第1話
あぁ、あれって本当だったんだ。
住み込むの使用人として働く片瀬綾はある夜、小惑星の地上への落下を目撃します。主人のシェリー・ヴィランと共にその現場に駆けつけると黒焦げの物体が転がっていました。それは隕石などでなく異星人の乗り物でした。これは綾が体験した一夜の物語りです。
爽やかな陽光が降り注ぐ昼下がり、テラスの掃除を済ませたメイドの片瀬綾は午後のお茶の準備のためキッチンへとやってきた。窓辺から差し込む陽の光を受けて磨きぬかれたステンレスのシンクが輝きを放っている。綾はその上に白い紙切れが一枚あるのを目に留めた。
「……?」
昼食の片づけを終えてここを出た際は何もなかったはずだ。それを確認をした後ここを出た。
キッチンを使用した際の片づけは欠かせない。使用した器具はその形跡も残さないほどに洗い清め、元の位置へと収納する。調理のために出た食品くずや包みなども分別しゴミ箱に捨てている。何かが残ってるはずはない。
何があるのか、綾はシンクに近づき確かめてみた。それは右下隅に淡い水色で笑顔を浮かべた牛のマスコットキャラクターが描かれた淡路銀行のメモ用紙であることがわかった。
’’午後三時までに財布を持っていつもの場所まで走ってきなさい’’
メモ用紙にはそれだけが黒いボールペンで綴られていた。この美しい文字は主人であるシェリーの字に間違いはない。綾の主人であるシェリー・ヴィランがまた唐突にゲームを始めたようだ。望むところだ、綾はメモ用紙を右手で握り潰し、犬歯が剥き出しになるほどに口角を上げた。
主人のシェリーはこのような女なのだ。フランス人である彼女がどこで習ったのか綾より遥かに美しい文字を書く。そればかりか柔らかくしなやかな金色の髪、翠の瞳、豊満な胸に長身の体躯、すべてが美しく非の打ちようがない。おそらく生まれてくる際にそのパラメータを美貌に全振りしたのだろう。それ以外の立ち居振る舞いは奇矯としか言いようがない。それが許されているのは有り余る資産のおかげだろう。
綾がシェリーの屋敷で住み込みのメイドとして働き出して一年になる。綾以前のメイドたちは皆一か月程度でこの屋敷を去っていったという。皆、風俗店顔負けの高給に釣られてやってくるが仕事の内容とシェリーの振る舞いについていけず出て行ってしまったという。
「何がいけなかったのかしら。彼女たちが単に堪え性がなかっただけ?」
彼女たちはごく普通の女性だったに違いない。だから、耐えきれなかったのだろう。ここでの生活に普通の若い女性がついていけるわけがない。彼女がこんな調子だから、ついにはここには誰も寄り付かなくなってしまった。
綾が突然舞い込んできたここでの求人に応じたのも彼女のことをよく知らなかったせいだ。地元での生活に窮屈さを感じていた綾は高校を卒業し次第、島の外へと出ていった。この点は珍しくも何ともない、大学などに進学する気ならば島を出る他策はない。
美術系の大学に入学を果たし、そちらで学業生活を送っていた。大きな休みでも実家に帰ることはなく作品制作とアルバイトに明け暮れていた。卒業後も帰郷することは少なく就職先もそちらで見つけ出した。もう地元の繋がりは消え果てこちらで完全に根を降ろすことになるだろうと確信した頃、すべてが足元から崩れていった。
勤めていた印刷会社が窮地に陥り、最後には倒産し綾もそれに巻き込まれることとなった。早いうちにそこを出て次を見つければよかったのかもしれないが、その期を逃したのが敗因だった感じている。ともあれ、収入を失っては生活もままならず、綾は数年ぶりの帰郷を決意することとなった。
帰郷については実家と数人の友人に連絡は入れておいた。彼女達とは帰らなくとも連絡を取り合うことは続けていた。
「これからどうしようか」
彼女たちとは帰ってからの身の振り方など話しをしていた。こっちに来ると声も掛けられはしたが気が乗らず、結局は戻ることにしたのだ。そんな時に地元に残っていた友人の一人である舞から一通の封書が届いた。その中に入っていたのが地元向けの求人チラシだ。自宅のポストの直接投かんされ、ごみとして処理されることが多いであろう印刷物だ。そんなチラシにデザイン事務所などの求人が載せられているとも思わない。予想通り掲載されているのは介護事務所に看護師や配送係の募集ばかりだ。その中にシェリーの屋敷の求人募集が含まれていた。舞はそれを赤いマジックで囲み送り付けてきた。
「舞の奴何考えてんだか……」チラシを目にした綾は苦笑交じりに呟いた。
後で聞いたところでは何も考えてはいなかった。ただのおふざけだ。
「何考えてんのよ。馬鹿言わないないでよ」これが彼女が綾に期待をしていた反応だった。
ほぼ、舞いが期待する通りの呟きを発した綾だったが、言葉とは裏腹の行動を示した。どういうわけか、よく考えもせずその広告に書かれた連絡先に電話を掛けたのだった。電話の向こうから聞こえたのは上品な口調で話す女性の声だった。それが今の雇用主であるシェリー・ヴィランとの出会いだった。
シェリーの人となりについて知ったのは綾が屋敷のメイドとして採用されてからのことだった。知り合いや友人からいろいろと聞かされたが、綾としては驚くに値しなかった。淡路島の洲本沖で長らく放置されていた無人島に自分の屋敷を建てようとする外国人資産家女性、そんな人物がただ者であるわけがない。それでも彼女たちの言葉は極めて控え目だったといえる。実際シェリー・ヴィランという女性と共に暮らしてみて感じたのは。
「まさかここまでとは……」この言葉に尽きるだろう。
彼女の正気は彼女が保有する資産と同様に振り切れている。
綾は振り返り壁掛け時計に目をやった。時計が指している時刻は午後二時四十五分を越えたところだ。
「くぅ……」
綾の脚で間に合うかどうか微妙な時間だ。シェリーは三時のお茶の準備のために綾がこの時間にキッチンへとやってくることを見込んでこの時間を指定したのだろう。努力次第で勝ち目が出てくる。彼女はいつもこのような勝負を仕掛けてくる。また馬鹿馬鹿しいことを、そうは思いながらもこれが綾の闘争心を煽り立てる。
綾は黒髪の美少女を思わせる容姿にあるまじき悪態を吐き捨て、食器棚の中から財布を取り出しエプロンのポケットに押し込んだ。屋内用のスリッパを脱ぎ捨て、ウォーキング用のスニーカーに履き替えキッチンの勝手口から飛び出した。
シェリーの屋敷は淡路島洲本の港から一km沖に浮かぶ小島に建てられている。周囲を海に囲まれた南北に一kmの広がりを持つ無人島の北端にシェリーは自宅となる洋館を建てた。外観、内装は古風な明治時代の文明開化を思わせる西洋建築だ。綾もここへ来た当初は思わずそれに目を奪われた。それより驚くべきなのはこの屋敷のインフラシステムにある。電力は太陽光、風力、地下で駆動するディーゼル発電機で賄われ、水に関しては海水の濾過によって供給を満たしている。ここの環境は陸の建造物というよりは船舶に近い。シェリーはとしては電力の供給元として原子炉も範疇に入れていたようだが、入手が困難なため断念したという。
綾が勝手口から飛び出し、その扉を閉めると勝手口は電子音と共に施錠された。
「よし!」綾は電子音と鍵の作動を確認し屋敷を囲む雑木林に目を向けた。
足元はいつもの高価な外出用革靴ではなく、悪路に備えたハイキングシューズだ。走ることに適しているとは言えないが少なくとも荒れた路面に足を取られ、派手に転ぶことはない。だが、服はそうはいかない。綾が身に着けているのは膝丈より長いフレアスカートでエプロンにはいわゆるメイド服と呼ばれる類の衣装だ。スカート、袖口、襟元やエプロンにもふんだんにフリルが施されている。作業着というよりはドレスといった方が適切な存在だ。
「お人形さんみたいで素敵だわ」これがシェリーからの言葉だ。
これを身に着けた本人もその当初は「きゃぁ!」などと歓喜の声を上げ照れたりするのだが、これを身に着けて家事をこなし、外出をするのだから次第についていけなくなって来るのも無理はない。シェリー本人は洲本のスーパーなどで買い求めたトレーナーやカーゴパンツなどで過ごしているのだからなおのことだ。
島内に舗装路はなく屋敷を囲む雑木林を抜けるには荒れた砂利道を抜ける必要がある。そのために四輪バギーやダートバイクが用意されているのだが、シェリーが走ってこいと言えばそれに従う他ない。車で走っていくという屁理屈は通用しないし、綾もそれで勝っても満足はできない。綾は何事においても勝負と捉えるところがある、それがシェリーとの付き合いを保ち続けている秘訣なのかもしれない。
砂利道は五百メートルほど続き、その後はまだ歩きやすい草地を七百メートル、シェリーの地所であるこの小島を南北にほぼ縦断することになる。
綾はスカートがまとわりつかないように両手で膝まで引き上げ、砂利道で滑って転ばぬよう慎重に走る。これは何度やっても慣れることがない。身につけている服は作業服ではあっても、綾が持っている衣服すべてを合わせた額より高価なのだ。クリーニング代もひどく高い。これを身に着け汚さぬように家事をこなさなければならないのだから、ひどく神経を使うことになる。これも以前務めていた女たちが根を上げた理由の一つだろう。
脚の運びが砂利道に少しは慣れて来たところで目の前に突然白い塊が飛び出してきた。綾は驚き足の動きを抑えた。靴底の滑りに耐え体の動きを止める。見てみれば前にいるのはよく肥えた白いうさぎである。うさぎは綾の前から逃げることなく彼女を見上げている。それより、むしろ睨みつけていると言った方が適切な雰囲気だ。間を置くことなく白うさぎがもう一匹現れ綾とのにらみ合いに加わった。
なぜこの場にうさぎがいるのかという疑問より勝負の邪魔をされたことへの苛立ちが上回ってきた。このうさぎはどうするべきか?
「おしゃべりな豚はだめでも目障りなうさぎは捕って食べても差し支えないのでは」綾の心の声が告げてきた。
うさぎ料理はここに来て覚えた料理の一つだ。シェリーに連れられ猟に出かけうさぎや鴨、鹿などを捕ったことがある。手ほどきを受け綾自身で捌きもした。最初は少し退きはしたがすぐに慣れてしまった。これも他の女たちが辞めてしまった理由だろう。捕りたてを捌くなど多くはない、大半は精肉されて屋敷に届くのだが捌いた記憶がトラウマとなるのかもしれない。綾はといえばそれより料理の美味さにまた食べたいという意思の方が上回る。捌くことに抵抗が少ないのはいくつものサバイバル関連の番組を目にした経験からかもしれない。そんな番組に出ている男たちは自ら獲物をしとめ捌き火にかけ美味しそうに食べていた。
綾の笑みに含まれた意思が伝わったのかうさぎたちは彼女の目の前からそそくさと立ち去っていった。
再び走り出した綾はほどなく薄暗い雑木林を抜けて陽光降り注ぐ草地へと出た。目の前にある低い丘を越えればシェリーがいういつもの場所である。この草地は今緑一色だが秋になれば全面金色になる。その時に少しくすんだ青のワンピースを着て佇めば映えるかもしれない。うごめく虫の群れは必要ない。あれはどうにも苦手だ。
丘を越えるとその先はこの島の南端で、綾が子供の頃に目にした二時間構成のサスペンスドラマのラストシーンに出てくるような断崖絶壁となっている。あの手はドラマで被害者は人気のない夜の神社や公園に出かけ、死ぬことになる。その犯人は断崖絶壁に向い罪を認める。綾はその行動規範が理解できなかったが、それがドラマにおいての展開様式なのだろうと考えていた。時代劇における勧善懲悪と似たようなものだと捉えていた。
丘を登り切り頂点へと立つ。断崖の傍に佇むシェリーの姿は見えたが他の人物の姿はない。グレーのゆったりとしたトレーナーに薄い茶色のカーゴパンツ、長い金色の髪は赤いプラスチックの髪留めで後頭部に纏めてある。女の視点からでも美貌溢れるアラサー女性と映るが、目もくらむほどの金銭を有する資産家を匂わせる気配はない。
綾は息を整えつつシェリーの元へ歩いて向かった。しかし、いつでも走る出す用意は怠らない。前回は油断をして草むらに潜んでいた配達員を見逃し、先を越され勝利を逃してしまった。今一度財布の在処を確認する。
目の前で佇むシェリーは満面の笑みを浮かべている。何かがおかしい。まだ何か仕掛けてくるつもりなのか。綾はポケットの中の財布を強く握りしめた。
何だろう、風の音、潮騒に紛れて別の音が聞こえる。
もう一度考える前にシェリーの背後の崖から黒く巨大な塊が突風と轟音を伴い舞い上がってきた。それはUH-六十戦術輸送ヘリコプター、ブラックホークと呼ばれる機体だ。屋敷にヘリコプターが現れるのは珍しくはないが、アクション映画さながらに舞い上がっての登場には綾もあっけにとられ身動きができなくなってしまった。硬直する綾を尻目にヘリコプターは崖に着陸し、開け放たれた乗降口から乗員の一人が荷物を手に飛び出してきた。白地に赤い模様が印刷された包みを手にした彼は一目散にシェリーの元へと掛け出していく。
我に返った綾も財布を手に走り出す。しかし、シェリーとの距離はまだ遠く手渡しでは間に合いそうにない。荷物が手渡された時、シェリーが財布を持っていなければこのゲームは綾の負けとなる。覚悟を決めた綾はシェリーに向かって渾身の力を込めて財布を投げつけた。
「まったく、あなたという娘はそんなかわいい顔をしてよくあんなことができたわね」
勝利を逃すまいと綾は財布を真っすぐ全力を籠めシェリーの顔めがけて投げつけた。シェリーはそれを避けることはなかった。投げかけられた財布を取り落とすことなど彼女のプライドが許さなかった。結果、彼女はしっかりと財布を受け止め、ゲームは綾の勝利となった。ただ、勝利したところで何があるわけでもない。あるとすれば勝利に対しての満足感ぐらいのものだ。
「顔は、関係ぇありまへ、ん」この言葉は生まれてこのかた何度聞いたかわからない。
綾はさっき届けられた場の豚まんをほおばりつつ言った。豚まんはまだ十分に温かい。
「減らず口ばかりの娘ね。後はお茶と一緒に戴きましょ」
シェリーは豚まんを食べ終えると、綾が渡したハンカチで手を拭い、それを綾に手渡した。
「でも、わざわざ、ヘリコプターで配達を頼むこともないでしょうに…」いくらお金持ちであってもだ。
綾はハンカチをポケットに収め、包み直した豚まんを輪ゴムで止めた。
「綾あなた、一度見てみたいって言ってたでしょ」
「えっ?」
「急上昇して迎えに来るヘリコプターというのを、せっかくこんないい崖があるんだから再現して見るのも面白いかなと思ってね」
「あぁ……」映画で何度か目にしたことはある。この屋敷でもシェリーと「ミッションインポッシブル」や他に戦争映画なども一緒に見たことがある。窮地に追い込まれた主人公がヘリコプターの登場でその立場を一気に逆転させる展開だ。その時に話したのかもしれない。その会話をシェリーはずっと覚えていたということか。
「どう?かっこよかった?わたしはお金を払っただけのことはあると思うわ」
確かに崖下から舞い上がってくるブラックホークに煽られるシェリーは映画のヒロインそのものだった。身に着けているのがスーパーの衣料品売り場で山積みにされているトレーナーとカーゴパンツであってもだ。あの役を自分でやってみたかったという気もするが、そうなると舞い上がってくるヘリコプターを目にすることができない。どちらがよかったのか。
「えぇ、でもお金持ちのやることはよくわかりませんね」様々な思いが交差して何とも素直じゃない言葉が出てしまった。
ほんの冗談を実現させてしまうシェリーには毎度圧倒されてしまう。
「ふん、言ってなさい」シェリーは屋敷に向かってゆっくりと歩きだした。「少し遅れそうだけどお茶にしましょ」
「はい」
そういえば、この豚まんを売っている店は街のど真ん中にあり、近くにヘリコプターが着陸できるような土地はないはずだ。ならば受け取りは懸垂下降で行われたのだろうか。それならば、近所の人たちはさぞかし驚いたことだろう。




