表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
38/99

6:キミを知る・3

 バレンタイン当日。

 稜也くんは取引先との打ち合わせがある為外出している。

 直帰だから先に帰ってていいからねと言われているので、定時に上がって自宅に帰る。

 出かける前にお局からチョコレートケーキのホールを差し出されていたけれど、あれ、どうなったんだろう。

 お局のケーキはともかくとして、沢山貰ってくるのかな。

 沙紀ちゃんがチョコを買いに行く時に一緒にチョコ買ったけれど、甘いものなんて見たくないくらい、きっと貰っているよね。

「はー」

 思いっきり溜息が漏れる。

 本当に少し前まで、全くこんな事思っても無かったのに、一体この気持ちはどこからやってきたんだろう。

 自分だけを見て欲しいとか、稜也くんが他の人を好きになったらどうしようっていう不安とか。

 独占欲。

 こんな日にと思うけれど、こんな日だからこそ、余計に感じるのかもしれない。


「ただいま」

 わたしの顔を見て、稜也くんがごく普通に言う。

「おかえり?」

 素直に言えなくて疑問形になったのを、稜也くんがくすっと笑う。

「腹減った。何か食べに行く?」

 玄関から上がった稜也くんがスーツを脱ぎながらクローゼットを開くので、その手首を掴む。

「……今日はっ。うちで、食べよう」

 声が裏返った。しまった。恥ずかしい。

 俯いたわたしの頭の上に、稜也くんの手が降ってくる。

「仕事だったのに作ってくれたんだ」

 声が裏返ったのを笑われるかなと恐る恐る顔をあげると、すっごく優しい目をした稜也くんと視線が合う。

「ありがとう」

「うん」

 頭に置かれた手が髪を撫でて後頭部を通り背中へと到達すると、ぎゅっと稜也くんの掌に力が篭る。

 その力の赴くままに稜也くんに体重を預けると、腕の中に閉じ込められる。

 ちゅっという音を立てておでこに落とされたキスに促されて顔をあげると、ふんわりと唇が重なる。

 柔らかくて啄ばむようなキスをして、稜也くんが腕の力を弱める。

「優実のご飯、楽しみだな。準備、時間掛かる?」

「焼いたりするから、ちょっと掛かるかな」

「楽しみに待ってるよ」

 そう言うと稜也くんはルームウェアを手にとって洗面所へと消えていく。

 思わずクローゼットの傍に置いてある稜也くんの仕事用の鞄に目線を落とす。

 チョコ、いっぱい貰ったのかな? あとお局のケーキはどうしたんだろう。


 シャワーから出てきた稜也くんがローテーブルに座ったのを見計らって、夕食のメニューをテーブルに並べる。

 サラダとシチューとハンバーグ。

 結局ありきたりなメニューになっちゃったけれど、それでも目の前に並べられたお皿を稜也くんが目を細めて見つめる。

「すごいね。仕事上がってからこれ全部作ったの?」

「シチューは市販のルー使ったり、サラダはちぎっただけだし、ハンバーグは捏ねただけだから」

 稜也くんは和食も好きだけれど、ランチによくから揚げとかハンバーグとかを選んでいるのを見てたから、きっとこういうの好きかなと思って作ってみたけれど、正解だったかな。

「それでも作ってくれた事が嬉しい。食べよっか」

「うん」

 小さなローテーブルに向かい合わせで座って食べ始める。

 味はどうだろう。美味しいかな。

 ついつい稜也くんの箸の動きに注目してしまって、自分が食べるどころではない。

「あれ?」

 ハンバーグを口に入れた稜也くんが不思議そうに顔をあげる。

「これ中に何か入ってる?」

「うん。チーズ。あれ? 普通は入れないものなのかな。うちの母がいつも入れてたから、ついつい入れちゃったんだけれど」

「加山家の家庭の味なんだ。美味しいよ。家でチーズインハンバーグって普通に作れるんだね」

「うん。ピザに乗せるとろけるチーズを中に入れてるの。あの、美味しいかな?」

「美味しいよ。だから優実も食べよ」

 稜也くんに促されて食べてみると、自分で思っていたよりもずっと美味しく出来ていた。

 ぱくぱくと食べてくれて、残ったら明日の朝ご飯にしようかなと思っていたハンバーグもシチューも稜也くんがおかわりして食べてくれた。

 細い体のどこにそんなに入るのだろうと思うくらいの勢いで、また作ろうって心の中のメモに書き記す。

 食事のお皿を片付けにシンクに持っていき、入れ替わりにボトルワインと沙紀ちゃんと一緒に買ったチョコを一緒に稜也くんの前に差し出す。

「飲む?」

 ピンクのラベルのスパークリングワインは、バレンタイン用のものらしく、ハートマークがあしらってある。

 チョコだってバレンタイン用のラッピングだから、見ればそれだとわかるだろう。

 改まってバレンタインのって渡すのは気恥ずかしいから、素っ気無く差し出したそれを、稜也くんは微笑みながら受け取る。

「おなかいっぱいだけれど、これは別腹だね。一緒に飲もう」

「うん、グラス取ってくるね」

「待ってて。俺が取ってくるよ」

 入れ替わりにキッチンへと行った稜也くんが、グラスと紙袋をもって戻ってくる。

 何だろう。あの紙袋。

 そう思ったら、中からゴロゴロと明らかにバレンタイン用のチョコレートだとわかるそれが出てくる。

「義理チョコ沢山貰ったから、優実にあげる。俺は優実のだけで他はいらないから」

 一担の派遣からってことで、きうちゃんと二人で一担の社員さんに配ったものも中には混ざっている。

 あと、一体誰にもらったんだろう。こんなに。

 ざっと見繕っても十個以上あるだろうと思うチョコを前に、くれそうな人を考えるけれど、本当に全部義理?

「まさか優実からチョコ貰えるなんて思ってなかった。いつ買いに行ってたの?」

「こないだ、沙紀ちゃんと」

「ああ。鹿島さんとお茶してから帰るって言ってたとき?」

「そう」

「全然気付かなかった。食べていい?」

「う。うん。どうぞ」

 嬉しそうにラッピングを開ける稜也くんとは対照的に、わたしは貰ったチョコのパッケージを開けることすら出来ずにいる。

 だってもしかしたら本当は本命が混ざってたりとかしない?

 稜也くんモテるし……。

 チョコのパッケージを眺めていると、稜也くんの指先が顎に触れる。

 あっと思った時には、口の中に甘いチョコの味が広がっていく。

 ちゅっと音を立てて離れた稜也くんが頬を撫でる。

「何難しい顔してるの」

「うーんと」

 言いたくないなあ。これ誰から貰ったの? とか。

 醜い嫉妬してるって気付かれたくないし。

「どれから食べようかなと思って」

 いい答えだと思ったのに、視線が泳ぐ。

 嘘だって丸わかりなくらいに。

「全部優実に上げたんだから、好きに食べたらいいよ。でもこんなに義理チョコ貰うと、お返しが面倒くさいね。今度買い物付き合ってくれる?」

「うん」

 微妙な気持ちを濁しながら頷くと、稜也くんがわたしのあげたチョコを一つ摘む。

「その代わりこっちはあげないから。これは全部俺の」

 子どもっぽい言い分に思わず笑みが漏れる。

「チョコなんて、食べたかったらいつでも買ってくるのに」

「そうじゃない。わかってないな。優実は」

「何を?」

「特別だって、思っても構わない?」

「……えっと?」

 言っている意味がイマイチ把握できなくて首を傾げると、昼間にきうちゃんと一緒に配ったチョコを目の前に差し出される。

「これとこれは同じ意味?」

「ううん」

「じゃあ今俺が食べてるのは、特別に俺だけにしかあげないんでしょ」

 真っ直ぐに見つめられて恥ずかしくなって視線を逸らすと、稜也くんが笑い声をあげる。

「あー。良かった。全く同じ意味で義理であげたって言われたら、俺、確実に死ねるとこだった」

「まさかっ。何でそんな事言うの? わたし、すっごく悩んだんだよ。何が良いかわからなくって」

 腕を引き寄せられて抱きしめられ、耳元に囁くような稜也くんの声が聞こえる。

「うん。わかってる。それでもさ、好きな娘からチョコ貰ったら舞い上がるんだって。それに多少不安だったし」

 思いかけない不安という単語に、稜也くんの胸元に埋めていた顔をあげる。

「どうして?」

 少し困ったような顔をして、稜也くんがわたしを見下ろす。

「俺が勢いで押し切った感があるから、優実が本当は俺のこと好きじゃないって思ってたらどうしようかなーとかさ」

「そんな事無いのに」

「うん。わかったからもういいんだ。ごめん。変なこと言って」

「ううん。不安なのは稜也くんだけじゃないよ。わたしだって不安だよ」

「そっか」

 そう言うと稜也くんがチュっとキスを唇に落とす。

「もう少し、好きってアピール必要?」

「どんな?」

「まー。それはありきたりな方法だよね」

 言葉を紡ぎながら重なった唇の振動に、どきっと胸が高鳴る。

 ふんわりと重なったそれは、息もつかせぬようなものになり、ぎゅっと稜也くんの背中を掴む。

「こういう事したいっていうのが優実だけだってわかって貰う為に」

 その真っ直ぐな視線に見据えられると、言葉なんて無くなってしまう。ただただ、彼の情熱に翻弄されるばかりで。



「りょーちゃーん」

 一担のミーティングが終わって席に戻ろうと歩いていると、稜也くんにお局から声が掛かる。

 うふふふふと笑い声をあげながら手に持っているのは、昨日差し出していたホールケーキ。

 たまたま稜也くんが立ち止まった場所がコピーブースの傍だったので、沙紀ちゃんが面白そうに目を輝かせている。

「これっ。私の気持ちっ」

 うふんと語尾につけ恥らう姿に、ある意味尊敬する。

 すごい。永遠の二十五歳。

 一緒に足を止めたきうちゃんと互いに顔を見合わせて、それから稜也くんとお局に目を戻す。

「今晩、これを一緒に食べない?」

 ぷぷっと石川さんがふきだし、信田さんが苦笑を浮かべたのが見え、沙紀ちゃんはおなかを抱えて笑い出すのを堪えている。

 再びきうちゃんに目を戻すと、唖然呆然といった表情で成り行きを見守っている。

 そんな中、稜也くんがどういう顔をしているのかは、背中しか見えないからわからない。

 営業課の室内は、しーんと音が途絶え、二人の成り行きに注目している。

「二人で食べるには大きすぎますね。折角なので担当のみんなと分けたほうが美味しく食べられると思いますよ。こんな立派なケーキを僕一人が頂くのは申し訳ないので」

「りょーちゃん。あのね、これは義理チョコじゃないの」

 上手く交わした稜也くんに対し、噛んで含めるかのようにお局が説き始める。

 こ、公然告白?

 今までもお局は恋心を隠していなかったし、暗黙の了解だったけれど、こんな会社の中でする!?

「特別な、気持ちが篭められているの。だから」

「ありがとうございます。そこまで日頃の業務を労って下さるなんて嬉しいです。折角なので丁度オヤツ時ですし、みんなで頂きませんか? 伊藤さん、いいでしょうか」

 お局の言葉を遮って、あくまでも義理チョコであるというスタンスの下で話を進めてしまう。

 どうやらお局の愛の告白はここで聞くことは無くなるらしい。

 押し切られた格好で曖昧に頷いた伊藤さんは、頭をかきながら苦笑する。

 真っ赤な顔のお局は、怒りからなのか恥ずかしさからなのか、その表情から伺うことが難しい。

「いつも美味しいケーキ、ありがとうございます」

 お局からケーキを受け取り、稜也くんは元いたミーティングスペースのほうへと足を進める。

 悔しそうな、けれど目がハートのお局は、再び腰をふりふり振りながら稜也くんの後に続いていく。

 これで、一件落着なのかな?

 相変わらず稜也くんはお局転がすの上手いなあ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ