2章:天下往来の隔絶者たち 02
遅くなりました。
自分たちのパトロン的な存在であるアウグストゥスが密会を行っているとは露知らず、ベルデとヴィオレッタはご機嫌に団子を頬張るコキアを前に微笑んでいた。
穏やかな時間だった。アルヘオでコキア救出から始まったいざこざが報われるような時間である。
「おいしいですか?」
「おいしいよ! でもこれで終わり……」
「ふふ。私の分もあげましょうか?」
「ホント!?」
ベルデが差し出した団子を嬉々として受け取る少女を見て目を細めるヴィオレッタだったが、ふと表情を戻しベルデに顔を向ける。
「ベルちゃん、あんまりこの国で堂々とできないんでしょ? いくら中心部からまだ遠いと言ってもこんなにゆっくりしていても大丈夫?」
ヴィオレッタの心配はかつて聞かされたベルデの過去に起因する。ベルデがこの国で活動していた際に行っていた仕事は、決して褒められるようなものではなかった。最終的には自らの気持ちに気が付いて足を洗ったとは言え、最後の仕事は結果から言えば失敗しているのだ。その仕事上、国から賞金を懸けられてもおかしくはないのだ。
事実、この国に訪れしばらく滞在することでほとぼりを冷ますという方針が出された際にベルデはただ一人難色を示しているのだ。ベルデ自身思うことも有るのだろうが、やはりそれ以上にこの国には居場所が無いというのが大きい。
「心配は尤もですがハッキリ言いますとこの国に入った時点である程度の人物には気づかれていると思います。それならば逆に堂々とすることで相手から接触があるならば受けて立つだけです」
ベルデがそのことをあまり気にしていないのは、すでに覚悟を決めているからだった。
「…………ベルちゃんの隠密も通じないか。やっぱりそれほどのもの? 彼らは」
「そうですね……。一度見えたことがあるのですが、戦闘に関しては二度と関わりたくないと思います」
そう言ってヴィオレッタに苦笑してみせる。
「ねーねーヴィオ。食べないんならヴィオの団子もちょうだい?」
「ん? あー、欲しいの? 食べてもいいけど、お腹壊すわよ?」
窘められたにも関わらず了承を得た瞬間、ヴィオレッタの皿を回収する少女にヴィオレッタも苦笑の表所を見せる。
「それはそうと、ベルちゃんがそう言うくらいならまともに会いたくはないわねぇ……。流石に世界に名を轟かす、アサギの誇る〝隔絶級〟と言ったところかしら。ところで……」
ニヤリと口を歪めたヴィオレッタが急に身を乗り出してくるのに合わせて、何事かとキョトンとしながら体を反らせるベルデ。
「ベルちゃんは階級で言うとどこら辺なの?」
階級。それはアサギ国内で、独自に設けられた個人の戦闘能力を測る尺度である。
門弟級。ごく一般の兵士は大体がこの階級である。しかし流石に武人の国、この階級の者でも、実力が上位であれば各国の部隊長クラスに匹敵する。
師範級。この階級の者は門弟級を率いる権限を有する。また、弟子を取り己の流派の技術を広めることが許されるのもこの階級からだ。余談ではあるが、かつてベルデが相対した帝国のエヘクトルは師範級の下の下という実力だろう。
練達級。帝国では十二将クラスの実力者がここに属すると予測されている。しかし実際のところはただでさえ属する人数が激減する階級であり、実際に十二将に匹敵する練達級はかなり上位の者だけだろう。
そして――隔絶級。ここに属するは、たったの八人。生きる技。武人の頂点。アサギの誇る鬼神たち。一度その技が繰り出されれば、相対した人に、状況に不変を許さず。彼らの戦闘は国の存亡を左右する。またの名を、天下に轟く八の絶技――〝天下八絶〟。
四つの階級に実力を判別することでこの国は、自国内の武人を統括しているのだった。
「私は……そうですね。大きく言えば練達級の下の下。シビアに自己評価するなら師範級の上の下といったところだと思います」
「ふーん? もっと大きく言ってもいいと思うけど、私は。錬脱級の中の上くらいは見積もってもいいんじゃない?」
「それは自信過剰だと思いますよ。この国の練達級は本当に十二将、それも上将にだって匹敵する者が居るんですから。私なんて少々コソコソすることくらいが長けているだけでそれほどでもありません」
ベルデが滅相もないとばかりにゆったりと首を横に振りながら、ヴィオレッタの言葉を否定して、頬をリスのようにしたコキアが団子を咀嚼しながら両隣の保護者を見遣った時だった。入り口から大柄な男が入ってきたのだ。
「謙遜も過ぎると嫌味にしか聞こえんのぉ。お前ぁさん、ワシら八人の追撃を撒いておいてその自己評価は無いんじゃないかぁ? 潜影の死神、お前ぁさんいつから自信まで潜ませるようになったか教えてくれんかぁ」
ヴィオレッタの反応は速かった。左手にコキアを抱え、右側に倒れるように移動し振り返る。対し、ベルデは固まった。聞き覚えのあるその声に。
「ベルッ!?」
「ほう? お前ぁさんも見覚えがあんなぁ……あぁ、前の上将じゃぁ。あの小娘の前任じゃった奴じゃろぉ? 中々、中々期待できそうな組み合わせじゃぁ」
「…………あなた、一体誰よ?」
ヴィオレッタの戦闘経験が警鐘として相手の脅威を訴える。通常より低い声音で相手へと誰何するが、相手から答えがあるとも思わない。そして、それは予測通りとなった。答えはベルデの口からあったのだ。
「………蘇芳……………なぜ、ここに……」
●
天下八絶、蘇芳。彼の服装はベルデ達が店の入り口で目にした客のモノであり、つまりベルデは彼の姿を至近で目にしておきながら気が付けなかったのである。
己がこの国で最も警戒するべき人物の一人に、全く気が付けなかったということ。
そして、彼が今己の目の前に立っていること。
この二つの事実がベルデの思考を、行動を束縛している。
「何故、と問われれば用があるからとしか言えんのじゃぁ。国の指示でお前ぁさん達を試させてもらおうと思ぉてなぁ」
「試す? 私たちの何を試すというのですか? それにあなた達が、国の指示を受ける筈がないでしょう……! 身に付けた戦闘能力が一体どれほどの影響力を持つのかわかってない筈がない!」
「お前ぁさんがどう思おうと勝手じゃぁ。ただ、お前ぁさんたちの目の前にワシが居る。それだけで取るべき選択肢は自ずと決まってくるんじゃないかぁ……?」
その喋り方も相まって、非常にゆったりとした動作であった。しかし鈍い、ということはなく、ただただ相対する者に見ることしか許さぬ流麗さも兼ね備える。実際、コキアを抱いているため最も逃避行動に重点を置くべきのヴィオレッタが眼を見開いて、身じろぎ一つ取れなかった。
蘇芳の右手が太刀を抜く。柄の数珠が、チャリ、と鳴る。
「ッ!」
瞬間、ベルデがヴィオレッタの右手を掴み己の影へと引き込んだ。彼女たちがこの場を離脱した後には蘇芳が一人、太刀を携えて立っていた。
「フム……流石に一度相対していれば動けたかのぉ」
蘇芳はぐるりと顔を巡らせると、スッと足を滑らすように動かした。
「……………食い逃げ………」
音もなく姿を消した蘇芳の後には店主の呟きと、ベルデ達の座っていた、寸断されたカウンターがあった。
●
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
「まさか、あそこまでだとは思わなかったわ」
軽食屋から遠く離れた関所の外縁部。そこにある規模の大きな宿屋の屋根で膝を付くベルデと歯噛みするヴィオレッタ、そして彼女らを心配そうに見つめるコキアの姿があった。
「何もできなかった……!」
ヴィオレッタは自分が上将でもあったことから有数の実力者であるという自負があった。それは驕りでもなく事実だろう。
そんな彼女を蘇芳は「呑んだ」のだ。秘めた実力で、備えた技術で、叩きつける気迫で、元帝国十二将、上将ヴィオレッタ・サートゥルヌスの戦闘行為を闘う前に抑え込んでしまったのだ。
だが、それよりも案ずることがある。
「ベル、大丈夫?」
返事は、無い。あの時、ベルデが発動した「影渡り」で避難できなければ終わっていた。あの静かな気迫の中、動いたベルデは逃げるというだけでかなり消耗していたのだ。
「ただ対面するだけでアレなら、闘うってなるとどうなるのかしら……。そもそも何故彼らが私たちの前に現れる? 用があると言ったけれど……一体何を求めてるのかしら?」
ベルデの回復を待つ間の独り言。己の疑問がただ口を吐いただけだったのだが。
「知りたければワシの試験をクリアすることじゃぁ」
「……おじさん、速いね」
パチパチ目を瞬かせるコキアの質問に蘇芳は快く答えた。
「お嬢ちゃん。武道にはなぁ、基本となる歩き方というモノがあるんじゃぁ。その一つには摺り足、言うモンがぁある」
動作型、刻印魔法「滑歩」。動作型は全魔法の中でも特殊な魔法だ。動作型で刻印魔法というと、決まった型による一連の動作から生まれるものか、己の鍛錬の果てに超常の域にまで昇華された技術であるかだ。前者は一連の動きを本来の魔法文字に対応する物として、後者は超常の技術を己に刻みこむという意味で刻印魔法に分類される。「滑歩」は後者に分類される動作型の魔法である。
だからと言ってここまでの速度、音の無さ、気配の無さを実現できる武人はそうそう居ない。隔絶級である蘇芳の「滑歩」であるからこそ、隠密移動に長けたベルデを逃がさず、追跡も悟らせぬ精度だ。
「……滅茶苦茶ね、あなた」
「お前ぁさんに言われたぁないなぁ。お前ぁさんも十二将言う、大概頭一つ抜きんでた存在じゃろぉに」
覚悟を決めたヴィオレッタの身体が輝きはじめ、臨戦態勢を見せる。蘇芳はその顔にようやっとハッキリと表情を見せる。
笑み、だ。
それは相手を和ませるための表情ではなかった。
それは相手の警戒心を緩めるための表情ではなかった。
「――――」
それは、相手の気勢を砕く表情だ。
呑まれかけたヴィオレッタだったが彼女も同じような失態は二度としない。彼女とてかつては同じく世界の実力者の代名詞を背負った身だ。
同じく、笑みを浮かべる。
それは相手が心許す表情ではなかった。
それは相手を落ち着かせる表情ではなかった。
「……ほぉ?」
それは、相手に後悔させる表情だ。
相手の選択を嘲笑う、強者からの上から目線。弱者を委縮させる優位に立つ者の顔。
「試す、なんて何様? 悪いけれど試されるほど未熟者でもないの」
「その意気、良かぁ。お前ぁさんが持つ全てで抗ってくれなぁ?」
ヴィオレッタが傲然と見下すように正対する。光纏う姿は人の及ばぬ天使のごとく。
蘇芳が愛刀、数珠丸を右手にひっさげる。左足を前に静かに立つ様はしかし鬼のごとき気迫を纏い。
「いざ」
チラリと後方を振り返ったヴィオレッタとベルデの視線が交わる。ベルデが頷いた。
「尋常に」
ほとばしる気迫すら柳のように緩やかに、制御し抑え込んだ蘇芳が身を沈ませて。
「「勝負っ!!」」
ヴィオレッタの位置で光が弾け、蘇芳の姿が揺らいだ。
「――ぬぅ?」
そして蘇芳は感じる。手応えの無さを。ヴィオレッタはその光速を以てコキアを再び抱き上げて即座に撤退したのだ。
一瞬蘇芳が呆けた、その眼前で影が膨らみ包み込む。
「――影牢」
両手を地に付けたベルデの、渾身の魔法だった。
●
早い話、ベルデはヴィオレッタと予め方針を決めていた。
総合的な実力の高さ、安定感、そしてベルデの移動速度すら上回る――直線機動限定になるが――光の速さ。
それらを有するヴィオレッタにコキアの安全の確保と他メンバーの安否、連絡などを託したのだ。自分たちが何かしらの理由で狙われた以上、他のメンバーにも刺客が差し向けられていても驚かない。
出来るだけ速くほかの皆の状況なども知りたいということもあったし、何よりヴィオレッタと違いベルデは天下八絶とは初見ではない。かつては撒いたという過去もある。ならば相手の情報を多く持つ己が相手をすべきだと主張したのだ。
ある程度時間を稼ぎ、その後で行方をくらます。実現できれば仲間と合流し現状を確認することで相手の目的もわかるかもしれない。
だが、分が悪すぎる選択だった。ヴィオレッタはベルデを信じて任せたが、相手がそんな信頼すら打ち砕く。それでも二人揃って逃げて追い付かれた以上、誰かが足止めしなければならなかったのだ。
「さて、どうなりますか……」
●
蘇芳の周囲360度全てが黒で染められていた。物理的な圧力を感じる黒だ。
ベルデの魔法「影牢」。それは実体を持たない影を己の手足のように扱かう魔法。ベルデはマントに刻まれた魔法文字の組み合わせで多種多様の刻印魔法を扱う戦闘スタイルだ。刻印魔法の欠点は魔法文字を書くときに隙が生じやすく時間が掛かるというモノであるが、ブルの並列施行とは別の方法でその欠点を補うのだ。
あらかじめ刻まれた魔法文字の組み合わせを自在に変えることにより、瞬時に発動する。ベルデのマントは謂わば魔法の倉庫と化している。
そんな、中々に厄介な相手を前に、しかも相手の魔法を身に受けながらも蘇芳の余裕は崩れない。
「あっちの元上将も手合せしたかったんじゃがのぉ。まぁ、あれからどのくらい変化があったのか見せてもらうとするかぁ」
静かに、しかし大きく息を吸い込んだ。
そして――、
「~~ッ!!」
意味のある言葉ではない。
意味を汲み取れる音ではない。
詠唱魔法「咆撃」。ただ空気を震わす大音声が周囲の黒をぶち抜いた。
●
影が、晴れる。
「――相変わらず、出鱈目な!」
己の心を鼓舞し、素早く次の手に移るベルデ。マントが藍色に輝き、只人には理解できない魔法文字が連なる。構成されるのは一つの単語となって意味を為し、魔を導く超常の名と化す。
ズズズ……と不気味な音を伴って彼女の周りの影が波を打つ。黒い水が満ちてくるようにそれらは集まり、ベルデが勢いよく蘇芳のいる方向に手を振り抜けばしなやかな軌道を描き相手を貫かんと無数の槍となった。
銀光が、煌めく。一閃、二閃、三閃……加速し密度を増して球となる、銀の剣舞。
ベルデの攻撃は一撃たりとも届かない。
最後の槍が払われたその先には、蘇芳が大きく口を開いて――
「~~ッ!!」
「――っ!!」
破壊の咆哮が放たれ、影が揺らめき、再び攻守が入れ替わる。
蘇芳の首元、僅かに出来た影から伸びる短剣を握った細い腕。
ベルデの攻撃は必中の距離まで迫りながらも空振りに終わった。蘇芳が僅かに一歩を踏み込んだだけで、首元の影を日の下に晒したのだ。影とともに霧消する細腕。
しかしベルデは相手を逃さない。
脇の下、服の皺、内腿、膝裏、足元――蘇芳の身体に密接するあらゆる影から伸びる死神の刃。斬撃や刺突という手段で襲い掛かる。
普通なら致命。しかし相手が相手だ。だからベルデは良くて重症、最悪掠り傷に留まるだろうと予測する。
その時、蘇芳が呼吸法を変えた。
効果は劇的。全ての刃が、蘇芳の身体に触れた瞬間砕け散ったのだ。
「そん、な……馬鹿なことがありますか……」
漏れた感想は呆れに近い。
詠唱魔法「活息」。独特の呼吸法を詠唱とし、己の身体に活力を宿らせる魔法。柔な攻撃手段では傷を負わすどころか、武器が耐えることすら叶わない。
呆けたベルデに蘇芳が数珠丸を振り向ける。
ゆっくりと振り上げた太刀を、焦らすように、決まった舞の様な軌道で動かした。
「――拝めぇ、数珠丸」
チャリ、と音がベルデの耳に届いた。
考えたわけではなかった。
ただ、死の恐怖に突き動かされ咄嗟に首を傾けたのだ。
それが、ベルデの首の皮一枚を文字通りに繋いだ。
――キイィィィィ…………ン。
耳鳴り、
――パンッ、パンッ!
柏手のような音が続き、
ベルデの横顔で空気が破裂した。あまりに鋭すぎる斬撃が空気を裂いて、その空間に周りの空気が流れ込んだのだ。あまりの衝撃にベルデは大きく飛ばされる。
耳鳴りは、空気を切った音。
柏手は、圧倒的な勢いで流動する空気の音。
刻印魔法「剣舞・拝一刀」。
ゆっくりとした動きから数珠の音まで、それら全てが舞の型。蘇芳の編み出した刻印魔法の一つである。
「……カハッ、ケホッ……こんな場所で、大技を……」
首から滴る血を拭い、揺れる身体で立ち上がる。そんなベルデに余裕を崩さない蘇芳が歩み寄る。
「これで大技言うたらぁお前ぁさん、この先持たんぞぉ? まぁ、一撃の威力は高いがぁ派手じゃぁないじゃろぉ?」
「バケモノめ……」
「そうじゃぁ。お前ぁさんの前に居るのは人を越えた鬼なれば。振るわれるは人知の及ばぬ絶技なり。ここは芸術大国――」
「…………鬼の国、ですか」
「鬼に抗うならぁ、それなりの覚悟と鍛えた技でぇ掛かってこんと死ぬぞぉ?」
「殺せるものなら、殺してみなさい!」
ベルデの姿が、いや存在が消失する。
大規模魔法陣「失影」。影無き者は実体無し。言葉通りの効果を以て稀代の暗殺者が己の最高の技を以て天下八絶に挑みかかる。潜影の死神、最高の隠密魔法。
「中々面白かったぞぉ――ベルデ・メルクリオ」
緊張を強いられるような状況で蘇芳は身体から必要最低限にまで緊張を緩めた。それどころか瞼まで閉じてしまう。
視界を閉ざした蘇芳には知ることの無いことだっただろうが、彼らが戦闘している屋上の全ての影が空へと伸び始める。姿を消したベルデが相手の死に場所を構築しているのだった。これから発動する魔法はあまりに時間が掛かるため、潜伏手段としての「失影」。
ある一定の高さまで伸びる影は互いを求めるようにその空間を閉じつつある。周りから見れば黒いドームが眼に出来ただろう。その空間はあらゆる精神に、心に物理攻撃を届かせるための無間地獄。刻印魔法を基盤に攪乱魔法、妨害魔法を組み合わせた融合魔法。あらゆる知覚を乱し、あらゆる抵抗を妨げる処刑場。
物理的攻撃が肉体ではなく精神にダメージを与える場。
心の死んだ人間は、生ける屍となる。
「――夢幻地獄」
ベルデが滔々とした声で魔法の発動を告げた。
●
周りが闇に閉ざされた中で、己から視界を闇に閉ざした蘇芳はただただ心を静めていた。感じるべきものを感じるために。
彼の耳には丁度ベルデの声が聞こえたところだった。
流石、だと蘇芳は感嘆する。あの若さでこれほどの融合魔法を扱える。瞬時に不利を悟りながら破れかぶれになろうとせず、状況の好転を求め二手に分かれた覚悟。一度相対したことがあったとはいえ、いや、あったからこそ実力差も知っているだろうに。
それでも今まで自分を足止めしてみせていること。先ほどの「剣舞・拝一刀」を目の当たりにしても生きることを諦めない心根。普通ならあそこで実力差に挫けるだろう。
「そこまでワシに抗えるならぁ、合格じゃぁ。ただ翻弄されることはないじゃろぉ。お前ぁさんたちに浅葱の想いを託そう」
ベルデはかつて浅葱の暗殺に赴き、失敗した身だ。かつて彼女らの間で何があったのか蘇芳は知らないが浅葱がベルデの心の闇を晴らしたのは確かだろうと思う。そうでなければ稀代の暗殺者が人助けに動くなど想像もできない。
「次は、お前ぁさんが助けてやってくれぇ」
捉えた。瞼の裏で一筋の光が見える。
全力で向かってきたベルデに敬意を表して蘇芳も己の最高の技で受けて立つ。天下八絶などと、鬼神などと呼ばれようとも、蘇芳たち八人はどこまで行っても〝武人〟だった。
片手を拝むように胸の前に立てる。存在が希薄になるような、決して光が強いわけではないのに直視できないような神々しさ。その光は澱のように足元に積み重なるようにして蘇芳を中心に広がっていく。
「――無明悟澱」
加護魔法「絶技・無明悟澱」。視界を閉ざし闇に身を委ね、悟りを開くが如く第六感を解放させる。身から出る朝靄に似た輝きは時間が経つにつれあらゆる害を祓い往く。
人が敵わぬ、鬼神の一柱が顕現する。
絶対不可避、過去、未来永劫破れることはないだろうと言われる絶対の奥義。
周囲から迫る黒い亡者の手が祓われる。
己を包む夢幻の地獄のような空間が崩れ去る。
第六感には相手の動きどころか、心すら感じられる。相手の次の行動など最早赤子の手を捻るが如く容易いことだった。
「動揺は、身を危険にするぞぉ?」
「――っ!?」
瞼の裏に、目を見開いた相手の表情。感情は嘘だと小さく呟いている。
――何を驚く。何を愕然とする。お前の技は、お前にとってそれほどまでに強かったか。自分の技は、お前にとってそれほどまでに桁外れだったか。
「お前ぁさんの前に居るのを一体誰と心得る――天下八絶じゃぞぉ」
――お前の技が我が身に届くと思うな。発動すらも許さない。お前の動きが我が予測を超えると思うな。心ひとつ読み違わない。
「誇るが良ぃ。ワシの絶技を受けるに足る、実力と胆力じゃったぁ」
――天上の戦闘技術というモノを、見せてやろう。
「――拝めぇ、数珠丸」
閉ざした視界でありながら、先ほどとは比べ物にならぬ精度を以て放たれる攻撃。
耳鳴りと、柏手が、場を清めるように澄んだ音を響かせた。
感想などお待ちしています!
誤字報告やご意見・質問などもお待ちしてます。
また次回!




