4:キミを知る・1
付き合いだしてから初めての金曜日。
今日も変わらず、わたしたちはダーツバーでダーツを投げている。
稜也くんが構えている横で順番を待っていると、稜也くんに問いかけられる。
「明日、暇?」
答えるより先にダーツが的に刺さる。
相変わらず狙いは正確で、このゲームもわたしの負け必至かな。
けれど目先のゲームの勝敗のことよりも、稜也くんからの問いかけのほうに意識が向いてしまう。
一緒に飲もうよーと言う沙紀ちゃんのことを笑顔で稜也くんが振り切り、いつもどおりの金曜日。
どこか現実的ではない一週間の終わりを迎えたけれど、その現実とは思えない時間はまだまだ終わりそうにない。
「部屋の掃除とか、買い物とかしようかなと思っていたけれど特に用事は無いかな」
本当はこっそりバレンタインのプレゼントを探しに行こうと思っていたのだけれど。
それを口に出してしまったら、こっそりにはならないので黙っておく。
「なら良かった。デートしよう」
さらっと言った彼に、わたしだけがドギマギしてしまう。
どうしてこんなにドキドキさせられるのだろう。
何か特別な一言を言われたわけじゃないのに。
「うん」
そう答えるのが精一杯なわたしの髪を稜也くんが撫でる。
愛おしいと思っているのだと、その指先から伝わってくる。
これが外じゃなかったらキスの一つもされたのではないかと思うほどに甘くて優しい。
まるであのカクテルのように甘いから、自然と頬が緩んできてしまう。
緩んだ目元に、稜也くんの唇がほんの少しだけ掠めるように落ちてきて、あっと思う間もなく離れていく。
その唇を見つめてしまうと、稜也くんがくすりと笑う。
「このゲーム終わったら帰ろうか。今日は本当は帰してあげるつもりだったんだけれどな」
「え。今なんて言ったの?」
丁度有線で流れている曲のサビ部分で音が大きくなったのもあって、後半部分がよく聞き取れなかった。
くすりと笑った稜也くんが、耳元で囁く。
「これが終わったら帰ろう。今日はどっちの家がいい?」
至近距離で囁かれると、その声と息遣いにぞくりと肌が粟立つ。
身を捩って少しだけ稜也くんから離れると、にんまりと稜也くんが笑う。
「明日、待ち合わせデートのほうがいい? それとも一緒に出かけるほうがいい?」
意地悪な笑みを浮かべた稜也くんは完全にわたしの反応で楽しんでいる。
恥ずかしくってどっちがいいとか言えないよ。
待ち合わせは待ち合わせでドキドキするし、でも一緒に出かけるっていうのは、その、毎日会社行く時と同じで、どちらかの家に泊まってって事でしょ。
一緒にいたい気持ちはあるけれど、ただ一緒にいるだけじゃ稜也くんは済ませてくれないし。
「……稜也くんは、どっちがいいの?」
答えに窮して問いかけると、くしゃりと髪を撫でられ、稜也くんがわたしから視線を外す。
「どっちでも」
言ってからダーツを投げ、見事に高得点の場所に当たったダーツの矢を引き抜いて戻ってくる。
「はい」
手の中にはダーツの矢。
わたしに決めろっていう事なのかな。
ダーツの矢と、稜也くんの顔を交互に見つめる。やっぱりわたしの答を待っているみたいだ。
テーブルに載ったカクテルを手に取って飲むと、稜也くんも同じようにカクテルを手に取り、残り半分になっていたそれを一気に飲み干す。
カクテルの度数とかよくわからないけれど、でもそれなりに強いんじゃ……。
「大丈夫?」
問いかけには首を横に振るだけ。
本当にわたしが決めないといけないらしい。
覚悟を決めて、ぐいっと稜也くんがしたみたいにカクテルを飲み干す。
ロンググラスのカクテルだから、そんなに強いものじゃない。
ダーツを的に向かって投げる。けれど稜也くんみたいに上手くは投げられず、かろうじて点数が入ったって感じ。
その矢を取りにいかず、横に立つ稜也くんを見上げる。
何も言わないでわたしを見つめたままで、その視線に緊張してしまう。
「あの……」
「ん?」
すごく優しい声に、少しだけ緊張がほぐれる。
「着替えとか、色々困るから」
「うん」
苦笑するかのような笑みを浮かべる稜也くんに手を伸ばして、そのスーツを握る。
「けど」
「けど?」
緊張でばくばくと耳元で大きな音がして、恥ずかしさで俯いてしまう。でも、言わなきゃ。
「もう、帰っちゃうの?」
意を決した問いかけに稜也くんが破顔する。
「一緒にいたい?」
「いたい」
聞き返された問いに即答すると、スーツを掴んでいた手を握られる。
「俺も一緒にいたいよ」
ポンっと頭を一度軽く撫でられたかと思うと、稜也くんがダーツの矢を取りに行く。
「このゲームだけは終わらせようか」
「うん」
そして今日もまたなし崩しでずっと一緒にいることになるなんて、その時には思いもしなかった。
けれど心のどこかでそれを望んでいたのかもしれない。
翌朝、わたしの部屋のベッドで目覚めた稜也くんは、軽い朝食を済ませると自宅へと帰っていった。
待ち合わせの時間と場所を言い残して。
稜也くんがいなくなった自宅は、なんだかものすごく広く感じる。
先週の今頃は一人でいた部屋の中なのに、どうしてそんな風に感じるのだろう。
稜也くんが入れてくれて、もう冷めてしまったコーヒーを飲みながらテレビの電源をつける。
普段の週末ならばまだ寝ている時間。
いつも金曜日はレンタルDVDを借りてきて、何となく夜更かしするのが習慣だった。
そして寝坊する土曜日。
なんとなく部屋の片付けだとか溜まった洗濯だとかして、借りてきたDVD見て適当にご飯食べて。気が付いたら夕方になって。
それに何も不満なんてなかった。
だけれど、そんな日常がどこか物足りなく感じる。
テレビの電源を消して、コーヒーカップを手にとってシンクへと向かう。
何かしてないと落ち着かない。
ワクワクするような、ドキドキが持続していて。
食器洗って、洗濯して、シャワーして。
指定された時間までは結構あるようで、微妙に足りない気がする。
何からやろうかとキッチンに目を向けると、そこに稜也くんが使ったマグカップと二人で食べた朝食の食器が置かれている。
すっごくキャーって叫びたい気分になったけれど、口を押さえて我慢する。そのまましゃがみ込んで、急に込み上げてきた恥ずかしさに一人悶える。
どこか気持ちがフワフワとして落ち着かない。
部屋の中を見渡せば、ありとあらゆるところに稜也くんの痕跡が残っている。
稜也くん用の新しく買ったルームウェアや、彼が持ち込んだ会社用のYシャツ。
洗面所には髭剃りやハブラシがあるし、シンクには今までには無かった彼用のカトラリー。
「夢じゃないんだ」
毎日ずっと一緒にいたんだから当たり前だけれど、本当にわたし、稜也くんと付き合ってるんだ。
傍にいないと一気に現実感が無くなるけど、急にはっきり意識してしまって、頬が熱くなる。
鏡の中の自分を覗くと、真っ赤な茹蛸みたいな顔をしている。
よくよく見たら前髪には寝癖がついているし、顔はすっぴんのまま。
こんな醜態を晒しているのかと思ったら、なんだかどうしようもなく居たたまれない気持ちになってくる。
「あ」
鏡の向こうの自分を見て、どきっと胸が鳴る。
普段髪の毛を下ろしていて気が付かない首筋に、赤い痕。
寝起きで食事を作るのに邪魔だからと髪をまとめていたからあらわになっているけれど、今まで全然気が付かなかった。
いつこんなの付けたんだろう。
彼のいた痕跡を自分の指でなぞり、鏡から視線を逸らす。
「デートの準備しなきゃ」
口に出してみて、自分のクローゼットに絶望した。
デートに着ていくような服が無い。




