一五
「俺が、晩家さんを突き落とした。すまない……」
克磨がひとしきり騒いだあと、大条くんが呟いた。足元で克磨がギューと呻いた。
「発覚することが、怖かったんだ。克磨なら、気付くんじゃないかと思ったんだ」
「それじゃあ、どうしてボクじゃなくて晩家さんを襲ったんだ?」
ふぎゅーという風に克磨が足元で喚いた。
「それは――」
「まあ、効率的だからだろうな。逆効果だったけどね」
克磨が大条くんを制して言った。
「って、失言。忘れろ」
克磨は続けてそんなことを言った。他人を思いやる気持ちみたいなものを垣間見せてしまい、気恥ずかしいのだろう。それよりも、今のは単純に私の方がのろまでどんくさそうだったから狙いやすいとでも言いたかったのかな、コノ子ハ?
一瞬部室内に沈黙が訪れた。呼ばれもしないのにやってきて居座るそいつを追い出すため、私は声を発した。
「じゃあ、克磨。帰ろうっか」
克磨を立たせ、体中についた埃を払う。ぽんぽんするたびに克磨は痛がった。こっちだって痛いんだから我慢しろ、と言うと大人しくなった。
「悪かった、ごめん」
もう一度大条くんが私に頭を下げて謝った。それぐらいじゃ許せるはずはないが、もう、いいや。
「私に謝っただけで許されたなんて、思わないでね。池幡さんは重傷を負ってるんだから」
なんて言えばいいのかわからなくて、そんなことを言っておいた。捨て台詞にしては貧弱だったかな? それに、言う相手を間違っている。いやぁ、ヒロインにゃなれねぇなぁ。
いいや。そんなことより、今は克磨と帰ることのほうが大切だ。
部室を出て、ドアを閉めた。そばに自転車が所在なさげに佇んでいた。
「押してけ」
私は左手で克磨、右手で克磨の自転車を支えて校門を目指した。途中からもう大丈夫だと私の支えを邪険に払い、自転車も自分で押すようになった。
よくわからないけど、頬笑ましかった。
「にしても、克磨があんなに他人のことで感情をあらわにするとこなんて、今まで見たことなかった」
帰り道で私が話題を振ると、克磨は背中を痛がりながら「情けないったらありゃしない」とぶつくさ。
「情けないって?」
「なんでもない。オマエには関係ない」
つれないことを言う。左腕を挙げてみせると、過剰なほどの反応で頭を守った。
「何もしません」
と、黙り込んでしまった。こつこつアスファルトを踏みしめながら話題を探した。いつもなら沈黙は友人のふりして私たちのそばに居座るのだが、今は何か話していないと気まずかった。そんな気分になるのは、何かから目を逸らしているからのような気がした。ただ、それが何かわからない。
「そういえば、なんでオマエ部室へ来たんだよ?」
溜息を添えて克磨は言った。
「だってさ、克磨。教室に忘れ物とかって、嘘でしかないだろう?」
「しかたないだろう、嘘なんだから。そこら辺は察しろよ」
常識だろう、とでも暗に意味するつもりなのか、冷めた目で見てくる。どうせ、私は非常識な人間ですよ、克磨にとって。
「バカみたいじゃんか」
飛矢のごとく、その言葉が不意に耳に突き刺さった。
「えっ?」
「バカみたいじゃん。一人で乗り込んでいって邪魔されるとか。竜頭蛇尾も甚だしいって」
克磨は前方を物悲しげに見遣った。
「会話の中に四字熟語を入れる人、初めて見た」
克磨らしくない雰囲気になっているので、とんちんかんなことを言って返した。
「オマエとかよく言ってそうじゃん。赤点補習とか遅寝早起きとかって。ありゃ、字余りした」
「ホー。二つとも現実射ってるじゃん。というかそれ、四字熟語じゃない!」
「ボクはさ」
無理矢理克磨は話題を切った。切って、沈黙した。
「ボクはなんだよ?」
「人が見てる前で頑張るとか、苦手なんだよ」
言葉を選ぶようにして言った。
「オマエの見てる前で、オマエのために頑張れるわけないじゃん。というか、誰かの前でその人のために頑張るとか、みっともないじゃんか」
また、わけのわからんことを。
「どうして? 誰かのために目の前で頑張るのって、いいんじゃない? どうして?」
「だってさ、露骨なまでに『オマエのために頑張ってるぞ、ボク』みたいな感じになるじゃん。それってすごい独りよがりじゃん」
「常に独りよがりの君が言うな」
でも、克磨はそういう人なんだ。
善行は陰で行えっていう考えを、幼稚園児みたいな純粋さと高校生らしい皮肉っぽさで貫こうとしてるんだ。
「ありがとう」
「はっ? 急に何言ってんだ?」
「私が階段から突き落とされたとき、保健室まで運んでくれてありがとう。私を突き落とした人を突き止めようとしてくれてありがとう。その人を怒ってくれてありがとう」
「気持ち悪い。しかも、そんなことオマエがお礼言う必要ないだろう? 誰だって知り合いがそんな目に遭えば同じことをする」
克磨は私を一瞥した。声音には呆れが含まれていた。本当に些細でどうでもいいことだ、と思っているみたいに。
「あたりまえなことにはお礼なんか必要ないって、お偉いさんかよ」
皮肉ってみるが、克磨はそんなの馬耳東風。呆れながらも、諭すように私は続けた。
「お礼を言われることを、そんなに自分とは無縁なものって思わなくていいんじゃない?」
克磨は足を止めた。自転車のチェーンの回る音がやんだ。私も立ち止まり、ちょっと前後を見て通行の邪魔になってないか確認した。それから克磨へ向き直った。
「頑張ったことを頑張ったねって褒められていいんだよ。むしろ言わせろ。言わせてくれないと、悪い気がするのはこっちなんだから」
「うるさい」
克磨は言って、一人歩き出した。って、それ以外に何かないのか!
「克磨は卑屈すぎる」
他人に迷惑にならない程度に克磨を怒鳴った。克磨は「うるさい。アイデンティティを否定するな」と答えた。
――コノ子ハ、モウッ!
かつかつかつと近付いて、その背中になっくるッ! を打ち込んでやろうとした。だが、拳は触れるか触れないかの位置で止めた。気がかわった。代わりに拳を開いて、そっと背中を撫でてみた。
気色悪そうに、克磨はグヘェと言った。
以上で『校舎裏のツギハギ感』は終わりです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。