調査報告書2:切り裂きジャック事件
フランスは日本やイギリスに比べれば銃の規制はそれほど厳しくはない。
どちらかと言えばドイツやフランスはアメリカではないが、スーパー・マーケットなどに売っていたりする。
まぁ、そんな所で買うよりは専門店で買った方が絶対に良いのは明白だけどね。
私と飛天が向かっている射撃場はマルセイユ港を通って街中の外れにある。
駐車場にディムラーを止めて玄関に行く。
中に入ると受付嬢がいて私たちに会釈してきた。
「これは“伯爵様”。ようこそ射撃場へ」
「射撃をやりに来た。大丈夫か?」
「もちろんです。どうぞこちらへ」
本来なら住所などを記入しなければならないのだが、飛天の場合は顔パスで良いらしい。
玄関を抜けて少し歩くと外に出た。
外に出ると人型の的が10個ほど置かれていて、射座には既に3、4人ほどの人間が拳銃などを握って撃っていた。
私と飛天もそれぞれ射座に立ち獲物を出した。
私の場合はコルト・パイソン 4インチを飛天の方は腰の後ろに装着したバックサイド・ホルスターからパイソンの倍は大きさを誇るモーゼルM712を取り出した。
モーゼルC96をフルオート射撃が可能にカスタマイズして作られた拳銃だ。
今では古くて何処の国も使ってないのだが、飛天は相性が良いと言って愛用している。
「それでは、何かあったら呼んで下さい」
受付嬢は一礼して射撃場を出て行った。
「さて、と撃つか」
飛天はモーゼルを右手だけで構えて撃鉄を起こした。
モーゼルはシングル・アクション式なので撃鉄を一度、起こさないと発射されない。
私のパイソンはダブル・アクションだから引き金を引けば撃てるが、精密射撃を狙うなら撃鉄を起こした方が良い。
飛天はモーゼルの引き金を連続で引き続けた。
弾は10発だが、一瞬で10発を撃ち尽くしてしまった。
先にいた客は飛天の銃とクイック・ドロウ(早打ち)に眼を見張った。
「それじゃ私も」
パイソンを的に向けて発射する。
モーゼルよりも強力なマグナム弾の音が射撃場に響く。
私も6発を全て一瞬で撃ち尽くした。
全弾を撃ち尽くしたら左に弾倉をスイング・アウトしてエキストラクター・ロッドで6発まとめて空になった実包を出す。
トレンチコートのポケットに入れてある実包を取り出して一発ずつ装填する。
飛天の方はオートマチックだから10発まとまった弾倉をそのまま装填した。
今度はモーゼルをセミからフルオートに変えて飛天は撃った。
セミオートで撃った時より少しだけ速く全弾を撃ち尽くした。
私の方は最近になって編み出した射撃方法を取る。
よく西部劇の映画などでやる撃鉄を手の平で起こしながら引き金を引くやつだ。
撃鉄を手の平で起こして引き金を引く。
弾はパイソンの欠点である引き金を引いた時に銃口が上がる為か上の方に当たっていた。
先ほどは問題なかった所を見ると、まだ慣れていない撃ち方をしたからかもしれない。
一時間ほど連続で休み無しで撃ち続けたからか銃身が焼けるように熱くなるのがグリップからでも伝わってきた。
「少し休憩だな」
飛天がモーゼルの弾を撃ち尽くしてから射撃場に背を向けた私も後を追った。
先に来ていた客は私たちより30分ほど早めに休憩をしに行ってしまったから私と飛天が出て行って射撃場は無人になった。
休憩場に行くと先の客たちが紙コップに入ったコーヒーや煙草を蒸かして談笑していた。
「おぉ。これはさっきの」
客の一人が飛天と私を見て挨拶してきた。
「モーゼルとは随分と古い銃をお使いになられますね」
「俺との相性が合うんでね」
飛天は無視する訳にもいかないと思ったのか適当な返事をした。
「相性とは中々のお言葉ですな」
客は飛天の言葉に何かを感じたのか笑った。
「失礼ながら、貴方様は銃を商売に生きて来たのではありませんか?」
中々の鋭い洞察力だと私は感心した。
飛天の方も少なからず無表情な顔を驚かせていた。
「まぁ、昔の話だがな」
「やはりそうでしたか。貴方様を見ていると昔の私を思い出しましてな」
「昔?あんた除隊兵か」
はい、と客は頷いた。
見た目は60後半から70前半にアメリカ人が好みそうな服装な所を見るとアメリカ人か。
「えぇ。元ベトナム戦争で海兵隊として戦いました」
ベトナム戦争か。
私が知る限りベトナム戦争はアメリカとソ連の馬鹿な国同士の代理として戦争を起こした歴史に残る馬鹿な戦争だった筈だ。
味方からの爆撃や枯葉剤の投与で死ぬ兵士に麻薬などによる精神的に不安定な状態とアメリカ軍の頑固とも言える武器の拘り。
こんなに汚点があれば負ける筈だ。
私が自身の記憶でベトナム戦争を思い出していると飛天の方も何処か遠い目をした。
そうだった。
忘れていた。
飛天は元人間。
だから、私より遥かに人間界の事には詳しいし元は傭兵をしていたからベトナム戦争にも参加したかもしれない。
「酷い戦争だったろ?」
「・・・・えぇ。味方からの爆撃や枯葉剤の投下、味方同士の殺し合い、麻薬などなど数えたら切りがないほど酷いものでした」
「だが、それより酷かったのは国民の・・・・・・アメリカが帰還兵にした仕打ちだろ?」
「・・・はい」
除隊兵は沈んだ声で答えた。
「どういう事?」
「アメリカは、いや国民と言い直そうか。国民は戦って帰ってきた兵士たちを冷たく罵倒したり差別したのさ」
飛天が私の質問に答えてくれた。
「アメリカが初めて他国に負けた戦争だったからな」
ベトナム帰還兵は沈んだ声のまま喋り出した。
「・・・・ベトナムから帰還した時、私は石を投げられました。赤ん坊殺しだとか大量殺人鬼と言われて。故郷に帰っても負け犬や恥晒しと罵倒され政府も何もしない所か、捕虜が沢山いたのに賠償金を払わなかった」
「・・・・・・・」
「正直、言って私は嫌になりました。自分は何の為に戦ってきたのだろう?国の為にと思い遠い異国で死に物狂いになって戦って来たのに、この仕打ちは何だと?」
一緒にいた仲間も顔を沈めていた。
「全てが嫌になって、ヨーロッパに逃げて来たんです」
除隊兵は全てを話し終えると息を吐いた。
「すいませんね。年寄りの愚痴話に突き合わせてしまって・・・・・・・・」
「いや。俺も軍にいたから、あんたらの気持ちは解る」
飛天は無愛想な声で返答する。
しかし、それだけでも除隊兵たちには良かった。
除隊兵たちは礼を言って射撃場を去って行き私たちは休憩場で煙草を2、3本、灰にしてから再び射撃場で銃を乱射した。
飛天はまるで的をアメリカのように憎んだ眼つきで射撃を繰り返していた。
一時間ほど射撃をしてから私たちは夕陽が浮かぶマルセイユの街をドライブした。
夕陽は赤く血を連想させたが、悲しい光を宿してもいて風景に無頓着な私も思わず見惚れてしまった。
飛天の方は無表情な顔でセブンスターを吸ったままディムラー・ダブルシックスを運転している。
こんな夕陽を見ても感動しないの?と聞こうとしたが、口を閉じた。
忘れていた。
彼は夕陽と雨が“大嫌い”だった。
夕陽は女、雨は涙。
飛天の触れてはならない部分。
もしも喋っていたら飛天は私を撃っていただろう。
自分の軽薄さを呪いながら私はフィリップモリスのロング・バージョンを取り出し銜えた。
マルセイユを数時間ほどドライブしてから私と飛天は住み家から遠くないBARに向かった。
BARの名前はネメシス。
ギリシア神話に出てくる復讐を司る女神の名前から付けられている。
ディムラー・ダブルシックスを止めて年季の入ったドアを開けた。
ドアを開けるとシャンソンの代表曲の一つに数えられている『パリのお嬢さん』が流れて耳に入った。
店内は殺風景という言葉が似合っている。
2、3枚の油絵に数個のボックス席とカウンター席だけ。
だが、油絵は名のある芸術家が描いた作品であるのを少しは芸術を齧った者が見たら一目で分かる。
「おぉ。いらっしゃいませ。伯爵様」
カウンターの前でロック・グラスを磨いていた初老の男が私と飛天の姿を見て笑った。
笑うと皺が寄ってまともに瞳が見えない。
「邪魔するぜ」
飛天は軽く返事をしてカウンターに座り私も右隣に座った。
「何になさいますか?」
「まだ夕食を取ってないから適当な軽食を頼む。酒はまだいい」
畏まりましたと言って男は奥へと消えた。
ここのバーを務める男はイギリスでイタリアン店を開いていた男だ。
後一人、私が引き取る形となった娘もいるが、居ない所を見ると奥にいるのかも知れない。
私はフィリップモリスを取り出そうとしたが、切らしていた。
「煙草ちょうだい」
飛天にせがむとセブンスターではなくフランス製の煙草、ジタン・カポラルを取り出して私に渡した。
「俺も切らしたから代用品で我慢しろ」
仕方なしに私はジタンを銜えた。
ロンソン・コメットのライターで火を点けて煙を吐く。
飛天もジタンを銜えた。
私は煙草の火を差し出す。
二人して煙を吐く。
10分くらいして男が戻ってきた。
ベーコンと目玉焼きにグリンピースと野菜とハムが挟まれたサンドイッチをトレイに載せていた。
「お待たせして申し訳ありません」
謝りながらカウンターに料理を置く。
「頂く」
煙草を灰皿に捨ててから合掌して私と飛天は料理を食べ始めた。
「そう言えば、エリナは居ないのか?」
エリナとは無人島事件で引き取った娘だ。
前に話した筈だけど今はこのBAR、ネメシスで見習いバーテンダーとして働いている。
今は住み込みではなく近くのアパートで暮らしている。
「エリナは奥で子供の相手をしています」
「子供?」
飛天は首を傾げた。
「もしかして、あの子の?」
「お前みたいなアバズレとエリナを一緒にするな。あの子は至って健全だ」
男は娘を馬鹿にするなと言わんばかりに睨んできた。
「誰の子だ?」
飛天が聞く。
「それが、今ロンドンで噂の的となっている殺人事件の関係者の子なんです」
「殺人事件?というと現代に蘇えった“切り裂きジャック”の事か」
「はい」
男は頷く。
今、ロンドンでは一つの殺人事件、いや猟奇殺人事件が起きていた。
切り裂きジャック事件と呼ばれている。
この事件は産業革命が起きて大英帝国がもっとも栄えた19世紀に起きていた。
5人の娼婦が鋭利な刃物で殺されるという在り来たりな事件だが、それだけでは治まらない。
咽喉を切られて大腸や腎臓、子宮を抉り取られ持ち去るという猟奇的な行動を犯人は取った。
更に警察を罵倒する手紙を送るなどして挑発をした。
犯人は未だに捕まっていない。
その事件が現代に蘇えった。
今、ロンドンで騒がれている切り裂きジャック事件も昔の事件と同じだ。
ただ相違点を上げるなら20代の女性で尚且つやり方が前の事件よりも残酷な殺し方である事だ。
警察は名誉に掛けて犯人逮捕に全力を注いでいるが、被害者は増えるばかりだ。
「たった一人の肉親だった姉を殺されたそうです」
男は涙眼になった。
「それで、どういう経緯で店にいるんだ?」
「はい。姉の仇を取ると言って銃を求めに来たそうです」
伯爵様の噂を耳にしたとも言っていましたと言う男。
「・・・・敵討ち、か」
飛天はフィルターまで吸ったジタンを灰皿に捨てた。
私もジタンを捨てた。
その時、奥のドアが開いてエリナと少年が出てきた。