なろう異世界史 物流編⑥
わしは家を後にして、何度も思い返してしまう。
親子を助けたい一心で、数年は過ごせるだろう金品を渡そうとした。
――だが、それは彼らの誇りを傷つけただけの、愚かな行為だった。
―――回想。
男は、わしが差し出した宝石をじっと見つめたまま、ふっと乾いた笑いを漏らした。
「……助けるだと? 転生者のお前がか?」
言葉が出ず、わしはただ頭を下げるしかなかった。
男は震える手で宝石袋を掴み、床に叩きつける。
硬い音が部屋に響き渡り、重い沈黙が落ちる。
「笑わせるなっ! こんなもんで、俺たちの人生が戻ると思うのか……?」
怒りと絶望が入り交じった声が、胸に突き刺さる。
「頼む……これ以上、関わらないでくれ……」
母もまた、悲しげに微笑みながら、震える声で続けた。
「この子だけは……お願い……もう、私たちはいいの……これ以上、惨めになりたくないのよ……」
少女は母を見つめ、唇を震わせながらも何も言わなかった。
それならば……「なら、わたしたちとご一緒に……」
そう言いかけたが、喉の奥で言葉が絡まった。
彼らを生活を……誇りを……全てを奪ってしまったオレに、一緒に生きようだなんて……どの口が言える?
もはや、シをとした覚悟にオレの言葉なんて届かない……
こんな状況で、何も出来ずに、何も積み重ねていないオレの言葉など……
所詮は、偽善者の戯言くらいにしか映らないだろう……
だが、それでも、娘を想い、恥を忍んでまで、エリーゼの未来をオレに託した。
ならば、わしはその思いに必ず答えなければならないっ!
これ以上ここにいるのは、彼らの誇りを踏みにじることになる。
わしも覚悟を決めて、ここから去ることにしたのだった。
外に出て、雲一つない乾いた空を見つめ、これからのことに思い耽る。
――この出来事を通して、わしは何を失い、そして何を失わせたのだろう……
そう思わずにはいられなかった……
―――
あれから、わしは炊き出しを始めた。
少しでも貧しい人々の腹を満たそうと、湯気の立つスープを配った。
列をなす人々の目には、わずかな希望と、深い疲労が見え隠れしていた。
わしは、ただ生きるために食べる人々の列を見つめていた。
市場の片隅に設けた炊き出しの鍋からは、湯気とともにかすかな肉の匂いが漂っている。
だが、そこに並ぶ人々の顔には、安堵ではなく、深い疲労と諦めが滲んでいた。
「お待たせしました……次の方……」
手渡したスープを受け取る男が、苦々しい顔でこちらを見つめた。
「……転生者様が、今さらこんなことをして……」
わしは手を止め、男を見た。
「どうせ罪滅ぼしのつもりなんだろうがな……こんな薄いスープで、オレたちの人生が戻るわけじゃねぇ……」
男の言葉に、周囲の人々が静かに頷くのが見えた。
子供を抱えた母親、痩せ細った老人――誰もが、わしの施しを受け入れつつも、心の奥では苦々しい思いを抱いているのだろう。
――そうだ、わしは彼らを救っているのではない。 ただ、生かしているだけだ。
「……すまない」
わしはただ、それだけを言うのが精一杯だった。
しかし、男は鼻を鳴らし、スープをすすりながら言った。
「……謝るだけじゃ何も変わらねぇ。結局、お前らは自分のためにやってるんだ。自分を納得させるためにな……」
わしの胸が痛んだ。ぐっと拳を握りしめ、言い返そうとして……言葉が出てこなかった。
夜になり、残った食材を数えながら、わしは深くため息をついた。
「……こんな場当たり的なことをして……一体、何になる……」
何かしなければと思って始めた炊き出し。
しかし、それはただの延命にすぎない。
根本的な解決には程遠く、何も変えられていないのではないか――そんな思いが胸を締めつける。
そのとき、静かな声が聞こえた。
「どうしたの?」
振り向くと、そこに立っていたのは少女――エリーゼだった。
彼女は腕を組み、冷めた目でわしを見つめていた。
「……なあ、どうしたらいい?」
わしは彼女に問いかけていた。
「どうすれば……こんな状況を変えられるんだ……」
エリーゼは黙ったまま、しばらく考えていた。そして、静かに言葉を紡ぐ。
「……その場しのぎじゃなくて、生きる力を与えればいい……」
「生きる力……?」
少女は視線を落とし、呟いた。
「仕事……住む場所……みんな、ただ食べるだけじゃ、生きてることにならない……」
わしはその言葉を飲み込み、うつむいた。
仕事……か……
確かに、彼らに必要なのは、一時の施しではなく、未来を切り開く手段なのかもしれない。
しかし、どうすればいい?
わしはまだ、答えを見つけられずにいた。