図書館の開館一時間前
ある球団の選手たちが、大きな図書館の裏口前に集合していた。
現在の時刻は午前九時の少し前だ。図書館が開館するのは、普通なら「午前十時」である。
ところが、午前九時になると裏口が開いて、
「おはようございます。こちらにどうぞ」
開館の一時間前なのに、スタッフが笑顔で図書館の中に入れてくれる。
実は、この図書館では数か月前から、こんなサービスをしているのだ。
――朝一の図書館を、貸し切ってみませんか?
図書館の利用者を増やそう、と思って始めたサービスだ。
このサービスを利用するためには、事前の申し込みが必要で、他にもいくつかの条件がある。
たとえば、個人での申し込みはできない。申し込むことができるのは、「団体」に限られる。
また、「『この図書館の徒歩圏内』に住所がある」というのも、条件の一つだ。利用者を増やすことが目的なので、図書館の遠くにいる人々を相手にしても、あまり効果は見込めない。
そういうわけで始めたサービスだったが、今や近隣の会社や学校から、申し込みが殺到している。
評判も上々だ。「社員研修の一環に使える」とか、「生徒たちにとって、本が身近な存在になった」とか。
最初は「週に一回」だったサービスが、申し込みの多さから、今では「週に二回」になっている。
しかし、それでも毎回抽選だ。その倍率はかなり高い。
そして本日の回で幸運を射止めたのが、「プロ野球の球団」である。
一軍の選手たちと監督が、裏口からぞろぞろと、図書館の中に入っていく。
この時間帯、自分たち以外に他の利用者は誰もいない。
本棚の列、そこに人の気配は皆無だ。無人の通路、通路、通路。
とにかく空間が広く感じられる。これまでの図書館のイメージとは、まるで別物だ。
選手の一人が興奮して、「すげぇ!」「すげぇ!」と連呼している。
それを皮切りに、各選手が一斉にしゃべり出した。図書館の貸し切りを実際に体験した「第一印象」について、熱く語っている。
本来であれば、「図書館で大声を出す」というのは、マナー違反だ。
けれども、今は貸し切り中。図書館のスタッフから注意されることはない。図書館の中で、静かにしなくてもいいのだ。しゃべってもいい。本棚の前で自由に議論することができる。
これまでに、この貸し切りサービスを利用した団体の多くが、それを十分に活用してきた。「自分たちだけの自由時間」だ。
だから、この一時間は思い思いに過ごしていい。必ず本を読まなければ、そういう強迫観念がないためか、本を普段読まない人も、気軽に本を手に取る。
本来の開館時間よりも前なので、システムの都合上、本を借りることはできない。
だが、本来の開館時間後に再び図書館を訪れて、目当ての本を借りていく。そんな人が、図書館側が予想していたよりも多かった。
そういうこともあって、このサービスの開始以降、図書館を利用する人の数は目に見えて増えている。
さて、プロ野球選手たちに話を戻そう。
やはりと言うべきか、すでにネットで情報を得ていたようで、
「はい、チーズ!」
何人かで集まって、記念写真を撮り始めた。
これも本来であれば、図書館ではマナー違反。
しかし、開館一時間前の今なら例外だ。何の問題もない。こうした記念写真は当たり前になっている。過去の利用者たちが、会社のホームページや自分のブログに上げていた。
そして、この記念写真以外に、お決まりの光景がある。
絵本コーナーに人だかりができるのだ。
普段の図書館だと、大人がたむろしにくい場所だが、今なら例外。
最初の記念撮影のあと、プロ野球選手たちも同様の行動をとった。
童心にかえって、「この本は読んだことがある!」と楽しそうに話している。
それから一人一冊ずつ、お気に入りの絵本を選ぶと、
「はい、チーズ!」
またもや記念写真を撮っている。
これもお決まりの光景だ。たぶんネットで事前に情報を得ていたのだろう。
絵本は大きいので、あとで写真を見た時に、それが何の本なのか、とてもわかりやすいのだ。持っているのが文庫本だと、こうはいかない。
選手たちは絵本を手に、無邪気な笑顔をしている。
それに温かい目を向ける、チームの監督。
その手には一冊の絵本があった。どうやら選手たちの記念写真に混ざりたいらしい。
図書館の開館一時間前。
この場所は今日も、普段はできない「自由」であふれている。
次回は「暑さ対策」のお話です。