怒らせちゃいけない
獣の顔の正面に立つと、あまりの迫力に変な汗が止まらなくなってきた。
もう自分の身体が本能的に危険を知らせてきていることがわかる。
とりあえず、水の場所さえ聞ければいい。
ただえさえ気が立っているし、刺激しないように慎重に丁寧に聞こう。
「あ、あのっ、君が知ってる水が飲める場所を、おしぇっ、教えてほしいんだけど‥‥‥!!」
ー噛んだ。
穴があったら入りたい。
なんならもうこの獣に食べられてしまっていいから、この場から消え去りたい。
1秒ほど間をおいて、獣が「ア゛ン?」とバカにしたような声を出してきた。
「ふっ、あははははっ!!」
「律ー!笑うなバカ!」
「だって、咲久の相変わらずのコミュ障面白すぎ」
「今回に至ってはコミュ障とかそれ関係ないから!こんな化け物相手に普通に話せる方が異常だから!」
もう嫌だ、顔が熱い。
そうだよ、よく考えたら日本で平和に学生として暮らしていた人が、急に巨大な怪物と会話なんてできるわけないじゃないか。
でも、転移してからずっと表情がどこか固かった律が、ようやく笑ってくれた。
少しほっとする。
「咲久、そんなんじゃダメだよ。見てて」
そういうと律は、再び拳を振り上げた。
獣がビクッと体を揺らし、怯えた表情を見せる。
「ちょっ、律?!」
「水はどこにある?知ってるよね?ついでに一番近くで、人間が住んでる村でも集落でもなんでもいい、知っているなら教えろ。知っていなくても教えろ。教えてくれたら殺さないでおいてあげる」
とんでもない気迫だった。
「知っていなくても教えろ」に至っては、理不尽すぎて若干獣に同情してしまった。
律が振り上げている拳は、あの謎の黒いもやを纏っている。
ほっとするなんて前言撤回、律怖すぎる。
「ミ、水ハ、アッチ。湖ニ、キレイナノアル」
獣は口を開くと、震えながら指を指して方向を示した。
「喋れたんだ‥‥‥」
「人間のいる場所がまだだよ。言えないの?」
「湖カラ続ク、人間ノ作ッタ道アル。ソノ道進メバ、町ニ着ク」
この獣の言ってることが確かなら、水もあるし私たち以外の人間もちゃんとこの世界にもいるということだ。
一気に希望が生まれた。
「よかったあああ‥‥‥ね、律!律ー?!」
なぜか律がまた拳を振り下ろそうとしていた。
慌てて律の腕を掴み、止めに入る。
「何やってんの?!」
「何って、用済みだから殺すんだよ」
「いやいやいや!さっき教えてくれたら殺さないって約束してたじゃん!」
「あんなの吐かせるための嘘。そうでも言わないと教えてくれなそうだったから。それにまた襲ってきたら危ないしー」
「とにかく!殺すのはダメでしょ!い、生き物?だし!」
この世界が現実なのか異世界なのか、仮想空間なのか夢なのか。
この獣が殺しても良い奴なのか、本当は大事な生き物で希少性があったりするのか。
何もわからない以上、殺すのはまずい。
「ー‥‥‥わかった」
律も、流石に殺しには抵抗があったようだ。
ようやく拳を下ろすと、獣の巨体から降りた。
「次また襲ってきたら、わかってるよね?」
律から冷たい声で放たれた鋭い一言に、獣はブルブルと震えて走り去っていった。
「よし、行こうか、咲久。‥‥‥咲久?」
「あ、ああうん、水だ水だー!あはは」
絶対に律を怒らせないようにしよう。
この時、わたしは強く誓ったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
律が強すぎて獣がめっちゃ弱く感じますが、実は超強いんです‥‥‥全くそう見えないんですが、一応、設定的には、、!!
ちなみに今回文字数が少ないのは、さぼったんじゃなくてキリが良かったからです。ほんとです。
次回は、二人がこの世界に来てから初めての夜です。
改めて、ここまで読んでくださっている方々、感想や評価やブックマークで応援してくださっている方々、本当にありがとうございます。
この先も作者の好みの百合を書きたい放題書かせていただきますが、もし気に入ってくださっていて、これからもお付き合いしていただけたら嬉しいです。