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Papagena  作者: 来生尚
SIDE STORY
26/99

彼女の横顔:4

 思った通り、加山さんはパソコンの設定だとかっていう事にも詳しかった。

 伊藤さんが彼女は複数の資格を持っているから、恐らくトラブルを解決してくれるだろうから連れて行っていいよとあっさり同意したのも頷ける。

 俺だとそれなりに時間が掛かってしまったであろうに、本当にあっさりとこんなに簡単に解決するのかっていう手際の良さで展示しているシステム模型を直してしまった。

 パソコンに触れている横顔からは、さっきまでの泣きそうな表情は見て取れない。

 いつもどおりの彼女だ。

 だけれど心の中にそっと隠しているだけで、たまに吐く溜息が彼女の心の不安定さを語っているようだ。

「コーヒー飲んでいこうよ」

 東口にあるコーヒーショップに立ち寄り、たまたま空いていたソファ席に並んで座る。

 毎日隣に並んで仕事をしているからか、はたまた毎週並んでお酒を飲むせいか、彼女はあまり疑問を持つこともなく横にちょこんと座る。

 本当は飲みたくもないフラペチーノ。

 口を付けずにテーブルの上に置いていると、寒くないのかと不思議そうに彼女がフラペチーノを見ている。

 寒くはないけどね。後で必要になるかもしれないでしょ。

 だけれど真相は誤魔化して長い柄のスプーンに少しだけ載せたフラペチーノを彼女の前に差し出すと、まるで餌付けされている鳥か猫かのようにパクっとスプーンを口に入れる。

 無邪気。いや、無警戒?

 彼女の壁がものすごく低くなっているのを感じる。

 いつもは真面目だとか恥ずかしがりといった砦で隠している本心が、今なら容易く窺い知れるような予感。

 だから唐突だとは思いつつも切り出さずにはいられなかった。

「ちゃんと知ってるから。頑張ってたのも、今も頑張ってるのも。みんなわかってるから」

 はっとした表情から、ふにゃっと崩れ落ちるかのような表情に変わる。

 ほら、やっぱり隠していただけだ。

「あれだけ仕事してたのに更新されなかったから悔しかった? だってすごく頑張ってたでしょ、加山さん」

 俺は知ってる。

 一番近くで見てたから。

 今まで一担に来た派遣さんの誰よりも頑張っていた。

 あれだけ邪険に扱われていても泣き言一つ言わず、告げ口一つすることせず、ただ淡々と仕事をし続けた。

 しかも短時間に資格習得するほど頑張って。だけれどそういう片鱗は俺らには見せなかった。

 一体影でどれだけの努力をしていたのだろう。その責任感の強さに頭が下がる。

 彼女はきっと努力によって自分自身を支えてきたのだろう。不当な八つ当たりや嫌味や嫌がらせから。

 仕事さえきちんとしていればと思っていたのだろう。だからこそ、仕事で評価して貰えなかったのではと思ってしまったのではないだろうかと心配になった。

 誰よりも頑張っていた事、知っているから。もう無理しなくていいよ。

「泣いていいよ」

 俯いていた彼女がぱっと顔をあげる。目には沢山の涙を讃えて。

「悔しいって言っていいよ。俺に全部見せて。受け止めるから、全部」

 俺にその痛みを分けて。一人で頑張りすぎないで。

 ぽろぽろと涙を流す彼女を気が付いたら腕の中に閉じ込めていた。

 拒絶される事はない。

 震える手がジャケットを掴んでいる。

「ありがとうございます」

 押し殺した泣き声の合間に、律儀な感謝の言葉。

 本当にこんな時でも気遣いの人だ。

「どういたしまして」

 ぎゅっと腕に力を篭める。

 この手を離したくない。俺はずっと彼女をこの腕に抱きしめたかったから。


 が、彼女はあっという間に正気に戻ってしまう。

 目と目が合った瞬間、彼女の頬に赤みが差していく。

「こ、ここ、会社のっ」

 腕の中で恥ずかしそうに身を捩る彼女が可愛らしくて笑みが零れてしまうと、彼女の耳まで赤くなった。

「あのっ。誰かっ。会ったら」

 片言にしか喋れなくなっている辺りに彼女の混乱具合がわかる。

「じゃあ場所変えよ」

 本当は手を繋いでしまいたかったけれど、さすがにそれはやりすぎかと思って自制した。

 それに拒絶される事が怖かった。

 踏み込んでしまっていいのか、それともそろそろ引いたらいいのか。

 やめて下さいなんて涙目で言われたりしたら、多分俺、明日会社休む。

 だけれど、もう引けないところまで自分の気持ちがきているのはわかっている。

 泣きそうな彼女を放って置けず、泣き出してしまったら抱きしめずにはいられない。

 カラオケボックスに入り、いつものように彼女の横に座る。

 違うのはいつもは右側にいる彼女が左側に座っているってことだろうか。

 いつもと違う角度で見ても、彼女は彼女だ。

 髪を撫でてしまうと、ふくれっつらを見せる。拒絶、ではないようだ。

「わたし、子供じゃありません」

 そうやって「わたし強いんだからっ」と虚勢を張る。

 弱い自分を見せたら負けだと思っているのだろうか。それとも子供扱いというのが彼女の中で何か引っかかるような過去でもあるのだろうか。

 だけれど、目一杯逆毛を立てて怒っていても、それは抱きしめたくなるような可愛らしさだという事に彼女は気が付いているんだろうか。

 まあ、全員が全員そう思うわけじゃないだろうけれど。

「気になったから。そうやって誰にも甘えないでしょ。俺にだけかと思ったけれど、見てたら石川さんにもそうだよね」

 石川さんの名前を出した瞬間の表情は、本当に面白いくらいの変化だ。

 目を大きく見開いて、まるで信じられないものを見るかのような顔をする。

 何でこの場でその名前を出したんだと、口には出さないものの表情全てで語っている。

「好き?」

「……え?」

「石川さん」

 聞くまでもないよなーと思いながらも聞いてしまう。

 一度彼女を抱きしめてしまったから、彼女の震える肩も華奢な体も艶やかな黒髪も、全部手に入れたくなった。

 浅ましいよな。

 何もこんなに彼女が弱っている時じゃなくたっていいだろうに。そう思ったら笑みが零れてしまう。

 見つめあう彼女の瞳が揺れる。

 微かに見え隠れする「熱」

 その熱の正体、カマかけてみようかという気になった。どうせもう引くに引けないとこまで来てるんだし。フラれるんだったら早い方がいい。

「でも俺のことも好きでしょ」

 細い顎を指で掴み、まるでキスをするような体制のまま彼女に問いかける。

 本心を教えて、と。

 キミの心の中を見せてと。俺のことをどう思っているのかと。

「心を見せて。俺に」

「ぶ、ぶ。物理的に不可能です」

 そう返されるとは。

 やるな、一家に一台加山ちゃん。

 こみ上げてくる笑いを止めることが出来ずにいると、ポンポンと彼女が腕を叩いてくる。

 恥ずかしかったのかもしれない。顔が真っ赤だ。

「笑いすぎですっ」

 気恥ずかしさを誤魔化すかのような彼女の腕を掴むと、ぴたりとその手が止まる。

 まるで息を呑むかのような表情が、俺の心を煽る。

 手首から手を離し、彼女の細い指を俺の指に絡め取る。拒絶はない。

 どくん、と心が脈を激しく打つ。

「とりあえず誘惑されときなよ」

 ぐいっと繋いだ手を引いて、彼女の唇に自分のそれを重ねる。

 ふんわりと彼女の匂いが鼻をくすぐる。

 柔らかな唇の感触が、これは夢ではないと教えてくれる。

 そっと重ねあわせるだけのキスをして唇を離すと、彼女が指で俺の唇を制する。もうこれ以上しないでと言わんばかりに。

 そうだよなー。やりすぎだよなー。

「あの、好きになっていいんですか?」

 手を離して彼女から距離を取ろうとした俺の耳にはとんでもない言葉が飛び込んでくる。

 それは、俺のこと好きってこと?

「どうぞ」

 そう返すと、彼女がほっとしたかのように笑みを浮かべた。

 胸をくすぐる幸福感と、腕に閉じ込めた彼女の体温が、どんどん欲を加速していく。

 触れるだけでは足りなくて、角度を変えて重ねていく。

 でもそれでも足りない。

 彼女の唇を食んで、舐めて、それでも足りなくて、キスの合間に開いた口の中に舌を差し込む。

 鼻に掛かった甘い声が理性を壊していく。

 もっともっとと、貪欲な欲望が顔をもたげる。

「はぁ……んっ」

 その声がどれだけ俺を煽るのか知っているんだろうか。

「俺じゃないよね、誘惑してるの」

 ぞくっとするような熱っぽい視線が俺を見上げる。

 やばいな。止まらなくなるかもしれない。

 どうしようもない衝動をやり過ごす為、軽く音を立てるキスだけを彼女の唇に落とす。

「好きになって。俺のこと」

 頼むから好きって言って。俺を好きになって。キミのすべてを俺にちょーだい。

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