2:隣の席の恋人・2
電話当番だったお昼休みが終わり、担当のみんなが帰ってくるのと同時にポンっと肩を叩かれる。
振り返ると石川さんが立っている。
「昼飯、行こうぜ」
断る理由は無いのだけれど、隣に座る稜也くんの指先が一瞬止まったのが視界に入る。
んーっと。
ちらっと視線を稜也くんに向けるけれど、興味ありませんって顔でパソコンにパスワードを入力している。
「別にいいですけれど、どこ行くんですか?」
「食えれば何でも良い」
「……わかりました。パソコンロック掛けてから出るんで、先に行ってて下さい」
「おー」
石川さんが去っていった後、パソコンに向かっていた稜也くんに視線を送る。
いつもと変わらない横顔なんだけれど……でも微妙に不機嫌そうな。
「外、雨降ってましたから、傘持って出たほうがいいですよ」
にっこりといつもと同じ「可愛いりょーちゃんスマイル」で言われるのだけれど、妙に背筋がぞくぞくする。
とりあえず気のせいということにしておこう、かな。
「ありがとうございます。じゃあお昼行ってきます」
「いってらっしゃい」
笑顔が、笑顔が怖い。どうしてだろう。
廊下に出ると石川さんがエレベーターホールの前で待っている。
「お待たせしました。雨が降っているみたいですよ」
「あー。そうか。じゃあ近くにしとくか」
「はい」
でも石川さんは傘を持っていないのだけれど、どうするのだろう。
自社ビルを出ると、霧雨が降っている。
もうすぐ春になるけれど、まだ肌寒い時期。
「石川さん、傘は?」
「雨、避けてくから必要ない」
「忍者ですか?」
問いかけるとくくくっと石川さんが笑みを零す。そしてポンポンっと頭を撫でられる。
笑いを堪えきれないといった様子の石川さんは片手で口元を押さえ、肩を震わせている。
「忍者でも避けられねえよ」
じゃあ何で避けてくなんて言ったんですか。
「傘入れて」
「避けるんじゃないんですか?」
「避けられるか、バーカ」
じゃあさっきなんで避けるって言ったんですか。
でも雨に濡れて風邪をひかれても困るので、すぐそばの徒歩2分くらいにあるお店まで傘に入れてあげることにする。
あまり大きくない傘を持ってくれて肩を並べて歩いていき、あっという間にお店まで辿り着く。
夜は居酒屋。昼は定食屋というお店で、味はそこそこいい。
向かい合って座って食事を注文すると、石川さんはにやりと笑ってわたしを見る。
「お前、いつから今野と付き合い始めたの?」
一昨日からです……と素直に言っていいのかどうか。
酔っ払ってたとはいえ、あんなところを見られてしまい、尚且つ昨日は二日酔いという口実で休んでしまい、なんだかとっても居たたまれない。
それに鹿島さんが「石川さんは加山さん狙い」なんていうから、妙に意識してしまう。
「全然そんな素振り見せてなかったからビックリしたよ」
はははっと乾いた笑みを浮かべると、石川さんが目を細める。
「まじで、びっくりした」
同じ言葉を二回繰り返す石川さんに、思わず「すみません」と謝ってしまう。
でもわたしの中でもビックリな展開だったんです。
そう言おうかと思ったけれど止める。
午前中に鹿島さんにあれこれ聞かれたときも恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかったのに、あれこれ詳細を喋るなんて絶対出来ない。
「で、どっちから?」
「どっちからと言うのは」
「どっちが告ったんだよ」
「……どっちだろう。今野さんかな、わたしかな」
ぷっと石川さんが吹き出す。
「どっちだよ。雰囲気に流されて何となくか?」
「いえいえいえ。違いますよ。そんなんじゃないです」
「ふーん」
何か納得いかないという表情の石川さんだけれど、食事が運ばれてきたので一端そこで会話が途切れる。
本日のおすすめ定食Aを食べながら、一昨日の事を思い出す。
最初にキスしてきたのは稜也くんだけれど、お付き合いするキッカケになる好きを言ったのはわたしで。
ああ、でもどうなんだろう。ちゃんと付き合ってくださいとか言ってないけれど。
そういうの稜也くんは気にするタイプかな。ちゃんと言ったほうがいいのかな。それとも今更かな。あんなこともしたんだし。
思い出し、頬が一気に紅潮する。
真昼間に思い出すような事じゃないーっ。何で思い出すのよ、ばかばかばかっ。
頬がほてるので、思わず両手で頬を挟む。
少し冷たい指先が、頬の熱を取り去ってくれるような気がする。
「お前、挙動不審」
「はっ。す、すみませんっ」
石川さんに指摘され、慌てて取り繕うものの、余計に頬は熱を上げるばかり。
脳内透けて見えてるんじゃないかってくらい恥ずかしいっ。
白ーい目を向ける石川さんが、ふうっと溜息を吐き出す。
「酒も入ってないのに、ゆうがおかしい」
「え? あ。はい。すみません」
「別に謝んなくてもいいし。っていうか、何考えてそんな面白い顔してんの?」
稜也くんとの色々を……。
いや、無理無理。それは言えないって。
「色々です。色々」
「今野のことー?」
語尾を上げてにやりと笑う石川さんは、わたしの脳内を見透かしているのだろうか。
「ちっちっ。違いますっ。りょ、りょー。じゃなかった、今野さんの事じゃないですってば」
「ふーん。まあいいや」
慌てるわたしのことなど気にせず、石川さんは黙々と口に食べ物を放り込んでいく。
何にも突っ込みもいれずに冷静に食事されると、わたしだけが変な人みたいじゃないですか、石川さん。
けど、実際変な人っぽかったししょうがないか。
結論付けて、ぱくりと定食の魚を口に入れる。
石川さんはそれ以上稜也くんとの事を口にしなかったので、そこからは落ち着いて食事が出来た。
ランチを終えて会社に戻り、お化粧直しをして、まだちょっと時間があったので鞄を持ったまま喫煙所に向かう。
廊下を歩きながら、見るかわからないけれど稜也くんにメールを送る。
一緒に煙草吸いませんか? と。
何となくなんだけれど、そうしたほうが良い気がして。
煙草に火をつけずにぼーっと外を眺めていると、ぽんっと肩を叩かれる。
「お疲れ様です」
「おつかれさまです」
声が重なって、どちらとも無く笑みが漏れる。
「何食べてきたんですか」
問われてさっきいった居酒屋兼定食屋さんの名前を挙げる。
「ああ。僕もお昼それでした」
「すごいっ。偶然とはいえ奇遇ですね」
「ですね」
二人でいる時には敬語を使わないっていうルールだけれど、会社で話しているこの感じがまだまだ落ち着く。
心の中では稜也くんって呼べても、本人前にして呼びかけるのはまだ慣れないし、敬語を使わずに話をするのも慣れない。
だから何という事のないこんな遣り取りでさえ、どこかしっくりくる自分がいる。
「優実」
急にそう呼ばれて、ぼっと頬が熱くなる。でも稜也くんはにっこりといつもどおりの笑みを浮かべている。
「今日残業1時間の予定なんだけれど、待っててくれる?」
「はい」
「はい?」
「あっ。えっと、待ってます。じゃない、待ってるから一緒に帰ろう。あ、でも……」
「どうしたの?」
午前中に鹿島さんに帰りにお茶して帰ろうと誘われていたのを思い出す。
きっと根掘り葉掘り聞かれるのだろうけれど。
「鹿島さんが帰りにお茶していこうって」
「そうなんだ。お茶してきたら? 場所メールくれたら、仕事終わったら迎えに行くよ」
「うんっ」
もしもお茶なんてしないで待ってろって言われたらどうしようと思っちゃった。
前の彼氏みたいに、ああするな、こうしろとかって稜也くんは言わない。
わかってるけど、もし何か稜也くんの意志にそぐわないことをして嫌われたらどうしようかとか、お茶なんて行くなとか言われたらどうしようとか考えてた。
だからあっさり行ってきたらと言われて、ほっとする。
「優実は本当に可愛いね」
稜也くんが殺し文句のような言葉をさらっと言い、わたしの頬は一気に朱色に変わっていった。




