なろう異世界史 物流編⑤
そこは、かつては裕福だったのだろう。しかし今は、家の壁はひび割れ、扉は傾き、庭は荒れ果てていた。かすかに漂う腐臭が、家の中の惨状を物語っている。
少女は足を止め、わずかに震える手で戸を叩いた。
「……お父さん……お母さん……」
声に力はなく、何かを恐れるような響きがあった。
しばらくして、軋む音とともに扉が開く。
その後に現れたのは、やつれ果てた男と女だった。
髪は乱れ、目の下には深い隈が刻まれている。
男の肩は異様に痩せこけ、女は疲れ果てた瞳でこちらを見つめた。
「……あぁ……エリーゼ……」
女が娘の姿を確認すると、涙を浮かべながら彼女を抱きしめた。
「ごめんね……何も……何もしてあげられなくて……」
その声には、諦めと絶望が染み込んでいた。
男はそんな妻を支えるように、震える手でわしを睨みつける。
「……転生者……か……」
その一言には、憎悪と嘲笑が交じり合っていた。
「貴様らのせいで……オレたちの仕事も、土地も、未来も……全部、全部……」
拳を握りしめ、今にも殴りかかってきそうな勢いだった。
その様子を目の当たりにしたオレは、地面にひれ伏し謝り続けていた……
「すいません……すいません……ごめんなさい……ごめんなさい……」
頭を床にこすりつけ、壊れたロボットの様に何度も何度も謝り続けた。
オレには、それくらいしか出来なかったのだから……
こんなものを見せられて、平然となんてしていられない……
どうやれば許してもらえるのだろう……
どうやれば救えるのだろう……
わしの頭はそればかりがぐるぐると回り続けていた。
しかし、彼はそんな謝り続けるわしの姿をみて、すぐに膝を折り、力なく項垂れた。
「……それで、娘を……買ったのか……?」
絞り出すような声が、部屋の静寂に響いた。
「ごめんなさい……すいません……わたしが悪かったのです……すいません……」
わしは、少女の沈黙とともに、ただ謝り続けるしかなかった。
男はしばらく虚空を見つめた後、ふらふらと立ち上がり、奥の部屋から古びた袋を持ってきた。
「これを……持っていけ」
差し出された袋の中には、金貨が数枚と、手入れの行き届いていない銀の指輪が入っていた。
「こんなものしか……残っていないが……せめて……この子を……頼む……」
わしはその言葉に息を呑んだ。
「頼む……この子だけは……どうか……」
男の目には涙が溜まっていた。
その背後で、女も嗚咽を漏らしながら娘の手を強く握っていた。
「おとう……さん……うっ……」
少女はそれだけ言うと、黙ったまま、うつむき、唇をかみしめていた。
わしは、その場から逃げたくなる衝動を必死に抑え、袋を受け取った。
「……ああ、引き受ける……」
そう答えた瞬間、少女は顔を上げ、静かに言った。
「わたしは、あなたを見ています。いつまでも……どこまでも……」
その声には、怒りも憎しみも滲んでいたが、どこかにほんのわずかな期待があるようにも感じた。
そして、家を出る直前、少女の母が最後に一言だけ言った。
「どうか……この子に……少しでも、幸せを……」
わしは、返事をすることができなかった。
ただ、背中にその言葉を刻み込むように受け止め、家を後にした。