泥酔現場
本編19話の裏側です。
「沙ー紀っ。一体お前何杯飲ませたんだよ」
マイダーリン、本名を五担の信田さんという彼が私に雷を落とす。
ふわふわと定まらない焦点を宙に向けている、一担の加山さんの姿が目に余ったのだろう。
そりゃ、私だって飲ませすぎたかなって思うよ。
だけど止めたけれど止まらなかったんだもん。彼女が何でこんなにハイペースでお酒を飲んだのか、全然理由も思いつかないよ。
「そんなに飲ませてないよ。こーんーのっさーんっ」
一番下座に座っている若手社員で注文担当の今野くんを呼ぶ。
ちらちらと心配そうにこちらを見ていたのは知ってるのよー。今野さん、いっつも飲み会では加山さんのガードしてるもんね。今日は私が奪っちゃったから気になってしょうがないってところかしら。
実際にお酒の注文していたのは今野さんだし、加山さんの様子も見ていただろうから、この場で助っ人としては最適でしょ。
「どうしました?」
「私そんなに飲ませて無いですよね。いつものペースでしたよね?」
すぐ傍に来た今野さんは困ったような顔で苦笑いをする。
お願い。そんな事ないって言って! この元体育会系のダーリンは怒ると大変なのよ。普段は良い人なんだけれどね。
怒鳴るとか手を上げるとかじゃなくて、説教好きのメンドクサイ男なのよ。
だから助けてっ。
「あー。うーん。どうでしょうね」
ああ、ダメだ。説教タイム決定だわ。
がくんと肩を落とした私に、まるで天からの救いのような一言を付け加えてくれる。
「でも随分ゴキゲンな顔で寝てますよ」
さすが「可愛いりょーちゃん」とお局に可愛がられる男っ。
空気読むのも慣れたもんよね?
「よっぽど普段より笑ってんじゃねーの、こいつ」
あら、いつの間に傍にきてたの、石川さん。
石川さんもなー、きっと多分加山さん狙いなんだろうなあ。でもこの人、誰にでも思わせぶりなのよね。
四担の桐野ちゃんだって、それが原因で辞めたくなったみたいだし。
契約更新出来なくはなかったみたいだけれど(一応他の課でならっていう条件付で)傍にいると辛いからって、もうっ健気過ぎるのよっ。
優しいし、気が利くし、ボディタッチが多い人だし、加えて「俺はお前の事を何でもわかっている」みたいな態度をするから、派遣さんも社員さんも皆巻き込んで石川争奪戦が影で繰り広げられているのよね。
響さんっていう完璧な彼女とも別れちゃったみたいだし。
まあ、かく言う私も騙されそうになった一人なんだけれどね。こればっかりはダーリンに言えないわ。二人は親友みたいに仲がいいしね。
石川さんの本命って誰なんだろうな。今度聞いてみよう。
「しばらくしたら起こしましょう。とりあえず寝かしておいたほうが良さそうですよね」
今野さんの発言に、うんうんと頷く。
加山さん完全に舟漕いでるし。もしかして疲れてたのかな。
契約の関係とかで色々揉めたみたいだもんね、今日。
一応今日の飲み会は、主に加山さんのだけれど気晴らしと、加山さんに辞めないで貰う為の裏工作の為の飲み会だもんね。
体をあっちにふらふら、こっちにふらふら、今にも倒れこんでしまいそうで、加山さんったら危なっかしくて仕方ない。
でも吐くんじゃなくて寝るのか。普通だったら吐きそうなものなのに、面白いなあ加山さんって。
「あー。そうだな。そっちに転がしとくか」
角に予備の座布団が並べてあるあたりを石川さんが指差すから、思わず眉を潜めてしまう。
「転がしとくって、石川さん。ぬいぐるみじゃないんだから」
「とりあえず、この辺片付けとくか」
「そうだねー。頭ぶつけたりしてもいけないしね」
肘をついて舟を漕いでいるよりもテーブルに突っ伏しちゃったほうがラクだろう。
あんまりにも体が不安定に動くから、見かねた今野さんが両手で体を受け止めている。
そこでさっと手が出るあたりが、やっぱりだよねー。
そして、さりげなく隣をゲットですか。今野さんっ。抜け目ないなあ。やるーっ。
心の中で野次を飛ばしつつ、でも誰かがそうしてあげないとグラスに顔を突っ込みそうで危なかったよねと思い、大急ぎで片付けを始める。
周りにある空いたグラスやお皿をまとめてダーリンに手渡し、ダーリンが更に入り口近くの社員さんに手渡していくというリレーをすること数度。
なんとか加山さんの周りに空間が出来たぞ。
これで安心して寝てもらえる。
「加山さん。横になったほうがいいよ」
頭を打ったりしてもいけないし、突っ伏して寝た方が体もラクだろうしと思って提案すると、こてんっと加山さんは体を転がす。
本当に転がすって言葉が的確なくらいの転がりっぷりだった。
布団に寝そべるみたいに、本当に自然に横に倒れたの。
体を支えていた今野さんの膝の上に向かって。
「あーらら。本当に寝ちゃったんだ」
なんとも言えないこの空気。
そうじゃないのよー。私が提案した横になるはテーブルの上に寝そべったらという事だったのよ、加山さん。
まさかそんな大胆な手法に出るとは想像もしていなかったわ。
冗談交じりに言ったのに、ダーリンも、石川さんも、それから他の社員さんたちも唖然とした表情で膝の上に頭を乗せて幸せそうな顔して寝ている加山さんと、どうしたらいいのかわからないという表情で両手を上げてしまった今野さんを見比べる。
「ど、どうしましょう。こっち側開けて下ろせるようにしましょうか?」
慌てて聞いた私に今野さんが苦笑いを浮かべる。
「そうですね。そうしてもらえると助かります。でも下ろしたら起きちゃいますかね」
「でも重くないですか?」
「しばらくなら大丈夫ですよ」
お局さえを魅了する笑みで、にっこりと笑った今野さんは目を細めて膝の上で寝る加山さんを見ている。
もー。
めっちゃ嬉しそうだよ今野さん。目尻下がりまくり下がりまくり。
本当は下ろしたくありませんって顔に書いてあるよ。
元々人懐っこい笑みを浮かべるタイプではあるけれど、そういうのとはまた質の違う笑いかた。
んー、なんていうんだろう。好きが溢れちゃってるって感じ?
まあね、前から今野さんは絶対に加山さん狙いだって思ってたから、思いがけないこのシチュエーションは美味しすぎるよね。
テーブルの下では加山さんの髪の毛梳いてるし。
見えてるぞー、今野さん。多分私にだけだろうけれど。
頬にかかる乱れた髪をそっと撫でる姿に、彼の愛情を感じた。
報われるといいな。
加山さんが気付いてくれたらいいな。
しばらく今野さんが膝に加山さんの頭を乗せたまま笑顔で話していて、はっと気が付いた。彼の周りお酒もおつまみも何もないじゃん。
「今野さん、何か飲みます?」
「大丈夫ですよ。加山さんの寝顔に水滴やお酒を零したりしてもいけないですから」
お局だったら「ああっもうりょーちゃんってば」と気持ちの悪い声を上げてしまう例の笑顔で拒否して、彼は結局お酒もタバコもおつまみも口にしないままでいる。
「……そろそろ下ろしたらどうだ」
おっとー。見かねたか、石川さんっ。ちょっとお顔が険しいですね。声も心なしかいつも以上に低いですね?
ちなみに5分経ってません。スマホの液晶で確認しちゃいました。
「そうですね。足が痺れますし」
あら意外。あっさり今野さんが同意するとは思っていなかったわ。
今野さんがそっと加山さんの頭を持ち上げようとすると、にゅっと加山さんの手が伸びて今野さんのスーツを掴む。
両手でぎゅっと掴まれてしまった今野さんは、唖然と眼下の加山さんを見つめる。
そりゃそうだよね。全く予測も付かない行動に出るよね。
「んー」
まるで寝返りをうつかのようにして顔の向きを変えた加山さんの表情は無邪気で幸せそうで、普段の真面目でテキパキしてる加山さんの片鱗も無い。
こんな顔して笑うんだ。
思わず見とれたのは私だけじゃなかったみたい。
今野さんも石川さんもダーリンも、周囲にいた社員さんたちも皆、その天真爛漫な表情に毒気を抜かれてしまった。
ほんの一瞬前まで「役得だなー」とか「鼻の下伸びてるぞ」とか言って今野さんをからかっていた人たちさえも。
「……加山ちゃん、意外と可愛いな」
誰かが漏らしたその言葉に冷凍ビーム。by今野。
自分のですっみたいな顔してるけど、加山さん、別に君のじゃないよ?
普段はどんなにお局にしなだれかかられても嫌な顔一つしないくせに。加山さんが絡むと面白いなあ、今野さんって。
どうなるんだろうね、この微妙な関係。
個人的には今野派だから(石川さんは桐野ちゃんを泣かしている時点で減点)今野さんと上手くいくといいなあとは思っているけれど。こればっかりはねー。加山さんの態度からは全く読めないし。
ぎゅっと抱きつかれてしまった今野さんは困ったような(本当は嬉しいんでしょうけれど)顔をして、周囲を見渡す。
「どうしたらいいでしょうか」
やばっ。目があっちゃった。
「下ろしたいなら下ろしちゃいなよ。それでジャケット脱いで掛けておいてあげたら? 加山さんに。上手く脱げたらの話だけれど」
完全にジャケットの裾が加山さんの顔の下敷きになってるし、腕を腰に回されているし、なかなか大変だと思うけれど。
それに下ろしたいならっていうのがポイントよね。
さあどーする。今野さんっ。
「……なんとかします」
無理に下ろさなくてもいいんじゃない? って言おうかと思ったけれどやめた。
石川さんの目が怖い怖い。
無言の圧力は所有権の主張?
そんなことを考えているとダーリンと目が合った。余計な事は言うなって事ね? ということは何か知っていると見た。
よーし。今晩帰ったら吐かせよう。真相はいかにっ?
結局今野さんはなんとか加山さんの抱き枕から脱したものの、やれ風邪をひくといけないからとコートを掛けてあげたり、座布団で枕を作ってあげたり、甲斐甲斐しい事この上なし。
この顛末、加山さんに明日教えてあげよう。一体どんな顔をするかしら? 楽しみっ。




