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Papagena  作者: 来生尚
本編
12/99

12:線引

 指定された時間の5分前に着く電車に乗った。あんまり張り切りすぎていると思われるのも嫌で。

 一体誰がそこにいるのかを考えると、気持ちは落ち着かないし、心臓はバクバクだし、掌は汗かいてるし。

 まるで死刑宣告を待つ囚人のような気分で改札を出る。

 改札を出てしばらく行ったところに指定された待ち合わせ場所はある。

 その傍に探している人はいない。

 何故かほっとして安堵の溜息が出てくる。

 会いたいのに会いたくない。そういう気分になっているのに気付いている。家を出る前から断る口実を探していた。

 これで響さんもいたら? とか、もしも本当に一人で石川さんがいたら? とか余計な事に気を回してしまって。

 くるっと視線を巡らせてみても石川さんの姿は見えない。

 もう一度はーっと溜息を吐き出して、時計代わりの携帯電話のディスプレイを見る。10時58分。早く来すぎたわけじゃないよね。

 それでも気になって昨日きたメールを確認する。

 うん、やっぱり11時で合ってる。

 携帯から顔を上げると、目の前にその人は立っている。

 いつものスーツ姿とは違い、ラフなコートにデニムといういでたちで。

「おはよ。ゆう」

「おはようございます。いつからそこに?」

「最初から?」

 くすくす笑う石川さんがいつ現れたのか全然気が付かなかった。人の気持ちを翻弄するのが得意なだけじゃなく、気配消すのも上手いんですね。

 思わず頬が緩むと、その頬を突かれる。

 その予想だにしない行動にあっけに取られていると、何も無かったかのような顔をして石川さんが歩き出す。

「行くよー」

 ひょいひょいと手招きをする石川さんの後を追い、駅の改札から目的地へと歩き出す。

 他には誰もいなかった。

 そのことが妙にすとんと胸の中に入り込んできた。


 ダーツをして他のゲームもして、2時間くらい遊んで駅前に戻ってくる。

「腹減ったな。何がいい?」

「そうですねー。このあたりのランチは制覇してますから、少し足を伸ばしてみたい気がします」

 その頃にはどうしようとかといった疑問は掻き消され、石川さんへの警戒心も薄れている。

 背の高い石川さんの体に肩がぶつからないくらいの距離を歩いていて、それは平日との距離感と大差ない距離感で心地良い。

 これより近くに寄っても、遠ざかっても、きっと落ち着かない気持ちになる。

「じゃあ少し歩いたところにいい店知ってる。行く?」

「行きますー! どんなお店ですか?」

「夜は飲み屋なんだけれど、何故かランチ営業もしているという睡眠時間が短すぎる店員たちが哀れになる店」

 ぷぷっと笑いがこみ上げてくる。

「それ意味がわかりませんって」

「アジアンテイスト。扉を開ければそこはバリ島。ただしイメージ」

 ははっとこみ上げてくる笑いを堪えきれない。真面目な顔で可笑しなこと言うんだもん。

 普段は担当が違うせいもあって、喫煙所とか飲み会でしか話すことがないけれど、石川さんってこんな愉快な人だったんだ。新発見だわ。

「よく笑うねー。会社でも笑ってればいいのに」

「笑えませんよー。お局担当ですよ? 笑ってるだけでお局からクレームきそうじゃないですか」

「確かに。あの更年期ババアは会社にとって害毒なんだけど、誰もが手を焼いているらしいし、無駄に年食ってるから役職持ちだもんな。まあ、無理はするな」

 ぐしゃぐしゃっとするかのように頭を撫で回される。あー頑張ってセットした髪が崩れるじゃない。

「もー。子供扱いしないで下さい」

 片手で石川さんの手を払うようにすると、その指がつっと触れる。

 瞬間、ドキっと胸が音を立てる。指から感電したかと思った。

 でも今の偶然触れたんじゃない。「触れられた」んだ。指が指を撫でていくような感じだったもの。

 立ち止まってその瞳を覗きこむと、ついっと目が逸らされる。

「もう少しだから文句言わずに歩け。オコチャマ」

「だーかーら。子供扱いはしないでと」

 抗議の為に手を振り上げ、そして次の瞬間「ああ違う」と思う。

 どんなに冗談を言い合っても、じゃれあっても、この人には大切な人がいる。「違う」んだ。私と付き合っているわけじゃない。

 急に心の中に冬の風が吹き抜けていった。

 すっと手を下ろして石川さんから目を背ける。

「ご飯食べに行きましょうか。おなか空いちゃったんで。もーおなかぺこぺこですよ。普段運動しないからあんまりおなかすかないんですけれど、動くとやっぱりすきますね」

 目指すお店がどこかはわからないけれど、とりあえずご飯は食べる約束をしたからご飯は食べよう。

 でももうそれで帰ろう。

 本当はこうやって会わないほうが良かったんだ。その時はっきりと気が付いた。

 ここで引き返さなかったら、引き返せなくなるって。蕾が膨らんで花を咲かせる前に留まらなきゃって。


 石川さんオススメの入ればそこはバリ島イメージのお店は、確かにちょっと職場からは遠い。

 しかも店員さんたちは夜間の疲れのせいなのか、非常にのんびりまったりと働いている。あくせくしてない。

 だからこそこちらも気持ちがのんびり出来るのかもしれないけれど、平日のランチタイムにこれではきっと会社に時間内に戻れなくなりそうだ。

 葦で編んだすだれで仕切られた簡易個室で石川さんと向かい合い、非常に良心的な大きなグラスに入ったアイスコーヒーを飲む。

 動いたから喉も渇いていたみたい。

 目の前に座っている石川さんは何か考え込むように紫煙を燻らせている。あるいは窓の外を眺めているだけなのかもしれない。

 何をしているのか、何を考えているのかと詮索したくなるけれど、そんな詮索する権利なんて無い。

 それに何故か黙っていてもいいような気がした。沈黙に焦りを感じたりしないからだろう。

 そういう意味では快い人だ。

 いつの間にか懐まで入り込んでいる不思議な人。

「吸わないの」

「はい。食事の前には吸わない主義なんです。食後の一服は欠かせませんが」

「そう」

 冗談でも言って笑ってくれるかなと思ったのに、それっきり石川さんは黙り込んでしまう。もしかしたら壁を作ろうとしているのかななんてネガティブな事が頭に浮かぶくらいに。

 出てきた料理は美味しかった。ランチデザートという小さなシャーベットも辛い味のあとにはとても美味しく感じた。

 だけれど、空気は固まったままだ。

 会計を済ませて店を出たところで、石川さんにランチ代を手渡す。

 レジの前でお金を出すのはスマートじゃないだろうと思って出るのを待ってから出した。

「いいよ」

「ダメです。そう言ってさっきのゲームも出して貰いましたから、ランチくらい払わせてください。せめて自分の分だけでも」

「律儀だねー」

 苦笑いを浮かべながら端数は受け取らずお札を一枚受け取り、石川さんがお財布にしまう。

 妙に緊張がこみ上げてくる。ここでさようならを言うだけなのに。ぎゅっと自分にしか聞こえない音を立てて唾を飲み込む。

「今日はありがとうございました。楽しかったです」

「ゆう?」

「これからちょっと寄るところがあるので、また月曜日に」

 今日初めて名前を呼ばれたことに胸が音を立てたけれど、にっこりと笑みを浮かべたまま自分でもその音に気が付かなかったフリをする。

 そうしないと、そろそろ止まれなくなる。

「あー。買い物?」

「色々見て帰りたいものがあるので」

「ふーん。一人で?」

「はい。一人でです」

「じゃあ付き合う」

 そう行って歩き出そうとした石川さんのコートの裾を掴んで止める。

「ダメです。もう、響さんに悪いですから」

 困ったように眉を寄せ、石川さんが立ち止まる。

 手を伸ばして届きそうで届かない距離が私たちの距離。掴んだコートの裾を離し、石川さんにもう一度笑いかける。

「約束はもう果たして頂きましたから。すみません、私がダーツ行こうなんて誘ってしまって」

「ゆう」

「響さん、知ったらきっといい気持ちはしないですよね。本当にすみませんでした。では失礼します」

 くるっと駅とは反対方向に方向転換しかけたところで腕を掴まれる。

「ゆう」

 掴まれた距離も、触れられるギリギリの距離。

「勝手に決めんな。とっくにアイツとは別れてる。響は関係ない」

「でも」

「でも何だ」

 鋭い言葉に優しい目線。それはずるすぎです。石川さん。

 心の中に作りかけていた砦が瓦解してしまいそう。

「これ以上一緒にいたら無駄に期待します。だから期待させないで下さい」

 心の叫びに近い言葉に石川さんの手が緩む。

 もうこれ以上は無理だから。響さんっていう彼女がいないって知ってしまって、こんな風にされたら止められなくなる。

「ばーか」

「はい?」

「バカにばか以外の言葉は必要ないだろ」

「何でバカ呼ばわり」

「教えてやらねえ。じゃあなっ」

 くるっと踵を返し、石川さんは駅の方向へと歩き出す。一体何なんだ、あの人。でも帰ったって事は、期待はするなって事だよね。

 その背中が小さくなるのをしばらく見送った。振り返らないかななんて期待したけれど、何も起こったりはしない。つまりはそういうことだ。

 あー、ちょっと失恋気分かも。

 鈍色の空を仰ぎ見て、駅から離れた場所にある大きな森のような公園へと歩き出す。今は雑踏にいたくなかった。雑踏の中で知っている人に会いたくなかった。

 じーんと瞼が熱くなったけれど、涙は出ずに堪えきれた。

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