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Papagena  作者: 来生尚
続編:Long Island Iced Tea
32/99

1:隣の席の恋人・1

 まだ薄暗い部屋。

 寝返りを打とうとして、いつもより狭いスペースで縮こまるようにして眠っていたことに気が付く。

 体に回された腕をそっと外してベッドから降りようとすると、外したはずの腕が腰に回って引き寄せる。

 そうだ。昨日稜也くんが泊まっていったんだ。

「おはよう」

「おはようございます」

「……ございます?」

「おはよう」

 寝起きでも容赦の無い稜也くんは言いなおした挨拶を聞くとにこっと微笑む。

 それがいつもの「可愛いりょーちゃんスマイル」とは違う、ふにゃって崩れるような天真爛漫な笑みで、思わずつられて頬が緩む。

「ダメ。可愛すぎる」

 まるで心の声が聞こえたかのようなタイミングで稜也くんが呟き、ぐいっと腕を引っ張られて再び布団の中に引き込まれる。

「起きないの?」

 問い掛けは彼の唇に飲み込まれていく。

 ちゅっと音を立ててキスをしたかと思うと、稜也くんがにっこり微笑む。

「まだ起きなくても大丈夫だよね?」

 外はまだ薄暗く、さっきみた時計の時間も普段起きる時間よりはずっと早い時間だった。

 でも一応確認を……。

 そう思って目覚ましがわりの携帯を取ろうと手を伸ばすと、ぎゅっと伸ばした手を握り締められる。

 どうして? と思って見上げた顔は、明らかにブラックなほうの笑顔だった。

「早起きは三文の徳って言いますよね、加山さん」

 ほんの一日二日のことでわかったけれど、敬語を使うなっていう稜也くん本人が敬語で話し出した時には何か企んでいる。

 一体何を企んでいるのかはさっぱりわからないけれど。

「……ことわざ?」

「得をするのは俺なんですけれど」

 間抜けな問いには聞く耳を持ってくれない稜也くんの吐息が耳に掛かり、首筋に唇が降りてくる。

 首筋にキスを落とし、服の中に入り込んだ手の動きに、彼の意図がわかった。

 慌てて制止に掛かるものの、無駄な抵抗といわんばかりに繋がっている片方の手が握り締められる。

「ねえ、かいしゃっ」

「行きますよ」

 事も無げに言ったかと思うと、稜也くんに唇を塞がれる。

 柔らかに啄ばみながらキスを繰り返す合間に囁かれる。

「朝から可愛いからいけないんです」

 身を捩ってみたりして抵抗してみたものの、だんだんと心も体も解きほぐされていき、彼の意図は完遂された。



 稜也くんが作ってくれたサンドイッチを頬張りながら気だるさとまだ引かない痛みと戦っていると、コーヒーを飲んでいる稜也くんの手が髪を撫でる。

「つらい?」

「……ちょっと」

「ごめんね。つい我慢出来なくて」

 可愛く言ったってダメです。

 そういう気持ちを込めて見つめたのに、何故か稜也くんは嬉しそうな顔をする。

「本当に可愛いよね、優実は」

「そんな事言うのは稜也くんだけですよ。大体会社でわたしがなんて呼ばれてるか知ってます?」

「阿吽でしょ。それより敬語」

 さらっと流してくれてもいいのに、指摘する事は忘れないみたい。

 あんまり器用なほうじゃないから敬語で普段も話していたほうがボロが出ないと思うんだけれど、それは許して貰えないらしい。

「それだけじゃないでしょ、仕事の鬼とかって言われてるし」

「まあそう思わせとけば? そのほうが何かと好都合だし」

「好都合?」

「そ。それより仕度遅くなるよ」

 慌てて時計を見ると、いつも乗る電車の二十分前になっている。

 駅までは徒歩五分だからまだ十分に時間があるのだけれど、お皿洗ったりお化粧したり色々しないといけないからギリギリ間に合うかどうかってところかも。

「ごちそうさまでした」

 サンドイッチの最後の一口を口に放り込んで、ブラウスの袖を捲くって食器をシンクに出す。

 蛇口から出てくる水がお湯に変わるのを待っていると、ポンっと稜也くんに肩を叩かれる。

「こっちやっておくから、仕度しておいで」

「いいの?」

「俺は準備終わってるから」

 言うのと同時に袖を捲くって、わたしの手からスポンジを取り上げる。

 なんてことない仕草なんだけれど、なんかカッコイイ……。

「優実?」

「お願いします」

 ああっ敬語っ。と思ったけれど、くすりと笑みを洩らしただけで稜也くんは特に突っ込みを入れてこなかった。

 仕度を終えて駅まで手を繋いで歩いていく。

 恥ずかしいからと断ったのだけれど、稜也くんは手を離してはくれない。

「会社でどんな顔すればいいんだろう」

 一昨日の飲み会で酔いつぶれ稜也くんに介抱されるという場面を晒し、更には彼女宣言され、しかも昨日は二日酔いで休み。

 昨日も散々「普通にしてればいいよ」と稜也くんに言われたものの、いざ会社に行くとなると心臓が妙にばくばくする。

 派遣初日に派遣先に行く、あのドキドキとどこか似ている。

「そういう時こそ、阿吽の像のいわれを発揮しとかないと」

 笑い混じりに言う稜也くんのことを「もうっ」と言いながら軽く叩く。

 痛くも無いはずなのに「いてっ」と声を上げたりして、その後もまるでじゃれあいのように色々話しているとどんどん気持ちが軽くなっていく。

 なるようにしかならない。そう思えるほどに。

 駅に着くと、稜也くんは繋いでいた手を離して、少し距離を置いて歩くようになる。

 これが二人の間で決めたルール。

 会社の人には極力わたしたちの関係を気付かれないようにすること。対お局対策として。

 どこから情報が漏れるかわからないから、一昨日の飲み会にいた人たち以外には内緒にしておこうって事になった。

 今でさえ苛烈なお局佐久間のイビリなのに、これが「可愛いりょーちゃん」と付き合い始めたのだとバレたら、一体どんな修羅場が訪れるのか、想像するだけでもうんざりする。

「じゃあまた後で」

 ホームに上がる階段の手前で稜也くんがそう告げる。

 一緒に行けるのはここまで。

 ほんの少し淋しいけれど、これで穏やかに過ごせるならばそれでいい。

 それに会社に着けば、またすぐ隣にいられるのだもの。

「うん。またあとで」

 稜也くんに手を振って、反対側の階段を上っていく。

 なんだろう。急に寒くなったような気がする。ホームに出て風が直接当たるようになったから?

 ううん、そうじゃないんだ。稜也くんが隣にいないからだ。

 恋人になってからまだたったの二日しか経っていないのに、一緒にいるのが当たり前でいないと淋しいなんて思うんだ。

 自分の意外な心境の変化に驚きながら電車に乗り込んだ。


「おはようございます」

 ロッカーにコートを置いたりしてきてから営業課の部屋に入ると、当然稜也くんは既に出勤済みだ。

 白々しいかなと思いつつも挨拶すると、にっこりとりょーちゃんスマイルが返ってくる。

「おはようございます、加山さん。もう体調はいいんですか?」

「はい、もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」

 会話をしながら鞄を机の下に置き、パソコンの電源を入れる。

 起動音を待ちながら、机の上に置かれた資料に目を通す。

 伊藤さんが置いたらしくて、本社からの資料を営業用資料に作り直したいから手直しをして欲しいという付箋紙が貼ってある。

 これは基本的には今まできうちゃんの仕事だったはずなのに。

 まだ出勤していないもう一人の第一営業担当、通称一担の派遣のきうちゃんこと木内さんの業務内容を思い起こす。

 今、何か急ぎで資料作成とか入っていて手が回らないのかな。

 首を捻りながら、赤ペンで色々修正の入っている資料を捲っていく。

 これ、元データってあるのかな。もしあれば伊藤さんがメールで送ってくれているかも。

 社員コードとパスワードを入力してログインしてメールソフトを立ち上げる。

 さらっと見たところ、伊藤さんからデータ付きのメールは来ていない。

 一担のサーバのほうかな。

 ネットワークから一担のサーバを呼び出し、共用ファイルを入れてあるフォルダや、伊藤さんのフォルダを見てみる。

 うーん、やっぱり入ってないか。

 昨日休んでしまった事のお詫びもしなくてはいけないから、そのついでにこの資料の事も聞いてこよう。

 資料を持って立ち上がり、既に仕事を始めていた伊藤さんに声を掛ける。

「昨日はすみませんでした」

「いいよいいよ。色々あったからね。ああ、それよりその資料なんだけれど」

 あっさりと仕事モードになってしまい、どんな顔をしたらと悩んでいたのが嘘のよう。

 伊藤さんとの遣り取りを見ながら、稜也くんがこっそり笑いを堪えていたというのは帰ってから教えて貰った。

 全然いつもどおりの見事な仕事の鬼っぷりだったよ、と。

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