3章:鳴り響くは、鐘の音 02
「……やあ、王女」
「……何しに来たの? 鱗堂 仄華……」
そこは、とても過ごしやすいと言える空間ではなかった。薄いシーツがあるだけのベット、朽ちかけの木でできた一人掛けの机、剥き出しになった石の床。そして窓ひとつない、人が三人も入れば身動きをとることも難しくなるほど狭い大きさ。
城の地下にある、懲罰房。牢屋に入るほど重い罪を犯してはいないが、裁かれるべき罪を犯した者たちが入れられる部屋に、アンナは閉じ込められている。
「なに、あなたと話す機会がいましかなさそうなんでな。少し話し相手になって貰いたいと思ったのだ。……掛けても?」
「……えぇ。どうぞ」
帝国の上将と亡国の王女が向かい合う。
「あなたは年齢も近しいため、違った形で会えたならばまた別の関係を築けたのかもしれないな……」
そう話を切り出した、どこか悲しみを含み表情の仄華を見たとき、目の前にいるのも一人の女の子だということに初めてアンナは思い至った。
暗く、じめつく空気の部屋で二人が初めて「ただの少女」として向かい合った瞬間であった。
「……仄華……と呼んでも差し支えはないのかしら?」
「……っ! あ、あぁ。そう呼んでくれて構わない、アンナ」
「……ふ、ふふっ……」
「……く、くくっ……」
しばらく年相応の女の子の笑い声が響き渡る。
「不思議ね。あなたとこうやって向かい合うことがあるとは思いもしなかった。それで一体何の用で来たの、仄華?」
「……まずは、謝らせてくれ。あなたの両親を、故郷を、全てアンナから奪ってしまったことを……」
頭を下げる仄華。対しアンナはただ嘆息を一つ。
「何を今更。わたしもこの身分に生まれた者として、当然覚悟もしていたわ。全てを振り切れるとは思えないけれど、こんな時代だからこそ生き残った者たちは死者に心とらわれるわけにはいかない。あなたも良かれと思って、ただ帝国上層部の考えに同意しているわけではないでしょう? 仄華。……ただあなたの目的のためには帝国に身を置く必要があったし、いま上層部の意に反せるだけの力もなかった、違う?」
呆然と目を見開きアンナを見やる仄華。そんな彼女の黒髪をそっと撫でる。
「わたしも一つの国のトップ、その娘として生まれた者。ある程度の情報は知っているわ。あなたに関しては帝国よりもその他の国のほうが情報を集められているでしょうね。でも難しいわよ? 仄華。あなたの目的は帝国の掲げる統一とは違うもの」
そう。目の前の少女が目的としていることは帝国上層部とは違う。帝国はありとあらゆる思想、文化、歴史の統一を目的としている。
〝違いがあるからこそ争うのだ。ならばすべての違いを無くすべきではないか?〟
そんな子どもでも呆れてしまいそうな理由を前提に侵略を始めている。彼らが侵略した後には、勝者と敗者という明確な違いが出来るというのに、だ。
無論それは建前に過ぎず、他国の財産、自国の武力など帝国に侵略という行為に走らせる原因はいくつもあったのだが。
「あなたはただこの侵略を終わらせたい。それはかつて数多くの国が挑み、帝国の前に散って行った国の悲願。四大国の中でも一番の武力を誇るという帝国を止めるには、並大抵の武力じゃ敵わない」
「……だからといって言葉などが届く奴らでもなかった」
膝の上に置いた手を握り締めるその姿は、いまもその悔しさを如実に物語る。仄華の体に力が入ることにより、彼女が座る椅子も軋む。
「帝国は言うなれば、己の力に酔った天狗だ。しかし誰もその鼻っ面をたたき折ることはできない。あの国は力こそ全て。わたしのような小娘が上将という役に着いていることもそうだ。何かを為すには力を示さなければならない。そしてだからこそ――力が集まった」
裏返せば力さえあれば己の赴くままにできるということ。力ある者たちが望めば、彼らは好き勝手に振る舞える。それに惹かれ帝国に来た者。そして他者に抗うためにも力が必要になる。外からも内からも力ある者たちが増え始めるのにさほど時間はかからなかった。
「だが、だからこそいまの帝国は他者を踏みにじることでしか進めなくなってしまった。無論、それを良しとしない者もいるが、少なすぎる。帝国には強者が弱者を助けるというような倫理が……致命的に欠けている」
それは弊害だったのだろう。好き勝手に振る舞える者たちが他人の言葉に耳を傾けることもなければ、力ない者たちに手を差し伸べることもしない。好んで面倒事に関わる人間など少ないだろうし、降りかかってくる困難を振り払える人間には、それが出来ないということが理解できないのかもしれない。力あるゆえの他者への無関心。
帝国には初めから力ある者たちが良くも悪くも集まりすぎたのだ。誰かが好き勝手に振る舞えばそれを見た人間も真似するように悪循環が始まった。止めようにも止められない。それだけの実力を備えた傍若無人が跋扈する。
「力が法であり、勝者こそが正義。己の欲を満たせるという事実の前に倫理など紙切れにも等しい脆さだったよ……」
儚く笑うその顔は、どれだけの悲劇をその眼に映してきたのかアンナにはわからない。
「しかし、より大きな力の前には従うこともまた事実。そして力を集めるには皮肉にも帝国が一番適していたのだ」
そして鱗堂 仄華という一人の少女の戦いは始まった。己も帝国に奪われたもの。自分以外にもそういった悲劇を背負うものが少なくなるように、帝国での影響力を得るために力を付けてきた。
「それでもまだ届かない……。それどころかより力ある者たちに従い、わたしが悲劇を生み出す側となってしまった」
「でも止まれない。そうでしょう?」
仄華が見上げると、悲しみをたたえながらも先程の仄華とは違う力強い笑顔のアンナが目に入る。この薄暗い空間であっても眩しく思える表情だった。
「あなたが歩む道はまさしく茨の道よ。自分がどれだけ嫌だと思うことでも目的のために行うあなただからこそ、その考えに同調する部下も集まったのだろうし、亡国の重鎮たちもあなたに降った。あなたが歯を食いしばり、心を痛め、涙を押し殺し、築いた死山血河はいずれあなたを目的へと届かせる、そう思って」
仄華は返事を返すことも頷きを返すことも出来ない。ただアンナを呆然と見るだけだ。
「帝国上層部にはまだ届かないでしょうけれど、ここまで来れたのだから折り返し地点には来てるんでしょう、仄華?」
だからこれからも力を付けなさいよというアンナに、仄華が抱き着いた。いきなりのことに目を白黒させるアンナ。
「……ありがとう。そして、やっぱりごめんなさい。いま、アンナを助けられるだけの力がないわたしを、どうか許してほしい……」
「……いいえ、わたしこそ、ありがとう。この世界の理不尽を憂う者として礼を言うわ。仄華のような心優しい女の子に残酷な道を採らせるこの時代に負けないで。そして、ごめんなさい。仄華にわたしの死も背負わせてしまうことを。あなたのせいじゃない。わたしの王女という立場が、時代が生んだ結果なのだから気にしないで」
優しく抱き返しながら、胸にある言葉を贈る。
こんな時代でなければ、お互いこんな立場でなければ、普通の女の子たちとして仲良くなれただろう。しかしそれが叶わぬ世界だから。
「どうか、あなたの決意が報われんことを……。いつか、またこことは違うどこかで逢いましょう、仄華。だから酷だけれど、わたしという理不尽に負けた人間がいたことを背負い、進んで。それがここで終わるわたしへの、終わった者たちへの手向けになるから」
いつか、どこかとは、死後だろうか。それとも来世だろうか。本当に死後の世界があるのかもわからないし、来世というものがあるのかもわからない。
でも。
「わかった。あらゆる悲劇を背負い乗り越え、進む。だけど最後のその瞬間まで、わたしが言うのもおかしな話だけど、ここで終わるなどと諦めないでほしい。……その抗う姿の果てにいまのわたしがあるのだから。アンナも諦めないでほしい」
アンナから体を離し、真正面から向き合う。
「かつて、わたしの恩人である男の子はよくこう言っていたよ」
そしてアンナは仄華の口からその言葉を聞いた。
――生きてさえいれば、何とかなる。そんな流れに任せるような言葉は弱々しい。いかにも運命とやらに立ち向かう気のないセリフみたいだ。だから、こうだ。
――生きているからこそ、何とかする。こっちのほうが力強くて格好いいだろう? いかにもどんな困難を前にしても諦めないって感じでさ。
不思議と誰かの口調で頭に響く。そうだ。まだ自分は生きている。たとえ結果が変わらなかったとしても、その顔に最後まで諦観を浮かべない、そう決めた。そう思うと力が湧いてくる。
生きられる可能性を見落とすな。死を避けるチャンスを見逃すな。そんな思いとともに仄華へと応える。
「そうね。その言葉のように最後の瞬間まで力強く在る。それがあなたと敵対する道であったとしても」
本来なら相容れぬ少女たち。
それでも時代に抗うその姿は間違いなく、仲間であった。
互いにいろいろな会話を交わす彼女たちを祝福するように、静かで、薄暗くて、狭い部屋に音が生まれる。
アンナが首からひもで下げたアクセサリーが、アンナの胸で揺れた音。
それは小さな、本当に小さな、手で握りしめられるほどの鐘の形をしていた。




