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スプラッタはまだないですが不快な人や発言、差別が出てきます。

 


「行ってくる」

「必ず、必ず生きて帰ってきてくださいね」


 二人の男女が向き合い別れを惜しむ。空は旅路を祝福するように晴れやかだった。


 本当は行ってほしくない、と思っていたがぐっと堪えて両手を組み幼くも美しい少女は彼の無事を願った。二人の左手薬指には小さな宝石がついた指輪がはめられている。


「帰ったら式を挙げよう。それまで待っていてくれ」


 大丈夫、必ず帰ってくる。そう言った彼は何度も振り返りながら生まれ故郷を去っていった。



 今我が国は戦争真っ只中で徴兵はまだされていないものの早くも食糧難に見舞われていた。

 そこで村の中で有志を募り、冒険者として依頼をこなしながら隣国に渡って食料を買い付けに行ってもらおう、ということになった。

 そのメンバーであり発起人がわたしの婚約者だった。


 本当は彼について行きたかった。けれどわたしには出ていけない理由があって見送るしかなかった。

 彼の友人や若い子達も旅のメンバーになり村を出ていってしまったから余計に寂しく感じる。


 でも、彼が任務を終え帰ってくれば結婚できる。

 二人ならこの苦境もきっと乗り越えられる。

 それを糧にわたしは自分の職務を全うした。



 戦争が激化していくにつれ村にも徴兵の辞令が下った。

 親達は息子達に戻ってこないよう手紙を出した。婚約者の親も彼に出していてわたしに謝った。


『彼が生きていることが最優先ですもの。わたしに異論はありません』


 本当は寂しくて寂しくて嫌だったけど彼が戦争に駆り出されるのも死んでしまうのも嫌だから我慢することを選んだ。


 どうか無事でいて。そして生きて帰ってきて。

 そう願い、返事はなかったけど検問に引っ掛からないようにこっそり手紙を出し続けた。


 そのうち国境が封鎖され一通の封書が届く。



 婚約者の両親が蒼白の顔で差し出してきた紙を見て崩れ落ちた。

 婚約者の死亡通知書だった。


 嘘だ、信じない、と叫んだが婚約者の両親が国境封鎖から手紙が来なくなったという。そこで婚約者は手紙が書ける状況だったと知る。


 また彼の両親は配達する者に賄賂を渡し、生活費を送っていたそうだ。そこで他の者達よりも彼の両親の顔がやつれ、痩せ細っていることに気づく。

 息子を助けるために自分達の生活を切り詰めているのだろう。


 それだけでも胸が苦しいのにもう一通の手紙を渡され手が震えた。


 ああ、彼の文字だ。勉強が嫌いで、でも『自分の名前が書けたら格好いいよ』と言ったら勤しんで学ぶほど調子がいい彼。

 どんなに練習してもお手本のように書けなくてぐしゃぐしゃに丸め捨ててしまったけど、そこに書いてあったのは彼の名前じゃなくてわたしの名前だったからこっそり拾って本に挟んである。


 わたしの名前を最初に書いてくれた彼が愛おしくて仕方なかった。


 中の文面も不格好だけど彼らしい力強い文字に涙が溢れた。



 ―――長らく帰れなくてすまない。

 俺達は国境近くの街で国境封鎖が解除されるのを待っている状況だ。だが隣国が国交を凍結してしまったため封鎖が解かれても帰ることができないかもしれない。

 もう少し待ってもダメなら帝国を迂回して戻ろうと思う。遠回りになるがどんなに時間がかかっても必ず帰るつもりだ。―――



 それが一枚目で、捲ると二枚目にはこんなことが書いてあった。別の日に書いたのか前のものよりも乱雑で走り書きのようだった。



 ―――隣国と帝国の関係が悪化したとの情報が入った。もしかしたら戻る途中で命を失うかもしれない。

 もしものために書き残しておく。

 もしこの手紙が家族の元に届いたら俺はもう死んだと思ってくれ。―――



 そこで手紙を持つ手に力が入り、脳が読むことを拒否した。だが読まなければならない、と歪む視界の中続きを読んだ。



 ―――育ててくれたおふくろ、親父、ありがとう。親不孝者でごめん。村長、折角後押ししてくれたのに役に立てなくてすまない。村が少しでも長く平和であることを切に願う。

 それからシビル。約束を守れなくてすまない。どうか俺の分も幸せになってほしい。――――



 そこまで読んだわたしは泣き崩れた。

 彼はもう戻ってこない。


 あまりのことに心も体もズタズタに千切れたような錯覚を覚えた。痛くて苦しくてどうにかなってしまいそうだった。




 ◇◇◇




「え、村を出ていく?」


 戦争は拡大し続け、すぐそこまで戦火が来ていた。

 婚約者達が出ていった後の村民はほとんどが親世代から上か、外に働きに出るにはまだ早い小さな子供ばかり。こんな不安定な状況で生活を維持することは困難だった。


 村を出ると決意した彼らは何も間違っていない。だから誰も止めなかった。シビルも婚約者の両親達が出ていくと聞いても驚かなかった。


 出ていく前の晩、最後だからと一緒に食事をすれば驚くべきことを聞かされた。

 こうなる以前から婚約者から隣国に移り住むよう催促があったのだという。


「この村は我々の生まれ育ったところですし、シビル様がいてくださるからとずっと先延ばしにしていました」

「それにシビル様は息子の婚約者でしたから。そんなことを言う息子の意図が掴めずあなた様にも伏せていました」


 隠していたことを謝罪されたが頭がついていけなかったわたしは『シビル様も一緒に行きませんか?』という誘いに頷くことができなかった。


 なぜ?わたしがこの村を維持してることも、国から出ては行けないという制約があることも知っているはずなのに。いや彼らにはこの任務の重さは理解できないだろう。

 だけど、まさか婚約者も理解していなかったの?あんなに伝えたのに?理解していたからわたしを置いていったのではないの?


「わたしは最後までこの村を維持します。それがわたしの使命ですから」


 混乱した頭で答えられたのはそれくらいだった。


 婚約者の両親達を見送ると残った住人は長旅ができない老人ばかりになった。


 それでもシビルのやることは変わらない。

 彼女は前を向いた。




 そして二年後、戦争は終結しシビルが住むバブルムスー王国は敗戦国となった。





 ◇◇◇◇◇




「そもそもの過ちはバブルムスーが大国のエルビンバーラにケンカを売ったのが悪いってことか?」


「そのケンカも意図せず売ったらしいぞ?噂によると王太子の婚約者を引き摺り下ろし乗っ取った聖女が、その王太子の婚約者だった公爵令嬢が新たに婚約したエルビンバーラ帝国の第二皇子に魅了魔法をかけたとかで皇帝の怒りを買ったらしい」


「公爵令嬢はエルビンバーラ帝国の遠戚と聞いたがマジだったのか」


「怒らせた相手が悪かった。聖女は傾国の魔女として旧国王都の噴水広場で火あぶりの刑になったそうだ。

 二度と生まれ変われないよう魔術師に魂を傷つけられ、焼け残った肉も骨も処刑を見に来ていた一般観衆に粉々踏みつけさせたらしい」


 おお怖っと男達は震え上がり、そして「ま、俺達には関係ないけど」と笑った。



 隣国にいる自分達にとって所詮は他人事、そして人の不幸ほどうまいものはないと知っている。とくに貴族は自分以外が不幸になる話が大好きだ。

 話を仕入れたものから順々に広げていき元バブルムスー王国を笑い者にする噂があっという間に社交界に広まった。


 ほとんどの者が戦争で命を失ったがかろうじて生き残った者もいる。その者達は後ろ指を指され嘲笑われることになるだろう。


 だが愚かでバカな指導者に従っていたのだ。臣下は甘んじて受け入れるべきだ。

 呪うなら殉死することもできずおめおめと生き残った自分を呪うがいい。


 自分達だってできやしないのに隣国ではそんな風にバブルムスーを蔑んだ。



 そんな悪い噂が蔓延した辺りから変な噂が流れ出した。



 バブルムスー王国は水が豊かな国で、水路も完備され飲み水も安全安心を誇っていた。

 それを可能にしていたのは『巫女』の存在で、彼女達は国王に指定されたエリアに行くと浄化石を用いて水路の確保、不純物などの浄化、下水のろ過を行っていたという。


 その巫女と浄化石を探しているが最後の一人と一つが見つからないらしい。


 帝国でも常に清潔な水が飲めることは得難いものらしく戦時中から巫女の確保と交渉を行っていたそうだ。


 そして巫女捜索は国外や一般冒険者にまで降りてきた。

 もし最後の巫女を見つければとんでもない大金が手に入る。浄化石だけでもその半分は手に入るそうだ。


 冒険者達はこぞってその依頼を受けた。それはバブルムスーを貶した隣国の者達も同様で、腕に覚えがある者は貴族も参戦した。




「ひどい有り様ね。ここまで戦の爪痕が残っているわ」


 顔を歪めた妻に男は「何があっても守ってやるからな」と甘い言葉を吐き妻にキスをする。その見慣れた風景を仲間達は「よそでやってくれ!」と冷やかすが顔は笑顔だった。


「どこに向かっているの?」

「俺の故郷だったところさ」


 結婚して生まれも身分証もなにもかも書き換えた男は別人に生まれ変わったが、昔の記憶が役に立つかもしれないとわかり旅行と称して妻や冒険者仲間と一緒に旧バブルムスー王国にやってきていた。


 行き先は男が生まれ育ったところだが思い入れはなかった。田舎で何もない、つまらない村だ。


 戦争で食糧難になった時、出ていくなら今しかないと思った。

 こんな村から逃げ出したいとずっと思っていたのだ。何もない息苦しいだけの小さな村で一生つまらなく暮らすなんて耐えられない。

 男は若者らしく自分の力で苦難を乗り越え、英雄のような人物になりたいと夢見ていた。


 村に婚約者はいたが結婚するまでキスすらさせてくれない身持ちが固い女だった。貴族だから仕方ないらしいが平民の俺と結婚するんだからこっちに合わせろよ、とずっと思っていた。

 妻に聞けばそんなことを言う女は決まって男の上位に立ちたい傲慢で高飛車な女がする行動らしく、顔は良くても性格がブスじゃ俺とは釣り合わないなと思った。



 だが彼女は腐っても貴族で『巫女』という肩書きを持っていた。巫女がどんな仕事かよく知らないまま出ていき、冒険者の依頼を受けてやっと理解した。

 たしかに巫女の仕事はすごいが、男からすれば修道女とたいして変わりないじゃないかと思った。


 どうせ奉仕するなら俺だけに奉仕すれば良かったのに。

 夜のご奉仕をしてくれたらつまらない婚約者でも少しは可愛げがあっただろうに、と下衆なことを思っていた。


 だがそれはそれとして、真実を知ったところで後悔はない。

 出ていくと決めた時連れていこうと思わなかったように、巫女の力を知っても置いていっただろう。だから『待っていてほしい』だなんて嘘をついたのだ。


 彼女は(浄化石任せでたいしたことしてないだろうに)巫女であることに誇りを持っていて、それを理由に俺の心を蔑ろにしてきた。

 ならば死ぬまで大好きな仕事をしていればいいと思ってわざと置いてきたのだ。


 勇敢で統率力があり誰にでも優しく見た目もダントツに良い俺に惚れて婚約をせがんできたのに、つれない態度で俺の愛情を無下にしてきたのだから捨てられるのは当然の仕打ちだと考えた。


 仲間からも『雑用係としてなら構わないが貴族令嬢なんてお荷物なだけだ』と言われたせいもある。


 俺はリーダーだから大局を見なくちゃならない。俺の婚約者だからと優遇して他の仲間を危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。



 畦道(あぜみち)を進み、辺りを確認する。戦争の爪痕がまだ残っているが火はすでに鎮火していて静かなものだった。


 旧王都はまだ慌ただしいようだがこんな辺鄙な村までは届きやしない。むしろ何でこんなところまで戦場にしたのか意味がわからない。

 それだけ帝国の怒りが大きかったのかもしれないが、これでは人を殺したいだけの狂人だなと嘲笑った。


 荒れ具合を見る限りこの辺一帯の村や町の住人は逃げた後だろう。荒れた畑や捨てられた鍬や壊れた荷車を見ながら、彼女も自分の命惜しさに大切な仕事を捨てて逃げたのだろうな、とほくそ笑んだ。



「実家に帰って家族にご挨拶するの?」

「いや、戦火に見舞われる前に逃げたというからいないだろう。その村に巫女がいたから浄化石を回収しようと思って来たんだ」


 両親や村長達も国外に逃げたと噂で聞いている。家が無事なら金になりそうなものを探してみるか。

 住む人間がいなければ水を綺麗にしても意味がないし、かといって浄化石を持ち出すことは難しいだろう。たしかそこそこ大きかったはずだ。


 俺がいないと巫女は自分の身も守れないし貴族で細腕だから大事な石も持ち出せない。どんな顔で俺のことを考え泣きべそをかきながら逃げ出したのか、それが見れなかったことが残念に思えた。


 そんなことを考えながら生まれ育った村に入ると戦争での被害はあるものの損壊した家は少なくホッとした。これなら実家も残っていそうだ。


 一旦仲間と別れ妻と実家に向かうと埃が被ってはいるがほとんどが無事で、懐かしさが甦る。

 しばらく浸っていると妻が俺の自室に入ってはしゃいだ。ほとんど置いていったから新鮮で面白いのだろう。


 窓を開け埃を外に出し、妻の方を向いたらカチッと何かを踏んだ気がした。

 足をあげて確認すると鈍く光る指輪だった。安物なせいかついていたガラス玉が割れて粉々になっている。


 それを見てふと、婚約者の顔が浮かんだ。

 そして彼女の左薬指につけていた指輪も思い出す。


「…あ、…?」


 だが自分のは随分前に隣国に流れているネーラ川に捨てたはず。

 なぜここにあるんだ?とふと襲った寒気に不安を感じると、妻が抱きついてきた。


「ねーえ?そろそろ三人目が欲しくない?」

「もう出産はこりごりだって言ってなかったか?」

「それは~そうなんだけどぉ。娘、娘が続いて息子がまだじゃない?それに愛する旦那様にまだまだたくさん可愛がってほしいの」


 弾力がある大きな胸を押し付け上目使いでおねだりする妻は二児の母になっても艶があって舌舐りをしたくなる。

 だがここは故郷とはいえ他国で、若い頃ならともかくいい年した夫婦が盛るには情緒もへったくれもない場所だ。


 もう少しちゃんとした場所に移動したらな、と額にキスをすると妻はしょうがないわね、と言いながらも俺の腕に手を絡めて一緒に実家を後にした。


 雑談をしながらおふくろが趣味でやっていた庭に出たところで耳をつんざくような騒音が後ろから鳴り響き、風に押される形で前へと走った。


 慌てて振り返るとさっきまでしっかり建っていたはずの俺の家がぐしゃぐしゃに崩れ落ち全壊している。しかもこの短い時間で燃えたわけでもないのに大半が灰になっていた。


 なんだ?何が起こったんだ?と違和感を感じるも風で飛んで来た灰が目や口に入り、二人は逃げることに必死で違和感など吹き飛んでいった。



 灰まみれになりながら集合場所の井戸に向かうと仲間ではない奴がそこに立っていた。


「ロバート?」


 横顔しか見えないが、俺は妻の声に反応しないまま井戸へと走る。近づく足音で顔を上げた女と向き合い、そして喉がつまった。何を話したらいいのかわからない。


 なんでお前が?

 逃げたんじゃなかったのか?

 なんでここにいる?

 そこまでして巫女の仕事にしがみつきたかったのか?

 俺が帰ってくるのを待ち焦がれていたのか??


 久しぶりに見るコイツは痩せてしまったが美しさは衰えてなかった。むしろ羽化前の繊細で危うい儚さのような雰囲気が心を捉えて離さない。

 初めて見た時、年の割に大人びていて憂う表情が庇護欲を掻き立てられたのを思い出す。


 そう思ったら昔抱いた欲が頭をもたげた。

 どんなに役にたたなくても、つまらない女でも俺を好いてくれているコイツのことがまだ好きだったんだと。


 そんな思いを馳せている間に妻が追いつき女に話しかけた。


「あなた、名前は?」

「………シビルと申します」

「なんでこんな廃村にいるの?」

「……水の状態を確認しに来ていたのです」

「一人で?というか、あなた目が見えないんじゃない?」


 シビルが言うには一度浄化を怠ると元に戻るまでかなりの時間がかかるらしく、誰もいない村にわざわざ足を運んでは毎日状態を確認しに来ていたのだそうだ。


 だがそんなことよりも俺は心臓がズキズキと痛んだ。目が見えないだって?そんな!いつ?戦争で?まさか誰かに汚されたせいなのか??と激しく動揺する。


 だって俺と別れる前はまっすぐ俺を見ていた。見えていたんだ。なのに見えなくなるなんて!

 まさか、目が見えなくなるような無体なことを帝国の奴らにされたのか?よってたかって複数の兵士に陵辱されたのか?!


 俺に会わせる顔がないと思って視力を失ったのか?!


 くそっ!だったらどんなに嫌がられてもシビルを抱けば良かった。まだ発展途上だからと気を遣ってやるんじゃなかった。下衆な帝国の兵士なんて女で穴があればなんでもいいクズばかりなのに。

 可哀想なシビル。どんなに傷ついたことだろう。犯されながらも俺の名を呼び助けを求めたんだろうな。

 あの日の夜に素直に抱かれていればシビルは視力を失わず、俺との一夜が彼女の心の拠り所となれただろうに。


 シビルの親も親だ。今まで一度も様子を見に来たことはなかったが巫女は国の宝だ。本気でヤバくなったら助けに来ると思っていた。

 王族も王族だ。帝国が交渉してるなら助けてやれよ!自分を犠牲にして国に尽くしてきたんだぞ?!これじゃ無駄死にじゃないか!!


 くそっくそっと憤慨してる俺を余所に妻はシビルの目の前で手を振り、ニヤリと嗤った。ああ、悪い癖が出た。


 妻は俺の前では可愛い嫁なのだが格下の女にはとことん苛めないと気がすまない性分なのだそうだ。

 だから妻に見初められた時もその時周りにいた女達は村からの仲間も含めて全員排除されている。結婚してから落ち着いたが、時折こうやって悪い癖が出てくるようだ。


 この癖が出る度困ってはいるのだが、嫁の可愛い嫉妬心だと言われると何も言えなくなってしまう。嫉妬されること自体は嫌いじゃないからだろう。


 シビルが元婚約者だとは教えていないのに、妻は彼女が嫌そうなことを根掘り葉掘り聞いていく。

 一応男爵夫人なのだが貴族はあんな畳み掛けるように質問責めにしてもいいのだろうか?平民でも嫌われると思うのだが。


 それだけシビルが気に食わないのだろうか?そうなのだろう。


 嫉妬深い妻のことだ。おそらくシビルを見る俺の目が他とどこか違うと勘づいたのだ。

 そして二度の出産で落とすことができなくなった肉と鏡を見るたびに目につく目尻のシワを思い出して、目の前のシビルに嫉妬したのかもしれない。


 薄汚れてはいるが深窓の令嬢という言葉がぴったりな繊細さと美しさがシビルにはあった。伏し目がちな顔も陰があって目を惹かれる。

 そういえば俺が婚約者になるまで誰かしらシビルに声をかけ、村の外の奴からも言い寄られていたのをよく見ていた。それくらいシビルは注目されモテていた。


 それが今じゃこんなみすぼらしい姿で一人寂しく水だけを見ている。

 あまりにも可哀想なシビルに同情した俺は、彼女が嫌がったらそっと助けてやるか、と高みの見物を気取って二人を眺めた。



「え?!マジ?ここまで一人で歩いてきたの?どこにもぶつからず、転ばずに?」

「距離感や何があるか細部まで覚えていますから、一人でも問題なく歩けます」

「へえ~そうなんだぁ…………キモ」


 なんにも見えないのにすいすい歩けるとか気持ち悪くない?とシビル本人に同意を求める妻にさすがに引いて声をかけた。


「おい。いい加減にしろ」

「え~?今いいところなのにぃ~」

「……そちらの方は?」


「あ、やっと気づいた?これだから◯◯◯は……はいはい。こういう女は性格が悪いって教えたのにすーぐ鼻の下を伸ばすんだから。

 こちらわたくしの旦那様でロバート・セニャルットよ。ちなみに今は次期男爵ってことになってるけど近々子爵位を賜る予定なの。

 彼ね、すごいの。バカなこの国を早々に切り捨てて仲間と一緒に国外へ逃亡したのよ!先見の明があると思わない?

 しかも剣の腕もすごく強くてSクラスも目前なの!ね?」


「え?あ、ああ……」


「わたくしの護衛で初めて出逢ったのだけど、あれは運命の出逢いだったわ!ビビビって来たもの!ロバートもそう感じたのよね?!

 わたくしのために戦う彼の強さに痺れちゃって!すぐお付き合いを始めたの!わたくしの専属護衛に指名して四六時中守ってもらったのよ?ロバートったら片時もわたくしと離れたくないなんて言うの。可愛いと思わない?

 それからロバートって家族思いでしょ?そういうところにも惹かれてお父様にすぐにでも結婚したいって申し出たのよ!

 もちろんロバートも喜んでくれたわ!彼も初めて会った時からわたくしにぞっこんで一生()()()()()()()愛し抜くと言ってくれたの!

 わたくしのために素敵な場所でプロポーズもしてくれたのよ?今もそこはわたくし達の思い出の場所なの。

 ねぇ見て見て!婚約指輪と結婚指輪どちらもロバートとお揃いなの!宝石もこんなに大きくて互いの色をあしらっているのよ?王家御用達のハナエラブランドでしか作られていない特注品よ?ほらほら素敵でしょう?

 ……ってあなたは見えなかったわね。フフッあなたがしてるしょぼい安物と雲泥の差があるのは確かよ。

 結婚式も人生で最高だったけど初夜も凄かったわ~!あんな幸せな体験はなかなかできないでしょうね。その初夜で娘も授かっちゃうんだからわたくし達は体の相性も最高なのよ!

 ………あなたはぁ、身持ちが固いから『まだ』なんでしょうねぇ。あんな最高の体験も知らずに一生が終わるなんて可哀想。クスクス。

 しかもあなたいくつ?十八?二十歳?やだ!行き遅れじゃない!キャハハ!

 この国終わっちゃったからもう貴族でもないし無意味に守ってきた純潔も意味がなくなっちゃうのね!!おかわいそう!ププッ

 じゃあじゃあ、夫の仲間にあなたの処女を奪ってくれるよう頼んであげようか?あ、心配しないで?みんな見た目は不細工だけどアレはいいらしいから。知らないけど。

 きっと処女のあなたでも天国に連れてってくれるはずよ?ププッ(目が見えないなら誰が犯してもわからないんじゃない?だったら不細工()の性処理にピッタリね!)

 それに彼らと顔見知りのはずよ?知ってる相手に初めてを捧げられるなんて平民のあなたはラッキーよ!

 あ!どうせだからその中の誰かと結婚しちゃえば?あなたのような修道院でも使い道のない行き遅れの処女を貰ってくれる有り難い人なんだから、あなただって泣くほど嬉しいわよね?

 はい!けって~い!セニャルット男爵夫人であるわたくしが決めたわ!

 …あら、不細工では不満なの?平民のあなたが?わたくしにもの申すの??平民が貴族に逆らってはいけないことはわかってるわよね?わたくしは貴族。あなたは平民落ちした元貴族でしょう?フフッ

 しかもあなたは敗戦国の平民じゃない。敗者は勝者の言うことをなんでも聞かなくてはダメなの。おわかり?

 ここで一番偉いわたくしに逆らったらどうなるか…フフフ。痛い思いはしたくないでしょう?」


 ドン引きするほどのマシンガントークと嫌味なほどいい笑顔で決めつける妻を呆然と眺めてしまった。シビルも困惑しているのか無表情に妻がいる方を見ている。

 だが微妙にピントがズレていて聞き流しているようにも見えた。


 むしろ聞かないでほしいと思ってしまうくらいには聞くにたえない恥ずかしい話だ。

 いくら元婚約者とはいえ閨事情など聞きたくないだろうし、俺の仲間にシビルを犯させるだと?何言っているんだ??と顔が引きつった。


 たしかにシビルが抱けると知ったらあいつらは喜んで襲うだろう。あいつらはシビルをいかがわしい目でずっと見ていたからな。

 だがあいつらにとってシビルは貴族で巫女で俺以外の奴には手が届かない高嶺の花だったんだ。しかも仲間達に犯されてる様を俺にただ眺めてろとでも言うのか?


 ……ありうる。妻は独占欲が強くて恋敵には容赦しない。俺への見せしめもあるのだろう。自分以外を見るなという牽制のつもりかもしれない。

 だがそれにしたって言い過ぎだ。シビルは俺の婚約者だった女だぞ?


 妻の暴言に腹を立て口を挟もうとしたが、キラリとシビルの手元が光り目を向けた。

 左手の薬指にはまっている安物の指輪にひゅっと息を飲む。


 なんで、まだつけてるんだよ。


 その指輪は隣国で川に捨て、さっき実家で踏みつけ粉々にした片割れだった。


 前までは可愛げはないが、指輪をつけていることでなんだかんだ言っても俺のことが好きなんだなと思えたし、いつかはシビルと結婚するんだろうなと思っていた。


 だけど隣国に渡って妻と出逢ってすべてが変わった。

 子供騙しのような安物の指輪を寄越されて喜ぶ女はいないし、きっと裏では甲斐性がないと絶対文句を言っているはずだと考えるようになった。


 そうなると帰ってこない俺を延々と待ち続けていたことも、戦争があったのに村に居座り水がどうのと仕事をしてるフリを見せつけてくるのも重たくて薄気味悪く見えた。


 まるで幸せになった俺を責めてるみたいに思えて居たたまれない気持ちになる。


 いやきっとそうだ。

 村やシビルを捨てた俺を恨んでいるはずだ。だからわざと村に残って結婚もせず不幸な自分を俺に見せてくるんだ。


 ああ、どうすればいいんだ?俺はもう男爵家に婿入りしていてシビルの気持ちに応えることはできない。愛人にならできるかもしれないが妻にバレたら刃傷沙汰になりかねない。隠し通せる自信もない。

 モテる男の悲しい(さが)だが体はひとつしかないし、すべてを兼ね備えたロバートという人間もこの世に一人しかいない。


 ここはとりあえず友好的に話しかけて浄化石の場所を先に聞きだそう。怒らせて逆恨みで嘘を教えられても嫌だからな。

 いや妻を宥めて一回だけシビルを抱けば案外あっさり教えてくれる、か?なにせシビルは抱いたわけでもないのに俺のことが忘れられなくて村に残っていたわけだし。

 もし本当に処女だっていうなら愛してやまない婚約者だった俺に捧げたいはずだ。そうだ、そうに決まっている!


 考えがまとまったところで、どうやって聞き出そうかと考えていると妻が話を切り替えた。



「もしかしてこの井戸の中に浄化石ってやつが入っているの?」

「………ええ、そうです」

「なんかその石見えないわよ?それに水が濁ってるような?あ、あれ浄化石かしら?水が真っ黒でよく見えないわ!」


「え?どのくらいですか?」

「真っ黒と言ったら真っ黒よ!タールみたいにどろどろしているわ!ちょっとおかしいわよ!汲み上げて確認した方がいいんじゃない?」


 ロバートは驚いたが妻はシビルに浄化石を汲み上げるよう指示をする。

 滑車を使ってはいるが石を汲み上げるには一苦労なので俺も手伝った。井戸を覗き込んだが水は十分にある程度くらいしかわからない。

 日光が井戸の底まで照らせないのと覗くと自分で光を遮ってしまうからだろう。


 よくわかったな、と妻に感心しながら汲み上げると桶の中身分くらいの大きな石がひとつ入っていた。

 その石は初めて見るもので、表面はゴツゴツしているがキラキラと砂の粒みたいに光っていてとても綺麗に見えた。

 真っ白い色にどこも黒ずんでいない。桶にちょっとだけ入っている水も透明だった。


 住んでいた頃はこの井戸を使って飲み水を確保していたがこんな石が入っていたなんて知らなかった。

 どうやってこの石を桶に入れたんだ?というのと、これだけ大きいなら古びた桶なんてすぐに穴が開いて落ちていただろうにと考えた。


 だが引っ張りあげた感触は軽くて、なんだか石に意思があるような錯覚を覚えた。



「やだ!真っ黒だわ!桶の中がベトベトしてる!これは危険よ!触ったらいけないわ!!」

「え、きゃあ!」


 悲鳴混じりに叫んだ妻は石を触ろうとしたシビルを突き飛ばした。


「お、おい!」

「(軽く押しただけよ!転んだのはあの女がどんくさいからよ!あんな女が怪我しようとどうでもいいじゃない!それよりもロバート、これ奪っちゃいましょうよ!)」


 驚く俺に妻は声を抑えながらニヤリと嗤い、とんでもないことを提案した。


「(どうせこの女は目が見えないんだし、その辺の石ころと交換してもわかりっこないわ!)」

「(だが……)」


「(大丈夫!絶対バレたりしないわ!だってこの女◯◯◯だもの。わかりっこないわ!)

 それよりも綺麗ね。割ったら水晶が出てきそう。どうせだからギルドに渡す前にちょっと削ってブローチやペンダントにしてもいいわね」


 いい拾い物をしたわ、と妻は石を軽々と取り出すと日に掲げて喜んだ。


 本来なら女の細腕で持ち上げられなそうな見た目の石ではない。なのに妻はあっさり持ち上げ日にかざして光の反射を楽しんでいる。もう自分の物になったかのような顔だ。


 ある意味異様な光景にロバートは息を呑んだ。



 その、次の瞬間。


「ぎゃああああああっ」











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