【番外編】運営サイドの憂鬱~βテスト監視室より~
深夜の『アルネシア・オンライン』開発室。巨大なモニターが並ぶ監視室では、数名のスタッフが今夜も頭を抱えていた。
「また異常データが上がってきました……」
若手プログラマーの田中が、疲れ切った声で報告する。
「今度は何だ?」
プロジェクトマネージャーの佐藤が振り返る。彼の目の下には深いクマができており、βテスト開始から一週間、まともに眠れていないことが一目で分かった。
「えーっと……『味覚判定スキル』が異常な精度で発動し続けているプレイヤーがいます。ID『ミレイ』、職業料理人。スライムの内臓を……」
「ちょっと待て、スライムの内臓って何だ?我々はスライムに内臓なんて設定してないぞ」
「それが……解体スキルを使うと、なぜか詳細な内部構造が自動生成されるんです。しかもこのプレイヤー、その部位を『上質な食材』として評価してまして……」
佐藤の頭痛がさらに悪化した。
「解体スキル……確か隠しクエストの報酬で設定したやつか。まさかこんな使い方をするプレイヤーが現れるとは……」
「それだけじゃありません」
別のスタッフが割り込んだ。
「ID『ウシオ』、職業狩人のプレイヤーが、潮汐データを完璧に記憶してるんです。我々が適当に設定した海洋データを、まるで現実の海のように扱ってます」
「は?潮汐データなんて、そんな細かく設定したっけ?」
「してないんです。でもAIが自動補完してしまって……結果として、現実並みの精度の海洋シミュレーションが動いています。サーバー負荷が予想の3倍です」
佐藤は頭を抱えた。
「おい、予算会議でサーバー増強を却下されたばかりだぞ……」
「さらに問題があります」
リードプランナーの山田が重い口を開いた。
「ID『ケンイチ』、職業料理人のプレイヤーです。現実の薬草知識を駆使して、我々が想定していないポーションを大量生成しています」
「想定していないって、どういう意味だ?」
「例えば『青い苔草』。我々は単純な回復アイテムの素材として設定しただけなんですが、このプレイヤーはアントシアニンがどうとか、pH値がどうとか……現実の化学知識を持ち込んで、勝手に効果を向上させてます」
「勝手にって……ゲームシステムが認めてるのか?」
「AIの学習機能が、プレイヤーの知識を『正しい』と判断してしまうんです。結果として、ポーションの品質が異常に高くなって、ゲームバランスが……」
佐藤は深いため息をついた。
「君たち、開発時にこんなことが起こる可能性を考えなかったのか?」
「まさか現実の専門知識を持ったプレイヤーが、こんなにマニアックな使い方をするとは……」
その時、新たなアラートが鳴り響いた。
「今度は何だ!?」
「システム負荷が限界値に近づいています!3人の異常プレイヤーが同時にアクティブになると、サーバーがパンクしそうです」
佐藤は机に突っ伏した。
「もう嫌だ……普通に戦って、普通にレベル上げして、普通にダンジョン攻略するプレイヤーはいないのか?」
「います!たくさんいます!でも……」
「でも?」
「普通のプレイヤーたちが、この異常なプレイヤーたちの作った装備やアイテムに群がってるんです。『海の狩人ウシオさんの釣った魚』『薬草賢者ケンイチさんの高品質ポーション』『貴族のお嬢様ミレイさんの血のスイーツ』……勝手に経済圏ができあがってます」
「血のスイーツって何だよ……」
「ミレイさんが作るスイーツの通称です。見た目がグロテスクなのに味は絶品で、バフ効果も高くて……」
佐藤は立ち上がった。
「分かった、緊急会議だ。これ以上放置したら、我々の想定したゲームと全く違うものになってしまう」
しかし、その時。
「佐藤さん、ちょっと見てください」
田中がユーザーフォーラムの画面を表示した。
『アルネシア・オンライン、神ゲー確定!』
『こんなに自由度の高いMMO初めて!』
『現実の知識が活かせるなんて最高!』
『NPCの反応がリアルすぎて感動した』
『βテストなのにこの完成度はヤバい』
満点に近い評価が並んでいる。
「ユーザー満足度、過去最高です」
「マジで?」
「プレオーダーも予想の5倍を突破しました。特に『現実知識活用型MMORPG』として話題になってます」
佐藤は複雑な表情を浮かべた。
「つまり……我々の想定を超えたシステムが、偶然にも大成功を収めたってことか?」
「そういうことになりますね」
「なら……このまま行くか?」
「サーバー増強の予算は?」
「……上に掛け合ってみる。この売り上げ予測なら、きっと通るだろう」
監視室に、久しぶりに明るい空気が流れた。
「でも佐藤さん、一つ問題があります」
「まだあるのか?」
「正式リリース時に、この3人みたいなマニアックなプレイヤーが大量に押し寄せたら……」
「……考えたくない」
佐藤は再び頭を抱えた。
「とりあえず、サーバー増強だけじゃ足りないな。システム全体の見直しが必要だ。あと、AIの学習機能にリミッターを……いや、それをやったらユーザーに気づかれるか」
「どうしますか?」
「……開き直るしかないだろう。『現実知識完全対応MMORPG』として、全力で売り出す。バグじゃない、仕様だ」
「無茶苦茶な方針転換ですね」
「無茶苦茶なプレイヤーには、無茶苦茶な対応しかできないんだよ」
佐藤は窓の外を見た。夜明けが近い。
「よし、明日……いや今日から、緊急開発体制に入る。『現実知識対応AI』の強化、サーバー負荷分散システムの構築、そして新たな生産職システムの追加だ」
「生産職システム?」
「漁師、薬師、それから……『解体師』とかいうのも正式職業として追加しよう。ユーザーが勝手に作り出した職業を、我々が後追いで実装するんだ」
「前代未聞ですね」
「前代未聞のプレイヤーたちには、前代未聞の対応が必要だろ?」
そして佐藤は、最後にこう呟いた。
「でも正直……こんなに面白いβテストは初めてだ。毎日何が起こるか分からない。開発者冥利に尽きるよ」
監視室のスタッフたちも、疲れながらも笑顔を浮かべていた。予想外の展開ばかりだが、確かに毎日が刺激的だった。
こうして、『アルネシア・オンライン』のβテストは、運営とプレイヤーの想像を超えた方向へと進んでいく。
「そういえば佐藤さん、良いニュースもあります」
「何だ?」
「この3人のプレイヤーの影響で、他のプレイヤーたちも現実知識を活かした独自プレイを始めています。ゲーム全体の創造性が向上しているようです」
「……それが良いニュースなのか悪いニュースなのか、もう分からないよ」
佐藤の呟きが、監視室に静かに響いた。