大喧嘩
「あ、わたしたち、死んだ?のかも」
冗談のつもりで言ってみたものの、もしや本当にそうなのではと自分の発言に青ざめる。
「いや、それはない。咲久はあり得るけど、私は確実に死んでない」
「わたしはあり得るんだ‥‥‥」
「咲久に向かって手を伸ばしたけど結局間に合わなくて、私の目の前で咲久が蛍光灯の下敷きになったからね」
ーうわあ‥‥‥。
なんだか、律にかなり酷いトラウマを植え付けてしまったかもしれない。
でもこれに関しては、運が悪かったとしか言いようがない。
「流血してる咲久と、混乱する店内で、どんどん頭と一緒に視界まで真っ白になって、気がついたらここにいた。私もついさっき目覚めたとこ」
「そう、だったんだ‥‥‥。あのさ、ところで律」
「何?」
「えっと、なんか怒ってる?」
普段から特別テンションが高く明るいってわけではないけれど、今の律は表情筋をピクリとも動かさずに、低い声で淡々と話していて、いつもと様子が違う。
そういえば、わたしが「死んだ」とかいう前まではいつもの律だった気がする。
「わたしが物騒なこと口走ったのが理由なら、それはごめん」
律のこんな態度初めてで、どうすれば良いのかわからない。
とりあえず謝ってみたものの、律は余計に表情を曇らせた。
「あーもう!!咲久はなんでいつもそう思考がずれてんのかな」
「あ、あれ、怒ってる理由、違った?」
「咲久に対する文句は山ほどある。でも今回のことが一番腹立った」
律は、座っているわたしの身体の両側に両手を地面に叩きつけ、顔をずいっと近づけてきて言った。
初めて見る律の怒った顔と声の迫力に、思わず後ずさる。
「なんで、蛍光灯を避けようとしなかったの?!」
ーは?
気がついた時にはもう目と鼻の先にあったんだから、あんなの避けられるわけがなかった。
だいたい、わたしだって律に対する文句は山ほど抱えているんだ。
押されてたまるか。
「あんなの避けられるかー!それに律だって、考えもなしに手伸ばして駆け寄ってきて、2人もろとも下敷きになってたらどうしてたんだよ、この脳筋!」
わたしはかなり本気で怒ったつもりだったが、律は全く動じていない。
律に対してはもちろん、家族以外にこんな大声出したの初めてなのに、律は驚いた様子すらなく、再び怒鳴った。
「私が言ってるのは、避けられたか避けられなかったかの話じゃない!」
「‥‥‥?じゃあなんの話?」
「咲久が、自分に蛍光灯が落ちてきていることに気がついた時に、慌てた表情も見せずに諦めた顔で目を瞑ったことに怒ってんだよ!」
「い、いや、慌てはした‥‥‥と思うけどー」
いや、確かに、逃げないととか、やばいとか、普通なら反射的に思うことを、わたしはあの瞬間思っただろうか。
思わなかった、気がする。
なんでだろう。確かに最近は精神的にも体力的にもきつかったし、ダメージは感じていた。
でも、「死にたい」ってほどではなかったはず‥‥‥。
いやでも、冷静になって考えてみると、学校も、バイトも、親との関係もひどくて、思い返してみれば心が休まる瞬間が全くない相当辛い生活を送っていたかもしれない。
それで、無意識に死のうとした‥‥‥?
ー何それ、怖い。
全身に、鳥肌がたった。
「咲久!聞いてんの?!」
「き、聞いてるってば!だからそれは、急すぎて、慌てる暇もなかったというかー」
やばい、押されてる。
私だって律に言いたいことや反論したいこと、たくさんあるのに。
「今度こそー」
律が言葉を詰まらせて、わたしから目を逸らして、うつむいた。
目にまでかかる長い前髪のせいで、律の表情が隠れてよく見えない。
律がわたしの方腕を掴んだ。
「今度こそ、本当に咲久が私の前からいなくなるかもって思っただろ!!」
顔を上げて、律が怒鳴った。
ー先に離れていったのはどっちだよ。
そう言ってやりたかった。
けど、今まで見たことのない、苦しみと安堵と怒りが混ざり合ったような律の表情をみると、言えなくなってしまった。
「‥‥‥ごめん」
謝ったら負けだから、絶対に言い返して、謝罪の言葉なんて言ってやらないと思っていたのに。
わたしは律の顔を真っ直ぐみることができなくて、首が回る最大限までそっぽを向いて、小さく謝った。
腕さえ掴まれていなければ、背中を向けたいくらいだった。
気づいたら、わたしも泣いていた。
言いたいことがうまく言えず押し負けた悔し涙なのか、自分のことをこんなに律が心配してくれていたという嬉し涙なのか、律と出会ってからもうずっと、自分のことがよくわからない。
「咲久、ちゃんとわたしの目を見て謝れ」
「ー?!い、いや、わたしが折れて謝ってあげただけでもかなり譲歩したのに、何言ってんー」
「咲久!!」
律は掴んでいたわたしの腕を引き寄せて、今度は両腕を持った。
「謝らないと、この草原に置いていくからね」
「ーっ!!」
周りに人の気配が全くしない。
住宅も、道路も、電柱の1つすら見当たらない。
じゃあ夜は、真っ暗闇の中に、1人‥‥‥?
なんの生き物が潜んでいるのかもわからない、こんな未知の土地で?
ー絶っっっ対、無理!!!
これはあれだ、不可抗力というやつだ。
折角生き延びたのだから、このまま生きて帰りたい。
そのためには、2人で行動する方が安全だし、効率も良い。
ーというわけで、律に流されたわけではなく、意図的にわたしが折れてあげるのだ。
「ごめん、なさい‥‥‥。反省しているので、置いていかないでください‥‥‥」
わたしが悔しさに歯を食いしばりながらそう言うと、律は満足げに頷いた。
それからはすっかり機嫌も治ったようで、いつもの律に戻った。
負けたわけではない。
決して断じてそうではないが、負けた気分だ。
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
今回のサブタイトルは、「大喧嘩」ですが、書きながら、「痴話喧嘩」の方があってたかなあとか思ってました。
律の、咲久に対する想いの重さや胸の内は、後々律による語りで暴露させようと思っています。(もうだいぶ溢れ出ちゃってますが)
ここまで結構内容重めでしたが、次話からはほのぼのしたり、ギャグも多い2人の異世界ライフが始まっていきます。
ここまで読んでくれた方々、評価やブックマークをしてくれた方々、感想をくれた方、本当にありがとうございます!
この先もお付き合いしていただけたら、踊り狂うほど嬉しいです!!