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星が降った夜  作者: 護道綾女


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第2話

「今夜はテラスで夜空を眺めて見たいんだけど用意はできてる?」

 夕食の際にシェリーは綾に問いかけてきた。

「はい」綾は微笑みを浮かべて応じた。

 テラスの掃除は昼に済ませたばかりだ。今一度テラスに並べられたテーブルや椅子を軽く拭き上げるだけで準備は整えることができるだろう。あまり外に出ることがない冬であっても綾はテラスの掃除を欠かさないようにしている。気まぐれな主人の思いつきに動揺せず対応するためだ。

 綾は簡単な拭き掃除を済ませるとホットワインの準備を始めた。最近は夜になれば少し冷えるようになってきた。今夜はこれがいいだろう。

 片手鍋に水、砂糖にシナモン、グローブなどのスパイスに加えて薄切りのレモンなども投入する。それを少し煮込んだ後に主役のワインを入れて温める。十分に温かくなれば出来上がりだ。

 綾はイチゴの模様が入ったホーロー引きの大きなマグカップに温まったホットワインを漉し入れ、シナモンスティックを添えてから盆に載せた。目を引く陶器や銀の食器も豊富に揃えられているがそれらが使用されるのは来客時のみだ。普段使いは洲本の街にあるホームセンターで買い求めた食器類で済ませている。気楽でよい。

 テラスに出てみると肌寒い夜気が漂っていた。赤地に白で雪模様があしらわれたフリースの上着を羽織ったシェリーは少し体を強張らせているように見える。綾が目の前にホットワインが入ったマグカップを置くとすぐに手に取り、両手で温かみを楽しむように握りしめた。

「ありがとう、あなたも座りなさい」

「はい」

 綾はもう一つのマグカップを盆と共にテーブルに置き、シェリーの対面の席に座った。このテラスに置かれた白塗りで錬鉄製のテーブルセットも尻に敷かれているクッションもホームセンターで買ってきた。彼女はディスカバリーチャンネルでやっているようなリフォーム番組に出てくる家具には興味はなく、こちらの方が好みのようだ。客間や応接間には高価な革張りの家具などが置かれているが私室は綾と同様のニトリ製だ。

「じゃぁ明かりを消しましょうか」

 シェリーはフリースの上着からスマホを取り出し、マニュキュアできれいに整えられた指でアプリを操作した。屋内の照明が落ちてテラスに闇が訪れた。

 シェリーの屋敷は淡路島の洲本市沖にあり、住んでいるのもシェリーと綾の二人きりのため屋敷の照明を落とせば星空を眺めるために必要な闇を得ることができる。温かいホットワインを飲みながら過ごせば、ほどなく目も周囲の闇に順応し夜空に溢れる星々を目にすることができる。

 綾は椅子に腰掛けたままテラスの上に開けた夜空を見上げた。

 今夜の空には雲一つなく澄み切っており実に素晴らしい。浮かぶ星座や星などについての知識はあやふやでディスカバリーチャンネルの科学番組で得た情報が精一杯だが、夜空を流れる星やその瞬きを眺めているだけで十分心癒される。両手でマグカップのぬくもりを感じ、ホットワインで体を温める至福の時間といえる。

 しかし、こんな幸福な時間は長続きしなかった。まぁ、いつものことなのだ。

「あぁー」静寂を破る突然の叫び声。

 闇の中でシェリーが怒りに顔を歪め真っ赤な爪で金色の髪や耳元、顔を搔きむしり始めた。

「シェリー様」

 状況を察した綾はポケットの中から虫よけスプレーを取り出し、シェリーに投げ渡した。彼女はそれを宙で受け取り蓋を外し顔や手に向けてまき散らした。たちまち辺りは虫よけスプレーの匂いで満たされた。これでさっきまでのロマンチックな雰囲気は消し飛んでしまった。

「まったく忌々しい。人がいい気分でいるところに耳元で羽音を立てるなんて!」

 いつもこの調子だ。少し寒くなってきたので虫たちも動きが収まってきたかと淡い希望を抱いていたが甘かったようだ。連中は思いのほかしぶとい。いっそのことこのテラスをガラスで覆ってしまえばと提案をしたことがあるが、即断で却下された。経済的な問題ではない。外の空気感を味わっていたいらしい。それならばと強力な蚊取り線香なども試してみたが匂いで気分が浸れない。殺虫剤なども同じ理由で我慢できない。いくら撒いたところで屋敷は雑木林に囲まれている.そんな環境で 殲滅などありえない。結局無難なのは虫除けスプレーだろうという結論に行きついた。それも事前の塗布を怠ればこのような事態に陥ることになる。

 シェリーは不満顔で顔、首筋、手などにスプレーの薬剤を塗りつけている。この夜の憩いもホットワインを飲み干せばお開きになりそうだ。

「……!」

 今何か目に入らなかったか。綾はポケットに手を伸ばした。胸騒ぎがする、大体の予想はつくが確認を捕る必要がある。綾はポケットから殺虫スプレーを取り出し気配を感じた方角へと向けた。狙いはテーブルの下だ。予想に違わずそれはそこにいた黒光りする怪物だ。誰もが忌み嫌い「G」や「それ」、「あれ」などとぼかして与えられた名で呼ぼうとしない怪物だ。

 綾は渾身の力を込めてそれに向けて薬剤を噴射した。薬剤を浴びたそれは慌てふためきシェリーの足元へを疾走した。それをシェリーは眉一つ動かすことなくスニーカーで蹴り飛ばした。それは宙を舞い雑木林に飛び込み姿を消した。これでとりあえずは安心だ。あれが死ねば片づけるのは自分の仕事、死んでもなお脅威となるとはとんでもない存在だ。何億年にも渡って生き続けているだけのことはある。

 綾は溜息を一つついたところで辺りに漂っていた殺虫剤を肺に吸い込んでしまった。反射的に咳き込み止まらなくなる。

「まぁまあ、賑やかな娘ね」

「すみません」

 咳き込んだせいで涙が溢れシェリーの顔がぼやけて霞む。

「シェリー様。このテラスガラス張りにできませんか?そうすればすべて解決します」

 それは簡単な話だ。街の工務店に連絡をいれればいいだけのこと。そうすれば営業の人が船に飛び乗りやってくるだろう。

「却下!理由はわかってるわよね」

 わかっている。それはもう何度も聞いているからだ。

「あぁ、わたしのお星さまどうかこの願いを……」

 綾は夜空を見上げた。そこに長く尾を引く星があるのに綾は気がついた。大きな流れ星だ。

「シェリー様、あれを……」綾は夜空を横切り飛んでいく流れ星を指さした。

「あら、すごい……」

 あれだけ大きければなんでも願いを適えてくれそうだ。

 願い事は何がいい?温泉旅行、憧れの四人乗りオープンカーに乗り温泉宿に乗りつけたい。助手席や後部座席に友人たちを乗せて旅行がしたい。車はジャガーやマセラティ、BMWでもよい。

 妄想に浸る綾は突然の破裂音と突風になぎ倒された。視界の端でシェリーが椅子から転げ落ちるのが見て取れた。錬鉄のテーブルと椅子が倒れ、マグカップが転げ落ちホットワインがコンクリート引きの地面にぶちまけられる。雑木林の木々が突風に煽られ大きく揺れる。これらはすべて一瞬のうちに起きた。


「これがあの流れ星の正体のようですね」

「そのようね。真っ黒に焦げてるわ」

 突然の爆音と突風がもたらした混沌により放心状態に陥りその場に座り込んでしまっていた綾とシェリーだったが、ほどなく我を取り戻し動き出した。屋敷を襲ったのは流れ星の通過に伴う衝撃波と推測された。大気圏突入により火球と化した

小惑星がこの屋敷の上空を超音速で通過し、それが伴う衝撃波が屋敷に被害をもたらしたのだ。

「どこに行ったのかしら?」

「海に落ちたんでしょうか?」

 それならいいのだが、綾は衝撃波の直後に雑木林の向こうから別の爆音を耳にした気がする。

「それだといいんだけど……」シェリーは屋敷の上空から雑木林の向こうへと目をやった。

 彼女も綾と同じことを考えているようだ。

「バギーを出して草地の先、断崖の辺りまで何か落ちていないか探してみましょうか……」

「はい」同じようだ。

 二人は一通り屋敷の被害を確認した後、車庫から四輪バギーを出し島の南側へと向かった。被害としてはテラスに置いてあったテーブルなどいまはが転がった程度で済んでいた。窓ガラスは防弾仕様のためひび一つなく、衝撃波を受けその振動により発動した警報が鳴り響いていただけの事だった。それにより警備会社から安否確認の連絡が入ったが、シェリーは担当者に無事を伝え、何か被害が見つかれば再度連絡を取ることを伝え通話を切った。

「テラスを温室にしていたらこれでは済まなかったわよ」

 綾も落下する小惑星の通過に伴う衝撃波の威力を目にしたことがある。ロシアではその衝撃波だけで多くの被害者が出た。もし、テラスがガラス張りの温室となっていたら、綾たちは衝撃波で砕け散ったガラス片を近距離で浴びていた可能性がある。綾は子供の頃、遥か上空で炎に包まれながら崩壊していく飛行物体を目にしたことがある。あんなものを生きているうちに何度も目にするわけがない。被害を受けるほど近くとなればなおさらだ。だが、実際目の当たりにすれば反論の余地はない。

「……」綾は黙って口元を歪めるほかなかった。

 防弾仕様のガラスであつらえればよいが、今はそれを口にする気にもなれなかった。


 流れ星の残骸は容易に発見することができた。雑木林を出てすぐの草地で細い煙が上がっており、そこにドラム缶ほどの大きさの金属の塊が地面にめり込んでいた。その表面は黒く煤けて、判別不能だが文字や塗装の痕跡もあり明らかに人工物だ。周囲の地面は深くえぐれ、下草はくすぶり細い煙を上げていた。綾はバギーに積んであった消火器の薬剤をその周辺に噴霧しておいた。

「これだけで済んでよかったわ……」シェリーは安堵の息をついた。

「そうですね。スペースデブリってやつでしょうか。朝になったら洲本産業さんに連絡しておきましょうか?」

 隕石なら幾らかの価値は出たかもしれないが、文字通りのごみに違いない。打ち上げ機材の残り物、燃料タンクの付属部品の一つといったところか。しかし、これは表面こそ焼け焦げてはいるが、形は歪むことなくきれいなドラム缶に近い円柱形を保っている。この丈夫さが仇となって燃え尽きることなく着地したのだろう。

「それより警察か消防がいいと思うわ。こういう落下物の扱いはわたしたちでは判断はつかないから……」シェリーは煤けた塊を指さした。「どこかの将軍様が絡んでいるかもしれないし……」

「はい、警察と消防ですね。帰ってすぐ連絡しておきますね」彼らも既に何らかの形で動き出しているかもしれないが、この島までやってくるとなればご苦労様というしかない。

「シェリー様……」

 シェリーは何を見つけたのか闇に包まれた雑木林を眺めていた。そちらに関心が移っているようで目を細めて暗い木々の間を睨みつけている。

「うさぎって夜行性だったかしら?」

 シェリーはバギーに走り、荷台に積んであった強力な懐中電灯を取り出し点灯した。

「どうだった?」

「きゃっ!」

 綾は懐中電灯の光を顔に向けられ悲鳴を上げた。目がくらみ視点の中央に白い丸が動き回り、目を閉じてもオレンジの残像が浮かんでいる。

「あら、ごめんなさい。あれをごらんなさい」そう言ってシェリーは手元の懐中電灯を左右に動かした。懐中電灯の光の中に現れたのは特徴的な長い耳を持つ小動物だ。何羽ものうさぎが雑木林の入り口に集まりこちらの様子を窺っているように見える。

「それはわかりませんが、わたしたちと同様にうさぎたちもあれに驚いて飛び出してきたんじゃないですか?」

「それにしても好奇心旺盛ね。それにとても大胆だわ。わたしたちやこの光にも全く動じることなくこちらの様子を観察している」

「えぇ、あのうさぎたち妙に人慣れしているというのか、それとも脅威と感じていないのか」

 このうさぎたちは綾とシェリー二人にとっても謎だった。うさぎたちは昔からこの島に住んでいたわけではない。最近になってこの島に現れたのだ。空を飛べるわけもなく、海を泳げるはずもないうさぎがこの島に現れ棲みついている。

「誰かがこっそり島に忍び込みこんでうさぎを放したのでは……?」

 この島の入り口となる桟橋には鉄扉、そこから屋敷までの道中は警備センサーまみれ、島の周囲はアクション映画に出てきそうな断崖絶壁となっている。自然の要塞と化しているこの島のどこにうさぎが忍び込む余地があるのか。馬鹿馬鹿しさを感じはしたが、シェリーは念のため警備装置の総点検を依頼した。結果は異常なし。うさぎは空から舞い降りてきたのではないかという話まで出る始末となった。来客の誰かが面白半分でうさぎを放していったとでもいうのだろうか。

「それしか考えられませんね」

 繁殖力が強いと聞いているウサギに対し、シェリーは近いうちに捕獲作戦を展開するつもりでいる。その行く末はソテーかそれともシチューか、ともかくシェリーはここをウサギの楽園にするつもりはないようだ。

「楽しみですね」シェリーからその計画を聞いた時、綾は満面の笑みを浮かべていたに違いない。

「もう引き上げましょう。連絡は明日の朝でかまわない……わね」

 うさぎは雑木林の中に引き上げ、それを見届けたシェリーは懐中電灯の明かりを消し、バギーの荷台に戻した。

「戻ったら熱いコーヒーを部屋まで持ってきて、今日はもうそれで終わりでいいわ」

「はい」

 キンッ……。

 綾の返答をかき消すような甲高い金属音が辺りに鳴り響いた。

「シェリー様……」何もないはずの場所での金属音に戸惑い綾は周囲を見回した。

「それは冷めてきた金属がきしんだ音よ、もう帰るわよ」

「あぁ……」

 そういえばと、綾はえぐれた草地に食い込むデブリに目をやった。

「はやくいらっしゃい」シェリーはバギーの後部座席にまたがり前部の座面を軽く叩く。

「はぁい、お待ちを……」

 カチッ……。

「何です?」

 今度の音はさっきより幾分低いラッチなどが解放される際に耳にする音だ。発生然となればそこのデブリかバギーとなるがシェリーは座席を叩く以外に何もしていない。それならばとデブリに目をやるが変化はない。

「何かおかしくないですか?」

「何がおかしいというの?」

 シェリーはシートの前側に移り、いらつき気味の口調でバギーのキーを回した。五十ccの空冷エンジンがけたたましい音を立てて動き始めた。

 気になるがそれにかまっている暇はなさそうだ。綾はバギーへと踵を返し歩き始めた。

「早く乗りなさい」

「はぁい」

「戻る……」何に気をとられたかシェリーの言葉はそこで止まった。

「どうしましたか?」

 シェリーは珍しく驚いた様子で黙り込んだまま綾の背後を指さした。シェリーの視線の先へと振り返った綾は目の前の光景に目を疑った。無言でも十分だ、シェリーから言葉で説明を受けるまでもなく、事態は理解できた。非常事態といえるだろう。

 黒焦げのデブリは生きている、ごみなどではない。


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