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Papagena  作者: 来生尚
SIDE STORY
29/99

彼女の横顔:7

 翌日。思った通り彼女は二日酔い。

 まあね、予想はしてた。だから別に不思議は無い。

「あたまいたーい」

 喚く彼女を布団の中に押し込んで、俺は上司に電話する。

『はい。伊藤です』

 上司の澱みないいつもどおりの声が電話越しから伝わってくる。

「今野です。おはようございます。ちょっと体調不良で午前半休を頂きたいのですが」

『あーそれは構わないけれど、大丈夫か? 午後は外出予定だろ』

「それは大丈夫です。お昼すぎには出社します」

『そうか。お大事にな』

 プツっと電話を切って、布団の中から心配そうにこちらを見る彼女の髪を撫でる。

 こんな事くらいで休むなんてって彼女は言うけれど、みんな結構適当な理由つけて有給消化してるんだよ。

 こういう実質「サボリ」で。

「優実」

 呼びなれない彼女の名前を呼ぶと、彼女が真っ赤な顔で俺を見る。

 結局タクシーで、ぐーっすり寝てしまった彼女を俺の家まで連れてきて、それで寝かせて今に至る。

「着替える? って言っても俺の服しか無いけれど」

 寝ている彼女を脱がせるわけにもいかないし、いや脱がしても良かったんだけれど、そこまでがっついていると思われるのも嫌だし、何より自分の暴走が止められそうになかったので、寝苦しくない程度にボタンを緩める程度しか服には触れなかった。

 当然肌にも触れなかった。

「でも、借りちゃうと……帰り、どうしたらいいですか?」

「今脱いで洗濯機に放り込めば、帰る時には乾いてるよ。俺んちの乾燥機ついてるし」

 困ったように上目遣いで俺を見て、きゅっと布団を細い指が握る。

 何かを言いかけては口を閉じ、そして彼女が意を決したようでベッドから降りてくる。

「……着替え、借ります」

 ぼさぼさの髪、剥がれ落ちた化粧、皺だらけの服。

 いつものザ・完璧の片鱗も無い。

「いいよ。はい、これでいい?」

 彼女が起きる前に用意しておいたTシャツやジャージを手渡すと、こくっと首が縦に動く。

「ありがとう」

 受け取った彼女が複雑そうな表情で俺を見上げる。

「どうしたの?」

 視線が合うと、その表情を曇らせて彼女が俯く。

 何か言いにくそうにしているなー。よくわからないけれど。

 やっぱり連れ込んだのは不味かったかもしれないな。

 入れておいたコーヒーに牛乳を入れてラテにして、砂糖は入れずに彼女の前にマグカップを差し出す。

 服を胸の前で握り締めたまま、マグカップを手にとって一口飲む。

 ふわっと、ほんの少しだけ彼女の空気が和らいだ。

「甘い方が良かった?」

「ううん。大丈夫、です」

「先にシャワーしてくる? それとも少しコーヒー飲んでゆっくりする?」

 会社の始業時間まではまだ少しある。

 彼女はこれから派遣会社と一担に会社を休む旨を連絡しなくてはならない。この有様では仕事にはならないのは本人も理解しているようで、休む事には抵抗はなさそうだ。

 じゃあ何が彼女の顔を曇らせているのだろう。

「あの、今野さん」

「なに?」

「シャワーお借りしてもいいですか?」

 そんな事が言い出しにくかったのだろうか。

 くすっと笑って彼女を送り出す。あれはどこにあるだとかタオルはこれを使ってだとか説明して。

 彼女がシャワーを浴びている間、別に興味も無いけれどテレビを点ける。そうしないとお預けくらって方向性を見失いつつある感情が暴走しそうだったから。

 眠ってしまった彼女を連れて自宅である1Kのマンションまで連れてきたまでは良かった。

 そこからは悶々と煩悩との戦い。

 眠り姫に手を出していいのか。果たして出さないほうがいいのか。

 むくむくと顔をもたげる欲望には抗いがたく、ついついキスをしてみたものの、彼女は完全に夢の中。

 寝てる女に手を出しても面白くない。っていうか寝るなよなー本気で。

 がっかりするやら呆れるやら。でもベッドで眠る彼女の幸せそうな寝顔を見たら、なんかもういいかっていうか。うん、欲望ごときで起こすのもしのびないなって。

 さすがに同じベッドで眠るという荒行は精神崩壊しそうだったから、彼女が眠るベッドに背を預け、壁にもたれて寝た。

 だから本当は体が痛くてしかたないし、出来る事なら昼まで寝てしまいたい。

 が、折角ゲットした彼女を放って寝るなんて事は無理だ。

 冷めてぬるくなったブラックのコーヒーを飲んでいると、かちゃんと扉が開く音がする。

 タオルドライだけの濡れた髪で、だぼだぼの服に身を包んでいる彼女が立っている。

 ……可愛くてやばいかも。

「あの、ドライヤー借りてもいいですか?」

「いいよ。別にそんなに畏まらなくてもいいって。洗濯もついでにしとく? ちょっと待ってね」

 立ち上がって洗面所の前で立ち尽くしている彼女のところまでいくと、ふわっとシャンプーの匂いが漂ってくる。

 待て待て待て。止まれ、俺の煩悩。

「洗剤ここね。柔軟剤、これでいい?」

 くすっと彼女が笑う。

 今笑うポイントあったか?

「クマの洗剤だ。今野さんがこういうの買うの、想像がつかない。あーでも、今野さんらしいのかな」

 言われてピンクのハートが中央にあって周囲に笑うクマの絵が描いてある洗剤に気恥ずかしくなる。

「特売だったから」

「だって柔軟剤もクマだもの。クマ好きなんですか?」

 青い細長いボトルを手に持っていた俺の顔の温度が上がる。

「これはそういうのじゃなくて、たまたま買いに行ったときに使っている香水と同じ匂いって書いてあったから」

「そうなんだ。わたし、今野さんの匂い好きです。そっかクマちゃんから出来てたのか」

 頼むからクマのキャラクターの名前を連呼するのはやめてくれ。

 本当に偶然が重なっただけなのに。

「優実」

 誤魔化すために彼女の名を呼ぶと、彼女が弾かれたように俺を見つめる。

「いつまで俺のこと今野さん? 別に敬語も使わなくていいし」

「え……と。りょーちゃん?」

「知ってるでしょ。俺の名前。それとも俺のことには興味が無いから下の名前なんて知らない?」

 すっぴんのスベスベの頬に手を伸ばす。

 指先から伝わってくる弾力。触れるだけじゃ足りない。

「稜也……くん」

「正解」

 頬に触れるのとは反対の手で彼女の腰を掴んで引き寄せる。

 そっと触れるか触れないかのささやかなキスを落として、そして彼女の瞳を覗きこむ。

 酒も飲んでいない。誘惑も、してない。

 それでも彼女の瞳はうるうると潤んで俺を見つめる。

 その瞳に煽られて、がっついてキスしちゃいました。もー、とまんねえ。


 RuRuRu……。


 あー。徹底的に邪魔が入るな。このやろうっ。

 しぶしぶ彼女から手を離し、黒電話音で存在を主張する携帯の所在を探す。

 ベッドの傍にあった彼女のカバンから鳴り響くそれを、慌てた様子で彼女が手に取る。


「はい、加山です」


 職場の誰かか。

 狭い部屋の中だから離れるって言ってもそう遠くにいけるわけでもなく、キッチンの換気扇を回して煙草に火を点ける。


「はい。はい。えっと、もう大丈夫です。すみませんご迷惑をお掛けして」


 誰なんだろうなー。彼女に電話してきたの。

 ふーっと白い煙を吐きながら考えた。

 同じ担当の誰か。それとも鹿島さん。……石川さん。

 口調だけではわからないな。


「え? はい。いいんですか? はい。わかりました。お疲れ様です」


 電話を切りカバンにしまって、彼女が怪訝そうに首を傾げながら俺を見る。

「りょ、稜也くん、伊藤さんに何か言いま……言った?」

 色々突っ込みをいれたいところだけれど、今は我慢しておこう。

「伊藤さん? 別に何も言って無いよ。どうして?」

「あのね、伊藤さんから電話で、二日酔いが酷いみたいだから休んでいいよって。佐久間さんには伊藤さんが伝えてくれるって体調不良だからって」

 ふーん。誰かが伊藤さんに何か言ったかな。

 でもまあ、伊藤さんが間に入ってくれたほうが彼女が直接佐久間さんと話すよりはいいだろう。

 二日酔いなんてー! っと発狂するのは目に見えている。

 どっちにしろいつだって始業ぎりぎりまで出社しない管理職だから、佐久間さんに直接話すことにはならなかっただろうけれど。

「そっか。じゃあ後は派遣元に連絡すればいいの?」

「はい。あと30分くらいしたら電話します」

「します?」

「ああっ。電話する、です」

 おかしな日本語に笑えたけれど、恥ずかしそうにはにかむから、それでもう帳消しにしておこう。

「髪、乾かしてきたら?」

 生乾きの髪を一房指に絡めとり、さらっと動くそれを離す。

「うん。乾かしてきて洗濯もしてくるね」

 壁を崩してこちら側にやってきた彼女の笑みに、心から微笑み返した。

 手に入れたんだ。その自然な笑みにそう感じざるを得なかった。横顔じゃなくて、真っ直ぐ見つめてくる視線が、隣にいてもいいんだよと教えてくれている。

 あとは美味しく頂くだけ。でもとりあえず電話が終わるまでは待っておこう。

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