この審判は時間を支配する
これから始まるのは、今シーズン最後の試合だ。
この試合には、個人的に大記録がかかっている。
俺はプロ野球の審判で、シーズン通しての「誤審ゼロ」を継続中だ。
それも当然だろう。
なぜなら、俺は普通の審判ではない。時間を操ることができる、特殊な審判なのだ。
したがって、誤審をすることなど、まずあり得ない。大記録の達成は決まったも同然だ。
さっそく試合が始まる。
ピッチャーが最初の一球を投げたのを見て、俺は素早く念じた。
(『世界の中心で、審判は無慈悲な夜の女王』)
すると、時間が停止した。この俺による時間支配。
きわどい判定を求められそうに感じたら、こうやって時間を止めてチェックすればいいのだ。
ふむ。今回のはストライクだな。
確認を終えると、時間の停止を解除する。
ボールがキャッチャーミットに収まるのと同時に、俺は力強く叫んだ。
「ストライク!」
しかし、時間を止めることができるだけでは、完全に誤審を防ぐことはできない。
去年までの俺がそうだった。が、今年は違う。新しい力に覚醒していた。
心の中で念じる。
(『一九八四年、審判は電気羊の夢を見る』)
これで、一秒前の過去を見ることができるのだ。
その過去を変えることはできないが、事実を確認するのは可能。時間停止が間に合わなかった場合には、この力で補えばいい。
ふふふふ。どうだ。
時を止める力、『世界の中心で、審判は無慈悲な夜の女王』。
過ぎ去った時を見る力、『一九八四年、審判は電気羊の夢を見る』。
この二つの力によって、俺は時間を支配する!
ただし、これらの力には、使用上の制限があった。
野球の試合中であること。また、野球の判定に関することでなければならない。
つまり、それ以外の場面では使用できないのだ。
たとえば、競馬場でゴールの瞬間に、『世界の中心で』を使用。自分が持っている外れ馬券を、他人の当たり馬券とすり替える、そんなことはできない。
さて、少し雑念が過ぎたようだ。試合に集中しなければ。
ピッチャーがボールを投げてくる。
ふむ。この一球、かなりきわどいコースを攻めてきているな。
なので、時間を停止させる。
(『世界の中心で、審判は無慈悲な夜の女王』)
しかし、タイミングがわずかに早かったみたいだ。まだボールがベースに届いていない。
力を一旦解除する。で、ボールが少し進んでから、再び『世界の中心で』を使用した。
今日の試合は重要だ。シーズン通しての「誤審ゼロ」がかかっている。慎重すぎるくらいで、ちょうどいい。
やがて試合は終盤に入った。
またしても、ピッチャーがきわどいコースに投げてくる。
俺は念じた。
(『世界の中心で――』)
ズバーン。
時が止まるよりも先に、ボールがキャッチャーミットの中へと収まった。
しまった。俺はわずかに動揺する。
力を使うことに意識を傾けすぎていて、今のボール、その軌道をしっかり見ていない。
ならば、過去を見るまで。
(『一九八四年、審判は――』)
その瞬間、心臓のあたりが猛烈に痛み出した。
うぐ・・・・・・ま、まずい。
俺は痛みを堪えながら、頭を働かせる。この異常、調子に乗って、力を使いすぎたのが原因か。
こうしている間にも、一秒以上が経過してしまう。
俺としたことが、不覚を取ってしまった。この状態で、正しい判定を下さなければならないとは・・・・・・。
選択肢は二つ。ストライクか。ボールか。
ここで間違えれば、シーズン通しての「誤審ゼロ」が消滅してしまう。
こうなった以上、奥の手を使うしかなさそうだ。
一秒前を見る『一九八四年』を「連続使用」しまくれば、あるいは・・・・・・。
今からだと、五回か六回は必要だと思う。迷っていては、さらに回数が増えることになるので、すぐに始めるしかない。
(『一九八四年――』)
と同時に、心臓にこれまでで最大レベルの激痛が走り、俺の意識はあっさり吹き飛んだ。
意識が戻ると、俺は病院のベッドに寝ていた。
試合中に失神して、ここに担ぎ込まれたらしい。
心臓の痛みが消えていることに、まずは安堵した。
そのあと、短時間に力を使いすぎたことを反省する。
他の審判がサイドテーブルにメモを残していた。それによると、俺はシーズン通しての「誤審ゼロ」を達成したという。
あの一球は、審判の俺が倒れたことにより、「無効」になったらしい。別の審判に交代し、ボールを投げる前の状態から「試合再開」になったそうだ。
記録を達成したものの、俺の心に喜びはなかった。
試合中に意識を失うという大失態。それで転がり込んできた記録など、何の価値もない。
あの試合で俺は、自分の体調管理ができていないという、「大誤審」をしてしまったのだ。
試合をしていた両チーム、球場にいたお客さん、球場関係者の方々、そして、他の審判たちに申しわけない。
その時、俺は気づいた。
眉間のあたりが、むずむずする。
今年のシーズンが始まる前にも、同じ感覚があった。
これはもしや、新しい力の覚醒か?
次の瞬間、頭の中に情報が流れ込んでくる。
第三の力は、一秒先の未来を見ることができるらしい。『一九八四年』と対をなす力。
きわどい判定になりそうだと予感した時などに、先回りすることができるわけか。うまく使いこなすのは難しそうだが、それができたら、なかなか強力だと思う。
とりあえず、この第三の力にも名前をつけるとしようか。
これまでと同じような、かっこいいやつを考えなければ・・・・・・。
そして、三つの力をうまく使いこなして、来年こそは達成したい。きちんとした形での、シーズン通しての「誤審ゼロ」だ。
俺は決意表明のつもりで、力強く口にする。
「この審判は時間を支配する!」
その時ちょうど、看護師さんが病室に入ってきた。
やばい! 今のを聞かれてしまった!
焦った俺は、とっさに叫ぶ。
「『世界の中心で、審判は無慈悲な夜の女王』!」
しかし、時間は止まらない。
しまった! ここは野球場ではないし、試合中でもないのだ! よって、力は発動しない!
病室の中に微妙な沈黙が流れる。俺にとって、まずい空気だ。
看護師さんが心配そうに聞いてくる。
「今日が何曜日か、わかりますか?」
俺は少し考えてから、自信満々に別の曜日を答えておいた。
次回は「ハロウィン」のお話です。