龍の王
「島が! 僕らの家が!」
『龍の島』で緊急事態発生。軍の本部が拡声器でそう告げる。
エストラは警報に動揺した。本来なら軍属である彼らは軍港に戻り配列につかなければならない。しかし、ネルはガン無視だ。
そもそも今日も今日とて脱走しようとしていたネルにとって、島へ向かうのは予定通り。わざわざ寄り道する必要がない。
そんなネルはおもむろに立ちあがり、ホバリングドラゴンにまたがる。向いている方向は明らかに軍港ではない。
「まって、ネル! 島に行くの? 直接?」
頷き、笑顔でバイバイと手を振るネル。
寮の裏手は雑草が生えた敷地がしばらく続き、そのすぐ先は海だ。すでに日は落ち月明かりだけが漆黒の海を照らしている。その暗闇に飛び立とうとするネル。
ここで別れると、ネルは本当に一人で島に向かってしまう。島には軍隊が大きな規模で向かうようなので、ネルはすぐに軍規違反者として捕まってしまう。ネルは懲罰を受けるだろう。
そもそも島では何か異変が起きているのだ。一人で行かせるのは危ない。
「待って。僕も行くから。結界が解除されたから、僕も行ける。ドラゴン連れてこなきゃ……」
「それなら一緒に乗ろ」
ネルの乗るホバリングドラゴンは小型だ。子供とは言え二人分の体重を支えられるとは思わなかったが、ネルに手を引かれ思わず乗り込んだ、既にわずかに浮いているホバリングドラゴンの背は安定していた。
「毛玉は力持ちなんだ」
「……毛玉」
「うん、毛玉」
ネルはこのホバリングするドラゴンを毛玉と名付けているのだと察して、エストラはこんな場面なのに思わず乾いた笑いがこぼれる。
オロソの民の名付けは適当だと聞いたことがある。おおよそ、ネルの名も見当がつくというものだ。
「ネル。君は赤ちゃんの頃よく寝る子だったのかい?」
「そうだよ〜」
ネルの気の抜けた返事とともに、毛玉は音もなく垂直に浮かび上がる。
数年ドラゴンの飛行訓練をしていたはずのエストラでも、その上昇には肝が冷えた。なんせ、通常の高度よりはるかに上。
おそらく毛玉は賢く偵察用に飛ばされた他の軍用ドラゴンたちを避け、移動の層を変えたのだろう。
ドラゴンの獲物は通常自らの目の前か下にいるので、顔の前に眼がついている。ワニのように上方に目がついているわけでもない。下の層を飛ぶドラゴンから、はるか上空を飛ぶ毛玉は見つかりづらい。
そして、毛玉の腹は光をうまく分散し、見えにくい保護色だ。もし人にみられても、鳥のようにしか見えない。おかげで多くの偵察の目をくぐり抜けやすやすと飛んでいく。
このままいくと自分も懲罰対象だ。エストラは思う。しかし、ネルが迷子になったとか、いろいろな言い訳を自分ならできる。ネル一人で行くよりもまだマシだろう。
ゆっくりと並行移動に移り、あとはすさまじい速さだがブレのない飛行を開始した毛玉に乗り、エストラは腹をくくった。
「ネル。島に行ったら、残してきたというその龍の子も連れて、一緒に大陸で暮らそう。餌が自分で捕れないということは、まだ赤ちゃんなんだろう? 刷り込みがおわっているなら、もしかしたらネルは初の二匹のドラゴン使いになるかもしれないね」
「うーん。連れてこれるかな〜」
毛玉は安定して飛ぶが、二人で乗るには小柄なので、二人してぎゅうぎゅうにくっつきながら話をする。
「そしたらさ。僕にドラゴンの、龍の知識を教えてくれないか? 僕は君に暮らし方を教えるから。僕は、その知識で、島を救いたいんだ」
「ふ〜ん」
「考えておいてね。ところで、ネルが、置いてきたその龍の子はどんな種類なんだい? 毛玉と同じ種類?」
「えっとね、殻を記念にとってあるんだ。すっごくおーーっきな子だよ」
そう言って、ネルは首から下げたアクセサリーをエストラに見せる。
「……? これは、卵の殻ってこと?」
エストラが手に取った龍の卵の殻の色は、深紅だった。
赤い卵は隠せ。
龍を統べる王がでてくる。
全てを覆す、龍の王が。
それはリュカの民に伝わる言い伝えだ。
赤い龍の卵をみたら、地中深くに埋めてしまわなければならないと、きつく言い聞かせられた。孵化に立ち会うのはもっといけない。狩りの最中に見かけたら、すぐさま退散命令が出るほどだ。
それは子供でも知っている。いくらネルがオロソの民でも、厠の場所を教わる前に教わる事項だ。食事をするたびに言い聞かせられるから、知らないわけがない。
その赤い殻を、見まごうことなき深紅の殻を、ネルは持っていた。
「ネル、これは何」
泣きそうになるのをこらえながら、エストラは問いかける。もう、島での異変も悪い予想しかできない。
「だから〜、卵の殻だよ」
「真っ赤だよ。赤の卵は……ダメだよ」
説明もできないほど、手に力が入らないほど、絶望と失望がエストラを襲う。しかし、ネルは意外そうな反応をする。
「え、それ茶色だよ? ちょっと光り方がめずらしいけど」
予想外のことに驚く。エストラにとって訳がわからないが、ネルにとってもわからないようだ。
「茶色って……。待って、もしかして」
エストラは不意に思いつき、自分の鞄から非常食を出す。それは雑穀で、赤や茶色、しろなどのいろをしていた。そのうちで赤色を選んでネルの前に突き出す。
毛玉の飛行は安定していて、ネルの操縦など不要だ。風に実が飛ばされないようにだけ気をつける。
「ネル、この実は何色に見える?」
そうしてもらった答えは、茶色。次に茶色の実を見せても、茶色。白は白。黒は黒。
「そうか。ネル。君は色が判別しにくい目を持っているんだね」
人とは色の見え方が違う者もいると、エストラは聞いたことがあった。
ネルがあえて間違いを犯したわけではないとわかってホッとするも、そもそも問題が解決したわけではないと、再度落ち込むエストラ。
「あ、僕の龍がいたよ!」
唐突な発言に、いつの間にか島までの距離があと僅かであることに気がつく。しかしエストラには暗闇にうっすらと浮かぶ島しか見えない。
目を凝らしていると、唐突に響く爆発音。
暗がりの中でエストラにも見えた。夜空に羽ばたく巨大な龍。それは、軍のドラゴンの3倍などでは効かない。明らかなる変異種だ。まるで島そのものに命が吹き込まれて龍となったかのようだった。
暗闇に浮かぶ脅威を見て、エストラは思わずつぶやく。
「あれが、龍の王……」