3:懇親会
「加山さん飲み物ビールでいい?」
「はい。大丈夫です」
派遣されてから一月半が経ったその日は営業課の懇親会が行われる。
同じ担当の木内さんに確認したところ、行っても行かなくてもどちらでも大丈夫だよと言われたけれど、懇親会の幹事の社員さんたちに「歓迎会もしていないのでぜひ」と言われてしまえば断る事も出来ない。
木内さんは不参加。この場で話すことが出来る程度に知っている人は伊藤さんと今野さんくらいしかいない。
一担の他の人たちとはあまり話す機会がないので、この機会に少しは仲良くなれたらいいなと思う。あと出来たら他の担当の派遣さんとも。
業務上は特に困る事はないのだけれども、やはり話し相手がいないランチは寂しいし、ロッカーで他の人たちが楽しそうにしていると疎外感を感じたりもする。
半年で契約満了で延長は無いかもしれないけれど、それでも少しは周囲と馴染んでいけたらいいなと思う。
多分気を使って隣に座ってくれた今野さんは、若手ということもありせっせと周囲の世話を焼いている。
飲み物を配ったり、おしぼりが足りないところに回したり、店員さんに声を掛けたり。
つまりは入り口に一番近いところを今野さんが陣取っていて、その隣に私が座っているという感じ。だから必然的に今野さんのお手伝いをしてお酒を奥に座る人に手渡したりしている。
しばらくすると全員にお酒もしくは烏龍茶が行き渡り、課長の乾杯の音頭で飲み会が始まる。
ゴツっとジョッキとジョッキをぶつけ合い、みんな一気にお酒を飲んでいく。その姿はいつ見ても圧巻だ。
ちょこっとだけ口をつけ、周囲に座る人たちにおつまみを取り分けていく。
「加山さんって気が利きますね」
「そうですか? 慣れですよ、きっと」
今野さんに褒められたのがくすぐったく、でも嬉しいと表現するのは憚られるのでごまかし笑いを浮かべる。
「加山さんって年いくつー?」
斜め左の席に座る沙紀ちゃんさんから声を掛けられ年齢を答えると、にっこりと沙紀ちゃんさんが笑う。
「同い年だったんだー。よろしくよろしくよろしくー! 私、五担の鹿島。鹿島沙紀です。よろしく」
「よろしくお願いします」
「やー、超嬉しい。派遣さんってあんまり飲み会に来ないでしょ。だからいっつも孤独を感じてたんだ。これからは加山さんどんどん誘っちゃおうっと」
「沙紀ちゃん、加山さん引いてるって」
鹿島さんの更に左隣に座っている社員さんらしき人がはははっと笑い声を上げる。
職場と違って抑圧されたものから解放されているせいか、どこか皆普段よりも陽気に見える。
「俺は五担の信田です。よろしく」
信田さんはアラサーということ以外は年齢は伏せておきたいらしい。鹿島さんを沙紀ちゃんと呼ぶところから察するに、恐らく年上なのだろう。
「私は二担の荒木です。よろしくね」
前の席に座っていた女性社員さんがにっこりと微笑む。
荒木さんはすごくスタイルが良くて見習いたいくらい羨ましい体型をしている。ついついその胸元に目がいってしまうのはきっと私だけではないはずだ。
そんなこんなで今野さんと今野さんの同期の寺内さんも混じり、飲み会は楽しく進んでいく。
勇気出して参加してみて良かった。
他愛のない話に興じ、お酒も進み、楽しい気分が加速的に増えていく。
派遣で色々なところに行くのは精神的にきつい部分も多いけれど、こうやって受け入れて貰えた時は本当に嬉しい。
派遣会社に登録した当初は人見知りだったけれど、色々な企業を渡り歩くうちに度胸がついてきたのかもしれない。
お酒が進んで煙草が吸いたくなり、ちょっと席を外しますと言い残してカバンを持って立ち上がる。
確かお店の外に灰皿があったような。
普段はあまり吸わないのだけれど、どうしてもお酒を飲んだときには無性に吸いたくなる。あの場で吸っても良かったのだろうけれど、誰も煙草を手にしていなかったので、席を外すのが得策だろう。
機械音に「ありがとうございました」と言われて店の入り口を出たところにベンチと灰皿があり幸い無人だったので、そこに腰を下ろして煙草に火をつける。
ふーっと口から吐き出す煙と共に、心の中の重たい気持ちが一緒に吐き出される気がする。
今は、煙草が吸いたい煙草が吸いたいっていう気持ちだったかも。
そんなことを考えながらクスっと笑うと、「ありがとうございました」の機械音がして顔を手許から上げる。
石川さんだ。
「お疲れ様です」
声を掛けると、石川さんはベンチの空いている側に腰を落とす。
「もう帰るの?」
ああ、カバンを持っているからかな。
「いいえ。煙草をちょっと吸いたくなって」
「あー。なるほどね」
そう言って石川さんは胸ポケットから煙草を取り出して煙を燻らせる。
「加山ちゃん煙草なんて今まで吸ってたっけ?」
なぜちゃん呼び? この会社はちゃん呼びが基本なの?
でもそこは突っ込むところではなさそうだ。それにまだ気軽に突っ込みを入れられるほど会話を交わした事もない。
「会社では吸わないです。殆ど吸うことはないんですけれど、お酒を飲むとつい吸いたくなってしまって」
「そうなんだー」
伸ばした言葉と共に煙が吐き出される。
吐き出された煙の先を見つめながら、ゆっくりと煙を吐き出す。
ふーっと伸びた煙の先はお店の扉に阻まれる。
「加山ちゃんさ、家、どっち方面?」
突然の質問に驚いたものの、軽く実家の方面を答えると石川さんの口からまた煙が吐き出される。
「俺んちもそっち方面なんだ。もしかして同じ学区だったりして」
まさかーと思いながら口にした学区は、まさかまさか同じだった。
もしかして石川さんと小学校か中学校ですれ違ってたのかな。でも石川さんって一体幾つなんだろう。
「加山ちゃんいくつ?」
「私は二十六ですけれど、石川さんは?」
「二十八ー。じゃあ加山ちゃんは俺の後輩って事だ。世間は狭いなあ」
笑う石川さんが懐からもう一本煙草を取り出す。どうやらまだ私と世間話をしてくれるようだ。
「じゃあ先輩。部活は何でした?」
「いきなり先輩呼びかよ。野球部だったよ」
「えーっ。じゃあボウズだったんですかっ」
今では綺麗に染められた髪にうっすらとパーマを掛けていて、坊主頭の片鱗はどこにも見えない。そのギャップに本当にボウズだったのか信じられない。
「中高とボウズな。野球一筋高校球児だったからな」
「じゃあもしかして」
野球部が強くて有名なとある高校の名前を出すと、ははっと石川さんが笑い声を上げる。
「そんなにうまくねーよ」
その代わりに出された高校の名前は、甲子園にはいけなくても毎回ベスト4には残る強豪校だった。
「十分上手いじゃないですか」
本気でそう思ったのに、ぐりぐりっとなぜか拳骨でこめかみの辺りを押され「弱かったんだよ」と付け加えられた。
ぎゅっと煙草を石川さんが灰皿に押し付け立ち上がるので、私もカバンを持って立ち上がる。店内に戻るのかなって思ったから。
「百円貸して」
目の前に手を差し出され、はてと思って石川さんの顔を眺める。
「煙草きれたから買いに行ってくる。そこの下に自販機あったから」
ああ、そういうことね。
カバンの中からお財布を取り出し、石川さんの手の上に百円玉を乗せる。
さんきゅーっというお礼の言葉を残し、石川さんはエレベーターホールへ歩いていく。
何故かその背中から目が離せなくてその場で立ち尽くしていると、くいっと首を曲げて石川さんがこちらを見る。
やばいっ。見ていることがバレた。
無性に恥ずかしくなって目を逸らして俯いて手許のカバンを見る。もう一本吸っていこうかなって思っただけよ。まだ煙草入ってたよね。
自分を誤魔化すかのように慌ててカバンの中から煙草の箱を取り出すと、そこにはもう石川さんの姿は無かった。
ほっと気が抜けて煙草を吸うことをやめて店内に「いらっしゃいませ」の機械音を伴って戻る。
たまたまトイレ方向から戻ってきた鹿島さんが私を見るなり小走りに寄ってくる。
「大丈夫だった?」
え? 石川さんの事? 見られてた?
一瞬頭が真っ白になって答えられずにいると、鹿島さんがぽんっと私の肩を叩く。
「あんまり戻ってこないから気持ち悪くなったのかと心配しちゃったよー。でも顔色悪くないから大丈夫そうだね」
あ。心配かけてたんだ。
咄嗟に申し訳なさがこみ上げてくる。
「すみません。つい煙草が吸いたくなってしまって」
店の入り口のほうに目を向けると、ふっと笑われる。
「次からは行き先言ってね」
「はい」
「じゃー、飲みなおすよー!」
可愛らしさからは想像もつかない豪快さで肩を組まれ、そのまま飲み会の場に引きずり込まれた。