挿話:隣の席の恋人(SIDE:B)
加山さん改めゆうちゃんと今野くんが付き合いだしたのは、一昨日のこと。
昨日はゆうちゃんが会社を二日酔いでお休みして(本当に二日酔いなのか怪しんでいたけれど、本当だったみたい)今野くんは午前半休。
二人が揃った今日。
もー。聞かずにはいられないでしょっ。
酔いつぶれて寝ちゃったゆうちゃんを起こし、今野くんに引き合わせてあげたんだから、ナイスアシストって褒めて欲しいわっ。
二人を置いて居酒屋から出てきて、ほんのちょっぴり(あの草食系の今野くんでも好きな相手を前にしたら何するかわからないという)不安があったけれど、上手くまとまって満面の笑みで帰っていったけどさー。
結局どうなの? みたいな。
で、聞いちゃった。お茶にも誘っちゃった。ダーリン巻き込んで晩御飯まで一緒に食べちゃった。
へへへ。
もともとゆうちゃんとはもっと仲良くなりたいなーと思ってたんだよね。
けど、彼女ガードが固くて、なかなか打ち解けてくれなかったから。
でもねー。気付いちゃったんだ。
午前中今野くんの話をしている時だけ、彼女のガードが緩くなるってこと。いつもの鬼っぷりがどこへいったのやら。
ほーんと、別人みたいに可愛いんだ。
石川さんには悪いけど、ゆうちゃんが今野くんといる事を望むなら、味方になってあげたいなーなんて思ったんだ。おかしいかな?
「いいえ。そんな事は無いですよ」
あたしの話を聞いていた今野くんが、にっこりといつもどおりの笑みを浮かべて同意してくれた。
ゆうちゃんはトイレに行っていて席を外している。
ダーリンは煙草を買いに行って席を外している。
だからここぞとばかりに、突っ込んだ話を聞いてみようかなーなんて。
「今野くんはさ、今まで結構色んな人と付き合ってたと思うんだけれど、どうしてゆうちゃんなの?」
「というと?」
「今まで付き合ってた人とゆうちゃん。何が違うのかなーと思って。あっ。言いたくなかったら言わなくていいよ」
お酒の勢いで切り出したとはいえ一瞬にして今野くんの表情が曇ったから、咄嗟に誤魔化しの言葉を口にする。
やっぱツッコミすぎたかー。
「……よくわかりません」
しばらく考えた後にぽつりと今野くんが呟く。
「どうして彼女なのかわかりません。ただ可愛いからとしか言いようが無いです」
「可愛い?」
「はい。誰にも同意してもらえないと思うんですけれどね。何せ阿吽で鬼ですから」
苦笑交じりに告げた今野くんは、照れたような顔で煙草に火をつける。
少し落ち着こうとしているのかもしれない。
「確かにねー。恐れている人のが多いかもね。別に怖くないんだけれどね、ゆうちゃんって」
「と思うんですけれどね。ただ仕事中は能面に近いですからね」
「そうだねー。眉間に皺寄ってるか、真顔かのどっちかだもんね」
二人で同意の頷きを繰り返す。
ふと今野くんと視線がぶつかって、あたしの頬が彼の笑みにつられて緩む。
「でも今野くんには可愛く見えるんでしょ?」
「まあ、でもこれに関しては誰にも同意してもらおうとは思ってませんけれどね」
いたずらっ子みたいな顔で笑みを浮かべる彼は、とんとんと煙草の灰を灰皿に落とす。
「ただ石川さんはどう思っているんでしょうね」
ふいに洩らされた本音に、ふーっと溜息を吐き出す。
今野くんに取られちゃっていいの? って確かに聞いたよ、昨日。けど、あの人はぐらかしたのよっ。思いっきり。
もしかしたらダーリンは何か知ってるかも知れないけど、あたしはなーんにも知らないわ。
一体どうするつもりなんでしょうねぇ。
「まあ、ゆうちゃんに気があったのは間違いないと思うけど。今後どうするつもりなのかはわかんないなあ」
知る限りの情報を出すと、今野くんがはーっと溜息を吐き出す。
「このまま諦めてくれないかな」
ぼそっと呟いた一言は、確実にあたしの耳を掠めた。
あの「とっかえひっかえ」だった今野くんがねえ。
告白されれば断らず、常に誰かと付き合っていた今野くん。かといって誰とも長く付き合うわけじゃない。
同僚。派遣。営業先。はたまた道端でナンパされた相手まで。
とにかく女出入りの激しかった今野くんの何をゆうちゃんが変えたんだろう。
笑顔が崩れたりする事が無かったのに。
彼のペースが乱される事なんて無かったのに。
「今野くん」
「はい」
「ゆうちゃんを泣かせないって約束してくれるんだったら、あたし、今野くんの味方になるよ」
あたしの言葉の真意を探ろうとするかのように、今野くんが目を細める。
「石川さんの味方にはならない。石川さんはみんな泣かせるから」
「みんな?」
「うん。みんな」
響さんも、あたしも、桐野ちゃんも、それから他の沢山の人たちを。
苦しまなくてもいい人さえも巻き込んで泣かせた。
あの真面目で人の良いゆうちゃんを、そんな目には合わせたくない。
それに桐野ちゃんに思わせぶりな態度をずーっとしておいて、今更ゆうちゃんになんて許せない。
言わなかった名前を聞こうとはせず、今野くんは微笑んだ。
「じゃあ味方になってくださいね。そうしてもらえると僕も助かります」
いつもどおりのりょーちゃんスマイルのまま目が逸らされ、その視線の先の人物を捕らえると、彼の目はもっとずっと柔らかなものに変わった。
作られた笑みじゃなくて、本当に心から微笑むような。慈しむような。
その笑みを向けられたゆうちゃんもまた、普段は見せないような笑みを見せる。
「大丈夫? 二日酔い明けで飲んで気持ち悪くなってない?」
「大丈夫ですよ。心配しすぎです」
「です?」
「……えっと。外で他の人がいる時くらい勘弁してくださいっ」
顔を真っ赤にして抗議するゆうちゃんを、嬉しそうな顔で今野くんが見ている。
こんな二人を見ることは会社ではありえない。
けど、これが本当の二人の姿なんだなー。
それを引き出せるのはお互いだけなんだ。そういうのってなんかいいなー。
「というわけでね。ラブラブなんだよ」
帰り道ダーリンに話すと、ダーリンは「そうなんだ」と笑った。
「石川には悪いけど、俺の勘だと、あの二人そう簡単には別れないと思うよ。今野のほうがベタ惚れでしょう」
くすくすっと笑ったあたしの髪をダーリンが撫でていく。
「俺は沙紀にベタ惚れだけどね」
突然の愛の告白にあたしの頬が一気に温度を上げる。
「ちょっ。いきなり何を言い出すのよっ」
「たまには言っておこうかなと思ってね。俺にとっては沙紀が世界で一番可愛いよ」
「……何か企んでる?」
「企んでないよ。沙紀がそう言って欲しそうだから言っただけ」
もうっ。どうしてそういうのわかっちゃうんだろう。
ちょっとだけ、ゆうちゃんが羨ましいとか思ったけどさっ。あんな風に想われるのっていいなーとか。
「もー。締めのラーメン食べたいんでしょっ。」
「いや。どうせ食べるなら、さ……」
ダーリンの顎にアッパーをかまして口を封じた。
幾ら夜だからといっても、こんな外で言って良いことと悪いことがあるでしょっ。
真っ赤な顔でぷりぷり怒るあたしの手を握り、ダーリンはもう片方の手で顎を撫でる。
「沙紀ちゃん。女の子がアッパーはどうかと思うんだけれど?」
「日頃鍛えてるけど、手加減はしたっ」
くすくすっと笑って、それからダーリンはあたしの顎をちょんっと指で押した。
「照れ隠しなのはわかってるけど、痛かったよ」
「ごめんなさい」
ぽんぽんっとダーリンの手が頭を頭を撫でていくから、ああ許してくれたんだと思った。
「こんな粗忽者でも嫌いにならないでね」
「ひねくれ者め」
「うん。こんなあたしが好きなんでしょ」
ふっと笑みを浮かべてダーリンはくしゃくしゃっとあたしの頭を撫で回した。
少々乱暴なその仕草で髪の毛は乱れまくる。
けど、それがダーリンなりの愛情表現だという事を知っているから、あたしは嬉しくて嬉しくて堪らなくなった。
で、その後どうなったかって?
そんなの内緒に決まってるでしょっ!




