1:派遣先
先日派遣元のコーディネーターに連れられてやってきた、某一流企業。
そこに正式に派遣される事になった私は、コーディネーターと共に出社時間の少し前の時間を見計らって到着する。
さすが大企業と言いたいところだけれど、地方の営業所に過ぎないその場所は自社ビルとは言えあまり大きくないものだ。セキュリティはものすごく厳重だけれども。
今日から勤務する事になっている私にはセキュリティカードが無いので、コーディネーターに伴われ派遣先となる営業部営業課の課長を受付で呼んでもらう。
勤務時間前だというのにしっかりそこに座る二人の受付嬢は嫌な顔一つせず、内線で営業課の課長を呼び出す。
「少々お待ち下さい」
そう言って一番手前のブースに案内される。
そこは先日コーディネーターとの顔合わせで通されたスペースと同じで、四人がけの机と椅子が四脚あり、パーテーションで隣のスペースとは区切られている。
とはいってもこの時間に他のブースに人の姿は見えない。
コツコツと足音が近付いてくるので、きゅっと体を引き締めて手を握り締める。
色々なところに派遣されてきたけれど、どうもこの瞬間は慣れない。緊張してしまう。
課長が来たのかと思って背筋を伸ばしたけれど、どうやら違ったようだ。
足音は受付のところで止まって動かない。
「急に来客が入ったんだけれど、どこかブース空けてもらえないかな」
私宛ではない用件に、ほっと肩の力が抜ける。とても低くて耳障りのいい声が聞こえてくる。
「今日の何時ですか」
「11時なんだけど、上で確認したら全部埋まってるみたいだったからさ」
緊張しているけれど、その会話が頭の中にどんどん入ってくる。緊張しているせいで余計に周囲の事に敏感になっているのかもしれない。
カチャカチャとキーボードを叩く音がして、最後にポンっとキーを押したであろう音と共に受付嬢の声がする。
「そうですね。どうしても11時でなくては厳しいですか」
「先方がどうしてもその時間にという事なんだ。企画の連中に大会議室か小会議室を使ってもらえたらと思ったんだけれど無理だよな」
「企画課の田所さんに聞いてみて貰えますか。田所さんの名前で予約が入っています」
「ああ、田所ね。聞いてみるわ。ありが」
「お待たせいたしました」
受付嬢と話している誰かの声と被さるようにもう一つの声が耳に飛び込む。
はっとして顔を上げると、目の前には先日も会った課長がにっこりと笑みを浮かべて立っていた。
「行きましょうか。葛平さん、ありがとうございました」
私を促し、コーディネーターに挨拶をした課長に倣い、私もコーディネーターにぺこりと頭を下げる。
「頑張ってください。ではよろしくお願いします」
私と課長にそれぞれ挨拶をしたコーディネーターは笑みを浮かべている。
にこやかな両者の間で、私だけが緊張で固い顔をしたままでいた。
だから受付嬢と話をしていた誰かの事など、この瞬間には頭の中から霧散していた。
「加山優実です。よろしくお願いします」
営業部の朝礼で前に立ち簡単に自己紹介をする。
それ以上何も言う事は無いので、助け舟を求めるように課長へと目を向ける。
「営業課で今日から働いてもらいますので、皆さんよろしくお願いします」
課長の声にぱらぱらと拍手が起こる。どこに派遣されても、まあこんな感じだ。
今回は一応半年の契約になっている。半年もすればまたどこか違う会社に行く事になるだろう。派遣なんてそんなものだ。
全員の名前を覚える前にどこか他の会社に行き、そして忘れられる。
大学を卒業してからずっとそういう生活をしてきたので、それに対して何かを思う事は無い。強いて言うならば、面倒な上司に当たらなければいい。だけれど課長からは面倒くさい人独特の雰囲気を感じない。
うん、大丈夫。企業の名前は大きくとも、ここも他の派遣先と同じだ。
挨拶を済ませて自分に与えられた机に座る。
私を含めて十人が営業部営業課第一営業担当のメンバーだ。長ったらしいやたらと同じ言葉が続く担当名で、電話応対の時にどこまで言ったのかわからなくなりそう。
営業課には第一営業担当から第五営業担当までのグループがあって、その担当すべてを束ねているのが課長。実質的にグループを仕切るのが担当長と呼ばれる人で、第一営業担当の担当長は恰幅の良い女性だ。
「加山さん」
早速担当長に呼ばれたので、腰を浮かせて一番末席の私の席から一番上座にある担当長の席まで行こうとするけれど「ああ、いいから」と言われるので、一度浮かせた腰を再び下ろす。
けれど呼ばれてそのままというのもどうにも落ち着かない。
「後で伊藤君に業務説明させるから、それまで机にある資料に目を通しておいてくれる? 前の子が引き継ぎ資料を残してくれているから」
「はい。わかりました」
伊藤君って誰だろうと思いつつも返事をし、パソコンしか置かれていない机の引き出しを開く。
恐らく前任者はものすごく整理整頓の苦手な人だったのだろう。一番上段に筆記用具が入っているが、入れただけといった様相だ。
ぐちゃっと入ったペン類の中からボールペンとシャーペンを取り出し、最下段の引き出しを開く。書類が入るのだとしたらそこだろうと過去の経験からあたりを付けたからだ。
そこには今度は他に何も入れる隙間はないほどぎっしりとファイルが入っている。
ファイルの背にラベルすら貼っていない。
よくわからないけれどとりあえず一冊取り出してみようと試みる。が、本当に無理やり入れられたようで、取り出そうにも取り出せない。
押してみたり引っ張ってみたりするものの、びくともしない。
「大丈夫ですか」
隣の席の若い男の子、名札には今野と書かれている子が心配そうにこちらを見る。
「あ、すみません。騒がしくて」
例え年下だろうと社員さんには敬語。これ、派遣の基本。
「下田さん無理やり入れてたからな」
前任者は下田さんという人なのか。今野さんはくるりと椅子を回し、引き出しの中からファイルを取り出そうと試みる。
ぐいっと引っ張った瞬間、それはバサリという音を立てて大量の書類をばら撒きながら取り出される。
「あーあ」
今野さんは深い溜息を吐き出す。
きちんとファイリングされていなかったって事? まさか引っ張り出したくらいで書類が破れたという事は無いだろうし。
呆然とする私と今野さんの横を背の高い人が通り過ぎようとして足を止める。
「うわー、どうしたのこれ」
「飛び出してきたんですよ。下田さん最終日に無理やり詰め込んでいったみたいで」
「なるほどねー」
さほど広くない通路で邪魔になるだろうと思い、慌てて書類をかき集めようとすると背の高い人は屈んで書類を手許に集める。
「すみません。すぐに片付けますから」
慌てて声を掛けると、その人は笑った。
「いいよ。別に」
気にするなと言われたようなんだけれど、でも今日入ったばかりの新人の私は青褪めるばかりだ。
その人にばかり拾わせるわけにも行かなくて、同じようにしゃがんで書類をかき集める。
「今日から入った人?」
「あ、はい。加山優実です。よろしくお願いします」
最後の一枚をその人が手に取り、ほいっと目の前に差し出す。
「よろしく、加山さん」
背が高くて声の低いその人は自分の名前すら言う事も無く、くるりと踵を返して多分その人の席がある場所へと歩いていく。
その様子を目で追うと、通称島と呼ばれる担当ごとの一塊の机の列で言うならば、三つ隣、恐らく第四営業担当の島の中ほどのあたりに腰を下ろすのが見えた。
たまたま通りかかったから手伝ってくれたのだろうか。
「あの手伝ってくれた人は別の担当なんですか」
今野さんに問いかけると、今野さんからは「はい」と短い返答が返ってくる。
「四担の石川さんです。春までは一担だったんですけれど、異動で四担に移ったんですよ。僕の教育係だった人です」
「そうなんですか。親切な方ですね」
ニッコリと笑うと今野さんは嬉しそうにもう一度「はい」と言った。後輩にも慕われている人なのね。
いい職場だといいなと思って今朝までドキドキしていたけれど、いい人もいるんだなというのが、派遣初日一番最初の印象になった。