2章:天下往来の隔絶者たち 05
関所の中心部で騒ぎの音が聞こえる。人の声と建物の壊れる音、そして金属の激突音。それらをバックコーラスにブルは目の前の男から話を聞いていた。
自分たちの魔動力車に連れてきた浅緋を背中に庇うようにしてブルは身構えている。
「――ってなぁわけで、俺たちゃお前らを試すために出張ったわけなんだが……浅緋がここに居るってなぁ予想外だったな」
自らを天下八絶の山鳩と名乗った粗野な男が話に一区切りを付けたようだった。
「ワシにその話を信じる必要があるのか?」
「はっはぁ! 当然疑うだろうよ! だが、それがなんだ?」
「そうだの。お前さんらが納得できればいいんだからこちらの事情まで斟酌することはないか」
「まぁ俺達としちゃお前らの実力を見てから話を持ちかけて引っ掻き回してもらおうと思ったんだが……」
ニヤニヤと右手で顎をさする山鳩の笑みが、
「もう出会ってしまったんなら、助けろよ?」
酷薄に歪んだ。
瞬間、ブルと山鳩を分かつように地面が隆起した。壁のように盛り上がった地面は小高い丘になって両者の視線を途切れさせる。
だが間を置かずに横一文字にそれが裂けた。
「――……ブル! まともにぶつかってはダメだ!」
浅緋が背後で警告するが、遅い。
ブルはそれより早く別の刻印魔法を行使している。今しがた斬り裂かれた丘は明らかに先ほどよりも遠ざかっていた。
自然型「土」の魔法則、その刻印魔法「流転の大地」。自ら動かずとも地面がひとりでに動き上に乗った者を移動させる魔法である。
「肩を借りるぞ、浅緋!」
小さな身体をバネのように跳ねあげてブルは浅緋の肩へ軽く飛び乗った。更に浅緋の肩も蹴り彼女の背後へと飛びかかる寸前に地面から飛び出した斧槍を「流転の大地」を利用して魔動力車より引き寄せる。
それを右手に踊りかかる先で、
「ほう! 着いてこれるか!」
「舐めるのも大概にしてもらおう!」
既に先回りしていた山鳩の太刀とブルの斧槍が噛み合った。小柄ながらサギールという種族ゆえ人よりも密集した筋肉群をもつブルと、天下に轟く絶技の持ち主たる山鳩の力がぶつかって火花が散った。
「……っ!」
均衡は一瞬だった。ブルが咄嗟に斧槍を捻り武器の噛み合いをやめたのである。飛び出した慣性のまま山鳩とすれ違う。
ブルを追撃するためか身を翻そうとした山鳩がその動きを止める。
「はぁっ!」
浅緋がそうはさせまいと追撃を掛けてきたのだ。上体を逸らすだけで浅緋の攻撃をやり過ごして振り向く山鳩。ブルと浅緋、それぞれと向き合った。
「……浅緋。お前さん、お姫様のような立場だったのだな」
「……やめてくれ。私はそんなかわいらしい女の子などじゃない。なにしろ身体の怪我に頓着できないくらいズボラなんでな」
「お前さん……先ほどのことを根に持っとるのか?」
緊張感が無い遣り取りに見えるが山鳩は内心この会話を評価していた。取り乱すでもなくただ知り得た情報を何気なく確認するくらいには肝が据わっているようである、と。
「さて、山鳩と言ったか」
「あん?」
「ワシとお前さんには正直戦う理由が無いと思うんだが……休戦しないか?」
「ブルッ!?」
突然のブルの提案に噛みつく浅緋を片手で制し、続ける。
「お互いの敵は帝国、それに忌子の排除と帝国の講和を一石二鳥だとし利用することを狙う浅緋排除派。ワシらが今ここで戦う理由が浅緋を救う実力を見極めるためだというにはいささか無理があるように思えるが?」
「いや、ブル。彼らの話は一応筋の通ったものだ」
ブルの提案を否定したのは誰あろう浅緋である。話しぶりから噛みついた時の興奮は既に沈めたようである。
「アサギとしてはこれ以上国力を削られたくないんだ。いくら八絶が控えているとはいえ衰えればその分滅びに近づくことになる」
「お前さん何を……」
「聞いてくれ。政治として国を生きながらえる選択を採った私の排除を目論む一派は間違ってはいない……まぁ政治にこれといった正解は無いがね。色々私の立場を不都合に思う人間がまだ多いのもこの国の現状だ。そんな人物を庇うとなれば不都合も出てくるさ、特に今の窮状だとね」
そうだろう、と同意を求めるように浅緋が山鳩へと視線を投げかける。それを受けて山鳩は苦笑しただけだった。
その笑みにふと小さな優しさのようなものを見て浅緋も笑みを返す。それでもその表情はどこか悲しげだった。
「私の正体が何であれ、帝国の意図を邪魔することになる行動は確実に戦闘の激化を引き起こすだろう。そうならないために妹は表立って行動せずにあなた達を利用する方法を思いついた。不屈の七鐘であれば白々しくとも関与の否定はできる。
アルヘオ事変と同じように私を助け出せるのかを見極めることが八絶の目的なんだろう?」
「そういうこった。俺達個人とすればどうとでもなるだろぉが国としてはこれ以上帝国に攻められるのはキツイ。その為の講和条約」
「……だがそれを否定するようにワシらが動けば当然条件も果たせんはずだ。本末転倒ではないか?」
「ならないさ。何しろ帝国と一緒にお前らを追撃するんだからよぉ!」
――そういうことかっ!
ブルはその言葉に正しく恐怖した。悪役は自分たち、不屈の七鐘に押し付けるのだ。自分たちは条件を果たそうとしましたが彼らの所為で果たせませんでした。私たちも彼らを追うので互いに協力しましょう、そんなところだろう狙いは。
だから力を示せと言った。試すと言った。託せるのか見極めると言った。
自分たちでは「国」としてこれ以上の抵抗は事実難しい。再び力を蓄えるまで浅緋を守れる力があるのか、それまで託すに足るのか。
その役割は浅緋の生まれも鑑みれば……なるほど、確かに厳しい条件だろう。だが世界に名を轟かす「天下八絶」と同等のメンバーが揃っていることを証明できれば国といえどもおいそれと手は出してこまい。所詮「不屈の七鐘」は小規模な組織であるからだ。全力を注いで他国に付け入られる隙はどの国も見せないだろう。
それほどの実力を、世界全てに喧伝しろと言っているのだ。
「……冗談が過ぎるのではないか?」
「冗談だと思うのか?」
ブルは浅緋を振り返る。彼女は俯いており、影となった表情は見上げる形となったブルからも見えない。当事者だから気に病んでいるのかと思ったが次の瞬間に毅然と顔を上げた浅緋の表情はそう語ってはいなかった。
浮かぶのは怒りと戸惑い。
「山鳩、アサギは……この国がそんな真似をしてまで私を消したいのはわかるつもりだ。だけどその事情をブルにまで押し付けた挙句、厄介事の全てをなすりつけるほど誇りを失ったのか?」
山鳩は答えない。彼はただ表情を消して己の武器を構えただけだった。
「山鳩……!」
「浅緋。お前さんを助けてかつこの国の状況を悪化させないためには今の話の通りワシらのような他者を利用する必要があったのだろう。そのためには切り捨てなければならんものもあったのだろうよ」
その切り捨てるものが姉の、浅緋の意志だとしても。
ブルも山鳩の動きに応じて斧槍を旋回させて刃先を突きつけた。
「ただ……浅緋はこの場に居るのだ。このままお前さんを退けて終わりにしよう。何より浅緋の意志を無視するやり方は気に食わん。なんならこの国も助けてやろうか?」
浅緋の意思を尊重する行動をとることで、浅葱の意図にも沿ってやるからこの場を引けとブルが挑発する。何も全て相手の思惑通り行動してやる義理は無い。浅緋を助けることはただ命を救うだけじゃないのだ。彼女の目的の手助けをすることでだって帝国に対して楔になり得るのなら浅緋と共に帝国と、この国の追手とだって戦う道をブルは選ぶ。
あとからお前らの思惑通り浅緋を助けに行きますから、この場では浅緋を預けますなどと言えないくらいには情が湧いている。
「ほう……面白れぇじゃねぇか。曲がりなりにも隔絶級を相手にして啖呵を切るたぁなかなかいい覚悟よ。確かにお前らになら浅緋を任せられるかもしんねぇな」
そう言いつつ山鳩が己の太刀「三日月」を地面に打ち立てる。構えを解いて武器をわざわざ突き立てることに疑問を感じブルは訝しんで――
咄嗟に飛び退いた。
「……ブル?」
勢いがありすぎて浅緋にぶつかる形になったがそれすら今のブルには気にしていられない。視線の先、山鳩には何の変化も無い。彼の周囲にも目にわかる変化は無かった。
だが、
「わかるかよ? いい勘してるぜお前。〝練達級〟の浅緋にも悟れない僅かな挙動を見極めたその眼。なによりそれに恐怖を感じて退く動作」
彼の口が三日月のように弧を描いていた。
「これだけで今のお前が俺に敵わねぇことを、悟ったな?」
乱れる呼吸音はブルのモノだ。今の遣り取りで自分には到達できていない高度な交錯があったことを知った浅緋が青ざめる。
彼女の覚悟は本物だ。この国の追手全てを切り伏せてでも帝国の上将の元まで辿り着き、浅葱を偽って近づいて討つ。その目的のためには〝天下八絶〟にだって挑むという気概があった。
だが、想いだけではどうにもならない壁もある。
運命という言葉は何もロマンチックな言葉だけを象徴しているのではない。人がどうしようもない局面に陥って、諦めた時に口にする言い訳にもなり得る。
なら、いま浅緋の境遇を巡ってぶつかる者はどうだろうか。
浅緋自身はただ何もせず終わるのではなく、何か行動したかった。この国の……いや、妹のいる国のために自らの手で問題を解決したかった。
ブルは今後の浅緋については未だどうするかは決められないものの、この場において連れていかれることは本意ではないだろうと思っている。国の者の手で帝国側に差し出されるときは浅葱の影武者としてであり、そこに「琴吹 浅緋」という人間の意志はない。当然抵抗できないように色々な措置もされるはずである。だからこそ自らの意志で向かおうとした。
天下八絶の目的は不屈の七鐘に浅緋の現状を知らせて救い出させることだ。浅緋が自らの意志であれ、国の手であれ帝国の手に渡りさえすればあとは全てをブルたちに投げ渡してしまうことで極力事態を丸く収めたいのだろう。
浅緋の意志とブルの意志。
それらを圧倒的な実力で叩き潰す目の前の男との戦闘は、どうしようもないくらいに勝ち目が見えない。
負けることが、状況に呑まれることがどうしようもない運命だったと言うように。
「浅緋。俺達はな、お前を捕える任務を正式に受けている。その意味がわかるな?」
「あ……」
ピシリ、と己の内から軋んだ音を浅緋は聞いた気がした。お前は天子の姉として黙って見てろと言われたような気がして意志が挫けそうになった。ただ居るだけでいいのだと言われた気がした。助けて「あげる」という意味だ。今までと変わらない受け身の姿勢。
やはり自分は役割を与えられて生かされているだけなのか。
「――……う、うおぉぉぉっ!」
突然だった。ブルが雄叫びを上げて山鳩に突貫を仕掛けた。ブルの叫びに驚いて呆けていた浅緋が我に返る。それは恐怖に抗う雄叫びだった。
「浅緋を助けると言うならば何故浅緋の意思を尊重して一緒に帝国に抗わん!? 国の事情があるだろう、天子の役目があるのかもしれん! それでも! 何故こうまでして回りくどく非情になれる!?」
「おいおい……非情はないだろう。浅葱は姉である浅緋のために面倒くさい今回の動きを取ったんだぜ?」
「非情だとも! それは浅緋の意志を完全に鑑みていない行動だからだ! 浅緋が助けてと言ったのか!? 違うだろう! 浅緋は……」
ブルが迫っても山鳩は突き刺した太刀を動かさなかった。ずっと、柄を掴んだままである。
「浅緋は、自分にも何かできることは無いかと訴えていることに何故気づかん! 自分にも出来ることがあるのだと、手を貸すことが出来るのだと、その可能性一切を否定してどこが優しさだ!
何もさせず全てを請け負うことが優しさなどと思うな! 何もさせないことを押し付ける強制は残酷な――あまりに残酷な束縛だっ!」
ブルが目前に至ってようやく山鳩は動いた。
突き刺した「三日月」をさらに押し込んで、一言。
「――嗤え。三日月」
乾いた「カカカカカッ」という音が連続する。
ブルの後方から二人の激突を見た浅緋は、鮮やかな紅の花が咲いたのを見た。それは鉄臭い匂いと共に周囲に広がり染み込んだ。
「ブル……?」
ぐしゃり、と勢いのままに無様に堕ちた小柄な影はピクリともしない。
山鳩の外見は一変していた。肩に腕に腹に膝に足に――身体の至る所に弧を描く「口」がある。まるで、三日月のように。
動作型、詠唱魔法と加護魔法の融合魔法。
絶唱「月歌微刃」。
己の筋肉の軋み、骨の音、鼓動音など微かな人体の全ての音を詠唱魔法として、加護魔法で身体の各所に裂けた口より詠う。地に突き刺した「三日月」がその振動を増幅することで不可視の振動の刃と化した複数の「嗤い声」は力の及ばない弱者を嘲笑うように切り捨てる。
「……耳に痛いお言葉をありがとよ。だが国を背負うとはどういうことか知らんわけでもあるまい。強制してでも、押し付けてでも、対象の意志すら切り捨てて行う善意しか表せない立場があるということもあるもんさ」
山鳩に言葉を投げかけられた当人は答えない。
「ブル……おい? ブル……?」
掠れた浅緋の声が木霊するだけだ。
「もう聞こえてねぇか。一応急所は外したつもりだが……力を付けてから理想は謳うもんさお人よし野郎。生きてたなら……短時間極まりないが力を付けて全ての雑音を跳ね除けてから吠えやがれ」
浅緋に近づいた山鳩が荒く彼女を担ぎ上げた。
「うぁ……嘘だ……ごめんなさい……私が我儘に動いたばかりにあなたを、ブルを……ごめんなさい、ごめんなさい……」
うわごとのように弱くうめく浅緋の声を耳元で聞いて、
「ったく。嫌な役目を引き受けたもんだぜ」
山鳩は立ち去ろうとして……感じた気配に振り向き、そして見た。
彼の視線の先には、ふらつきながらも立つ小柄な影。それはこちらを、いや浅緋を指差して、
「……待っておれ。必ず、迎えに行く……だからお前、さんも……己の意志で戦っておれ、浅緋……」
「ブ、ル……?」
「この国の……妹のために動きたいんだろう……? 状況に流されても……時が来るまで、お前さんも……折れるな」
そう言い残し再び倒れ込んだ。
うめき声から鼻をすする音に変わった声を耳に、少しずつ染み込んでくる温かさを肩に感じながら、
「……見事」
相手を讃えて山鳩はその場を去った。




