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Papagena  作者: 来生尚
本編
13/99

13:期限

 年が明けて初冠雪だとテレビでアナウンサーが言う頃、コーディネーターの葛平さんが派遣先に現れる。

 少しお時間いいですか? と切り出され、そろそろ契約更新の話が出る頃だと気付く。

 たまたま来客用のスペースが空いていたので、受付嬢に話をして一つを三十分ほど借りる手配をする。

 お茶は結構ですと葛平さんが辞退して、何もない白いテーブルを挟んで向き合って座る。

「最近お仕事はどうですか」

「年が明けて少し落ち着いています。入った時が一番バタバタして大変だったかもしれません」

「そうですか。そういえば加山さん、MOS取ったって聞きましたよ?」

 給料が上がったりしないかなーなんて思いながら派遣元に大分前に電話した事を思い出した。

 ずっと派遣で働いていくならば、資格を持っていたほうが有利だろうと取ったんだ。

「そうなんです。エクセルはエキスパート取れたんで、次はワードを取ろうかと思っています」

「向上心があっていいですね」

 当たり障りの無い話から始まるけれど、予感がある。

 契約更新出来るのならば、こんなもったいぶった話はしないだろう。

 おもむろにカバンを開いて、目の前に数枚の書類が並べられる。

「実はパソコンのスキルの高い派遣さんが欲しいという企業がありまして、もし加山さんが良ければと思って資料をお持ちしたんですが」

 つまり、契約更新は無かったということだ。

 うん、そうだろうなと思っていた。あのお局の態度を見ていたから。

「何月からですか」

「4月からです」

 やっぱりそうだ。きっと葛平さんはわたしの仕事が切れないように配慮してくれたのだろう。

 ということは派遣元の評価は悪くない。派遣先の評価が悪いということだろう。

 目の前の資料には正社員ではなかなか入れないような企業の名前が並んでいる。さりげなく目を走らせた時給の欄には今よりもいい時給が提示されている。

 この不景気の時代に、かなり好条件と言っても良いだろう。

「つまり、ここは3月までですね?」

「はい。こちらの力が及ばず、すみません。私共の加山さんへの評価は高いのですが」

 それ以上は言わなくてもわかる。派遣先の評価が良くないということなのだろう。

「まあ仕方ないですよね。考えたいのでこれ、貰ってもいいですか」

「はい、どうぞ。お渡しする為にお持ちしたので。これに入れていかれますか」

 派遣会社の名前の入った封筒を手渡されるので、そこに資料を入れる。まだ1ヶ月以上ここにいるのだから、次のことは誰にも匂わせないほうがいい。

「わざわざありがとうございました。返答はいつまでに?」

「早めのほうがありがたいです」

「わかりました」

 立ち上がってパーテーションを出たところで四担の担当長さんと目が合う。軽く会釈をすると、四担の担当長さんは無言で頷き返す。

「それではよろしくお願いします」

「はい。ありがとうございました」

 エレベータホールまで葛平さんを見送り、エレベータが下降していくのを見送りながら上ボタンを押す。

 両手で抱えるように持っている書類の内容は、本当に自分が評価されているのだとわかる嬉しいものだった。だけれど居心地のいいこの場所からあと少しで去らなくてはいけないんだ。

 そう思うと気持ちがずーんと重たくなる。

 お局佐久間には嫌われているがわかっていたから、こうなる事も予想していたけれど、実際に更新は無いとわかるときっついな。

 派遣だからあちこち渡り歩くのが当たり前なんだけれど、一担のみんなや他の担当の派遣さんと行くランチ、回数の多すぎる飲み会、本数が増えることになった喫煙所タイム。それによって仲良くなっていった人たち。

 仕事うんぬんじゃなくて、私ここが好きだったんだな。

 ポーンというエレベータの到着音を聞き、ゆっくりとエレベータに入っていく。無人のエレベータの中、はーっと巨大すぎる溜息を吐いた。


 自分の机に戻ると、佐久間がニヤリと笑ったのが見えた。きっと手にしている封筒が目に入ったのだろう。デカデカと派遣会社の会社名が入っている封筒だし、葛平さんと会う為に席を外すと伝言しておいたし。

 よっぽど私が目障りだったのだろう。その笑みで全てがわかった。

 悪目立ちする封筒をカバンの中に放り込み、パソコンにパスワードを叩き込む。

 期日が決まってもやるべき事は何も変わらない。

 カタカタといつものようにパソコンのキーボードを叩いていく。

 だけど、どこか虚しい。社員さんたちが使いやすいようにって作ったエクセルファイル。もう手直ししなくてもいいかもしれない。使いやすさよりも誰もが簡単に出来るものがあればいいのだもの。

 これ以上作りこんでも、何かあった時にこれを直せる人は一担にはいない。次の派遣さんがやってくれるかな。

 次かー。

 意識とは別に溜息が零れる。

 どうしようかな、これ。ここでやめても中途半端。かといってあまり複雑にしても後々困るだろうし。

 考えながら腕組みをしてパソコンを睨みつけていると、「めずらしいですね」と声が掛けられる。

「加山さんでも悩む事あるんですね」

「失敬な。これでも悩み多きお年頃ですよ」

 冗談を返すと今野さんが笑う。パソコンを前に頭を捻る様子がどうにも可笑しかったのだろうし、ついでにおどけた言い方が笑えたのだろう。

「じゃあ悩み相談してみます? とりあえずコーヒーでもどうですか? 今日は甘くないですけれど」

 茶目っ気たっぷりに笑う今野さんの笑顔に救われる。

 彼は知っている。会社の外では甘いものを好むけれど、業務中は甘ったるいものを好まないわたしの好みを。正確にはちょっと違うけれど。

 前にダーツしながら話したことがあって、甘いコーヒー談義。缶コーヒーとコーヒーショップのホイップが乗っているもの、どちらのほうが甘いかということ。

 たまたま缶コーヒーが甘すぎて好きじゃないって話からそういう話になったんだっけ。で、コーヒーショップのホイップには砂糖が入っていないのだと今野さんが教えてくれた。

 でもシロップ掛けたら甘くなるんじゃないですか? とその時笑っていたっけ。

 なんかすっごいノスタルジー気分に襲われるのは、終わりが見えたからなのかな。

「りょーちゃーん。ちょっと教えてぇ」

 こういう呼び方をするのは一人しかいない。多分、私が今野さんとコーヒーブレイクしようとしたのを恋のアンテナで敏感にキャッチしたのだろう。

「ちょっと待ってて下さいね。喫煙所じゃなくてここで待ってて下さいね」

 念押しして今野さんが立ち上がってお局に歩み寄る。

 その瞬間のお局の目は明らかにハートだ。

 年齢差20歳。しかし女の恋は年齢じゃないんだな。横目で見ていると、偶然にも一番上座に座る影の担当長、もしくは真の担当長、お局尻拭い係の伊藤さんに手招きされる。

 何だろうと思って伊藤さんの席まで歩いていくと、目の前のお局席の横に立つ今野さんと目が合う。

 視線が「どうしたんですか」と聞いているような気がして、首を左右に振り返す。よくわからないと伝える為に。

「加山さん、ちょっとこっちに」

 課の中の打ち合わせに使われる会議室に呼ばれて、落ち着かない気分で手頃な席に座る。伊藤さんも困ったような顔をして椅子を引いて腰を落とす。

「派遣元とはもう話した?」

「あ、はい。さっき下で」

「あー。なら話は早いよね」

 つまりダメ押しをされるということだろう。いくらお局がなんと言おうとも、実質一担を仕切っているのは伊藤さんだ。

 その伊藤さんが最後通牒を下すということだろう。

「俺は加山さんを買っているし、正直言うと残って欲しい。だけれどどうしても更新しないと言い張られ、課長まで上手く丸め込まれてしまったようでダメだったんだよ」

「はい」

 この数ヶ月で課長が名ばかり課長で実質は担当長さんたちが支えているという構造がわかっている。

 課長は社外の取引先との飲み会などには積極的だけれど、クレームには及び腰で本来課長が頭を下げれば納まるところも、担当長たちが頭を下げて回っていることを知っている。

 曰く、クレームを出す奴が悪いんだよ。だそうだ。

 そんな課長はお局佐久間とは同期らしく、非常にお局を可愛がっているというか信頼しているというか。まあ厄介なツートップとしか言いようが無い。

 でも腐っても課長。

 課長が首を縦に振らなかったら、私はここにはいられないんだ。

「すまないね。色々業務改善もしてくれていたのに」

「いいえ。佐久間さんに嫌われているのはわかっていましたから」

 伊藤さんは盛大な溜息を吐き出す。

「あの人はイケメン以外は嫌いなんだよ。毎回半年でやめさせるもんだから、こっちはいい迷惑してるんだ」

 思わぬ事実に少しだけ心が軽くなる。前の人も半年で切られたんだ。だからあんな風に書類を詰め込んだのかな。そのくらい嫌なことを言われたりされたりして、堪りかねたものがあったのかもしれない。

 初日に「何これ?」と思ったけれど、一担の人たちは前の派遣さんを悪くは言わなかった。多分我慢していたのを誰よりも身近で知っていたからだろう。

 同じことをするかと言われたらどうだろう。最終日の気分によるかもしれない。

「伊藤さーん。本社営業部から電話入ってますけれど、折り返しにしますか?」

 カチャっとドアを開けて今野さんが顔を出す。

「出る出る。待ってたんだよ、その電話を」

 立ち上がって伊藤さんがもう一度言った。「すまないね」と。

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