九
階段から落ちたことは確かなのだが、果たして、どうしてそんなことになったのだろう? いや、だから、落とされたんだって。でも、なんで?
「見てないのか?」
なにを? そう聞こうとした自分がいて、すぐに私のことを落とした犯人を見てないのかという意味だと理解した。
「よく見えなかった。突然肩を押されたことしか、覚えてない。それと、うん、いやぁ、悟りを開いたみたい。ふざけやがってっていう天の声が聞こえた。あと、足音……なにそれ?」
言いながら、自分の身に起こったことと満身創痍の中で聞いた声と音に、正体不明な居心地の悪さを感じた。……思わず目をすこし細めた。唇が痛い。知らず織らずのうちに、口を真一文字に結んでいた。
やはり、ちょっと混乱していた。すこし、冷静になる必要があるみたいだ。
私は、三階と四階のあいだにある踊り場から、誰かによって落とされたんだ。
克磨がベッドに二歩近付いた。顔を向けると、やはり形容しがたい表情を浮かべていた。あれ? 私、泣きそう?
「それは、脅しに近い罵倒だったんじゃないか?」
「うーん。そういうことになるかな?」
「なるかなって、オマエ、客観的すぎるんだよ! バカッ!」
「バカッてなんだよ」
答える声に力が入らなかった。溜息みたいな答え方をしてしまった。
「バカだからバカなんだ! 他人に心配かけてんじゃねーよ! かけられたら心配するだろ! なんで突き落とされてんだよ! なんで突き落としたやつ見てねーんだよ! アホか! むしろ死んどけ! 生きてボクの前に姿見せんな! 死んで詫びろ! 八地獄巡って来い!」
何言ってんだかまるで解せない。なにくそって思いながら、目に搾り取られるような痛みを覚えた。
「そんなんだからオマ――」
なお続きかけた克磨の言葉は、保健室の先生の一撃において遮断された。同時に、目の痛みはなくなった。
なんと、あの始終ぽけーな先生が克磨の頭をゲンコツで殴ったのだ。
――バイオレンス。
「って、なんでボク、殴られたんですか?」
恨めしげに克磨は先生を見た。先生はスマイルを浮かべ、「保健室では静かにしてね。それに、傷付いてる女の子に対してバカとか死ねはないと思うな。冷静に冷静に」と諭した。
「確かに、言い過ぎました。悪かった」
克磨はしおらしく私に謝った。仁王立ちのまま。
ぽかんと、こぎみいい音がする。
克磨は頭を摩りながら私に頭を下げた。隣で先生がゲンコツを摩りながらにこやんでいた。
――……バイオレンス。
体中の痛みはひかなかったが、歩けないというほどではなかった。
私は半身だけを起こした。目の前の克磨にとりあえず頬笑んでみせた。克磨は「バカ」と呟き、はっとなって頭を手でかばった。先生がやれやれと溜息をついた。
私のカバンがなぜか保健室にあった。聞いてみると、克磨が取ってきてくれたらしい。
痛みはまだあるものの、こればかりは保健室にいても仕方がないため、家へ帰ることにした。入口のところで、先生は克磨に笑いかけた。
「気をつけてね、武登くん。男の子らしくちゃんと晩家さんを守ってあげなさいね」
「よくそんな恥ずかしい言葉を口にできますね、先生。いやはやお若い」
ぽかん。
私と克磨は保健室をあとにした。
「あうー。あの先生、あんなに暴力的だったっけ? あうー」
情けない声をあげながら、克磨はゲンコツされた頭を摩った。思わず苦笑がでてしまう。あそこまでぽかぽか殴られるなんて、私以外にはされたことがないのだろう。普通ないか。
「それで、どうだったの?」
下駄箱へ向かいながら私が聞くと、克磨はぶすっとした。
「何が?」
「何がじゃない」
「うん? ああ、その前にだ。ゴミ捨て場に捨てられてたゴミ袋の中にさ、血のついた雑巾を見付けた」
克磨はバックを漁りはじめ、使い古された雑巾を取り出した。私の目の前でばっとそれを広げてみた。一部、やけに黒ずんでいる個所があった。おそらく血だ。
「これは、野球部のゴミ袋の中にあった。同じゴミ袋の中から野球関連の諸々が出てきたから間違いない」
野球部のゴミ袋の中から? それは、つまり……。
「ねえ、それって……」
克磨は頷いた。まだ何も言っていないが、きっと私と克磨の考えは同じはずだ。
「野球部内に犯人がいる」