リュカの民
「ネル。これはいったいどういうことだ?」
見た目は年老いているけれど剣呑とした目つきは未だ健在の村長。その後ろに控えるのはリュカの民には珍しく体格の良い、長髪の次期村長。その他主だった村の大人たちがネルを取り囲む。
小さな玉のような龍に乗って、森で食料を探していたネルはあっけなくリュカの民に見つかり、森の入り口の開けた場所で説教が行われていた。
ネルに詰問する村長は、気まずそうに目をそらすネルのその態度に苛立ち、杖代わりの木の棒で地面を打ち鳴らす。
カーンっという小気味良い音反応して上目遣いで顔を上げるネルに、眉をしかめる大人たち。
「これがどういうことになるか、わかっているというのか」
一度目の台詞と似ていて非なる問いかけ。いつものようなただのイタズラでは済まない。龍を孵化させて連れて来る。これがどのような結果を招くのか、この幼子はホントに理解しているのかという問いであった。
「えっと……。この島では、住めなくなる? 大きな島に行かなきゃいけない?」
「ネル。それだけじゃない」
大柄な男、次期村長ーーヌズーリが一歩前に踏み出してきたので思わずネルは首をすくめる。この大人はいつもネルを叱りつけていた。その声は雷のように恐ろしく響き、ネルはいつも何を怒られてるのか理解する前に「ごめんなさい、ごめんなさい!」といって耳をふさいだものだ。
ネルはリュカの民ではないし、親もいない。足手まといな上に同族でもないネルの存在を疎ましく思う者も多く、ヌズーリもよくネルを睨んでいた。
また叱られる! と思って咄嗟に耳を塞いで「ごめんなさい!」と繰り返すネルにヌズーリはさらに近づき、そっとその小さな両手を大きな掌で包みこんではがす。
「よく聞け、ネル」
ネルは目線を合わせるようにかがみ込んだヌズーリの顔を見て、ポカーンとしてしまった。
「大きな島……帝国に行くだけではない。この島にはもう戻っては来られない。そして、ネル。帝国はここよりも厳しい。ここでさえお前を取り巻く環境は過酷だった。でも、帝国ではリュカの民の大人でも虐げられ、命を落とすと聞く。お前、そんなところで、生きていけるのか……」
ヌズーリは泣いていた。幼子にとってはただ怖いだけのおじさんだが、ヌズーリにとってはネルは親のいない哀れな子供だった。何とか生きる力をつけさせようと、不器用に世話をしていたつもりだったのだ。
そんな気持ちはネルに正しく伝わってはいない。ただ、「大人も泣くんだ」ということと、「意外と嫌われてないかも?」ということぐらいであった。
ただ、ネルがヌズーリの真意に気づいたところで、村長がどれだけ叱ったところで、事態は好転しない。
龍の巣に落ちる前、ネルはリュカの民の大人たちとともに狩りに出ていた。年少者も数人いたが、ネルが一番の年下だ。
通常村には女性と年寄り、幼児が残って村を守り、食事を作り、採集した龍の卵の保管をした。
戦える男性と、戦える女性、まだ体は出来上がっていないが森歩きはできる程度の少年たちが森に入り、龍の卵を採集する。
その狩りは野性的だがそれ以上に慎重だ。森に住む獣。そして卵の親である龍。それらに見つからないように森の中に数日潜伏し、卵を探す。
見つけた卵はすぐに確保せず、その状態をよく見定める。無精卵では意味がないし、逆に孵化直前だと大ごとだ。狩りに出た中でのリーダーが合図を出した段階でようやく採取にとりかかる。
その時も、狩りは慎重に、しかし順調に進んでいたはずだった。幸先よく目星をつけた種族の卵を見つけ、経験豊富なリーダーのもと、優秀なメンバーが森の茂みに体を隠し、時を待っていた。
そんな折、ネルが何かを見つけて飛び出す。
おおかた、小動物か木の実か、子どもの好奇心をくすぐる何かしらを見つけたのだろうと、メンバーの注意が一瞬遅れた。
その瞬間。
予想もしていなかった爆風が、森の木々を揺らす。飛龍が滑空してきたのだ。
風圧で吹き飛ばされそうになりながらも、狩のメンバーは辛うじて木立に捕まり、吹き飛ばされずにすんだ。しかし、体も軽く、そして周りにつかむものも何もなかったネルは、あっけなく吹き飛ばされた。
そして不運にも洞窟に落ちてゆく。
ネルの予想に反して、リュカの民は必死でネルを探していた。他民族で、親もなく、学もなく、いたずら坊主で、好奇心に目をキラキラ輝かせている、やっかいな子供。放っておけない、やんちゃな子供。
数日皆で探しても見つからず、そのあとも手の空いている村の人間で捜索が続けられた。森に生きるオロソの民であっても、さすがに生存が危ぶまれるか。そう思ったとき、ネルはひょっこりと顔を出したのだ。小さな丸い龍に乗って。
心配の反動でネルはリュカの村長からこっぴどくしこられた、その数日後。
ダルカニアからの定期便が島の小さな漁港に停泊していた。
ダルカニアの使者は、ネルのことなど目に入っていないかのようで、珍妙な小さな丸い龍についてのみリュカの村長に質問していた。珍妙でも龍は龍。見逃す選択肢はない。その上にいるのは子猿としてしか認識していなかった。
孵化に立ち会い、刷り込みまで完了してしまった人間はこの島には居られない。手懐けるすべを持たず、やがて人の災となるからだ。
「小僧、出航だ」
声をかけたのは、ダルカニアからの使者ではなく船の乗組員。タラップをさっさと片付けたかったからで、親切心からではない。
こうして生まれ故郷である島から強制的に連れ出されたネル。状況をわかっているのかいないのか、どこか呑気だ。
「ヌズーリおじさーん。またねー」
「またねって。あいつ、二度と会えないとわかっていないのか……?」愕然とする村人たちをよそに、ネルはさっさと前を向いて前に歩き出し、船に乗り込む。
「さあ、巨龍のご飯を取りに行こう!」
ネルの宣言は、周りにいる人たちに認識されることはなかった。子猿のつぶやきなどに構う人間は、ダルカニアにはいないのだ。