チェコの橋から
日本のみなさん、こんにちは。
みなさんは「チェコ」という国をご存じだろうか。
ぼくの祖国で、ビールのうまい国だ。ドイツやポーランドはお隣さん。
外国から来る人にはぜひ、『飲んだくれツアー』の参加をおすすめする。チェコ自慢のビールを飲んで、飲んで、飲みまくろう。
もしも、あなたがビールを飲めないのなら、『酔っ払いを遠くから眺めるツアー』の方をおすすめしたい。あれはあれで面白いから。
ビールや酔っ払い以外にも、チェコには楽しいものがいくつもある。
そんな中でもぜひ、首都の「プラハ」には行ってみて欲しい。『百塔の街』とか『ヨーロッパの魔法の都』とか言う人もいる。ニューヨークの摩天楼もいいけれど、ぼくはこっちの方が気に入っている。素敵な街だ。
ここなら、日本のマンガのように、大変な思いをしてわざわざ転生しなくても、異世界気分が味わえると思う。必要なのはパスポートと航空チケットだ。チェコを好きになってくれそうな人を、ぼくは歓迎する。
さて、そろそろ時間みたいだ。この広場の天文時計、その針が、ある時刻に迫っている。
少し移動しよう。旧市街広場から、ぼくが宿泊しているホテルへ。
そこからなら、よく見えるはずだ。間もなく始まる重大イベント。
野球のチェコ代表、その最終選考があるのだ。ヨーロッパ予選を戦うメンバーを決める。
といっても、すでにほとんどのメンバーが決まっていた。残っている枠は、あと一つだ。
代表監督は先日の記者会見で、こう言った。
「足のスペシャリストを代表に入れたい」
同点のまま試合の終盤を迎えた時、俊足の選手がいれば、その局面を打開してくれるかもしれない。
だから、最後の一枠には、そんな選手を入れる。
しかし、候補の選手は二人いた。しかも、代表監督はどちらか片方に決めきれずにいた。
「そういうわけで、国民にアンケートをとりたい」
アンケートで多かった方を、チェコ代表に加える。
それで翌日、テレビや新聞、インターネットで、次々とアンケートが行われたのだが、どれもほぼ互角だった。二人の選手は僅差で勝ったり負けたり。
その日の夕方になって、記者たちが質問した。
「監督、どうします?」
二人とも代表に入れることができればいいのだが、残りの枠は一つだけ。
代表監督は長い沈黙のあとで、こう告げた。
「レースで決めよう」
それが、今から行われるレースだ。二人の内、先にゴールした方がチェコ代表になる。
この代表選考には、国民の注目がかなり集まっていた。レースはチェコ国内に生中継される。
決戦の地はプラハだ。この街の中央には、ヴルタヴァ(モルダウ)川が流れている。そこに架かる『カレル橋』を走るのだ。
神聖ローマ帝国の時代につくられた大きな橋で、『マラー・ストラナ』と呼ばれる城下町と、旧市街地をつないでいる。
カレル橋の長さはおよそ五百メートルあった。
野球の試合において、一塁、二塁、三塁、本塁と走っても、その距離は百メートル強なので、橋の方が圧倒的に長い。
ランニングホームランでも、そこまでは走らないので、スタート地点は橋の途中だ。レースで走る距離はおよそ百メートル。旧市街地を背に、プラハ城に向かって走る。
橋を渡りきった地点には、千分の一秒まで測定可能な機械が設置されていた。そこを先に通過した選手の勝ちだ。野球のチェコ代表入りが決まる。一発勝負の『カレル橋レース』だ。
レースを見ようと大勢の人たちが、橋やその周囲に集まってきていた。
プラハの上空では現在、テレビ局のヘリコプターがいくつも飛んでいる。
そんな中に、かわいい魔女が箒に乗って飛んでいるのを、一瞬見たような気がした。でも、たぶん気のせいだろう。
さて、ここがぼくの泊まっているホテルだ。
今から橋の近くに行こうとしても、人混みで先に進めないだろう。
だから、ぼくは前もって、レースの観戦場所を確保していた。
さぁ、中にどうぞ。この部屋をぼくは昨日から押さえていた。
ここのベランダからなら、ほら、カレル橋がはっきりと見える。プラハの地図と「にらめっこ」して見つけた、秘密の特等席だ。
にしても、すごいな。カレル橋の両側が、たくさんの人で溢れている。
橋の上では二人の選手が、それぞれ準備運動をしていた。彼らにとっては真剣勝負。勝った方が代表入りだ。
そうそう、まだ言ってなかったけれど、ぼくは写真家だ。そして、これが愛用のカメラ。日本製だ。今日はすごい写真を撮るぞー。
ん? いきなり教会の鐘が鳴り出した。音の方角から考えて、たぶん旧市街広場にある教会の鐘だ。
さらに他の鐘も鳴り出した。これって、プラハ中の教会が鐘を鳴らしている?
ついにレースが始まるようだ。
二人の選手がスタートラインへと移動する。どちらも野球のユニフォームではない。陸上選手のような格好をしている。
無数の鐘が鳴り響く中で、二人の選手が握手をした。良い場面なので、ぼくは写真に収めておく。
教会の鐘が鳴り止むと、彼らがスタートラインについた。と同時に、見物人たちの声も止まる。
レースの距離はおよそ百メートルだ。先に橋を渡りきった方が勝者となる。
ぼくはカメラをしっかりと構えた。
何度も頭の中でシミュレーションしてきたことを、もう一度だけ繰り返す。
スタートの瞬間とゴールの瞬間、その二つにとにかく集中だ。走っている間については、臨機応変に対応する。
直後に号砲が鳴った。
飛び出す二人。その瞬間を写真に撮る。
が、そこから先はカメラが置いてけぼりになった。彼らが速いのは知っていたが、ぼくの予想よりも断然速い。
すぐさまゴール地点にカメラを向ける。途中経過はあきらめた。しかし、ゴールの瞬間だけは絶対に押さえる!
見物人たちが橋の外から、応援の声を張り上げていた。その感じからして、二人の選手は互角のようだ。代表の枠は、たったの一つ。
そして、ぼくは見た。二人同時にゴールするのを。
とりあえず、写真を撮るのには成功した。個人的な感想だけど、二人に差はなかったように思う。
これは同着か? 見物人たちもざわついている。
ところが、片方の選手がもう片方の選手に近づくと、その右腕を高く掲げさせた。つまり、あの選手が勝者だということ。
ヴルタヴァ(モルダウ)川の両側から歓声と拍手が起こった。
直後に、プラハ城から複数の花火が打ち上がる。
本日、野球のチェコ代表チームが完成した。このメンバーでヨーロッパ予選を戦う。
なお、負けた選手にはレース後すぐに、
「代表戦のゲスト解説をぜひ!」
そんなオファーがテレビ局からあったらしい。
翌日、ぼくが撮った四枚の写真は、ある新聞の一面を飾っていた。
一枚は、スタート前の握手の場面。
一枚は、スタートの瞬間。
一枚は、ゴールの瞬間。
そして、勝者が右腕を高く掲げている場面だ。
でも、この四枚でぼくは満足していない。
もしも、チェコ代表がヨーロッパ予選を勝ち抜いたなら・・・・・・。
そこに待っている栄光の瞬間を、このカメラで撮影したい。
参考文献:
地球の歩き方 チェコ ポーランド スロヴァキア ダイヤモンド・ビッグ社
次回は「新商品発売」のお話です。




