11:電話
夜、携帯のメールが鳴った。
暗い部屋の中で昔ヒロトと見た映画のDVDを見てこっそり涙を流している最中に。
どうせメルマガに違いないと思って何気無く見た画面に凍りつく。その人からメールが来るのは初めてだ。
from:石川さん
subject:明日
11時駅前集合。動ける格好で。
明日? 明日って土曜日ですけれど。何で?
止まってしまった思考とは間逆に、テレビからは英語のセリフや叙情感あふれるBGMが流れ続ける。時々効果音も。
携帯を握り締めたまま動けなくなって、でも何か返事をしないといけないんだと思って、とりあえず落ち着くために冷蔵庫にアイスコーヒーを取りにいく。
お酒はもう十分飲んだので、今はお酒の気分じゃない。寧ろお酒飲んだら思考があやふやになりそう。
冷蔵庫に入れてあるカクテル飲料を飲みたくなった自分にそう言い聞かせ、シンクに寄りかかりながらグラスに入れたコーヒーを飲む。
外では甘いコーヒーばかり飲むけれど、家ではブラックコーヒーのみ。たまに牛乳入れてラテにするけれど。
一口飲んで、なんで真冬にアイスコーヒー飲んでいるんだろうと暖房の効いていないキッチンや数分前の自分を恨めしく思う。
駅で何があるんだろう。ああ、それを聞けばいいんだ。そうだそうだ。
ポチポチと旧式の携帯を打つ。
スマホに替えればいいのにって言われるんだけれど、メールと通話以外は使わないから今のところ必要性は感じていない。
to:石川さん
subject:Re明日
おつかれさまです。
明日何かあるんですか?
短すぎるかもと思いながらもそれ以上は浮かばなかった。
そこまで打って、どきどきしながら送信し、ついさっきまで見ていた映画の続きを見るけれど内容が頭に入ってこない。
重厚な音楽だけが耳を通り抜けていく。
何で休みの日に石川さんと出かけるの? そんな事何も会社で言ってなかったのに。
混乱は混乱を呼んでいく。どうしたらいいかわからない。
どうして? 期待しちゃうよ。本当に期待していいの?
乙女脳が盛大にキラキラとしたものを送り込んでくる。素敵な未来を想像して。
石川さんだったらヒロトも何も言わないよね、とか。
あー、既にヒロトに報告する前提ってことで自分の気持ちわかりそうなもんじゃない。
でも。
頭の中に「でも」が浮かんで、止まる。
彼女の響さん。
スタイルが良くてころころと良く笑う綺麗な社員さん。本社に異動したってことは、多分仕事も出来る人なんだろう。
響さんがいるから。
そう思ったら、溜息が出てきた。変に期待しすぎだー、私。
RuRuRuRuRu
今時珍しいと言われる着うたじゃないコール音に体がビクっと震える。
うっかり投げ落としそうになった携帯の画面を落ち着いて開くと、石川さんと表示されている。
出ようかどうか悩んだけれど、鳴り響く音に観念して通話ボタンを押す。
「はい」
『よう、寝てた?』
「寝てません。DVD見てました」
くすっと電話越しに笑い声が聞こえる。
後ろはざわざわとしているから、もしかしたらまだ飲んでいる最中かもしれない。
『お前ら兄弟は本当に映画好きだよなー』
俺は何でも知っているとでも言いたげな口調に、何故かほんの少しだけ安心する。それは石川さんがヒロトと繋がっているという安心感があるからだろうか。
『何見ていた』
問い掛けに某フランス映画の題名を出すと「らしいな」と返される。
何が「らしい」んだろう。私らしいって何だろう。
『明日さ、お前暇?』
「暇といえば暇です。予定は特にないです」
お前と呼ばれた時にドキっと胸が跳ねたけれど、誤魔化すように素っ気無く返す。
そんなわたしの心中なんて石川さんはまるで気が付かないかのようにマイペースだ。
『明日さ……』
『お疲れ様です』
二つの声が重なる。重なった二つ目の声にドキリと胸が大きな音を立てる。
本当に私とダーツバー行った後に課の飲み会に合流してたんだ。疑っていたわけではないけれど、どこか実感が無くて、さっきまで隣の席に座っていた人が電話越しにいるのが不思議だった。
『ああ、すみません電話中に』
『別に』
謝る声に、私も心の中ですみませんと呟いた。
「今野さん?」
『ああ、代わる?』
「え? いいです。別に」
『何が別になんですかー?』
くすくすという笑い声が耳に心地よく届いてくる。
多分、石川さんからスマホを受け取った時に電話の相手が私であることに気が付いたのだろう。
『俺知らなかったな。加山さん、石川さんと電話するほど仲良かったんですか?』
そうやって笑いながら追い込むの、やめてください。今野さん、絶対今笑い方が「ブラック今野(命名私)」のほうだ。
俺って言ったもん。絶対に、絶対ににやーって笑ったはず。
「そんなこと全然無いです。今日初めてメールも電話も貰いましたっ」
何をバカ正直に報告してんだ、私。しかも焦るような事じゃないし。
頭の中では呆れ顔のもう一人が突っ込みを入れている。
もう完全にパニックだ。
『あはははは。そーなんですね。じゃあ俺も後で初メール入れてみまーす。んじゃ石川さん、俺煙草買いに行くんで』
最後のほうは多分石川さんに渡しながら言ったのだろう。声がどんどん遠ざかっていった。
『パシられてんのか。いい加減誰か後輩パシったらどうだ? あー。ごめんごめん』
代わりに石川さんの声が近くなる。ごめんごめんは私に向けられたものだ。
「別に電話代わって下さいなんて言ってないです」
『今野かわいそー』
じゃあ何でそう言いながら笑ってるんですか。
『明日、ダーツしにいこうぜ。飲みながらもいいけど、駅前に一時間五百円で遊び放題の……』
「あー。あのCMしてるとこですね」
一時間の定額制でカラオケ、ボーリングなどなど出来るレジャー施設の名前を出されたので、なるほどと納得する。それなら一時間ダーツだって投げ放題だからお得といえばお得かも。
『そう。だから駅に11時な。適当に遊んでメシ食いに行こうぜ』
「それは構わないんですけれど、他に誰が来るんですか?」
『さーて。当日までのお楽しみってことで』
まさか二人きりじゃないと思うけれど、妙に期待して胸が高鳴る。
上手く冗談で誤魔化してはぐらかして、石川さんはこういうところがずるいと思う。
下手に期待して当日ずらっと知っている顔が並んでいたら、きっと変に期待した自分が惨めな気持ちになるし、肩透かしを食らったような気分になる。
でももしも他に誰も来なかったら?
無駄に期待だけが広がっていく。完全に石川さんに翻弄されているわ。
『じゃあな、煙草吸い終わったから戻るわ。また明日』
「はい。また明日」
携帯を置くと、はーっと溜息が出てくる。
どっち? 一体どっち?
みんなで遊ぶの? それとも二人で?
期待と不安で頭の中がぐるぐるになっていく。石川さんの本心が見えない。だから踏み込んでいいのか、わからない。
期待なんてさせないで。傷つきたくないのに、どんどん期待が加速度的に増えていくよ。
ぎゅっと握り締めたままの携帯がメールの着信を知らせる。
見なくてもわかる。きっと今野さんだ。
from:今野さん
subject:お疲れ様です。
今日はお疲れ様でした。本当にメールしてみました。
またメールしてもいいですか。
メールでも今野さんの腰は低い。なのに嫌だと拒ませない強さを秘めている。
悩む事無く、あっさりとメールは完成する。
to:今野さん
subject:Reお疲れ様です。
お疲れ様です。
メールいつでもいいですよ。
あの後飲みに行っていたんですね、びっくりしました。
飲みすぎに気をつけて下さいね。
from:今野さん
subject:ありがとうございます
飲みすぎ気をつけます。
ではおやすみなさい。
優しい笑みが脳裏に浮かぶ。いつも頼んでくれる甘いチョコレートリキュールと一緒に。
どうしたいんだろう、私。
キッカケは何であれ、こうやって今野さんからメールが来た事も嬉しい。
自分の気持ちが見えないでいる。本当はわかっているのかもしれない。わかっているけれど、逃げているのかもしれない。