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Papagena  作者: 来生尚
本編
2/99

2:悔し涙

 営業部営業課第一営業担当、通称一担。

 ここに勤めて一月が経った。

 一担で一番偉いのは担当長の佐久間さん。自称永遠の二十五歳。本当は四十五歳。未婚女性。更年期につき取り扱い注意と言われている。

 そんな佐久間さんを補助する実質的なリーダーは伊藤さん。三十八歳。二児のパパ。

 私が業務上で絡むのは主にこの二人。

 島の一番上座に座る二人になる。

 十人いる担当の中で社員が八人。派遣は二人。

 もう一人の派遣さんは木内さん。二十歳。担当一若い。けれど、もうここで働いて二年目になるそうで、私よりもずっと業務に精通している。

 木内さんの業務は営業に出る社員さんたちのフォロー。

 私の業務は一担が全営業担当の決裁書類やらの取りまとめを佐久間さんがしている為、その佐久間さんが行う庶務業務の補助といったところだ。

 だからコピー用紙やファイルが足りなければ総務部に取りに行き、企画担当への回覧板を回しにおつかいに行ったり。まあ、そんなところ。

 派遣なんて誰でも出来る事をやるのが基本で、会社の業務には深く関わらない。

 だから所謂OLのコピーにお茶汲みってのが私の仕事。そんな仕事でも全く不満は無い。業務にはね。業務には、無いのよ。

 はーっと溜息をつきながら、手許のファイルを捲りながらパソコンでデータを叩き込んでいると、隣の席の今野さん二十五歳に話しかけられる。

「今忙しいですか」

「特に急ぎではないので忙しくは無いです」

 キーボードを打つ手を止め今野さんを見ると、申し訳なさそうな顔で書類の束を手渡してくる。

 今野さんは年齢が一つ私が上だからなのか、きちんといつも敬語で話してくれる腰の低い人だ。でも大学時代はサッカーをやっていたそうで、スポーツマンで社内ではモテるらしい。

「すみません、これスキャンして僕のフォルダに入れておいて貰えますか。今日中に決裁回したいんですけれど、まだ終わりそうに無くて」

 世間は所謂電子化で、以前は紙で決裁書類を回していたそうなのだけれど、今は電子申請で、金額によっては遠く離れた本社の社長まで申請が届くそうだ。

 昔は決裁書類を抱えて社員たちが右往左往したり、本社にメール便で送ったりと色々大変だったようだ。

 そういう負担が軽減されて良かったと言うけれど、派遣には仕事が一つ増えた。

 書類を電子化するという作業。

 社内で回す資料はそれこそエクセルだろうが何だろうが構わないのだけれど、社外との遣り取りはどうしても紙ベースの遣り取りになる。

 社印を貰いに総務まで行ったりすることもあるので、今も旧態然とした体勢に代わりが無い事は良くわかる。

 その大量の紙の書類をPDFに落とすという作業が必要になる。

 それが今野さんの言う「スキャンして僕のフォルダに入れて」なのだ。

 プリンター兼コピー機兼スキャナー兼ファックスという素晴らしい複合機で、一枚一枚スキャンしなくてはいけない。

 作業内容としては大したこともないのだが、無駄にやたらと時間がとられるというのが社員さんたちからは敬遠されている。

 つまり、派遣のお仕事になる。

「いいですよ。これを今野さんのフォルダに入れておけばいいんですね」

 快諾すると、ほっとした顔で今野さんが「ありがとうございます。助かりました」と苦笑する。

 幸い今野さんは仕事に関して無茶振りをする人ではない。

 今もまだ10時。十分に時間はあるのを見越して頼んできたのだろう。

「午前中いっぱいですか? それとも急ぎですか」

「あー。出来たら急ぎでいいですか」

「わかりました」

 書類を受け取り机の上に置き、やっていた作業を中断する為にファイルに付箋をはり、パソコンで作っていたデータは上書き保存し、パスワードロックが掛かるようにスクリーンセーバーに切り替える。

 机から離れ、コピー機が三台並ぶコピーブースにやってくると、他の担当の派遣さんがコピー機と格闘している。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

 どちらからともなく同じ挨拶をする。

 まだ一月しか経っていなくて、もともと人の名前と顔が一致しないタイプの私は、その人が派遣さんだということはわかるが(セキュリティカードが社員と派遣では色が違う為)名前まではわからない。

「コピーですか?」

「いえ。スキャンです」

 コピー機の前で出来上がりを待っている派遣さんに問われ、空いているコピー機の前で書類のクリップを外す。

「スキャン、その機械調子悪いみたいだから、奥のほうがいいですよ」

 コピー機2と書かれている機械を使おうとしたところ、コピー機3を勧められたのでそちらに移る。

「ありがとうございます。すみません」

「いーえ。あんまり不調が続くようなら修理を呼んだほうがいいかもしれないですよ」

「そうなんですね。ありがとうございます」

 庶務担当佐久間さんの下っ端だという事は営業課の中では認識されているようで、そういう雑事は大体こちらに回ってくる。

「あとで佐久間さんにも確認しておきます」

「沙紀ちゃん、終わった?」

 沙紀ちゃんと呼ばれた派遣さんは、呼ばれた声に振り返る。

「あと10部です。もうちょっと待ってください」

 液晶パネルを見ながら答える沙紀ちゃんさん(って変な言い方だけれど苗字がわからないので)から視線をコピー機に移し、今野さんに頼まれた書類を一枚一枚スキャンしていく。

 これがまた面倒なことに、両面コピーしてあるものがあったり、変形版があったり、A版とB版がごちゃ混ぜだったり。

 お願いだから統一してよと言いたくなる面倒くささ。

「お先でーす」

「あ。お疲れ様です」

 コピーが終わったようで、沙紀ちゃんさんはコピーブースから離れていく。

 一人機械と格闘していると、コピー機2の前に人が立つ気配がする。

 あ、石川さんだ。

 初日に書類を拾ってくれた石川さんは、私の中の社内いい人ランキングの上位にいる。

 たまたまその場を通りかかったから拾ってくれただけなんだろうけれど、こうやってすれ違うとちょっとほっとした気持ちになる。

「お疲れ様です」

「あー。おつかれさま」

 ちらっとこっちを見ただけで、石川さんは素っ気無い。

 大体あれ以来会話らしい会話もした事がないので、挨拶くらいしか言葉を交わしようがないのだけれど。

 でもほんのりと石川さんがいる左側を意識しながらスキャンを繰り返していると、カツカツというよりはガツガツという重々しいヒールの音が近付いてくる。

 この音には覚えがある。絶対に佐久間さんだ。そしてこういう音を立てている時は大概機嫌が悪い。

「加山さん」

 あー、もう声が刺々しい。まだ午前中なのに雷が落ちるのかぁ。

 覚悟を決めて、作業を一端中止してコピーブースの入り口で仁王立ちしている佐久間さんを見る。

 永遠の二十五歳のはずなのに、今日は随分と髪を振り乱していらっしゃってヒステリックだ。だから影で更年期婆とか呼ばれるんだろうな。

「この間の監査の資料だけれど、抜けがあって社内監査を通らなかったものが何点か戻ってきたのよ」

 この間の監査の資料? って一体何のことだろう。

 思い当たる事が無く首を傾げたのがまた永遠の二十五歳の心を苛立たせたようだ。

「決裁資料の原本が抜けているのよ。あなたどこにやったの?」

「最近のものなら書庫の中ですし、古い決裁資料なら全て倉庫にあるはずではないですか。私は古い決裁は触っていないのでわからないのですけれど」

 事実をそのまま述べたのに、佐久間さんの金切り声はヒートアップしていく。

「ミスをしたのに謝ることも出来ないのっ? 本当にあなたって使えないわね。今回のようなミスをされるとこっちが困るのよ。派遣元に連絡するわっ」

 プリプリ怒ったままドスドスと音を立ててコピーブースから姿を消す。一体なんだったんだ、佐久間さん。

 だけれど同時に苛立ちが沸き起こる。

 社内監査なんて知らない。聞いてない。それに決裁書類の類は最近のものしか知らない。それなら担当の書庫の中にファイリングしてしまってあるはず。

 人の話を一切聞かないで自己完結して何なのよ。更年期婆。

 ぐっと下唇を噛み締めて堪えるものの、悔しさは喉の奥につかえて熱を持っていく。

「加山さん」

 低い声の主へ目を向けると、石川さんがコピーの手を止めている。

「あれ、ただの八つ当たりだからそんなに気にしなくて大丈夫だよ」

 優しくて低い声が心の中に染み渡る。

「ありがとうございます」

 悔しさよりも、石川さんの優しさに涙が零れそうになった。きゅっと目を見開くように力を入れて、再びスキャン作業に戻ると、コピー機2からも機械音が鳴り出した。

 途中までになってしまうとわからなくなるし一つの書類が分割されてしまうので、もしかしたらすぐに佐久間さんに謝罪にいったほうがいいのかもしれないけれど、悔しさと憤りもあって、そのままスキャン作業が終わるまで続けた。

 五十枚ほどの書類のスキャンが終わって机に戻ると、伊藤さんに手招きされ、佐久間さんの先程のは誤解だから気にするなと言われた。

 社内監査は私が派遣される前にあったことで、私のミスではないのだからと。

 結局その後も佐久間さんからは謝罪はなく、その日は重苦しい気持ちで仕事をするしかなかった。

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