ドラゴンの採卵士
「採卵士風情が」
吐き捨てるように言い放つのは、白ひげをたくわえ、狡猾な目つきであたりを睥睨する陸軍総督。緊急事態の一報をうけ、普段は出向くことのない現場に足を運んでいた。幻のドラゴンをその目で確認するためだ。
しかし、島民は生意気にも軍人の上陸を阻む。言うに事欠いて、軍人に向かって「危ない」と。
ドラゴン使いは島民を下に見てはいたが、その技術を目の当たりにしているので一定の敬意を払っていた。しかし現場を見ない軍の上層部は違う。
ダルカニアの爺さんたちは、現場を知らない。なので、今までもドラゴン使いに卵の採取をしろと命令することもたびたびあった。
ダルカニアの爺さんたちは、現場を何も知らない。ドラゴンの棲む森にともにある他の野生生物たちも、大陸とは比べ物にならないほどに危険だということも。そして、飼いならされていないドラゴンが、島の龍がどれほど危険かということも。
何も知らずに大陸から来た者たちは、我が物顔で島に押し入る。
「帰ってきちゃった」
夜の島、海岸付近に音もなく着地した毛玉から降りる。
二度と踏むことのないと思っていた故郷の土は、エストラの心を揺さぶった。この故郷のために、エストラは自らの意思で大陸に渡った。彼は敢えて卵の孵化に立ち会ったのだ。
尊敬してやまないリュカの民の大人たちが、ダルカニア帝国人に頭を下げる姿をみることが耐えられなくなったからだ。
対してネルは何の感慨もなく歩き始める。まるで散歩から帰ってきたかのように。
向かうは龍の森。
リュカの民の掟として、龍の森はベテランの狩人を先頭に数人で組んで入っていくことになっていた。子供や未熟なものが入るのは別の森。
その別の森も大陸に比べて危険な生物が多い。二百年前に大陸から渡ってきた先人たちが少しずつ開拓し、生き物と向き合い、時に命を落としながらもこの島で生きてきたのだ。
ネルは毛玉を龍の森付近にの海岸に降りさせていた。さっさと歩いていくので、エストラは思わず止める。
「ネル、あぶないよ。こっちは龍の森だ。それにもう夜も遅い。死にに行くようなものだよ」
「? 大丈夫だよ」
何を言われているかわからないという顔をし、ずんずんと進んでいくネル。エストラもネルを一人で行かせるわけにもいかず、月明かりを頼りになんとかついていく。
エストラが島にいた時に聞いていたのは、親を亡くした哀れなオロソの孤児の話。未熟で全く村になじめず苦労していると叔父はぼやいたではないか。
しかし、目の前のネルはどうだ? 的確な知識と、現地調達した道具をもって森を難なく進んでいく。哀れな孤児の片鱗はない。
その話の孤児がネルのことだというのは間違いないだろう。生きているオロソの民の話はネルとその父親、その叔父の話くらい。それほどまでにオロソの民は数を減らしている。
エストラとて、リュカの民の中で優秀な子であり、実力主義の島において村長をたびたび輩出する優秀な家系、環境であったので、なんとか龍の森を歩ける程度。
しばらく進んだころ、唐突にネルが「あれ」と声を上げた。
「なんかたくさん人がきたね」
進行方向の逆、つまり来た道を振り返って、うっそうと茂る森を見通すように当たり前のようにそう言うネルだが、エストラには全く見えない。
島育ちのエストラだって目はとても良く、ダルカニアでも重宝されるほどだった。しかし、何も見えない。見えるのは色の濃い広葉樹のみ。
「ネル。僕には見えないよ。葉っぱのすき間から見えるのかい?」
「スキマ? スキマはないよね」
「なら、どうやって」そういった途端、ヘビが葉の陰から襲いかかる。
油断のできない森だが、軽々とネルはそれをお手製の罠で仕留める。逞しすぎる。
「だって、あの人たちとても興奮してる。かっかしてるから。多分森に入れなくて怒ってる。熱くて、見やすい」
そのよくわからない言葉に、エストラはその賢い頭で事の真相に思いいたる。
「ネル、もしかして君は温度が見えるのかい?」
ここまでオロソの民がリュカの民と言葉を交わせるようになったのも奇跡的だし、ましてや共に森歩きをすることなどなかった。
長年の謎があっけなく解けたかのようにみえるが、奇跡が重なった結果だった。
――オロソの民は普通の人間ではない。
とめどなく吹き出てくる嫌な汗。この悪寒は、巨大な龍から来るものでもなく、龍の森の未知の生物への恐怖から来るものでもない。
目の前の未知に怯えながらも、ごまかすために、話を続ける。
「ネルは森の歩き方が上手だね」
「お父さんがね、死んでしまった方のおっとうがね、歩く姿を思い出しながら歩いているんだ」
ネルの父親は、ネルが歯が生え変わる以前に亡くなっていると聞いていた。それでも、森の歩き方は身につけていたのだろう。いや、歩き方というのはおかしい。森に生きているのだから、生き方というべきか。
「オロチ歩きっていうの」
「オロチ? オロソじゃなくて?」
「うん。オロソは自分たちのことをオロチって言うよ」
時折巨龍の咆哮が聞こえる。後方には、ダルカニアの軍人の声も。
「エストラは友達だからね。教えてあげるけど、卵の場所も、たくさん知ってるんだ」
ダルカニアやリュカの民が喉から手が出るほど欲しがっていた龍の卵。オロソの民がいれば、容易に手に入れられたのかもしれない。しかし、野焼きや乱獲で、彼らは森の奥に追いやられた。もしくは、絶滅寸前か。
「リュカの人たちは卵を取るのが上手じゃないから、父さんたちがよく余分な卵を取りやすい場所に置いておいたりしてたんだよ」
一度にたくさんの情報が入り、エストラは頭がクラクラとしてくる。
「龍の卵はだいたい土に埋まってるけど、リュカの人たちは見えないみたいだからね。温かいからよくわかるのに。僕もたまに夜にとって、ヌズーリに怒られたとき謝る代わりに置いてきてたよ」
つまり。オロソはオロチ、つまり大蛇の民。さらに、龍の卵は通常土の中にあり、熱を見ることのできる彼らでなくてはなかなか見つけられない。
そして、今までは彼らが僕らのために、わかりやすいところにおいておいてくれたのだと言う。
ドラゴンがいなければ、ダルカニア帝国は緩やかに滅びるだろう。龍の卵が採れなくなったリュカの民を帝国がそのまましてくれるとは思えない。つまり、リュカの民も危ない。
それなのに。龍の卵を本当に採れるのは、オロソの民だけ。今は数が少なくなり、存在が確認されているのは目の前の小さな少年、ネルだけ。
後ろからは、「森を焼き払ってしまえ」という叫び声を上げるダルカニア兵。この森がどれほど大切かわかっていない。
上空には、全てを覆す、龍の王が。
「エストラに、もう一つ教えてあげる」
ネルは随分とエストラに懐いたようで、ペラペラと秘密を話す。エストラに抱えきれない秘密を。
「オロソの民では、赤い卵は希望の卵だったんだ。だから、赤い卵を見つけたら、土深く埋めて孵化しやすくするの。でも、誰も見つけられなかったんだ」
「……それは、君たちには赤い色が見分けられなかったから」
「そう。だから、今回は運が良かった。たまたま見つけたし、卵には日が当たってたからたまたまちゃんと生まれた。だから、僕は本当は嬉しい」
ダルカニアの兵士たちがあそこまで殺気立っているのは、巨龍の恐ろしさにあてられているから。
しかし、どうだ。目の前の小さきオロソの民、ネルは、その巨龍にご飯をやるために、ここまでやってきた。
そして、大空を旋回していた巨龍は目ざとくネルを見つけ、一直線に降下してくる。周りの木々などなぎ倒していく荒々しいその様は、恐ろしくも神々しい。
ネルの前に降り立った巨龍は頭を下げてネルが撫でるままにしている。その姿を見て、エストラは思った。
『赤い卵は隠せ。龍を統べる王がでてくる。全てを覆す、龍の王が』あの言葉は、実は赤い卵から龍の王が出てくるとは言っていない。
龍を統べて、全てを覆す、王。
「ネルが、龍の王だ」
巨大な龍を連れて大陸で波乱を巻き起こすネルと、その面倒を見るエストラのお話は、また、別の機会があれば。