序章:それは、吹き荒れる嵐のように
そんなわけで始まりました。
月光の下、黒い髪が翻る。
風に踊るそれは、手から零れる流水のように清らかに。
しかし、人を呑みこむ津波のように猛々しく。
「――ハァッ!」
一閃。
紅い飛沫が噴き出した。自然の物ではない噴水を造りだした張本人である少女が、自分の身に血が降りかかることを避けるため飛び退いた。
動きを止めた少女に合わせ、腰に届こうかという長い髪も遅れて宙を泳ぐことをやめる。右手には今しがた、地に伏す男を仕留めた武器――太刀。
上半身は黒い胴当てを身に付け、腕には黒い小手が肘近くまでを覆っている。胴当ての下は白を基調とした長い袂の服であり、袂の部分にゆくにつれ徐々に水色が濃くなった色合い。袂は邪魔にならないようにたすき掛けられた紐で縛られている。下は朱一色の衣服で「袴」と呼ばれるものだ。脚には脛当て。
肌はどこか蒲公英の色合いを窺わせる。一重の瞼と多少面長の輪郭は大人びた顔立ち。
「――ふぅぅぅ~……」
長く、長く息を吐きだし余分な緊張をほぐしていく少女。そんな彼女の周りに、少女に向け太刀を構える男たちがいた。計、四人。
「……どうしても抵抗なさるか、浅緋様!」
「……抵抗せねば、拓けぬ未来だ。私は往く――寄らば、斬る」
浅緋と呼ばれた少女が、手に持つ太刀を無造作にぶら下げて歩む。誰が見ても、構えをとる男たちの方が戦闘態勢を整えているような光景。しかし、悲壮感を漂わせるのは男たちの方であった。
「退け。お前たち〝門弟級〟では〝練達級〟の私に敵うまい。せめて〝師範級〟の集団で来るべきだったな」
「……退けぬ事情があるのです。お判りでしょう。我らが天子――第六代浅葱様は決断なされたのです。あなたを贄に帝国と友誼を結ばれる道を」
「……妹に伝えろ。私は帝国十二将筆頭、カラミタ・ジャッロの刃に掛かることを拒否するとな。〝世界最高練度の武人〟を自負する国だ。何故今になって、譲歩した?」
「状況が変わりました。一月前の〝アルヘオ事変〟のおかげで帝国は武力侵攻により一層躍起になってしまったのです。この国にも上将が二人攻め込んできています。いくら我らの練度が高くとも、数が違いすぎる。そのため〝貢ぎ物〟が必要になったのです。それは〝この国の象徴たる者の姉〟という、高貴な身分のあなたにしか出来ないのです!」
男たちも必死だった。出来るなら避けたい道だ。しかし避け得ぬ道だ。同じ大国といえども長引いた戦乱は確実に国力の差を開いていたのだから。
人は、資源だ。「人財」という名の価値と「人材」という名の役割を持っている。世界最多の人口を持つ帝国と大国中最少の人口である彼らの国では、資源が尽きるのはどちらが先かなど浅緋にだってわかる。
「貢ぎ物だと!? 一体いつからこの国の武人たちはそんなへりくだるようになった!?」
「生きてこその物種です!! 多少の不自由、理不尽、それはあなたでなくとも世界中に溢れているのです!」
「……だからこそ、だ。お前たちも知っているだろう? 一月前、世界に轟いたあのバカどもの名を」
男たちは、答えない。
「奴らは行動で語った――〝理不尽には抗える〟と。民には迷惑もかけるだろう。故郷は失望するかもしれない。世界は更に帝国の脅威が蔓延るのかもしれない」
浅緋が男たちと、五メートルほどにまで近づいた。既に両者とも己の攻撃、その射程距離に相手を置いていた。
「だからこう言っている。何で、私なんだ? 〝天子の姉〟だから? 誰一人私を〝琴吹 浅緋〟という人間としては見てくれない。私は〝天子の姉〟ではなく〝琴吹 浅緋〟として生きたい――」
「……我ら如きにはその心中、慮ることすらできませぬ。されど、それは生まれ持った〝責〟でもあるのです。どうか、その理不尽も運命として受け入れてもらえませんか?」
浅緋は苦しそうな表情で瞑目した。彼女が我が身可愛さのみで無辜の民を切り捨てるような、そんな無責任な少女ではないと男たちも知っている。
だからその表情は彼女にとっても苦しい決断だったのだろうことを確信させる。
しかし。
それでも。
「……私にも、未来を選ぶ〝権利〟が欲しい」
それは、選択肢。どの道を進もうかという枝分かれた未来図を歩める人間がこの時代にどれだけいるかなど、わからない。生きたいのに、戦乱に巻き込まれてダメだったと、そんな人も居るだろう。だけどそれでも「抗った」。
浅緋には抗うことすら許されない。生まれ持った〝天子の姉〟という責は、彼女にとって檻であり鎖だった。
諦めていた。本当に大事な局面において自分は〝国の安寧をもたらす為の道具〟だと。
切り捨てていた。誰もが見てくれない〝琴吹 浅緋〟という一少女の顔なんて。
そんな時、全世界に向けられた帝国の処刑風景。特に珍しいものではなかった。帝国に抗ったその果てに同じ結末を辿る小国群は無数にあった。だからまた一つ、時代の波に呑まれたのだと魔法によって流される映像を眺めていた。
ところが。
たった七人で。
処刑される〝王女〟ではなく王女という立場から命散らそうとしている〝少女〟を助けにきた者たちが目に映ったのだ。
ただ、助けたい。その想い一つで帝国に刃向い、見事少女を助けてみせたお人よしたちがそこに居た。
初めて知った。人はどんな立場であれ〝生きる意志〟を持っていいのだと。
だから、初めて選んだのだ。道具ではなく人として生きる道を。
「私はただ浅葱の姉というだけで、実質的な権限は何もない。敬われることはあっても身分は平民。ただ肩書きだけでも箔があるからと、己の自由を、意志を封じ込められてきた。
だが、一月前の出来事を知って変わったよ。肩書が私なんかじゃないんだ。そんなものはただの一部で……私は、私を見つけたい」
何の変哲もない、ただの少女としての自分を。
「身勝手? 無責任? それは今まで私に肩書を押し付けてきた、この国だ! 嫌いじゃない、勿論好きだ……!
だけど、それでも!
この国に対して何かを為す権限も与えられず、ただ道具としての肩書だけを与えられて、そんな人生を受け入れられるほど――私は、空っぽなんかじゃない!!」
「……ただの少女に頼らざるを得ない、この時代、この国、そして我らを許されよ。我らも次代に繋げる役目があればこそ、魔にも鬼にもなりましょう――御免っ!」
四人の男たちが、構えた太刀を振りかぶり浅緋に迫る。
たった一歩で彼らは風すら追い越す速度に至った。
動作型「縮地」。
浅緋はしかし焦ることなく、ただそれを「見た」。
同じく動作型「完促」。ただ見るという「動作」を超常にまで至らせ、「何事も完璧に捉え見る」という魔法。
ぶら下げた太刀が、まず頭上に掲げられる。頭上の攻撃を受け止める体勢。
動きを止めることなく右足を一歩後方に。それを軸に右回転に後方へ身体を向ける。太刀は回転の途中、刃に左手を添えながら左半身に引き付けた。身体を庇うように。
回転の動きが終わるや否や、右手の柄を前に出すように太刀を斜めに、下から何かを迎えるように。
最後に太刀が跳ね上がる。弧を描き身体の右側面へと振られる軌道は何かを撃ち落とすように。
金属の交錯音は四つ。
浅緋は全てを見切っていた。
正面からの振り降ろし。
右側面からの薙ぎ。
後方からの斬り上げ。
左側面からの突き。
受け止め、身を庇い、受け流し、逸らす。流れる動作で全ての防御を実現したのだ。
「――これが生まれ持った〝責〟なら果たしたさ。でも、権限も行動も与えられないこれは〝肩書〟でなくて何なんだ? 中身のない空っぽな肩書で決定される人生が理不尽でなくてなんと言う?」
腰を僅かに落とした後の浅緋の言葉に、周りの男たちは瞠目した。
「許せ。覚悟の上だ。私がこの国に派遣された帝国上将を討ち取ろう」
彼女は、全てを放り出して逃げるのではなく。
欲しいものを掴むために、抗う道を選んだのだ。
「この国で、琴吹 浅緋として、最初で最後の我儘だ。失敗すればこの国に未来はないだろう。止めるなとは言わない。だけど私は助けたい――この国を、自分すら」
「そんなっ!? 最初からそのおつもりか! 我々にあなたを見捨てたという罪すら被せぬと!?」
成功すれば救国の英雄。失敗すれば独断で動いた破国の愚者。
浅緋は簡単に、結果を究極の二択にまで絞ったのだ。
彼女の未来より、彼女を生贄として捧げることでその結果、帝国より格下だという評価ではあるが確実に生き残る未来を選んだこの国に対して。
国主の身内という〝肩書〟の命ではなく、未来を賭けた決闘をする国の代表としての〝責〟としての役割を負うことで。
「私の意志だ。この選択、万が一この国を滅ぼすとしても貴様らの選択ではない。私という愚者の我儘があったと伝えられるだろう――この国は、帝国などに屈しなかったんだから」
あの七人のように。
生きて、自分の意志で、初めて助けようと思った。
この国を。無辜の民を。そして――浅葱を。
血霧が舞う。
いつ斬られたのかさえ、わからないと男たちは驚愕する。
「……浅緋様っ……!!」
男たちは心の中で悔しさのあまり、哭いた。流すなら血の涙だったろう。
――一体、どこまでお優しいのです……! そんなあなたを助けることも、止めることも出来ない……!
ただ一人、浅緋のみが最後まで立っていた。
●
全ての追手を撃退した浅緋だが、手に持った太刀を腰の鞘に収めようとはしなかった。
「……聞いていたのだろう? このまま行かせてくれると嬉しいんだが」
誰も見当たらぬ、夜に沈んだ街中に投げかける。木造の平屋が真っ直ぐ立ち並ぶ一本道。淡い月明かりに照らされる瓦屋根。土から石を取り除き、押し固めただけの路の上には間違いなく浅緋の姿しかなかった。
しかし、応える声はあった。
「ふぁっはっは! 残念じゃが、それは出来んのぅ」
白いひげを口周りに蓄えた老人。右手には大身槍が一振り。穂先には倶利伽羅龍、柄には螺鈿細工の施された美しい槍。胴着、袴姿の上には羽織が棚引く。下駄の音を響かせて歩んでくる。
「黄櫨の爺さんは呑気だな。浅緋嬢を行かせると面倒ぉだろぉが」
老人の横に呆れた様子で青灰色の短髪、粗野な口調の男。引き締まった上半身は無造作に羽織を纏っているだけだ。こちらも下は袴、下駄を履いている。腰には太刀を佩いていた。
「山鳩。あなたはただ面倒が嫌なだけでしょう?」
男を山鳩と呼んだ、頬に手を当てる女性は長い白髪、長身艶美。長襦袢の下には半纏を押し上げる胸、短パンから除く脚。これらも白。膝下までを脚絆が覆う。しかし目を引くのは山鳩が持つ太刀と同じくらい、古く気高い気配漂わす太刀。
「白橡はその色香をもう少し我に譲れ。身長と一緒に」
そう言う女性は小柄でありながら口調は尊大。頭頂で結わえた髪を長く背後に垂らした姿。半纏の上から腰ひもを巻いて、ハーフパンツに脚絆。彼女が背負うのはあまりに長い大身槍。槍の穂先を納める鞘は、杵にも似た形をしていた。
「紅花。あなたはいつも、いつも。こんな時にまで言うことですか。いい加減あきらめなさい。成長など、とうの昔に終わっている」
肩に届く程度の黒髪を揺らして、一人の女性。最初の老人と同じように胴着に袴。唯一異なる装備は脛当て。肩に担ぐは穂先が笹の葉状になった大身槍。
「菫。紅花は諦めたくないの。浅緋が諦めたくないように……そう思うと紅花の往生の悪さも美点に見えるから不思議よね」
胴着に袴、足袋に草履。茶の三つ編みは腰にまで届こうか。腰には太く、短い太刀。
「支子? あなた、紅花の心を抉ってますよ? 彼女の口調は外見のコンプレックスから来ているのですから、ここで言うのはどうかと……」
巫女装束で現れ、瞼を閉じた女性。うなじ部分、リボンで纏められた琥珀色の髪が風を受け、一本一本が明確に見えるくらいに解ける。鞘全体だけでなく鍔までを革で包んだ拵えの太刀を手に下げている。
「……茜。お前ぁさんも大概にせぇ。今は、浅緋嬢の身柄確保を優先じゃぁ。浅葱嬢に〝命令〟されりゃあ、本来国事に無干渉な我らとて抗えん。相手は天子様じゃからのぅ」
頭に布を巻き、高下駄を履いた僧兵。身長はこの中で一番大柄。柄に数珠を巻きつけた太刀を杖のように地面に突いていた。
「そういうわけじゃ、浅緋。諦めぃ。今、蘇芳が述べたとおり浅葱は覚悟を決めたぞ。唯一の姉を、その他大勢のために差し出す覚悟を。あの小さな女子に涙ながらに懇願されれば、ワシらも無下には出来ん」
最初の老人が髭を撫でながら、浅緋に言う。
「私だって、同じだよ。覚悟を決めたんだ。相手があなた達、この国たった八人の〝隔絶級〟であろうとも、邪魔立てすれば……斬る」
チリッ、と空気が弾ける。
風がまるで吹かなくなった。今は嵐が来る前に、その威力を溜めているかのように。
「……愛刀が我らの武具に勝るとの評価すら得たものであれば、我ら八人すらも退けられると思うたか?」
「……まさか」
相手は世界でも並ぶ者の方が珍しい実力者たち。武器の優劣など話にならない。
そもそも彼らの武器こそ天下に名を轟かせる名武具だ。
緊張のあまり、喉はカラカラ。手汗で太刀が滑り落ちそうになる。脚は震えから力が籠めにくい。
「それでも、譲れない」
「その覚悟たるや、良し」
黄櫨が――あまりに壮麗な大身槍「呑取」を、
山鳩が――刃文に多数の弧形模様を浮かべる太刀「三日月」を、
白橡が――切っ先に噛み傷のような跡を持つ太刀「童子切」を、
紅花が――全長約三・八メートル、穂先約一・四メートル、規格外の「御手杵」を、
菫が――笹の葉形の穂先持つ大身槍「蜻蛉切」を、
支子が――太く短い太刀「大典太」を、
茜が――大きく反り返った「鬼丸」を、
蘇芳が――極端に先細りした太刀「数珠丸」を、
それぞれ構え、抜き放つ。
彼らの武器こそ〝天下三槍〟。そして〝天下五剣〟とまで謳われた稀代の武器たち。性能、美術的価値は世界最高峰。
扱うは、武を極めし〝隔絶級〟の生きた〝技〟。
名を「天下八絶」。
あまりの実力から、味方した者に必ず成功をもたらすとまで言われた彼らは、国の政治などには決して関わらない。いや、関わらなかった。今、この時までは。
「――〝練達級〟琴吹 浅緋。参る」
浅緋の太刀も彼らの武器に劣らぬ名剣。銘を「大包平」。僅かな重さしかなく振り回しやすい、外見にも優れた価値ある「最高の太刀」とまで評価されたもの。
それでも相手にとっては、やっと同格の武器。実力は言うに及ばず、敵わない。
「我ら天下八絶、受けて立とう――参られよ」
――だからと言って、諦める程度の覚悟じゃない! 守ると、助けると、掴むと決めたんだ!!
あまりに大きく理不尽な時代のうねりに呑まれそうになりながら、あまりに大きく絶望的な障害を前にしながら。
浅緋は折れずに立ち向かう。
一月前から宿った鐘の音を抱いて。
九人が、常人には及びもつかない動きで交錯した。
一気に周りの空気が掻き回され、平屋の壁を激しく打つ。
それは、いみじくもこの時代のうねりのように荒々しく。
まるで、吹き荒れる嵐のように。
その中を、一人の抵抗者が、もがいている。
●
時代は遂に、大国にまでそのうねりを広げ始めた。舞台は四大国の一つから徐々に拡大していくことになる。
舞台については後世の歴史書で、とある歴史家が書いた、詞がある。
『其処は、あらゆる能を絶の域まで高める、大国。
其れは、あらゆる人知に及ばぬ技を、扱う者たち。
其れは、あらゆる追随を決して許さぬ、絶技。
技を磨き、芸を修め、他を圧倒する術を得た人外ども。
誰が呼んだか、誰が評したか、誰が名づけたか。
其処は「アサギ」と呼ばれし大国よ。
人知の及ばぬ絶技を磨きし人外の――芸術大国・〝鬼〟の国』
これは、「不屈の七鐘」が起こした騒動、「アルヘオ事変」と呼ばれるものから一か月後の、芸術大国・アサギでの出来事だ。
ご意見・ご感想などお待ちしております。
宜しくお願いします!




