脅し
このまちに入ってすぐ、髪色を隠すためのその場しのぎのためにアンリーヌが買ってくれた大きな帽子を被ると、私はリビングへ向かった。
さっき覗いた時と変わらない様子で、住人たちが飲めや歌えや騒いでいる。
明日もし全てがうまく行って、洗礼の儀とかいうのを受けたことで髪色もこの世界に馴染む色に変わっていたら、咲久と私はアンリーヌに連れられてこいつらに挨拶することになるはずだ。
咲久がこのいかにもやばそうな住人たちと接触する前に、咲久に手出しをしないようにこいつらに手を回しておかなければ。
ーガンガンガンッ
開け放たれているリビングのドアを、騒がしい声に負けないよう強めにノックした。
驚きながら、ダルそうに、面白そうに、そこにいるそれぞれの住人たちの視線が一斉に私に集まって、一瞬、リビングが静かになった。
「ー誰だ、お前」
1人のデカい図体の男が、ズカズカとこちらに向かってきて、顔を覗き込もうとしてくる。
それに続いて、周りの奴らも騒ぎ出した。
「え〜?こんな子うちのアパートにいたっけ〜?」
「顔は見えないけど俺にはわかるぜ、こいつ相当美人だ」
「新入りなんじゃない?物騒な登場だねえ」
「礼儀がなってねえな」
リビングに散らばって座っていた住人たちが、じわじわと私の方に近づいてくる。
髪色を見られたらまずい。
私は帽子を深く被り直す。
「なんで頑なに顔を隠すんだ?」
「そんなにわざとらしく隠されたら、見たくなっちゃうよねえ〜?」
「帽子もーらい!」
酒臭い男が、私の帽子を掴んだ。
ーやばいっ
ゴッ。ドン、パリーン。
「ー‥‥‥あ、やば、ごめん」
咄嗟のことで力加減がうまくできなかった。
振り上げた拳が男の頬にガッツリ命中し、男の体がリビングの端まで吹っ飛んで行った。
一瞬にして場が静まり返り、男の体に潰されて割れたた酒瓶がカラカラと転がる音だけがリビングに響く。
私は、私が思っている以上に強いらしい。
「ほんとごめん、大丈夫?」
男の頬を突いて、生きているか確認する。
よかった、生きてはいる。
「おい、よく見たら、ドアのあいつがノックしたとこ凹んでるんだが」
「は‥‥‥?」
「なんなんだよこいつ」
住人たちが、私から距離をとり、ヒソヒソと話している。
本当だ、凹んでる。
こればっかりは反省しかない、そんなつもりはなかった。
それにしても、普通こういう場面だと、「何しやがるてめえ!」とか言って全員が一斉に私に飛びかかってくるものだと思っていた。
そこで私が全員をボコボコにして、完全勝利した後に「咲久に手出したら殺すからね」と脅してミッションコンプリートっていう流れを考えてたんだけど、肝心の1人目で力加減をミスったせいで、警戒して誰も来てくれなくなってしまった。
まあいいか、もう十分すぎるほど脅せたみたいだし、全員ボコらなくても済むなら私としてもそのほうがありがたい。
「何が目的だ。まだやるようならこちらとしても考えがー」
「いや、目的は済んだよ。今はこれ以上何もする気はない。みんなに忠告だけしたら、もういなくなるから安心して」
「忠告?」
「明日、このうえなく尊くて可愛い顎下ボブの小柄な女の子がアンリーヌに連れられてこのアパートの新入りとして挨拶にくるんだけどね。本当、可愛いんだけど、その子」
「お、おう‥‥‥」
だめだ、咲久の話をしていたらにやけてしまう。
咳払いをして気を取り直す。
「絶対にその子に手を出すな、ウザ絡みするな、困らせるな。彼女に用事がある場合は、彼女と一緒に入居してくる長身の女を通せ。それを守ってくれたら、私はこれ以上は何もしないから」
「なんだそりゃ。‥‥‥守らないって言ったら?」
「全員、殺す。あ、いや、殺したら咲‥‥彼女がショック受けそうだから、半殺しかな」
「どんだけ物騒なんだよ‥‥‥」
「守ってくれればいいだけだけど」
私が全員を見渡すと、彼らは「わかったわかった」と首を縦に振った。
よし、これで咲久がこのアパートの奴らから何かされることはないだろう。
「じゃあ、私は行くから」
「あ、おい、お前は結局何者なんだよ!」
飛んできた声を無視してリビングを出ると、こっそり追われることがないように、光の速さで共同スペースをでた。
私を追おうとリビングを出た者は、私が消えたと思っているはずだ。
こうして作戦は、大成功に終わった。
お読みいただきありがとうございます。
今回は1話分律の語りでした。咲久はこの間何も知らずに爆睡中です。
次話はようやく異世界生活3日目に突入できそうです。
改めて、ここまでブックマークやいいね、評価や感想で応援してくださっている方々、本当にありがとうございます。




