では会話が成立しているらしい。仲裁役を買って出た寺内には全く状況が読めないが。

 くすくすっと鈴を転がすかのような笑い声を上げる荒木は、心底楽しそうにも見える。

 が、寺内にはそれが虚勢にしか見えない。

「今更昔の事穿り返して楽しい?」

 問いかけた今野に対し、荒木はにやりと表現するのが正しいような笑みを浮かべる。

「これで壊れるならいつもどおりでしょう?」

「彼女に余計な事言って引っ掻き回すのはこれっきりにして。言いたいことがあるなら僕に言ってくれる?」

「ふーん。そんなに大事?」

「大事。だから今度同じ事したら怒るよ」

「今だって怒ってるじゃなーい」

 くすくすっと笑った荒木に対し、今野はにっこりと笑みを返す。

 その笑みに、寺内は肝を冷やす。

 笑っているのに笑っていないというのは、まさにこの事だ。寺内の目から見ても明らかなほどに、今野の瞳には明らかな憤りを感じる。

「怒る価値も無い。忠告しといただけ」

 言い終わると今野は煙草を揉み消し、再び店内に戻っていく。

 張り詰めた糸が切れるかのように、荒木は大きく息を吐き出した。

 溜息とは少々異なる、ほっとするかのような。

 寺内は煙草を手に持ったまま、荒木の隣に腰を下ろす。

「何したんだよ」

「んー? ちょっと彼女に絡んだら怒らせちゃったみたい。でもまさかあの今野くんが怒るとは思ってもなかったわ」

 眉を寄せ、荒木が泣き笑いのような笑みを浮かべる。

 寺内は心の中で溜息を吐き出した。

 一年以上前に荒木と今野が付き合っていたことを寺内は知っている。そして何も無いような顔をしながらも、未だに荒木が今野を想っている事を。

 外見の派手さで誤解される事が多いが、荒木が案外不器用な性格だというのは、三年の付き合いで理解している。

「何やってんだか。そんな事したって意味無いだろ」

「わかってるわよー。わかってるけれど、ちょっと意地悪したくなっちゃったんだもの。しょうがないでしょ」

 片肘をついて店内を眺める荒木の横顔に、寺内は溜息を吐き出す。

 そんな寺内の溜息に気付かず、荒木はふっと自嘲するかのような笑みを浮かべる。

「何でかなあ。多分悔しかったんだと思うの。あんな顔、今まで見たこと無かったじゃない? 付き合っているっていうのを大っぴらにするような人じゃなかったのに、態度はあからさまだし。ま、後で彼女にはちゃんと謝るわ」

 苦いものを噛み締めるかのような表情を向けられた寺内は、ずり落ちた眼鏡を指で押し上げる。

「そうしとけ。変にイザコザを残したままだと仕事やりにくくなるからな」

「そうね。それはそうと寺内。今日は二次会キャンセルしといてね」

「……何でだよ」

 この展開には覚えがある。一年以上前に、同じパターンで朝まで付き合わされた記憶が脳裏に生々しく蘇る。

 酒が強いくせに、やたらと絡み酒になるのが荒木の悪癖。

 普段は外見に合わせるかのようにひた隠しにしているその本性は、今野の不機嫌そうな顔と同じくらい見ることは稀なものだ。

 が、過去に一度、寺内には経験がある。

「決まってるじゃない。や・け・ざ・け」

「ふざけんな」

 一蹴する寺内であったが、今晩も彼は朝まで付き合わされる事になる。

 同期愛はどこにいったの? と詰め寄られて断れない彼は、俗に言う「良い人」である。



 二次会も終わり、今野は三次会をキャンセルして彼女である優実の腕を握る。

「帰るよ」

 鹿島と桐野と石川と信田と輪になって話し込んでいた加山は「え?」と発するだけで、あたふたと周囲の様子を見る。

 慌てる彼女の様子など気に止める素振りもなく、鹿島と桐野は「おつかれさまー」と手を振ってくるので、優実も「お疲れ様です」と頭を下げる。

 半ば強制的に連れて行く様子を、同僚たちは微笑ましく見守っている。

 二人の関係を知る者たちの間では、今野が彼女にベタ惚れであるというのは周知の事実である。

 笑顔の仮面を被って他人とは一線を引く今野が変わった。恋は人を変えるもんだね、と周囲の者たちは笑う。

「あいつ。何であんなに仏頂面で帰ってったんだ?」

 煙草を吹かしながら石川が誰にともなく問いかける。

 はあっと溜息を吐き出したのは、石川の先輩にあたる信田とその彼女である鹿島沙紀。

 あんたのせいだよと心の中で悪態をついた沙紀は、彼氏である信田の顔を見上げる。教えてあげればとアイコンタクトをして。

 別に言わなくてもいいんじゃない? と信田がアイコンタクトを返したが、それに対して沙紀が首を横に振る。

「お前が加山さんの肩に手を置いたりしたからだろ」

「は?」

 間抜けすぎる石川の声に、桐野が苦笑を浮かべる。

「わからないんですか?」

「え。全然わかんないけど。桐野ちゃんはわかる?」

 問われた桐野が沙紀と信田を見ると、二人は「無理無理。わかってないわかってない」と口を揃える。

 その二人の様子に多少顔が険しくなったが、石川は変わらず桐野に問いかける。

「何で?」

「独占欲じゃないですか? 今日見てたらわかっちゃった。今野くん、すっごーく加山さんのこと見てるんだもん」

 くすくすっと笑い声を上げる桐野に、沙紀が「だよねー」と同調する。

「あいつが独占欲ねえ。来る者拒まず、去る者追わずで、そういうのとは無縁な奴だと思ってたけどな」

 吸っていた煙草を灰皿に押し付け、石川が頭を掻く。

「ゆうちゃんは今野くんの特別だからね。ざーんねーんでぇしたっ。石川さんっ」

 くすくすっと笑う沙紀のことを「こらっ」と信田が諌める。

 沙紀の言いたい事はわからなくはない。

「ま、いいんじゃね? ゆうが選んだんだから」

 そう苦笑を浮かべる石川の瞳の先には、手を引っ張られて歩く優実の後姿が映っている。


 駅に向かって歩いていくと、徐々に彼は歩くペースを落とし、優実の指と絡めるように手を握る。

「ちゃんと話をしよう」

 そういう彼に対し、優実がぴたりと足を止める。

 なし崩し的に諍いを収めた状態なままで、二人の間に十分な話し合いが足りていないと彼は思っている。

 そんな思いに気がついてか、彼女は自分よりも背の高い彼を見上げるようにして見つめ返す。

「外でがいい? それとも家?」

「家。なんか向かい合って話すのは違う気がする」

「そっか。じゃあうちでもいい? 家の下のコンビニで何かおつまみとかお酒とか買って帰ろう。ねえ、とりあえずこれは不味くない?」

 繋いだ手を持ち上げるようにして聞く彼女に対し、彼は苦笑を浮かべる。

 一部の二人の仲を知る人以外にバレないように行動する事。

 これが今の二人の不文律であるからだ。

 けれど彼は今この手を離すのが嫌だった。

「そうだね」

 曖昧に微笑む彼は、そのまま彼女の家まで手を離すことは無かった。

 彼女の家に着くと、二人はとりあえず交互にシャワーを浴びてルームウェアに着替える。

 とりあえず一呼吸おきたいと、双方共に思っていた。そうでなくては不用意な一言が飛び出してきてしまいそうで。

 先にシャワーを済ませた彼女が部屋のローテーブルに買ってきたものを広げてテレビを眺めている。

 その横に彼が座ると、強張っていた彼女の表情が和らぐ。

「おつかれさま」

 彼女の言葉に、彼の頬も緩む。

「お疲れ様でした」

「何で敬語なの?」

「なんとなく、かなあ」

 普段は敬語を使うなという彼が誤魔化すように曖昧に言うのが可笑しくって、彼女が笑い声を上げる。

 楽しそうに笑う彼女をぎゅっと腕の中に抱きしめて、彼ははーっと溜息を吐き出す。

「俺、結構ダメかも」

「何が?」

 なんのことだかさっぱりといった様子の彼女に対し、彼は苦笑を浮かべる。

「嫉妬深くて独占欲強くって、いっつもジタバタしてる」

「そう? 全然そんな事無い気がするんだけれどなあ」

「してるよ。優実が気付かないだけで」

 彼に見つめられて、彼女が視線を逸らす。

 でも所詮は腕の中。彼から逃げる事は出来ない。

「優実のがクールだよ。全然変わんない」

「……隠してるだけだもん」

 このまま甘ったるい雰囲気になりそうだったが、ふっと彼が腕を緩める。

 腕の中から解放すると、ふーっと溜息を吐き出し、彼はその心中のごくごく一部を吐露する。

 荒木が余計な事を言って彼女が自分を嫌いになったらどうしようかと思った、と。

 親しげに彼女の髪に触れていたライバルである先輩社員への嫉妬心は言わずに。

 すると今度は彼女が荒木と彼の関係を疑ってくるので、彼は一年以上前の数ヶ月だけ付き合いがあった事を話す。

 それに対しあからさまに表情を曇らせた彼女に対し、彼が言えるのはたった一つの事実だけ。

「今の俺には優実以外見えてない。好きだよ」

「うん」

 ぎゅっと彼の首に両腕を回して抱きつく彼女の背中をゆっくりと彼が撫でる。

 互いの胸にある不安を完全に解消する事が難しい事を知っている。

 どんなに違うと言われても、彼が嫉妬心を消せる事がないのと同じように、彼女の心の不安の置き火が消える事はないだろう。

 ただ、それを小さくすることは出来る。互いの気持ちを確認する事で。

 そうやって彼らはゆっくりと一つ一つ信頼関係を築いていく事でしか、不安を解消する術を持っていないのだから。

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